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ドラマ『ROOKIES』その2

ルーキーズ1
『ROOKIES』


ドラマ『ROOKIES』その1からのつづき→)

2.ワルボロとクローズZERO(つづき)

物語設定のレベルでも、『クローズZERO』のその親和は(どの地方に住んでいようと、どの年代であろうと)誰もが容易に接続しうるサブカル的データベースのアーカイヴからの召還事項との間に生じます。

小栗旬の役柄の設定は、「ヤクザの組(流星会)を継ぐための強さと器の大きさを、超不良高校(鈴蘭)をシメて頂点に立つことで証明しようとする、転校生」というものだし、(ツッパリ/ヤンキーモノの現在的なイコンというべき)やべきょうすけも「その小栗の組(流星会)とは敵対する組(矢崎組)に属しながらも小栗に友情と絆を感じ、刺客として板挟みになるチンピラ」という役柄で、それらは、現実のリアリティとも大きな物語の歴史性とも無縁に構成された、パターン化された物語構成パーツの組み合わせとしてそこにあるに過ぎず、固有性(他者性)として想像力を排除しない(『ワルボロ』におけるコーちゃん/松田翔太の家族間の感触や、ビデちゃん/古畑勝隆の家庭環境は、物語を駆動させる「設定」として存在するのではなくて、パーツ構成的でない、交換不可能なものとしての、プライベートな切なさがある)。
それは交換可能なものとして、それぞれの消費者が属する文化圏(マンガ、映画、ゲーム、アニメ、小説等‥)のデータベースから各人が構成要素を呼び出し、イメージを結晶することがスムーズであるように設計されていて、そのテの漫画なり映画なりに精通していなくても簡単に「ノる」ことが出来る間口の広さを示しています。

肝心のアクションシーンについてもそういう傾向は顕著で、『クローズZERO』において、「痛み」や「スピード感」を実現させたその描写(主に予備動作のデフォルメ化と打撃インパクト時の時間圧縮)は、現実の精緻な観察や映画的な呼吸の良さにより結実させた「リアリティ」とも、(近年誰しも食傷ぎみでしょうが)クンフーアクションの豊かな歴史が作り上げた技法による様式美としての意匠的アクション等とも距離を置き、テレビゲーム的(格ゲー的)なデータベースからその技法を召還する。
(アクション主体である)俳優の肉体のパフォーマンスに依拠するわけでもなく、演出家独自の個性による映像表現としてあるわけでもない『クローズZERO』のアクションの生成は、あくまで“重さというもの無い平面表現”での、「重く、速く、痛く 」の実感を希求し、ここでは格ゲーの(実感的/臨場的リアリズムの方向性への)進化パターンと同じ方法論が採られていると感じさせます。そこにあるのは、マンガ/アニメ/映画からの非・歴史的な借用、単なるツールとしての手法やアイデアの再利用であって、言わば「データベース消費」的にアクションが(そして、映画が)組織されてゆく。
そこでは、映画(史)的教養の有無などといった辛気くさいフィルターは破棄され、接続性が高く、ほどよい「実感」に充たされた娯楽として『クローズZERO』という映画が提供されています。


3.花ざかりの君たちへとクローズZERO

そういった諸要素のうえで、『クローズZERO』を大ヒットに導いた最大の要因は、ティーン女子やF1層といった、本来基本的にはツッパリ/ヤンキーモノとは無縁のところにある観客を呼びこんだ点にあったと思われます。彼女たちは、ヤンキーの男気を観に来たわけでも、激しいアクションに期待を膨らませて来たのでもなく、小栗くんや山田(孝之)くんといった、どちらかというとテレビスターである「アイドル男優」の、一風変わった“コスプレ劇(←いつもと趣の違うカッコ良さ)”をスペシャル版のテレビドラマを享受するような期待の仕方で、映画館に駆けつけたのではないでしょうか。相容れない複数の文化圏を、『クローズZERO』は親和的に接続することに成功した、と言えるんじゃなでしょうか。

昨今のDーBOYS等の隆盛や『花より男子』(小栗旬のブレイク作)シリーズの大ヒットにより、イケメン・ムーブメントが盛り上がってきている折り、必ずしもジャニーズメインではない“イケメン軍団のパッケージ売り”としてのソフトとして、『クローズZERO』公開と同時期に放映されていた、フジテレビ系テレビドラマ『花ざかりの君たちへ イケメン♂パラダイス』(これも小栗旬主演‥)がブレイクする。そこで選ばれた題材(原作)は、オリジナルの面白さうんぬんというよりはイケメンをパッケージ売りするための方便に過ぎず、実際にドラマ『花ざかりの君たちへ イケメン♂パラダイス』という作品が優れていたということがあるにせよ、そのような消費者のニーズと芸能プロダクションの要望が幸福な合致が生んだ産物ともいえて、以後、この方向性は商業的に確立したと言っていいと思います。

本来フジのドラマの脚本家であった武藤将吾(『花ざかりの君たちへ~』脚本)を無理を言って招き、東宝/TBSは映画『クローズZERO』を成功させる。ヤンキーモノが、“イケメン軍団のパッケージ売り”という口実として、新たな金脈として動き出したという流れを感じさせました。
ドラマ『ごくせん』シリーズもそのような流れの先駆けに見えますが、基本ジャニーズメインの(ジャニタレバーター売り的な)テレビドラマの一環に見える『ごくせん』の、ナヨナヨしたなんちゃってヤンキー像は、文士劇や学園祭でのバンド演奏のように、愛好者や仲間内感覚の濃厚な根本的には閉塞した文化圏の、内向きの求心力に支えられているように感じられる。女性アイドル像が、“グラビア/歌メインで演技はお愛想”というモデルから、演技での露出がメインの「アイドル女優」といったモデルに移行していったように、『クローズZERO』におけるヤンキー群像も「アイドルのなんちゃって演技」ではなく、本格的な(俳優的)クオリティを求められています。「アイドル男優」は、ジャニーズマニア的な閉塞感を、島宇宙化を逃れた存在として突破する。俳優としても遜色なく、男性的魅力としても求心力のある、そのような存在としての任を負った「アイドル男優」は、『花ざかりの君たちへ~』のようなバカバカしい話や設定にも全力で付き合い、立ち向かい、振りきった演技を提示することにも躊躇しない。こんなドラマでそこまでしなくても‥という声もよそに繰り広げられたそのムダな熱量の放射が、いつしか、冷ややかに見守る眼にさえ爽やかで強い情動を映し、感情を揺り動かしはじめる。


4.ROOKIES

‥また話題が逸れはじめてる気もします。で、前項での、アウトサイダーと『クローズZERO Ⅱ』とのコラボへの違和感ーー凡百の産業的なソフトとは違う、〈極端な、もう足も踏み入れられないような差〉があるモノとして『THE OUTSIDER』や『クローズZERO Ⅱ』があるんだという差別化の誇示としてのコラボレーションだが、果たしてそれほどの決定的な差(ホンモノの危険さ)を果たして示し得ているだろうかというーー違和感について、上記のような過程を振りかえってみるとまさにその正反対のソフトとして『クローズZERO』が存在しているように感じられます。足も踏み入れられないような危険さを示す、どころか、どの近接する文化圏からも足を踏み入れることが極めて容易であり、なにより映画興行で潜在的観客の最大のボリュームである女性層を取り込むことに成功した、稀有な本格的ヤンキー映画(not少女マンガセンス)、それが『クローズZERO』だということになるかと思います(※1)。

菊地成孔氏はアウトサイダー観戦記において、カルチャーとしての格闘技/プロレスが、〈なんかもう全部Aの箱(オタクカルチャーの箱)の中にボンボンボンボン入れられちゃう〉と、ヤンキー文化との不均衡なバランスの不健康さを嘆いてみせたのでしたが、そこで絶賛された“絶対的なB”であるアウトサイダーとの親和性を誇示してみせた『クローズZERO Ⅱ』は、じっさいのところ、〈Aの箱〉ならぬ〈女子供の箱〉の中に〈ボンボン入れられちゃう〉、という事実が、現在的な避けられない商業的な隆盛としてあらわれている。ツッパリ/ヤンキーモノが“イケメン軍団のパッケージ売り”という口実として〈女子供の箱〉を経由して、アウトローなVシネマのセンスまでが消費されるのは、しかし、そう悪いことでもないとおもう。やべきょうすけがメインキャラクターを演じる、三池崇史監督の、墨汁を撒いたような黒っぽい画面の映画が大ヒットするのだというなら、その鉱脈は尊守すべきものでしょう。

TBS/東宝が確かな感触として掴んだこの路線は、2008年の春から夏にかけてのTBSドラマ『ROOKIES』として、ふたたび提示されました。『オーラの泉』、『めちゃイケ』、『世界一受けたい授業』に包囲され、完全に“死に枠”である土曜8時に新設されたドラマ枠での絶対的に不利なスタートを余儀なくされたうえ、度重なるバレーボール中継で何度も放送休止の憂き目にあいながらも、最終話では19・5%を記録するという大健闘をみせて終了した『ROOKIES』は、今秋のスペシャル版放送決定に加えて来春の続編映画版公開と、その勢いは増すばかり。聞けば、映画版はやはり東宝系で公開とのこと。このことは、『ROOKIES』がTBS/東宝の『クローズZERO』が切り開いた路線を継ぐある種のシリーズ作であるという確証ともなり、ジャンルムービーの新たな萌芽の予感さえ漂わせています。

小栗旬や山田孝之が不在とはいえ、『ROOKIES』には高岡蒼甫、桐谷健太、やべきょうすけ、鈴之助、伊崎央登、遠藤要、上地雄輔、高橋努、深水元基、小柳友といった『クローズZERO』のキャストが大挙して再集結し、まさにクローズZEROふたたび、といった勢いで春期連ドラの話題をかっさらいました。
勿論、“イケメン軍団のパッケージ売り”の口実として、野球+不良=若い男だらけという題材がピックアップされたに過ぎないにせよ、たとえば同時期放映の『ごくせん』第3シリーズと異なるのは、先程も少し触れましたが外へ波及してゆく力として表れるか、閉塞してゆく求心力として表れるかという作品の示す方向性の違いとしてあらわれます。

『クローズZERO』(的作品)がそもそも、“商売として、女子供にウケればいい”という作りになっておらず、あくまで従来の(Vシネマに親和性のあるような)男性消費者の観賞に耐えうるモノであろうとするのが大前提だったわけで、そのうえで他の文化圏への接続をよくした事が状況の更新だった。それに対して、旧来からのジャニーズメイン的パッケージ・ソフトがターゲットを絞るのはそのままソッチ方面であって、“口実としての物語”はパッケージ売りとしての意義が第一であることは揺るがず、結果的にそのソフトが良質であろうがなかろうが切り離しがたい排他的な閉塞感をともない、他文化圏への接続を弱めてしまう。

『ごくせん』の作劇は、ヤンクミ/仲間由紀恵が例外的な能力をもってトラブルを解決するというクライマックスから逆算してなされており、発端までを遡行するようにしてパターン化された物語のパーツが説得的に順序よく配置されてゆく。そして、そのあらかじめ用意された枠に当て嵌るように、高校生役の男子達がそれぞれの魅力やそれなりの演技力をそこで示してゆく。
このドラマでは、「形式の維持」が至上命令のように前提にあって、各パーツでの各人の演技なり存在感なりにリアリティや説得力が欠けていたとしても、全体としては頑として揺るがないという特質がある。それを視聴者はいちいち作品世界を著しく損なうキズだとか騒ぎだてたりせず、「お約束」に枠をとられた安全でナアナアの(=内輪的)パッケージとして受容する。ここでの“ヤンキー”や“ヤクザ“は、それこそ〈女子供の箱〉に〈ボンボン入れちゃう〉ための単なるファッションであり、ファンタジーとしてのみ消費される。要するに、ヤンクミの格闘を、真に迫った“強さ”と納得している視聴者などまず存在しないわけで、それはそれ、とカッコに入れて割りきることが出来る文化圏の者にだけ、『ごくせん』的作品は接続可能だという開かれ方をして、そして、閉じている。

(→ドラマ『ROOKIES』その3につづく)

(※1‥‥興行通信社調べによると、『クローズZERO』の客層の比率は男女比が43:57、ティーンが観客数の53.8%を占めるという。)

theme : テレビドラマ
genre : テレビ・ラジオ

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