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ドラマ『ROOKIES』その3

ルーキーズ 5
『ROOKIES』


ドラマ『ROOKIES』その2からのつづき→)

4.ROOKIES(つづき)

『ごくせん』(的作品)の作劇が、そのように閉塞してゆく内向きのベクトルを有しているのに対して、『クローズZERO』的作品である『ROOKIES』の作劇は、どのようにして閉塞を逃れようとするのでしょうか。

ドラマ『ROOKIES』は当初、放送回数未定、として放映がスタートしました。近年では、1クール10話前後でまとめるのがごく通常の連ドラの作法ということになりますが、できることなら原作24巻分をすべて描ききるという野心のもと「未定」という予定でスタートがきられたこのドラマは、それ故、ある種の緊張状態を持続しつづけながら放映を重ねることとなったように思えます。
通常であれば、10話前後の戦略を練り、そのなかで多少成功しようが失敗しようが、3ヶ月という緩やかなワンシーズンを視野においてそれなりに過ごしていければいいでしょう。スタッフやキャストには、テンションや才気や技術や感情の出力に関して、3ヶ月をそれなりに有意義なものとして生きてそして次に繋がるものになればいいというような気分の「ペース配分」がどうしたって生じるだろうし、そこでは、弛緩してみたり集中してみたりと濃淡のある日常が生きられてゆくでしょう。
しかし、土8という“死に枠”でのスタートに加え、バレー中継での度重なる中断も当初からもちろん予定にはいっていただろう状況下で、「未定」をどこまでも先に引きのばすという目標をもつ『ROOKIES』というドラマに参加しているスタッフやキャストにとって、そのような“流す”日常感でこのドラマに関わっていくことは即、不正義となるでしょう。

こうしてドラマ『ROOKIES』は、常に最終回と背中あわせの、不断の更新としての放映を重ねてゆくことになる。資金がいつ尽きるか分からない自主映画制作において、順撮りしつつ、ワンショットごとにラストカットを更新していくかのように、『ROOKIES』というドラマは1話1話更新されているという感触があります。
そうした場合、ストーリー漫画である『ROOKIES』のドラマ化においては、クライマックスから逆算する形で作劇を行い、その理路の節々のパーツを埋めてゆくといった『ごくせん』的作品の作劇手法は無効となる。ここでは、逆算的な遡行としての説得の積み重ねではなく、一歩一歩地面を踏みしめながら歩を進めるような順撮り的な説得が試みられることになります。

野球を知らない新任の教師である川籐(佐藤隆太)が、不祥事で挫折し不良生徒として荒んでいた元野球部員たちをハートある情熱で立ち直らせ、共に甲子園という夢をめざす、という骨子の物語をもつドラマ『ROOKIES』では、イメージされるべき、達成されたクライマックスとしての甲子園出場やら優勝やら勝利やら(ましてやチームの復活すらも)から逆算した作劇により感動を説得的に喚起したりはしない。
立ち直らせる、チームに復帰させる、夢をみつける、甲子園をめざす、勝利をつかむ、といった諸々の逆算的達成事項は、順撮り的更新としてある『ROOKIES』(的作品)においては、達成されたならより良いだろう出来事ではあっても、それが最優先事項とは捉えられていない。『ROOKIES』にとって、あるいは川籐/佐藤隆太にとっては、ナインたちを不良状態から立ち直らせことや、チームが復活したり存続したりすることがたとえ成されなくても、それが“ほんとう”の問題ではなく、最悪、野球場面がゼロのまま終了したとしても、それより優先されることがある。そうこのドラマはみる者に伝えてきます。

『ROOKIES』/川籐が伝えてくるのは、ハートのある感情に真っ直ぐであろう、そしてそのハートは真っ直ぐであろう、というメッセージであり、社会的順応(更正、野球部復活)や目的達成(勝利、甲子園)は決してそれらの上位概念とは捉えられていない。自分や他者や物事に対して、“真摯”であろうということのみが、この物語を駆動してゆくのだ。

例えば、城田優演じる凶暴な反抗者・新庄に対して、『ROOKIES』は/川籐は、野球部復活のため獲得すべきコマ(盛り上げのための障害の設置)という扱いをしない。ドラマが動き、揺れて前に進む力となるのは、新庄が抱いている“ほんとう”の感情、情動を、歪んで乱反射し行く先を見失ったそれを、彼自身にとって真っ直ぐなものとして捉え、感じられるようにしようとする、そのように作用する力であって、そこで彼の晴れ晴れとした真摯な感情の発露の結果がもし野球を捨てるという選択であったとしても、『ROOKIES』という作品は/川籐は、それを是とするだろうと思わせるものが、このドラマには確かにあるように感じられます。(それは、みる者に、作り手/送り手側への“信頼”を抱かせるものでもあります。)

真摯であろうとする川籐の生き方と、『ROOKIES』というドラマが真摯なものであろうとする在り方とが同調し、そうして(映画のあるべき在り方としてヒッチコックが言ったような)「エモーションの持続」としての映像作品、といった基本的なところに立ち返って提示された『ROOKIES』は、真剣に真面目に、ブレなく真摯に物事や人物を描く、という愚直な姿勢によって、“ほんとう”な細部を更新してゆこうとする。

そしてその物語りかたは、ある種のセンスの持ち主をアテにするといった、特定の文化圏を狙いうつような作用範囲の狭いスタイリッシュな方法論を採用せず、あの文化圏のひとにもこの文化圏のひとにも、真摯に熱いハートでもって丁寧に接続すれば伝わるんだという極めて川籐的な信念がその作劇/描写の方向性を決定づける。
そのため描写は時にクドく、進行テンポは澱み、鈍重な印象を与えもしますが、それはこのドラマがセンスとしての選民的な選別的な身振りを否定したところに接続する力を見いだしているからで、才能や才気を示すためでもある種の快楽原則をトレースして一定タイプの消費者に快楽を与えるためでもなく、ただ真摯であろうとする、その一点において、閉塞を突破しようとする。
商業的な“イケメン軍団”として投下された「アイドル男優」であるところのニコガクナインの面々も、己をより良くみせるためではなく、まずこの『ROOKIES』というドラマをより良いものにするために力を尽くすという、当たり前といえば当たり前のことに専心していると(他のどのドラマよりも)印象されるのは、この『ROOKIES』というドラマが川籐のキャラクターの人格、人柄と同調するようにして、その熱い真摯さで他者を引っ張り込む力を示すからだとおもう。

“イケメン軍団のパッケージ売り”のための“方便”としてある〈野球+不良=青春〉というベタを、『ROOKIES』の作り手たちは怯まず、真正面から受け止める。そこで選ばれた物語が商業的な「口実」に過ぎないことを当然の前提として見据え、〈女子供の箱〉を経由することにも揺るがない。
そこにあるのは、(女子供だけ満足させときゃいいだろ)という姿勢とは無縁の、実直なクオリティ信奉、いいものをつくりたい、という気概、誰にみせても恥ずかしくない素晴らしいものを提供しようという愚直な信念であって、なんとそんな素朴な「真摯さ」が閉塞し拡散しゆく島宇宙間を接続するというごく普通な事実を、ドラマ『ROOKIES』はかなりの程度示すことが出来たように思えますし、それがこのドラマが存在した価値でもあったと思います。

‥概略を言うだけで随分長くかかってしまいました。細かいことに触れることが殆ど出来ませんでしたが、このあたりで一旦話を終わりにします。
どうやらただの総集編ぽいけど、10月4日のスペシャル版も楽しみですね。

(おわり)

追記:
第1作目の『クローズZERO』公開時のインタビューで、山田孝之は〈とにかくより多くの人に観てもらわなくちゃ伝わらないし、良いか悪いかもない。(略)でもまず女の人が2時間もつかもたないかっていうところが勝負だったんですよね。〉と述べ、このテの映画が現在的に成立するためには島宇宙の突破が必須であると意識的だったことを告白しており、またそれと同時に、いやだからこそ、〈全員が全力で自分の仕事で応えてくれる撮影現場だった(略)自信をもって男の映画と言える。〉とやべきょうすけが別のインタビューで述べていたように、それだけに「真剣に真面目に、ブ物事や人物を描く、という愚直で“真摯な”姿勢」で制作に取り組むことがその作品に“ほんとう”を宿すための絶対条件としてあり、その2要素を併せもつことが閉塞を突破する力となっていたことが窺えます。『クローズZERO』公開時のスタッフやキャストの各種インタビューや発言には、自信と手ごたえにみちた“やりきったかんじ”、熱さが溢れていました。(ドラマ『ROOKIES』周辺にある空気や状況も、それと同じものを感じさせます。)
しかし、続編である『クローズZEROⅡ』ではどこか様子が違う。『CUT』10月号を読むと、インタビューで小栗旬は、(前回は、プライベートまで源治を引きずってしまうとおっしゃってましたが)というインタビュアーに対し、〈今回はそんなにないっすね(笑)〉という何だか弛緩した返答をしているし、山田孝之は〈『1』で完結した芹沢多摩雄が『Ⅱ』で崩れてしまわないか心配だったんです。続編になると新たな台詞や行動が付け足されるから、芹沢が崩れてしまわないか怖かったんですよね。『なんか違うな』って思われたら嫌だなって。〉と、どこか閉塞的なベクトルの心の惑いを示しています。ここでは既に、特定の文化圏を突破する「真摯さ」や「熱さ」が失われ、“つづくこと”の弛緩した(濃淡のある)日常感と、「特定の文化圏」を支持する者とそれに応えようとする「特定の文化圏」の保持者としての送り手との相補的な閉塞関係が生成されつつあるさまが見てとれるように思われます。
『クローズZERO』的作品が、“つづくこと”により早くも直面した閉塞的状況をみると、ドラマ『ROOKIES』の続編の先行きにも幾分の不安が感じられますが、果たして映画版はどうなるでしょうか。




theme : ROOKIES
genre : テレビ・ラジオ

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