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?『ニュータイプ ただ、愛のために』

あいの2
『ニュータイプ ただ、愛のために』

 (選出理由?福間健二からのつづき→)

そういえば、前々々々記事ですっかり書き忘れていましたが、城定秀夫監督の『ガチバン』(脚本はイマタケマサオと城定秀夫)、佐藤二朗が全身白タイツで演じるザーメンの役がひとつのポイントだったわけですが、あれは『愛染恭子の人妻セールスレディ~快楽の実演~』(小林悟、00)の時に助監督だった城定秀夫と竹洞哲也がやはり全身白タイツで演ったという精子の役からの意図的な引用なりオマージュなりなんでしょうか(『PG』No.103)?

‥こんな枕で人が引かないか若干心配ですが、佐藤二朗といえば、その監督デビュー作『memo』が去年公開されましたが、たいした注目も浴びなかったことが考えさせられたというか、これが20年前だったら、この独自である意味達者な軟体的映画文体やシリアスかつコミカルな不思議な作風は、それなりの話題をあつめて、要注目の異業種監督としてそれなりに語られたんじゃないか‥と時代が変わったことを思った。共通認識としての「映画」「技術」「古典」等の確固たるイメージが広く共有されていない状況では、「あえて」とも言える「個性的であること」はカウンターとしての効力を持たないということでしょうか。とすると、こういった事態は、現行のカルチャー全般が、その存在基盤として、短絡的で単純な、脊髄反射的な感情喚起作用をよりどころにするのは不可避だということを指し示し、<若い作家のウエルメイド志向と、老練な監督たちの余裕綽々のコワレっぷりに二分してしまった>(松島政一、同上)といった現象はいずれ必然だったとも言えるかもしれないし、そうすると自分の、若めの作り手に抱いている不満の数々は、言っても詮無いことかも知れません。

さて、絶賛ムード漂う園子温の『愛のむきだし』ですが、個人的にもじゅうぶんに面白かったとはいえ、何だか熱狂しきれなかったというのが正直な感想です。雑に話をすすめると、園子温は、手持ちのカードを切り尽くしたという印象で、ここまで毎回毎回観客が思わぬほどの距離を踏破してハッとさせてきたものが、手の内が底をつき、内容としても戦いかたとしても分かりきったかんじになってみると、本人の狙いとは裏腹に、ラフさが強度を削ぐ結果になっているとおもった。(なぜか)花村萬月でいうと、イケイケ後期の『皆月』『鬱』あたりを過ぎた、『ぢん・ぢん・ぢん』『風転』『♂♀』等のラフさが熱気とならずに欠点として目につくかんじを連想した。

その園子温はさいきん、「ケータイ小説的なもの」への興味をインタビュー等で示していて、『愛のむきだし』"『ちゃんと伝える』はその作品的冒険の端緒なのかも知れませんが、廣木隆一は前々からずっと地道に、「ウエルメイドなもの」「ケータイ小説的なもの」に接するように、映画を量産しているとおもう。ウエルメイドであることやケータイ小説的もしくは刹那的、あるいはセカイ系的であることは、一般に、現在的にはコミットの不能性を見据えた「交換可能性」への対処としての「文脈の不在」からの「接続性の容易さ」として捉えられていると思われますが、廣木隆一監督はそこに「具体性」の楔を打ち、「交換不可能性」を現出させる。その作用は、幾つかある作風のうち、文芸路線(『やわらかい生活』『きみの友だち』等)や、フェチ/SM路線(『美脚迷路』『ラマン』『M』等)ではなく、観念に溺れないぶん何ということもないウエルメイドな作品群(『恋する日曜日』諸作等)のほうに鮮明にあると思います。で、そのような理由から(も)、去年の廣木映画では、文学的で高級な複雑さをもつ『きみの友だち』よりも?『ニュータイプ ただ、愛のために』をとります。

さてタイトルにはその名は冠されていませんが、BS-iドラマ『恋する日曜日 ニュータイプ』からの発展企画である?『ニュータイプ ただ、愛のために』は、アンドリウ印『恋する日曜日』シリーズの映画版の、『さよならみどりちゃん』もカウントすれば第4弾。廣木隆一監督作がそのうち3本(『恋する日曜日』『恋する日曜日 私。恋した』と、本作)を占める。ダブル大悟(竹財輝之助、佐野和真)の共演ということで、ドラマ版『砂時計』のファンが劇場に押し寄せる‥ということもなく、大政絢ヲタが大挙して駆け付けるということもなく、ひっそりと少ない劇場数での公開を静かに終えた模様。僕の観た回は観客は5人いるかいないか位でした‥うむ、いつもの映画版『恋する日曜日』の客席風景、ってかんじ。
(尚、大政絢演じる超能力者・津木野ユリは、『恋する日曜日 ニュータイプ』に登場した同じく大政絢演じる超能力者と同名ですが、ドラマ版の彼女はサイコメトリーであり、生活環境も本作とは異なる。ドラマ版での片手を革手袋で隠し能力をセーブする表現は、本作での眼帯へと転化していますが、二作品はそれぞれ独立したまったくの別物です。)
まだ未ソフト化ということで、伏せるべき点は伏せて話をしたいと思いますが、別段、煽るほどの傑作であるわけでも、催涙効果のはげしい感動(喚起)作でもなく、ごく普通のウエルメイドな映画だということは先に断っておきたいとおもいます。

荒涼といいたいほど鄙びた土地、死んだようにくすんだ海と山がある、ある地方の土地。その土地の、閑散とした港の端にあるフェリー乗り場に付属する、ガランとして寂れた切符売り場の建物で、寡黙に仕事をする津木野ユリ(大政絢)。港も切符売り場も、仕事の行き帰りで通る通勤路も、そして帰りつく古びた一軒家にも、人の気配がまるで無いかあっても間欠的でごく僅か、基調としての静謐が支配する<世界>。海を見晴らすことのできる場所からの風景には、世界の終わりのような風のふく音が響きわたる。

この<終末感>、そしてある種の紋切り型でいえば中景としての<社会>が欠落した「セカイ系」の世界観のなかで、ごくわずかな登場人物たちが、「愛すること」の証明がそのまま「死」や「記憶の喪失」や「大切なつながりの感情の、消失」や「身体機能の欠損」に直結する苛酷な交換ゲームを、刹那的に/永遠的に、生きぬく。ここでは、「きみとぼく」あるいは「私とあなた」の関係の変転がそのまま<世界>の形を変え、時空と運命を歪める。接続性の容易な、つまり歴史性や固有性から無縁な「物語」は、取り立てて新味のない、“そのテ”の作品の典型といってもいいでしょうし、結末で主人公がする、ある決断的な選択は、極限状態での二択という“あるある的な”接続性の高さで、観客との共感作用を強引かつ安易に招き寄せているでしょう。

しかしここでは、そういった安易な消費行為に還元され尽くさない、具体性の余剰が感じられます。
乾いた冬の大気のようによく通る音の響きが、寂漠とした切符売り場前の空間でちいさく反響し、大政絢の住む家の、それぞれ古びた、雨戸や、柱や、床や、雑然とした庭先にはプライベートさが宿り、唯一的な、具体的な手触りとして、交換不可能性をしっとりと生理的に滲ませてゆく。それらのプライベートなスペースへ不意に男性的な無骨さと柔らかさをもって侵入してくる竹財輝之助が、大政絢に対してゆるゆると放っている異性としての官能は、シャッフル感なく、この場にしかない魅惑を、小さく更新してゆく。緩やかな長回しを基調とした演出は、そこにあるままの、反・カテゴライズ的な時空間を提示し、パターン化された感情喚起パーツの組み合わせとして流通させることが困難な「なんでもなさ」を積み重ねてゆきます(反・ヒット作的要素)。そこには、シネフィル的な文化圏に適合し易いようなショット/文体の特権化も、インテリの語りを誘発するようなフックも見当たらずに、この映画をひとつの全体として結晶させていると想定されるような野心なり自己実現方向への意図なりが希薄なのだ。そしてその希薄さを、肯定的に受けとっている自分がいる。ひとつの映画を観て、良い悪いを判断したり、コミュニケーションを志向して何事かを語ったりする、そのために存在するのではなく、ただその1時間半の上映時間のあいだ、その触感を感じつづけ、上映時間が終わる、そこにはイデアはなく、ただ触れるように“普通の映画”がそこにあるだけ。『ニュータイプ ただ、愛のために』はそのような映画だと感じた。
(反・美学的な長回しの多用は、硬直した文体として表現が閉塞してゆきがちかもしれませんが、廣木隆一のいいところは、軽薄に、いともアッサリと審美的/フェティッシュにも走るところで、中盤に颯爽と登場する廣木組常連の山田キヌヲが、海岸沿いに伸びる堤防のところを歩く横移動の画面の、急に快楽的にピシリと決まったカッコ良さ。廣木映画はやっぱり横の移動と音の設計が素敵。あと、どうでもいいこと(?)なのかも知れませんが、山田キヌヲはあの能力があるなら、“あのような事態”には陥らないのではないでしょうか‥?)

‥まだ触れていないことを幾つか。
既出記事で称賛した(?)?『接吻』は、これも既出記事で批判した(?)『トウキョウソナタ』に比べて、「他者性」「通俗」にたいする闘いかたが、より意識的だったと思っています。「シネマ」の虐殺は「映画獣」黒沢清の任ではなく、より下の年代の者が為すのが健康的。

江川達也の書いた、マンガ入門的な本だったかコラムだったか忘れましたが、そこで言われていたことのひとつは、作者が「10」の物凄い熱量で、スゲエ~面白いと思って描いたものでも、読者はようやく「1」クスリと笑うくらいだというギャップ、つまり作り手が「4」の面白さだと思って描いたものを受け手は決して「4」の面白さとは受け取らない、超本気でやらなきゃ娯楽になんか成らないというふうなことだったと記憶します。そのことを、?『片腕マシンガール』を観て思い出した。口の端をニヒルに歪めて斜に構えている類いの者には、決して作れない映画だと感嘆しました。

( 選出理由?くりいむレモン 旅のおわりにつづく)

theme : 日本映画
genre : 映画

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