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映画『私の優しくない先輩』その 1

『私の優しくない先輩』
(2010年、日本、102分)

監督:山本寛
原作:日日日
脚本:大野敏哉
音楽:神前暁
撮影:藤井昌之
コリオグラファー:夏まゆみ
出演:川島海荷、金田哲、入江甚儀、児玉絹世、小川菜摘、高田延彦


1.
2005年の夏。<家族で初めて渋谷へ行ったとき、スクランブル交差点で声をかけられた>小6の川島海荷は、スカウトされてレプロのジュニア部門に所属することになり、芸能活動を開始します。レプロ的には、ガッキーこと新垣結衣が、今まさに全国区になろうとしていた時期。
翌06年、夏ドラ『誰よりもママを愛す』において、田村正和ファミリーの小学生の次男が慕うことになる、転校してしまう影のある少女として川島海荷はデビューを果たしますが、ここでの彼女は、あくまでも(声の濁った、幾分大人びた)「印象のある子役」に過ぎず、「美少女=アイドル」という範疇にはいない存在、という印象でした。
つづく秋ドラ、『役者魂!』(「擬似家族モノ」の重要作)では、異父弟のチュータ/吉川史樹を連れて、藤田まことや松たか子と共に擬似家族を形成する、芯の強い少女・サクラコを好演。“子供であること”は、その「魂=人格システム」の何割かを身近な大人に依託しておくことであって、“大人であること”とは、「魂=人格システム」を他者に依託せず、自身にすべて宿らせることだということを、チュータとサクラコの、魂の有りようのコントラストが、鮮やかに示していました。ここで、自分に川島海荷の名前はインプットされた。わかり易い「美少女」では必ずしもない「印象のある」少女が、地道に子役→アイドル女優という路線をとりあえず歩みだしてみたという認識。

さて同じ時期、レプロには川島海荷より一学年上の、もうひとりの少女がいました。彼女の名は菅澤美月。2005年の4月には、王道アイドルの登竜門ともいえる『おはスタ』のおはガールとしての活動を開始し、川島海荷が芸能活動をスタートした頃にはすでに、その突出した美少女ぶりと稀有なトークスキルで(番組内ユニット・キャンディミントとしても)「美少女=アイドル」として常に輝きの中心としてあった彼女は、2年間の長期政権ののち、2007年3月、中2で『おはスタ』を卒業すると、レプロ内ジュニア部門からシニア部門へ異例ともいえる異動を果たしたことで、即戦力として、そしてポスト・ガッキーとして、事務所の期待を一身に背負っている存在だということを周囲に知らしめました。

一方の海荷といえば同じ頃(2007年1月)、事務所のジュニア部門のメンバーを寄せ集めたアイドルユニット・9nineに新メンバーとして加入。菅澤美月と同じくおはガール&キャンディミントであった下垣真香が、海荷と共に9nineに加入したことからも、菅澤美月の例外ぶり(推されっぷり)が窺われますが、ようするに即戦力ではない下積みの必要な人材としての(“その他大勢”な)活動を余儀なくされたのでした‥。
この9nineが、事務所が本気で勝負をかけたようなユニットならまだ話は別かもしれませんが、ルックスの好みはまあ人それぞれだとしても、歌及びダンスが近年ちょっと見かけないくらい酷いレベルのもので、ジュニア達の馴らし運転でしかないことがそのパフォーマンスからは露呈していました‥。

この年(2007年)、新垣結衣が遂に大ブレイクを果たしトップ中のトップアイドルにのぼりつめます(主演映画3本公開、歌手デビュー等々)が、その後継者としてのポジションを着実に得るべく、これまで多くのアイドルにとって全国区へのきっかけとなってきた『3年B組金八先生』に、菅澤美月が満を持して登場する。で、「印象のある」川島海荷はといえば、この年は9nineとしての地道な活動を行ったり連ドラにゲスト出演したりで経験を積みつつ、推されゆく「美少女」菅澤美月の背中(的なもの)を眺めていたのではないでしょうか‥。

しかし2008年になって、状況は一変します。放送期間半年に及んだ『金八』(3月で終了)において、単調なキャラクターを単調に演じた菅澤美月は輝きもせずブレイクもせず、さらに、前年暮れに流出した不用意なプリクラによるスキャンダルが表面化する。結局、6月末には事務所から登録を抹消され、その一週間後には荒れに荒れたブログも閉鎖、自滅に近いかたちで芸能界からその姿を消しました。
そこで急遽、ポスト・ポスト・ガッキーとして推されポジに座ることとなった川島海荷は、メディア露出が激増し、以降、「次世代の美少女アイドル女優」としての道を突き進みはじめます。連ドラ『ブラッディ・マンデイ』2部作(08、10)や『アイシテル~海容~』(09)等で「儚げ?で、けなげ?な美?少女」として、CM「カルピスウォーター」や「味の素クノールカップスープ」等で「透明感のある?爽やかな?美?少女」として、全国区的な知名度を得て?ブレイクして?ゆく‥‥。

(?)ばかりの煮え切らない文章になってしまいましたが、つまりは、「そうゆうテイで」ブレイクのストーリーが発信されているに留まっていることにいちいち躓き、納得しがたいものを感じているからで、受け手側の地熱が足りない(あるいは無視された)ままにプロデュース側の都合で提供されるサクセスストーリーが「そうゆうテイ」ばかりで先へ先へと進んでいってしまっているという印象が、川島海荷のここのところのブレイクぶりには付き纏っているように思われます。想定される消費者による「愛する」というフィードバックを抜きにして(「愛された、というテイ」で)「トップアイドル女優」というステップをあがってゆく川島海荷をみて、どこか居心地の悪いおもいを抱いているのは自分だけではないんじゃないかと思う(そもそも、「アイドル」とは「愛される」ことこそがその属性なのだから)。そして実際、川島海荷本人もこの現在の状況を政治的かつ偶発的なものだと、案外客観的に捉えているのではないでしょうか。その佇まいには、無条件に愛されて調子こく独特のイタい傲岸さがあまり感じられず、かといってヒネるわけ
でもないそのさまがかえって、ある種奇妙に新鮮な魅力に感じられもします。


2.
私見による、川島海荷を取り巻く環境の推移を、大急ぎで語ってきましたが、さて、そのようにして、川島海荷をある程度のスパンで眺めてきた文化圏に属するものの視点からすると、例えば『キネマ旬報』8月上旬号に載った直井卓俊による『私の優しくない先輩』評などには、だいぶ違和感があります。

そもそも冒頭の、<カルピスウォーターのCMなどでとびっきりの笑顔を振りまいている川島海荷。もちろん本名もわからない、ただひたすらにまぶしい美少女。>という粗雑な言いっぷりから、既にいろいろと苛つきますが(名前は、由来のエピソード込みで周知のように本名)、より錯誤があると思えるのは以下の文章。

<メジャー映画ではキャラクターが役者に勝っている映画が少ないように思える。例えば宮崎あおいはどの映画で見ても「宮崎あおい」で、演じたキャラクターを名を思い出せない。逆にインディーズ映画であれば大ヒット作「SRサイタマノラッパー」(08)の駒木根隆介という俳優名よりも「IKKU」という愛称が先に出て来るという例がある。そして本作は(略)まず第一にヤマコさんはもちろん、憧れの南愛治先輩、(略)天敵・不破先輩という映画の中のキャラクターの魅力が先行している(略)>

インディーズ映画のプロデューサーである直井氏は、メジャー/インディーズの区分を設けて、メジャー→キャラクターが役者に負けている/インディーズ→キャラクターの魅力が先行しているという図式(インディーズ映画のほうが魅力的!)を示してみせるのですが、自分に則していえば、『私の優しくない先輩』における川島海荷もはんにゃ金田も、ごくふつうに役名より先にその役者名が想起されますし、宮崎あおいの演じたキャラクターの名前も「宮崎あおい」という固有名に続いて、幾つも思い出すことが出来ますから、氏の言ってる“あるある”が前提として分からない。直井氏は、本作の高田延彦をみても「高田延彦」と認識せず、まず「西表誠」と認識するのでしょうか?‥よく分かりませんが、川島海荷(あるいははんにゃ金田)をそれほど知らない文化圏の人間にとっては「川島海荷」という認識で接している時間より『私の優しくない先輩』という映画で「イリオモテヤマコ」として接した時間の方が長い、というだけの話なのではないでしょうか?だとすれば、役者の認知度の低さをキャラクターの魅力と混同しての「だから、イ
ンディーズ映画は役者が輝いている」という論旨は成り立たない。そのように直井氏が知覚したのは、ただ単にキャストが氏の熟知した文化圏の人々でなかったという事実しか、指し示しはしません。
「(自分が)長いあいだ見知った役者だから、この作品の彼/彼女はキャラクターが役者に負けている」、「よく知らない役者だからこの作品の彼/彼女はキャラクターが役者に勝っている」というのは無茶苦茶な話で、そこ(メジャー映画に勝るキャラクターの魅力、を有する映画)を立脚点として、“だから”<少々の無茶は承知で>、<少女を刹那的に輝かせ、映画の中に永遠に生きさせることができる>、<すべて説得力のある映画の装置として輝かせてみせる>等々と続いてゆく肯定的な言葉群は、少々説得力に欠けるのではないでしょうか。

そして、その文化圏内に属する者として、デビューから今までたまたま(?)その出演作のほとんどをリアルタイムでみてきた自分の印象に基づく感想として言えば、『私の優しくない先輩』における川島海荷の「魅力」は、その資質に余りそぐわないのに繰り返し採用される「難病/病弱」=「儚い」要素や同じく数多く演じた「等身大」要素・等で構成された、それほど例外的なものではなく、これ位は有するだろうという想定の範囲内の「魅力」であって、個人的には、たとえば今年の春ドラ『怪物くん』(10)のウタコ役(怪物くんへの想いと、その関係性の微妙さが愉しい)のほうが輝いてたんじゃないかと素朴におもいますし(はんにゃ金田も、必要以上に「はんにゃ金田」で、もう少し「不破先輩」というキャラクターであったらな~とすら思う)、そうした印象を持っている自分からすると、「アイドルとはその魅力が実力を超えた存在」というあんまり面白くないテーゼを引用して<川島海荷は本作で実力以上の魅力が引き出された幸福な女優の1人であろう。>と断言する文章を読むと、“映画”は他の映像メディアより当然格上だという
前提が透けて見えて、映画のヒトはエラソーだなと不快に感じもします。
川島海荷は、新垣結衣や菅澤美月のように(実力とは無関係に、問答無用の属性としての)<ただひたすらまぶしい美少女>では有りえない自分を知っていますし、作品内で結晶させるべき「魅力」があるとしたら、手ぶらで臨むのではなく、努力や実力によってその水準の人物像を構築しようと作業(演技)をする、ごく普通の若手の演じ手であって、その意味では、万一上記のテーゼに則るのだとしたらアイドルではないとすら言えるでしょう。『私の優しくない先輩』における川島海荷は、ごく順当に、実力に相応の輝きを放っていると判断します。

が、しかし、そうは言いつのってみても、本編の物語が終わりをむかえ、エンドロールで披露される『MajiでKoiする5秒前』での川島海荷の「輝き」はやはり例外的なもので、多くの論者がその多幸感を肯定するこのシーンには、理屈抜きの<ただひたすらまぶしい>美しさが溢れています。
そして、自分の感触としては、ここでの感動の“質”は、映画(文化圏)的な、「目的を欠いた純粋な手段」としての《身振り》に由来する、というよりは、どうやら、アイドル文化圏における「ミュージックビデオ」(PV/MV)が齎す愉悦のありようと、正確に同じものだと感じられます。唯物論的な不断の更新としての輝き(=映画)ではなく、文脈からの逸脱が文脈依存でもある戯れとしての輝き(=アイドル)。

(つづく)

私の優しくない先輩メモ

『私の優しくない先輩』@新宿バルト9
7月30日(金)11:00~

感想以外のメモ
開場時刻に11階4番シアター前にゆくと、前の回の映写トラブルによる遅れアリと告げられる。下の10階のカフェでお待ちくださいとアナウンス。‥といっても、お詫びにカフェのコーヒーをサービスするって訳でもなさそうなので、その場でそのまま待つ‥
上映開始予定時刻より10分遅れで開場。押してるわりに、のんきに予告編とか館内案内とかが普通に流れている。しばらくすると係員がスクリーン前に立ち、謝罪を述べた後、聞いてもいないのに劇場内が暑くなったので気をきかせて室温を1度下げたよ~と思いやりをアピール。
客層は、独特な肌艶の太ったヲタ風中年×2、大人しめ男子高校生×6(メガネ率67%)、体育会系男子高校生×2、チャラい男子大学生×1、大人しめメガネ男子大学生×1、シネフィル風精気のないチョビヒゲ(25?)、小学生弟妹をつれた大人しめ男子高校生のお兄ちゃん(全員メガネ)、保護者ふうの中年女性2人を従えた元気よく日焼けした小学生男子、お揃いのピンクのサンダル履いた地味め女性×2、小綺麗にしているが不幸そうな母(40?)と娘(10?)。コンタクト率までは不明だがメガネ率が異様に高い。アニヲタ3割、お笑い(はんにゃ)ヲタ1割、あとは子供とライト層といったかんじで、映画文化圏の人間は最大でも2名といったところ。巨躯の中年は海荷ヲタかもとも思うが、アイドルヲタよりはアニヲタのオーラだ。一番のウリはヤマケンか?

上映中、観客席は基本ノーリアクション。ケータイがバイブ機能で追いかけてくる場面では笑い声があがる。ムリムリムリムリ~とナイナイナイナイ~は言えてない海荷だが、ウソウソウソウソ~とヤダヤダヤダヤダ~は言える。
エンドロールで最後に音がしずまってゆくところに、入口の向こうで係員がもうすぐ終わるからおとなしく待てという大音量の声の響きが余韻を遮断する。館内が冷え冷えで、終わったころには凍えていた。

廊下にでると13時10分の回の観客が待機して一列で行儀よくならんでる。一様に小柄。小中学生の女子ばっかり。明るい感じの女子が大半。急に客層がちがう。急にはんにゃがウリになったか?川島海荷、女子小中学生にニーズがあるのかどうかはよう分からん。
この回に観ていたら場違い感で相当なプレッシャーを感じていただろうか‥ずっと催していたのでトイレに入ると、先程劇場にいた男子高校生たちが連れションしつつ、面白かったなーと会話していた。

2009年日本映画ベストテン

<2009年日本映画ベストテン>

①『ちゃんと伝える』(園子温監督)

②『ハルフウェイ』(北川悦吏子監督)

③『シャーリーの好色人生と転落人生』(冨永昌敬、佐藤央監督)

④『ヱヴァンゲリヲン:破』(庵野秀明監督)

⑤『ダンプねえちゃんとホルモン大王』(藤原章監督)

⑥『ライブテープ』(松江哲明監督)

⑦『ドキュメント電脳警察』(瀬々敬久監督)

⑧『熟女 淫らに乱れて』(鎮西尚一監督)

⑨『18倫』(城定秀夫監督)

⑩『余命1ヶ月の花嫁』(廣木隆一監督)


さて、主要映画誌のベストテン号の発売前に、とりあえず去年の私的ベストテンをアップします。

前年よりもさらに映画から遠ざかった2009年は、観る本数が激減したこと以上に、何が今話題かも知らないし興味もあまりないという状況で、『シナリオ』も滅多に買わなくなってしまいましたし、ネットも(元々)ほとんどみることなく。知らなきゃ知らないで、別段たいして気にかからない。

2009年のキーワードは、「物語の無根拠さ」と、「映画館で映画を観るということ」でした。交換可能性と交換不可能性、といってもいいでしょうか。
(つづく)

関連記事:2008年日本映画ベストテン

theme : 日本映画
genre : 映画

近況

ながい間放置しっぱなしでしたが‥‥遅ればせながら明けましておめでとうございます。

去年の後半から今年にかけて、自分も同居人も近親者を亡くし、秋に癌が発覚した実母は転移と再発で現在進行形で闘病中、日本映画に興味が薄れた薄れないというレベルの話以前に、それどころじゃないという状況でしたが‥‥過去の記録をみてみると、どうやら秋から新年にかけては毎年更新意欲が減退しているようなので、近況とは無関係に例年通りやる気が出ない季節なだけなのかもしれません。

2008年の総括も終わらないまま2009年も過ぎ去ってしまい、もういいかという気もしますが、まだ残っていたのは『憐ーRENー』『電王』『ラバーズ☆ハイ』。『憐』については、個人としての実質の評価とは別に、ある島宇宙に棲むファンの内輪的な“優さ”にその存在と価値を(その劣悪な画質や音響や演技にもかかわらず)許されている「ピンク映画」において、これまでの堀監督の“がんばり”は、やはり特定の文化圏のファンの“優しさ”に支えられるようにして評価されていたに過ぎないとも言えて、ようするにその「作品」の力の波及は、(一般作である『妄想少女オタク系』でさえ)案外射程が短いものだったとおもいますが、『憐』はふつうに他文化圏に接続性をもつだけの映像や音響のクオリティをそなえていて、よかったなと。馬場徹をはじめとして、個々の登場人物の、さまざまな声のトーンがいい。

『さらば電王』は、自分のかつてのアルバイト仲間だった、スーツアクター・永瀬尚希こと本名・植田泰弘さんの活躍(ジーク役)を祝して。次作『超・電王』では更に活躍度が増していて、よかったなと。そのうち、別項で永瀬尚希=植田泰弘さんの思い出についての文章も残しておきたいと思います。

何度か触れた、元dream長谷部優の主演作『ラバーズ☆ハイ』にたいしては、もう何か言うテンションが残ってません。その出来映えには不満なため、いっそ同じく元dreamの阿井莉沙が出演した『僕の彼女はサイボーグ』や『喧嘩番長』あたりを推したいところでしたが、これらは更に納得しがたいものがありました。『ラバーズ☆ハイ』監督の佐藤太は現在、AKB48総出演で話題の‥というかAKB48新チーム移行が遅延している元凶としてファンに複雑なおもいを抱かせている連ドラ『マジすか学園』のメイン監督を務めており‥‥応援しています。
そのDreamへの関心はすっかり薄れ、公式サイトやブログもいっさい覗かなくなってその動向も別に気にかからなくなってきたこの頃でしたが、2010年1月1日元旦の未明、TBSのCOUNT DOWN TVスペシャルにDreamが登場するのをたまたま目にしました。
詳しく調べたわけじゃないので分かりませんが、おそらくメジャーな地上波歌番組で「ダンス&ボーカルグループ」としてのDreamがパフォーマンスを披露したのは、2005年の音楽戦士に凡曲『そよ風の調べ』(歌もダンスも低調だった)をひっさげて登場して以来、約5年ぶりじゃなかったでしょうか??
有数のパフォーマーというべきAyaとErieはもちろんのこと、女性的な丸みをおびて以来ずっとキレが悪く動きがもったりしていると認識していたSizukaとAmiも、この日のダンスは素晴らしかった。現在的には℃-uteやSKEのダブル松井あたりが最上かと漠然とおもっていたけれど、やはりDream、と再認識する。
その歌声&ダンスがメンバー中で最も好きなSayakaも悪くなかったんですが、ここ数年で変化した顔立ちにつよい違和感が残る。‥タテ方向の顔の伸びぐあいが、なんかBRIGHTぽい?
そして、急病によりリーダーkanaを欠いてのパフォーマンスは、ビジュアル面での偏差値がだいぶアップしていて、プロモーションとしてはよかったんじゃないかと。長年、豚だのブスだのとさんざんに言われているリーダーですが、9nineなんかを見ると、おおかたのメンバーがkanaみたいなルックスしていて、kanaも別にそんなにブスでもない気が、だんだんしてきた‥。

theme : 女性アーティスト
genre : 音楽

2009年ドラマ冬春夏 覚え書き

おれてん2
『俺たちは天使だ!NO ANGEL NO LUCK』

さて、ずっとノータッチだった今年の連ドラ。残しておかないと忘れそうなので、以下に3期9ヶ月ぶん、急ぎ足で記録しておきます。(順番は例によって大した意味なし)


<2009年冬ドラマ>

①『オーバー30』
②『ありふれた奇跡』
③『赤い糸』
④『セレぶり3』

⑤『銭ゲバ』
⑥『ラブシャッフル』
⑦『本日も晴れ。異状なし』
⑧『おちゃべり』
⑨『キイナ』
⑩『大好き!五つ子』
⑪『メイちゃんの執事』
⑫『ラブレター』
⑬『ヴォイス 命なき者の声』
⑭『歌のおにいさん』

⑮『神の雫』
⑯『リセット』
⑰『Q.E.D. 証明終了』
⑱『RESCUE 特別高度救助隊』


<2009年春ドラマ>

①『BOSS』
②『白い春』

③『ぼくの妹』
④『湯けむりスナイパー』

⑤『魔女裁判』
⑥『スマイル』
⑦『ザ・クイズショウ』
⑧『ゴーストフレンズ』
⑨『ゴッドハンド輝』
⑩『アタシんちの男子』
⑪『夜光の階段』
⑫『名探偵の掟』
⑬『Mr.ブレイン』
⑭『LOVE GAME』
⑮『婚カツ!』


<2009年夏ドラマ>

①『俺たちは天使だ! NO ANGEL NO LUCK』

②『怨み屋本舗REBOOT』
③『ふたつのスピカ』
④『オトメン・夏』
⑤『ブザー・ビート 崖っぷちのヒーロー』
⑥『帝王』
⑦『猿ロック』
⑧『こち亀』
⑨『救命病棟24時』(第4シーズン)
⑩『ダンディ・ダディ』
⑪『メイド刑事』
⑫『恋して悪魔 ヴァンパイア☆ボーイ』
⑬『任侠ヘルパー』
⑭『華麗なるスパイ』
⑮『オルトロスの犬』



〇冬→
TBSの昼ドラが40年の歴史の幕を閉じました(最終作は「愛の劇場」が『大好き!五つ子』、「ひるドラ」が『おちゃべり』)が、その終わり間際に、『オーバー30』(CBC最終作)という素敵なドラマに出あえたことは、悲しいなかにも幸せなことでした。
30を過ぎた女の幸せとは?という題材を、主婦代表のアイコさん/島崎和歌子と、キャリアウーマン代表のミカさん/遊井亮子との対比で描く、という取り立てて新味のない企画なのですが、非・プログラムピクチャー的作品が一発一発が勝負作(商品価値がはっきりとした短絡的快楽の供給源)とならざるを得ないのとは異なり、企画意図や主題にドラマの語りが縛られずに、普通の日々の、生活でのささやかな感情の移ろいやすれ違いを、これといって派手なフックもなく丁寧にのったりくったり描くことが出来るのは、やはり連綿とつづく“枠ありき”な環境に負うところが大きく、そういった「なんということもない描写」が意匠として気張らずに存在を許されるのが、プログラムピクチャー的なものの名残りとしての、テレビの連ドラの大きなアドバンテージだと思います。“冴えてみえるように”とか色気を出したら、『オーバー30』の優しい味は出ないでしょう。
『三代目のヨメ』などでは、登場人物たちは物語や主題や役柄の配置に奉仕していて窮屈な印象でしたが、『オーバー30』に登場する人々は、それらに奉仕する以前にまず人と人との関係を生きる「人間」であって、しかしその描かれ方が「自然体ふうリアル」でなく“普通のドラマ”としてなのが素晴らしい。そのドラマの帰結は、「主婦的な生き方の肯定」にも「キャリアウーマン的な輝き方の賛美」にも傾かず、ただ、アイコさんがいて、ミカさんがいる、彼女らやその周囲の人々が、日々生きていくなかで、時に躓き苦しみ、時に幸せに人と繋がるということとしてあらわれる。付属的なキャラとして、図式的配置に埋没してもおかしくないような娘のサクラコ/小池彩夢や息子のケンタ/鏑木海智、別居中の夫・ナオユキ/高知東生が、キャラではなく温かみのある人間として存在していました。

奇抜な映画版に比べて、意外と(?)丁寧でしっとりと恋や学園生活が描かれていたドラマ版『赤い糸』。そのあんがい肌理のこまかいドラマの推移のなかに度々、唐突に、脈絡なく、凶暴に挿入される「ケータイ小説的」ガジェットの無慈悲さに、来た来た!とワクワク。9話以降、終盤の着地が決まらなかったのが惜しまれますが、破壊的にとっちらかった原作が相当うまくまとめられていると思います。
『ギャルサー』や『ちりとてちん』で一躍ビッグネームとなった藤本有紀の脚本作『本日も晴れ。異状なし』は、「南の島=善人=癒し」というパターンに則らず、登場する島民は地味~に器の小さい小人物ばかり、という意地の悪いドラマ。南の島の風景も、“美しく”視聴者に提供しないという徹底した意地悪さで、ただならない才気は感じます。毎回、秋川雅史による主題歌が最悪のタイミングで流れだし、作り手がこのテノール歌手を小バカにしてるんじゃないかという疑念が‥。

〇春→
『BOSS』の良さは、その「軽さ」が、<刑事ドラマ>の歴史性から断絶していることで、『あぶない刑事』にしろ『踊る大捜査線』にしろ『時効警察』にしろ、先行作/歴史へのカウンターとしてその表現が“あえて”形成されていたのでしたが、『BOSS』の軽さと乾いたスピード感は、それらの作品群がどうしても払拭できなかった「貧乏くささ」をほぼ完全に拭い去ることに成功していると思います。最終2話での「あわや普通の刑事ドラマ?」と心配させた真面目っぽい盛り上げも、見せかけのものとしてスルリと避ける着地が爽やか。

基本的には、そのナルシスティックな俗物臭ゆえに、たいがいの“子役”が嫌いなのですが、『白い春』での大橋のぞみのあまりの可愛らしさに、我が子を無条件で肯定する気持ちを、捩じ伏せるように理解させられた気がしました。『ザ・クイズショウ』での大橋のぞみは何とも思わなかったので、『白い春』というドラマの演出というか表現の素晴らしさゆえだと思っています。
(しかしやっぱりこれみよがしな調子こいた子役はどうもダメで、先日近しい人間に、「最近、やっぱり自分は子役が嫌いだとつくづく思ったよ。『天地人』で妻夫木くんの子供時代やったヤツとか、『任侠ヘルパー』で草剪くんに頬っぺたつままれるガキとか、車のCMの“こども店長”とかいうヤツとか‥」と言ったら「全部おんなじ子だよ!!」と指摘された。言われるまで気付かなかった‥)
その『ザ・クイズショウ』、ドラマ自体は壊滅的に話の整合性がメチャクチャでしたが、その表面的な在り方としての「半バラエティ番組」的なつくりは、ある息吹を感じさせます。物語に「情報バラエティ」部分が埋め込まれずに寒々しく遊離していた『Mr.ブレイン』や、振り返ってみると四六時中挿入されるキーワードクイズ場面くらいしか印象に残っていない『魔女裁判』と、作品世界に自閉しない容易な接続性の誇示としての「バラエティ番組的」な仕掛けと空気をもつドラマが台頭(?)してきているんじゃないかと(『LOVE GAME』は、海外リアリティショウ・パクリ系の、深夜枠バラエティ的?)。次シーズンの『こち亀』『オトメン』などにもそのような気配はありますが、(これも次シーズンですが)『華麗なるスパイ』には不思議とそれがなく、閉塞した息苦しささえあるように感じます。
(『魔女裁判』、フジ土曜深夜枠の、『ライアーゲーム』『ライフ』のあのタッチが帰ってきた!と一瞬喜びましたが、それっぽいのはテイストだけで、べつに面白くはなかった‥。)
そのキャスト&タイトルから期待されるイメージを超絶に裏切り、誰も望むことのない展開へ突き進んでいった『ぼくの妹』は、一般に迷走した一本と受け取られていると思いますが、そのじつ描写のクオリティは尋常じゃない高いレベルだとおもった。殊に、“生きた”人間の発した言葉に対して、生理的な感情のゆらぎ→それへの反射としての発語、という対話の構築が素晴らしく、そして、ほんの端役にしか見えなかった人物がじんわりと存在感を増してくる微妙な呼吸の妙も油断なりません。

あと『湯けむりスナイパー』は、第2話は傑作でしたが、シリーズ通して演出が一本調子でちょっと平板でした。一部サブカルのほうの人らが凄いだ傑作だとか言ってましたが、いくらなんでも持ち上げ過ぎでしょう。
『アタシんちの男子』は要するに女版『シスター・プリンセス』みたいなもんで、花男以降の潮流が露骨なとこまできたなという印象。

稲森いずみ主演ということで遠慮してしまい、『アイシテル~海容~』を観逃したのが悔やまれますが、そのうち観ようとは思います。

〇夏→
ワーナーがついにテレビドラマに本気になったか?と観るまえの期待感の強かった『オルトロスの犬』の、あまりの頭の悪さにもビックリしましたが、トラブルがあったとはいえ『救命病棟24時』(第4シーズン)のあんまりな弛緩ぶりにはもっとビックリした。
首都圏大災害という大掛かりなカンフル剤を用いた前シーズンに比べて、救命救急の制度的な崩壊というネタがいかにも地味というのもありますが、『医龍』だの『ナースあおい』だの『コード・ブルー』だの、海外ドラマでの『ドクター・ハウス』だのといった様々な趣向をこらし新鮮な視点を提供した医療ドラマ群を通過した視聴者には、『救命病棟24時』はあまりにアッサリしてみえて、「‥で?」としか思われなかったかも。“チーム”の生気のなさもシリーズ随一。まさかこのシリーズが、面白さで『ゴッドハンド輝』に負けるとは、いったい誰が予想出来たでしょうか‥。
印象としては今回、進藤センセイや小島センセイは北乃きいや石田卓也が画面に映ると脇役にみえてしまう。もっとも、北乃きいには、いかなる映画やドラマに出てもあらゆる登場場面で主役にみえてしまうという、特異な性質がありますが‥。

『トワイライト~初恋~』の露骨な二匹目のドジョウ『恋して悪魔 ヴァンパイア☆ボーイ』は、中山優馬と桜庭ななみといった新鮮味のあるキャストで、いいかんじの青春感が出そうで出なかったのは、ドラマの中心に加藤ローサの鈍重な存在感がもったりと鎮座していて、感情の“揺らぎ”を疎外したからでしょうか。桜庭ななみは『ふたつのスピカ』もとても良くて、スウィートパワーらしい清潔感のある女優さん。今年の夏は上記2本と映画『サマーウォーズ』&『東京少女桜庭ななみ』再放送(地上波)と、桜庭ななみ一色だったと記憶。

『ROOKIES』では窮屈そうに安仁屋役を演じていた市原隼人、『猿ロック』での反射のいい役柄では本領発揮。市原隼人はみっともないくらいチャカチャカした反応に才能がありますね。『帝王』の塚本高史の演技は心ここにあらずというかんじの、魂の感じられないものでしたが、実話というフックとともに、とっちらかった話の展開の「落ち着かなさ」と程よく調和していた気もします。

すべての台詞、すべての動作に輝きが宿り、隅々まで充実した探偵コメディ『俺たちは天使だ! NO ANGEL NO LUCK』。スベりそうなギャグすらスベる寸前で演出がすくう確かさ。イケメン集団のパッケージ売りの、他愛ないドラマといえばそうですが、じゃあオッサンがいっぱい出てきて深刻な社会ネタでもやってりゃ良いドラマなのか?とも思う。
この『俺たちは天使だ!』が今期のベストだったと個人的には思いますが、正直2009年の夏ドラを代表するのは何と言っても『ブザー・ビート 崖っぷちのヒーロー』でした。“月9”にも本気、“トレンディー・ドラマ”にも本気、“バスケ”というネタ自体も本気で一般に浮上させようというハンパない本気度。故なきプライドや自己イメージと、社会や現実、他人の心は一致しないという案外だいじなことを、カッコつけだけじゃなくちゃんと語ろうとする。その熱気がちゃんとドラマにものっていたとおもう。
一個人としては、北川景子が「リコ!」と呼ばれても、つい相武紗季のことかと反応してしまうし(ついこのあいだまで『絶対彼氏』で「リイコ」と呼ばれていた)、大政絢は山Pじゃなくて溝端淳平の妹(『ハチワンダイバー』)の印象のほうが強いとか、「突然奪うキス」「車を追って走る」等のシーンがパッチワーク的だとか、どうもシャッフル感が邪魔して作品世界に真面目に入っていけずにネタ消費的に接してしまいましたが、それこそがトレンディー・ドラマだとも言えるのかもしれません(適当)。
貫地谷しほりは“批評的に”「トレンディー・ドラマの演技」を構築していて、冴えたひとだとおもった。あと、北川景子は「井森美幸みたいな演技」とウチでは評判が芳しくなかったです。

関連記事:2008年秋ドラマ

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秋の新ドラマ

じょうおう1
『嬢王 Virgin』

いまひとつパッとしない夏ドラマが終わって、徐々に秋ドラマがはじまってます。特にこれといって見たい理由がみつからない『マイガール』は既にスルー、『嬢王 Virgin』は枠(ドラマ24)推しで見てますが、原幹恵はともかく、たぶん目玉なんだろう原紗央莉にはまったく興味がわきません。永田彬は『電王』でのヘラヘラした役(尾崎)のイメージが強くて、ビッグで寡黙な重々しい役柄を、なんだか真面目に受けとれませんが‥。

まったく別系統のドラマですが、07年の春期、08年夏期と、ともにマイベストだったドラマが続編&リニューアルで帰ってきた『ライアーゲーム シーズン2』『リアル・クローズ』の激突(?)が最大の楽しみです。続編になって守りに入り、妙に浪花節ぽいかんじにならないかかすかに心配もありますが、原作もあるので大丈夫かなとも思っています。結局のところ自分は何が(誰が)好きなのか、ハッキリするかなというたのしみもある。

ほどほど楽しくみていた『オトメン(乙男)』『交渉人 THE NEGOTIATOR』も無事に続編が到着。といっても、オトメンは曜日と時間が変わっただけですが‥。『交渉人』は、その演技が大嫌いな塚地くんが新レギュラーとして加わったので個人的には少々テンションが落ちてます。

ハズレの多い日テレ深夜枠ですが、毎回野心作ぽくみえて毎回期待だけはします、『傍聴マニア09』はどうでしょうか。
冗談みたいな企画の『少公女セイラ』は、岡田惠和/金子文紀/磯山晶と、ナゾの最強布陣。どういう方向性で勝算をみているのかいまいち分かりづらい。日テレらしいライトな学園モノに、流行りの歴史要素をプラスしたかんじ?の『サムライ・ハイスクール』。これも方向性がよくみえないけど、当たれば金脈となるかも。キャストも三浦春馬、杏、小林涼子、城田優、市川実日子など、個人的には印象のいい人が多め。
『東京DOGS』『アンタッチャブル』『おひとりさま』あたりは普通のドラマとしておさえとくかんじ。しかし、いまさら「歴女」「格差恋愛」「草食系男子」「おひとりさま」といった要素で連ドラを作ろうという『おひとりさま』のマーケティング(?)は相当にニブいんじゃないでしょうか。『アンタッチャブル』、チャンスだけはさんざんある佐藤智仁、いいかげんブレイクなるか。障害イコール感動という狙いの『チャレンジド』、題材としては興味がうすいけど、一応キャストでおさえます。ところで村川絵梨と松井珠理奈って、どことなくですが似てると思っています。

みないのは『JINー仁ー』、『不毛地帯』『ROMES/空港防御システム』『0号室の客』あたり。大沢たかおの、自分のカッコヨサに酔いしれている姿をゲップが出るほど観させられている邦画ファンは、『JINー仁ー』は出来れば遠慮したいところじゃないでしょうか。『不毛地帯』みたいなのをみるのはもっと歳とってからでいいかなと常々思っている。ジャニーズには耐性があるほうだと思ってますが、あんまり露骨にターゲットが絞られているものは生理的に厳しい。
あと松岡錠司も参加の『深夜食堂』、みたくないわけじゃないんですが、時間帯的に“いろいろと”他の番組と被っていて、残念ながらウチのハードだと録画ができません。それに、どうやら自分は、「ちょっといい話」には不感症らしい‥。そういえば松岡錠司の映画は、いつの頃からか「ちょっといい話」ばっかりだな‥。

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?『くりいむレモン 旅のおわり』その2

たびのおわり7
『くりいむレモン 旅のおわり』

90年のじんのひろあき版『櫻の園』(以下、じんの版)が嫌いでした。ひっくるめていうと、これみよがしなやり口に反発をおぼえてたし、女の子たちが素材としても描き方としてもちっとも魅力的に思えなかった。
で、リメイクとなった関えり香版『櫻の園』(以下、関版)を期待して観てみたら、当時じんの版を否定していたことをすこし反省した。関版は、冴えたところのないテレビドラマだと思った。会話で全てが説明される。全編、説明につぐ説明。じんの版の登場人物たちは、少なくとも説明のための道具ではなかった‥。

説明は、オウム返し、ストレートな疑問形、「ふうん/へぇ」等の相槌を利用して会話に変換される。寡黙な主人公・桃/福田沙紀に代わって担任の菊川怜が桃のプロフィールを“桃本人にむかって”滔々と説明する‥。戯曲「櫻の園」の説明、学校のしきたり、生徒のポジション等‥。たとえば、古い「櫻の園」の脚本を見つけた福田沙紀が姉の京野ことみと会話し、昔あった「櫻の園」上演の試みを知る場面。「こんなの見つけた」「えっ?それ」「あかずの教室ってとこにあったんだけどね」「あかずの教室」「脚本と演出、坂野先生ってすごくない?」「先輩、演劇部の部長だったからね」「ねぇねぇ、平成9年ってことはさ、お姉ちゃんコレみた?」「ううん」「え?」「やらなかったの、そのお芝居。あんなに稽古したのに」「稽古したって?」「演劇部だったからね」「そうだったの?」「覚えてないか?あの頃の桃バイオリンで忙しかったから覚えてるわけないよね」‥。
夕暮れ。駅前で柳下大がカッコつけてサックスを披露しているが‥その曲は上戸彩の歌(夢のチカラ)‥いくらオスカー主導とはいえ、この段階で真面目にこの映画につきあうのを諦めました。

オスカーが牽引した企画なわけだし、どうせなら商業映画として正面から通俗を引き受けて美少女クラブ31メンバー総出演でやればよかったのに。製作委員会方式が裏目に出た、面白くもないバランスのいいキャスティング(オスカーの顔を立てたかのような上戸彩・米倉涼子・菊川怜などという特別出演枠は、初々しくなければならないこの企画にはマイナス要素だとおもう)が効果的だったのか、自分が観たときは松竹らしい、熱気のない辛気臭い客層でした。

説明のために色分けされ役割分担されたに過ぎない記号としての人物の言動/行動からは、エモーションが駆動せず、あらかじめ用意された物語を“感情らしきもの”で上から撫でるだけで、青春の鬱屈も不安も憧れも、「青春映画を構成する定形的パターン要素」としてルーティン的に扱われただけという印象(途中まで進んでいたという新・じんの版のほうが観たかったと観たあとで思った)。

人は、青春の大事な場面でさえ、有意味な言葉などそうそう口にしないし、状況説明ばかり話しはせず、気持ちはまた別にある。日々の生活や関わりのなかで、思いが推移し、摩擦をおこし、うつろうさまを、直接的な言葉のやりとりとはべつのところで、人の感情の「ほんとう」を映しだそうと試みる井口奈己監督『人のセックスを笑うな』のような(反・関版、的な)映画は、たいへんスマートで豊潤、じつに立派に「映画的」な感慨を与えてくれますが、しかし、このような映画が指向する「リアル」や「映画的」は、今や、あらかじめ分かりきった正解に向けて、勝つに決まってる解答を組織する、閉じた「安全さ」と化してしまっている気がする。「あるある」を拾い上げ、傑作素を結合させて、共感作用をたっぷり効かせるという基盤のうえで安心して楽しめる「奇跡のような、素晴らしいシーンの数々」。これが2004年辺りならアリだったかも知れないが、2008年には既にどこかズルイものと映った。

『女』『古奈子は男選びが悪い』『遊泳禁止区域』などの中短篇で、すでに天才の誉れ高い前田弘二も、イメージとしては一見、「いまどきのリアル」、「いまどきの審美」に与した「あるある的」共感作用に依拠した映画作家に見えもします。前田弘二(と高田亮)による、非中心化作用をもつ“リアルっぽい会話”場面は、いかにも「あるある的」に受容され称賛を得ることで、観客の「消費」がその段階で安心して終了することもじゅうぶん考えられる類いのものとも言えるでしょう。
もちろん、前田映画の会話/(ディス)コミュニケーション劇はーーたとえば山下敦弘/向井康介コンビの映画における登場人物たちの絶妙な会話が、根本的にはひとつの人格の複数のバリエーション間での会話であり、彼ら登場人物たちの用いる言葉が結局のところひとつのセンス、ひとつの文体として共通のものとしてあって、それが統合されてある種の“作家の文体”が確立される助けともなっていますが、そのような理由から、山下/向井映画においては本質的には摩擦や成長のない世界が築かれているのとは異なりーー前田映画のそれは、 それぞれべつの人生をそれぞれなりに刻んできた異なる人格、異なる思考/嗜好/志向回路をもつ人格と人格による、それぞれ違う意味合いでの関係性構築のための遭遇を組織しようとする摩擦的「闘争」としてあり、複数の人物による無方向的に発された言葉群のブラウン運動は非中心化を促し、表面的には「噛み合ってるような噛み合ってないような、リアルな、気まずい、滑稽な、自然で無為な会話」として顕れてみえますが、そこには「同じ場所/時間を共有する複数の人と人のあいだのコミュニケーションは、異なる免疫をもった者として対峙するため(そしてそれゆえ尚且つ、異なる志向をもってその“場”に臨むため)、非・融合的に生じ、本質的に“必ず”噛み合わない」といった冷徹な認識があるとおもう。
「自意識の滑稽な空転」が、山下/向井的な作劇では創出者のパーソナリティに「偶然的に」起因するが、前田/高田的作劇においては創出者の世界把握に「必然的、宿命的に」帰結する。

前田弘二待望の商業長編映画デビュー作である『くりいむレモン 旅のおわり』は、女子高生たちの無駄話シーンの素晴らしさに眩惑されて、つい、いわゆるリアルな会話でその映画が構築されていたような印象をもっていましたが、観なおしてみるとこの映画における主要人物同士の会話はあんがい必要的・説明的で、これまでの短篇群では、ワン・シチュエーションのコントとして説明的な台詞は極力排除したままでも押し切ることが出来たのに対して、ここでは、「長編」映画として物語を語るために、異なる人格間の非・融合的な接触を長い射程をもって描出するさいにある程度「説明的」であることも引き受けられていると思えます。これは前田/高田が「いまどきのリアル」の信奉者なのではなく、他者とのコミュニケーションは非・融合的に為されるという世界把握を揺れずにもっていることの証左だと言えるんじゃないでしょうか。

『くりいむレモン 旅のおわり』での、(前田映画の顔というべき)宇野祥平はお兄ちゃん役としては正直ミスキャストだと思うし、宇野祥平が妹のアヤ/キヨミジュンの手に触れる場面や、カラオケの個室でノブ/榊原順がエリ/鈴木なつみにキスするシーンなどは、段取り臭を払拭しきれず演出としてあと一歩だと感じるし、そしてやはり、説明部分はこなれていないぶん雑談パートとのバランスが危うい。
「説明」を引き受けて物語と感情の推移を牽引しつつも、それなりのリアルと自然さをもって「ほんとう」や「人生モデル」を提示するという闘いかたは、ある意味ごく真っ当な正道であって、既に過去の古今東西の映画人たちが技術的に研磨し積み重ねてきた膨大な歴史(と技術的達成)があり、そこに正面から挑むのは、正直勝ち目の見出だしづらいシンドイやり方だと思えます。歴史性に接続の必要のないような、「あるある的」に「独自の人生モデルの提示」を「センス競争」としてやっていれば、天才的なセンスをもつであろう前田弘二なら、その高評価を維持したたましばらくはたやすく闘い得たでしょう。

しかし『くりいむレモン 旅のおわり』では勝機の見える見えないではない難しいところでの勝負に出た。そうしてそれゆえ、『くりいむレモン 旅のおわり』が単なるセンスに留まらない、いろいろな感情がはみ出すような映画になりえたんじゃないか。おなじ兄と妹の近親相姦ドラマとして、演技や描写のクオリティでは『誰とでも寝る女』が上かもしれないが、感情を動かす力では『旅のおわり』が遥か上をゆく。ネタとほんとうの人生くらい違うとおもう。

そして特筆すべきは人物たちの風景への沈みかた。通常、記録映画でさえも(商業用劇映画ならなおさら)、主要人物を風景や通行人から浮き立たせる作用をその画面はもつ(スター化、肯定作用)わけですが、この映画では、しばしば登場人物たちが風景に、雑踏に、均一的に埋没してしまう。この、画面内での人物の非・特権化、非・中心化は、表象としての埋没とともに、べつの作用をうながします。
駅で切符を買うアヤと、少し間をおいてそれを追うノブが映りこむ駅前の画面。あるいは、アパートに車で帰ってきた兄との屋外での再会場面。中野駅構内でばったり逢うエリとノブの、画面での有りよう。そして、原宿駅からの皆での『遊泳禁止区域』ぽい歩みの場面も、人々が徐々に雑踏の風景に沈みこんでゆく‥。
そして非・中心化を被って均一的に「自然化」した画面を、うっすらと、アヤの抑えながらも上ずった“せつない”感情が、すべておおいつくす。友達との楽しげで無内容な会話の場面でも、兄と交わす無難な近況報告の対話場面でも、その会話内容やその自然さもしくは説明的なさま、あるいはその場に支配的な空気/気分といったものといっさい関係なく、画面は、アヤの“せつなさ”に感染し、映画そのものがせつなさと気まずさに染まり尽くす。

やがて、兄への恋慕が破綻(前述のように、異なる人と人の思いは“必ず”非・融合的に帰結する)するあたりから、主にアヤの“せつなさ”のトーンに染められていた「感情そのものとしての画面」が、それこそ非・融合的に異なる色彩の感情に混濁しはじめる。アヤと兄の関係に苦しめられつつエリの性に引き寄せられるノブと、年上の彼氏がいながらもノブにある種の繋がりを感じるエリの感情が、混じりゆくことなく侵食してくる。

そうして神社で対峙する三人の交わす会話は、自分でない他人は、自分の想定や想像とは違うシステムでおもいを抱いているという非・融合的な世界把握を反映した最たるものとなります。

ノブ「一つ聞きたいんだけどさ。オレら付き合ってんの?」
アヤ「ノブはどうなの?エリと付き合いたいの?エリは‥‥エリはノブのこと好きなの?」
エリ「ノブはどうなの?」
ノブ「アヤは‥‥オレと付き合ってる?なあ?」
アヤ「でも」
ノブ「オレはオマエがどう思ってるか知りたいんだよ」
アヤ「‥‥‥付き合ってる」

ラスト、ホテルでのふたりは、お互いに相手の“ほんとう”のところを知りたいのか、そして、すべてを知ることが、何か関係や感情を解決的に幸福に導くのか、異なる他者の“ほんとう”に接することに自分は耐えることが出来るのかと、魂の有りようを試される。なんとなく分かった気になる平和な融合などいつわりだと『くりいむレモン 旅のおわり』の作者たちは登場人物たちに突き付ける。他者と関わることが苛烈な傷となる融合か、孤独な非・融合か。答えは出ないまま、傷だけは負い、温もりへの“さびしさ”だけは確かに抱いて手と手は繋がれ、ふたりは均一な雑踏へと消えてゆく。「感情そのものとしての画面」の連なりである『くりいむレモン 旅のおわり』は、その映像からも音響からも、何の意味指示作用も発信しない。その均一的で“貧しい”画面には、「意味」や「答え」はなく、何かの途中にある誰かの痛みのような感情だけが、ある。

(つづく)

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