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②柳下毅一郎1

連合2
『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』

(選出理由①からのつづき~)

2008年は、ジル・ドゥルーズ『シネマ』二分冊の邦訳刊行完了という「事件」をまえに、この年公開された映画群がどうしてもインパクトや波及力において旗色悪く感じられてしまいましたが、その『シネマ』の刊行に次いで「事件」と呼び得るとおもえたのは、若松孝二がついに撮った『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』の公開で、映画という内輪のサークルをこえるカルチャーとしての事件が、久しぶりに日本映画界におきたことを祝福したい気持ちで③に置きました(言うの遅れましたが②&③と⑨&⑩は今回、個人的な祝福・応援枠の扱いで、前者がポジティブ枠、後者がネガティブ(作品としては否定的な)枠というイメージです)。

この題材や時代について、特にこれといった意見や関心があるわけでもない自分が『実録・連合赤軍~』について今さら何か言うのもなんなので大ざっぱな感想だけ言います、現在との接続性が見えないという批判がいくらかあるようでしたが、自分はそういう感じは持ちませんでした。『突入せよ~』や『光の雨』に接したとき、思ったり感じたりすることは色々あっても結局のところ「ふ~ん」と他人事、ファンタジーや時代劇としてしか自分のなかで処理し/感じることが出来なかったという過去を振り返ってみると(たんに軽快な娯楽映画の姿をした『突入せよ~』は必然性というか歴史的な接続性に欠けてみえてしまいましたし、『光の雨』の場合は、「現在」から「過去のあの事件」をフィクション作品として照射しようとする誠実さが、かえって「現在」/「過去」を二元論的に分離し、接続性は分離した「現在」からの照射によってのみ「過去」を浮き上がらせるという構造から生じることとなり、結局、(ふまじめな自分のような観客には)今現在から分離した一つの「フィクション」として「あさま山荘事件」を消費させられるように思えた)、編年体的に淡々と事件の以前以後まで描かれ、現在までの線を律儀に引いてゆく『実録・連合赤軍~』の手つきには、ある瞬間の特権化による抽象化(フィクション化)を拒んでいるかのようにみえ、たしかに現在と地続きなんだなという地味に低音で響くような興奮がありました。
(かといって、いわゆるドキュメンタルな感じ、例えば<十九世紀末のポー河流域の農村を舞台にした『木靴の樹』がそうであったように、オルミの『ジョヴァンニ』はまるで十六世紀北イタリアの厳しい冬にタイム・スリップして撮った戦争のドキュメンタリー・フィルムのように作られている>(金井美恵子『楽しみと日々』)といった文脈で語られるパターンの反・抽象化(『チェ』2部作などが指向する)ではなく、あくまで『実録路線』ぽい快楽原則に沿うような演出も、魅惑的だったとおもいます。)

で、『実録・連合赤軍~』についてなにか言うの以上に更に今さらな気もしますが、ガースもしくはルサンチマン中年こと柳下毅一郎が『実録・連合赤軍~』について『映画芸術』というか荒井晴彦に噛み付いた件について、この場にちょっと書きのこしておこうと思います。

映画ファンなら先刻承知で、かつ既に忘れかけている話題だと思われますが、映画評論家の柳下毅一郎が自身のブログで、荒井映芸のベストテンで『実録・連合赤軍』が1位じゃなかったことを非難した一件で‥こう書いただけでもう既にオカシイ話ですが‥

<「映画芸術」#426 ベストテン&ワーストテン発表号が出ていた。立ち読みだけのつもりだったけど、あまりに酷いんで思わず買ってしまった。これは本当に酷い。衷心より申し上げるが、一刻も早くこの雑誌は廃刊されるべきだ。これ以上、荒井晴彦は恥をさらすべきではない。「映画芸術」という素晴らしい雑誌の末路がこんなものになってしまったというのは、本当に残念なことである。/荒井晴彦が嫉妬と僻み根性だけでできあがった人間なのはみなさんご存知だろうが、今年ほどそれがあからさまだったことはないのではないか。荒井晴彦はただ自分の嫉妬心を満足させるために映芸ベスト10を利用している。>と、映芸ベストテン上位のプラマイ計算を示し、<ちなみにぼくは今年のベスト邦画は「実録・連合赤軍」であり、これを一位にするのが「映画芸術」の義務だろうと思っていた。そのためなら少々の操作も許されるだろう。しかしこれは酷すぎる。>と言ったあと、ベスト上位作品にマイナス点を入れている選者を列挙しその職業(会社員、築地魚河岸の帳場さん、など)を列挙したのち(ちなみに映芸ダイアリーズを<映画芸術DIARYで映画評を書いているメンバーの合評 つまり編集部お手盛り>と紹介)、<いや、築地魚河岸三代目が映画評を書いてもいいよ。でも、これじゃあ荒井晴彦が嫉妬した相手をおとしめるためだけにマイナス点を入れるメンバーを集めてきたと言われても反論できまい。真面目に投票している人たちはどう思ってるんだろう?高橋洋も渡辺武信も、こんなところに並べられてどう感じているのか?/そして熊切和嘉はこんな投票で一位になって、本当に嬉しいのだろうか?「ノン子36歳」は素晴らしい映画なのかもしれない。でも、これじゃあ荒井晴彦にとって熊切なら安心して褒められる=嫉妬を感じず、上から目線で見られる相手だって言われてるも同然じゃないか。実際には熊切監督に対しても侮辱を働いてるんだってことを、映芸の人たちはわかっているのか?>

公正を期すために、映芸本誌に載っているデータ的な部分以外、当該エントリーの全文を引用しましたが、それに対する映芸側/当事者の反応をかい摘まんでまた以下に引用しますと、

編集長・荒井晴彦は『映画芸術』427号の編集後記で、<俺が何に嫉妬しているのだろう。「ちなみにぼくは今年のベスト邦画は『実録・連合赤軍』であり、これを一位にするのが「映画芸術」の義務だろうと思っていた」なんで義務なんだろうか、俺と若松孝二が「仲間」だからだろうか。足立正生も清水一夫も小野沢稔彦も『連赤』を批判している。映画雑誌がやらないので、「情況」でだ。みんな、「仲間」だ。仲間じゃない人たちが誉め、仲間が批判する。これ、健全だと思うけど、柳下にはこれが嫉妬にしか思えないらしい。>、<柳下、仲間が欲しいんだろうな。>と反応。

更に、柳下氏に傀儡扱いされた「映芸ダイアリーズ」が、映芸のサイトの映画芸術DIARYの記事にて<俺たちはお手盛りじゃない>と反論、<柳下氏はブログのなかで、ベストテン記事における本サイト執筆陣(映芸ダイアリーズ)の選評が「編集部のお手盛り」であると書かれていますが、その記述は事実に反しており、選評を執筆したメンバー(加瀬修一、金子遊、CHIN-GO!=千浦僚、近藤典行、深田晃司、若木康輔の各氏)の周辺にまで影響を及ぼしかねないものですので、ここではっきりと訂正させてください。>と正面から否定。そもそもダイアリーと荒井晴彦との関係も、<「映画芸術DIARY」に関しては、荒井さんはネットをやりませんし、基本的に任せてくれている>、<荒井晴彦さんのお世話になっている人間が集まっているわけじゃない>、<一回も会ったことも話したこともないし(笑)。>、<僕は『イントゥ・ザ・ワイルド』書いてますからね。荒井さんの意見が入っていたら間違いなく載らない>、<僕は一度しかお会いしたことがないし、名前もたぶん覚えてもらっていない>と口々に傀儡でないダイアリーズの活動環境を提示する。

痛烈なのは千浦僚で、<人格を認められてないわけですよね。もうひとり巻き添えを食って気の毒なのが山下絵里さんで、彼女は魚河岸で帳簿をつけてる人なんですけど、それをモジって「別に魚河岸三代目がものを書いてもいいけど」と書かれていて、東大出ている人は偉そうだな、と思いました。俺には書く権利があるけどおまえらその程度なんだとにおわせてしまう。ファンだっただけにガックリくるものがありました。(略)全然、筋が通ってないですよね。なんでこんなにつっこみ返されやすい形で攻撃したのかなと思いました。結局、『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』という自分の好きな映画が望む順位じゃなかったというだけの話なんですよ。その情熱はすごくうらやましいし、それはそれで正しい気もするけど、的にされたほうは愉快じゃない。翻訳とか、参照するものがないと、くだらないことしか書けない人だったのだろうか、柳下さんは。>と批判していました。

さて、上記の当事者たちからの反論というか「はぁ?」というふうな反応をまえに、柳下氏の文章が示す正義はかなり危ういかんじですし、その後のやりとりや展開があったのかだれかが何か反応したのか、チェックしていないのでよく知りませんが、そこに至るまでのテクストからだけでも、柳下氏がとんちんかんなことを言っているのは当事者でない人間からみても明らかです。

柳下氏の当該記事に接したときの自分の最初の感想は、はぁ?今さら何言ってんの?というものでした。

ここ数年『映画秘宝』を買っていないので、秘宝一派である柳下毅一郎の動向についてはとんと知りませんが、前々から映芸に対して敵対的な発言をしていたのでまたその類いかな~とふつうに読み進めていたら(しかしそもそも、“嫉妬心”は“満足”させるものなのでしょうか?)、<ちなみにぼくは今年のベスト邦画は「実録・連合赤軍」であり、これを一位にするのが「映画芸術」の義務だろうと思っていた。そのためなら少々の操作も許されるだろう。しかしこれは酷すぎる。>という一連の文章に躓く。

映芸や荒井氏に対して嘲笑的な態度をとっている<ぼく>の好きなベストワン作『実録・連合赤軍~』を、<ぼく>やその属する文化圏/スタンスとは明らかに異なる荒井映芸が、自分の主張と同じように<一位にするのが「映画芸術」の義務だろう>と何で思えるんだろう。それには、荒井晴彦がいかに<嫉妬と僻み根性だけでできあがった人間>だろうとも『実録・連合赤軍~』の価値や存在意義は疑いえないし、どうかんがえてもコミットするはずだ(内輪的に?政治的に?)という素朴な前提が必要なはずですが、少なくとも荒井晴彦が『実録・連合赤軍~』を推していないことは一年も前の『映画芸術』422号での宮台真司・寺脇研との鼎談でとっくに公にされているではないか。
この鼎談で荒井氏は『実録・連合赤軍~』について、<事件の再現に過ぎないよね、事実はあるけど真実には至っていない。(略)あれでは結局「総括」を総括していない。批評や総括をするのが映画であって、それがないから、なんでいまこれをただの再現映画を作ったのだろうと思った。(略)彼らは組めば森・永田をひっくり返せたかもしれないのに、なぜかそれが出来なくて、「総括」の順番待ちになってしまったのか。そこをやってくれないと。(略)>と疑問や批判を呈していました。
<これを一位にするのが「映画芸術」の義務だろうと思>うのは読者の勝手かもしれませんが、“そのためなら許されるだろう(と柳下氏が考える)少々の操作”を、なんでとっくの昔に『実録・連合赤軍~』を批判している荒井晴彦がしていないと言って、驚きカッとなり罵倒するという呑気でメチャクチャな正義を振りかざしているのだろう。

そして、①“ぼくのベストワン”へのための操作なら許されるが、そうでない操作だから<しかしこれは酷すぎる。>のだろうか。それとも②操作が(“許される少々の操作”ではなく)<あまりに酷い>から、たとえ『実録・連合赤軍~』を推すためであったとしても酷い、のだろうか。このへんの批判があいまいだ。しかし①については前述(一年前の連赤批判)のとおり、元々『実録・連合赤軍~』のために荒井晴彦が点数操作をしてでもベストワンにすることなど有り得ないのだから、そんな批判など成り立ち得ないはずでしょう。
つまりここでは、柳下氏が日本語読解力や論理的能力に欠陥がないかぎり、②の批判しか有り得ない。そうすると“ぼくのベストワン”どうこう言う話は文脈に全く関係がなくなりますが、ことはそう簡単ではありません。

(→柳下毅一郎2につづく)

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genre : 映画

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