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ドラマ『ROOKIES』その1

くろ
『クローズZERO』


『ROOKIES』
(TBS系、土曜20時~、放映期間4/19~7/26)
企画:石丸彰彦
原作:森田まさのり
脚本:いずみ吉紘
プロデューサー:津留正明
演出:平川雄一朗ほか
主題歌:GReeeeN「キセキ」
出演:佐藤隆太、市原隼人、小出恵介、城田優、中尾明慶、高岡蒼甫、桐谷健太、佐藤健、五十嵐隼士、川村陽介、尾上寛之、村川絵梨、浅野和之、吹石一恵ほか


1.アウトサイダーとクローズZEROⅡ

不良達ヨ、覚醒セヨーー
常にその動向が注目されるプロレス/格闘技界のカリスマ・前田日明が、今年の3・30に旗揚げした不良のための喧嘩(格闘技?)大会『THE OUTSIDER』は、一部でたいそう話題になりました。で、『Quick Japan』の原稿依頼により、7・19の『THE OUTSIDER』第2回大会(第弐戦)をリングサイド観戦した菊地成孔が『Quick Japan』vol.79及び『kamipro.com』のpodcast番組「mimipro」で言っていたことがなかなか興味深かった(『Quick Japan』の記事では〈オタク文化/ヤンキー文化〉と表記されていたものが「mimipro」では〈A系/B系〉と表現されています)。菊地氏は、大筋、以下のように語っていました。

日本はアメリカに極端に似てきているが、日本には、白人と黒人が残念ながらいない。在日韓国人という方たちをよしんば対立項に持ってきたとしても色はおなじであり、黒人と白人のような厳然たる区別は無く、もしBLACK&WHITE的な対立項を設けるとすれば、これはもうA系/B系(オタク文化/ヤンキー文化)しかない。このAとBがちゃんと(BLACK&WHITEみたいに)拮抗している状態が一番健康的だと思われるが、現在Aが世を席巻していて、BはAのように世間を巻き込んでエライことになってない。そのうえ〈犯罪までAに持ってかれちゃったら、Bの不良はカタ、ないです、よね。Aからもヤバいひと出てきて、包丁振り回しちゃう、えー、模倣犯が出て、毎日毎日日本のどこかでグサグサグサグサ。あんなことされちゃったら、ワルの、面目丸つぶれだし、ストリートの暴力とかいうエネルギーのそのマグマの力が、なんかもうナイみたいなね。〉〈で、格闘技は格オタって言われるぐらいで、なんかもう全部Aの箱の中にボンボンボンボン入れられちゃう。〉そんな、『マッスル』がAの極北で、Bが絶無というアンバランスななか、『THE OUTSIDER』の出現で、バランスがとれた。極端な、もう足も踏み入れられないような差ってのはあるべきだし、それが丁度揃って、とっても健康的だと思った、と菊地氏は言う。

なんだ、単なる島宇宙の棲み分け話じゃないか、と思われるかたもいるでしょうし、じっさいそれだけの話とも言えますが‥‥なるほど、確かに危険な、他の文化圏の者には触れがたい香りが漂っているのでしょうし、それはそれで大変魅力的なイベント/ソフトが出来上がりつつあるんだろうなとハタから楽しく思う一方、何か、棲み分け無事完了、とは言いきれない変な気分があります。
〈変に毒抜きされてオーバーグラウンドになるぐらいなら、アンダーグラウンドでいいからカルチャーとして輝いているほうがいいのかも〉と菊地氏は『QJ』誌で述べていましたが、すでに早くも、巧妙に毒抜きの魔手が忍び寄っているんじゃないかと感じられます。それは個性によって棲み分けられた隣接する島宇宙・Aからの侵略ではなく、それらを商業的に利用しようとするメディアによって、後方から浸食されてゆく感じ。

この大会(第弐戦)において、前田日明、三池崇史監督らがリング上にあがり、『THE OUTSIDER』と映画『クローズZERO Ⅱ』とのコラボを発表しました(コラボレーションの内容は、今のところは『THE OUTSIDER』に出場したファイターやその取り巻きのなかから選抜されたメンバーが、不良役として映画に出演するというもの)。
大手映画会社製作(東宝/TBS)の商業映画とのコラボだからといって、『THE OUTSIDER』が商業的に取り込まれてオーバーグラウンド化してしまったと即断するわけにはいきません。これは、〈THE OUTSIDER〉のもつ「危険さ」と、三池崇史もしくは『クローズZERO』のもつ「危険さ」とを共鳴させ、世間にひろく波及/認知させるための広告効果のためのコラボレーションでもあり、互いの「ヤバさ」の「ホンモノ感」、「半端なさ感」を提示する宣言でもあるわけだ。凡百の有りがちで産業的なソフトとは違う、それこそ〈極端な、もう足も踏み入れられないような差〉があるモノとして『THE OUTSIDER』や『クローズZERO Ⅱ』があるんだという差別化が誇示されています。
しかし、『クローズZERO』という映画が、果たしてそれほどの〈極端な、もう足も踏み入れられないような〉決定的な差(ホンモノの危険さ)、を、他のその種の映画(群)に対し、果たして示し得ているだろうかという疑問が当然湧くわけで、結論から先に言えば、事態はまったく逆だったんじゃないかと思う。



2.ワルボロとクローズZERO

去年(2007年)、ほぼ同じ時期に『クローズZERO』、『ワルボロ』という二本のヤンキーモノ映画が公開され、周知のように興行成績という面でははっきり明暗が分かれました。東宝『クローズZERO』の興行収入が25億という、大ヒットといえる数字をたたき出したのに対し、公開スクリーン数は3分の1とはいえ、東映『ワルボロ』はわずか興収1・5億程度にとどまり、その作品的クオリティに自信のあった東映の配給を大いに動揺させる結果となりました。
配給が東映で、製作がセントラル・アーツ、製作に黒澤満の名があることからみても、『ワルボロ』は系譜的に『ビー・バップ・ハイスクール』の流れを汲むヤンキーモノ映画のバリバリに正統な後継作と言うことが出来ますし、キャスティングの時代的タイミングや細部の演出の肌理細かさも含めて、普通に言って充分に健闘している映画だと思われますが、結果大コケした。ここまでは、ケンカ/ヤンキーモノ映画は現在、商業的に厳しいという従来の興行価値基準に沿うような結果が順当に出ただけとも言える。しかしそこで、『クローズZERO』よもやの大ヒット。東映の配給が真に動揺したのは、『ワルボロ』がコケたことよりも、東宝なんぞが作ったヤンキーモノ『クローズZERO』が大ヒットしたことのほうが大きかったのじゃないかとおもう。

それだけ差が開く結果となったことには、いくつもの要因が考えられます。まず最初に挙げられるのは東宝/TBSの、テレビ局主導の製作委員会方式による映画制作が相も変わらず強力な成果をあげているということで、昨今の東宝ひとり勝ち状態は、マルチメディア展開による浸透の効率化と製作委員会方式によるリスクヘッジの方法論が機能的に回転するノウハウを有していることが大きい。対して東映は、去年までは旧態依然とした製作/配給体制が残っており(2007年全体の成績としても興収が前年比74%と惨憺たるもの)、シネコンの台頭やテレビ局主導という潮流におおきく出遅れていた結果ともいえます(今年度は修正し、『相棒』の大ヒットを為した)。
そのうえ、マルチメディア展開の元ソフトである原作の点でも、ある大きな一定の市場をなすヤンキー漫画の中のベストセラー『クローズ』と、たかだか一介のライターによる自伝的小説でしかない『ワルボロ』とでは元々の波及力が比べものにならないということもあるでしょうし、キャストやスタッフの差異による公開段階での吸引力/集客力の差も影響しているだろうと思われます。

映画の内実としても、集客力に影響的な表情の違いが認められます。『ワルボロ』は1980年代の立川や国立を舞台とし、そこで繰り広げられる青春群像劇は、特定の時代性・地域性に基盤を置いたうえで固有的に生成されてゆく。ここでの観賞は、交換不可能な「歴史性」を、言わば「大きな物語」を媒介しての共感作用が強いられることとなり、共通前提としての教養や文化が拡散し作用する力が弱まった現在では、避けるべきメンドクサイものとして、共感を阻害する要素となって敬遠されかねない。『パッチギ!』や『ALWAYS 三丁目の夕日』の場合は、一見『ワルボロ』と同じように時代や場所が限定されているように見えても、そこでの「時代」や「地域性」は単なるファンタジーであり、観念的・抽象的なイメージの公約数的な具体化でしかないため、共感することにストレスがかからない「事前イメージの再確認作業」でしかない観賞体験であり、多くの支持を容易に得ることが出来たのだとおもう。
『ワルボロ』では、諸事情により殆どロケーションに現実の立川(や国立)が使用されていず、当時の風景の精緻な再現など成されていないのにかかわらず、ここには、その時にしか吹いてはいなかっただろう風の、具体的な臭いと肌触りがある。
新垣結衣の自転車を操る手つきや、ビデちゃんの部屋の諸々のインテリアなどの、繊細な“ほんとうさ”には、交換不可能な艶があって、そこには勿論、新人監督・隅田靖の確かな演出の痕跡が認められると言えましょうが、そもそも、隅田監督が助監督として長年師事した澤井信一郎監督は、「日本映画」の「歴史」そのものであるマキノ雅弘の教えを尊守する「撮影所システムの(最期)の後継者」という自覚をもった、それこそ「歴史」の体現者であったのだ。ある一定の映画ファンは、『ワルボロ』を観るとき、映画の演出をとおして、隅田~澤井~マキノと遡る、日本映画の、あるいは東映の築いてきた歴史(映画史)や継承される技法を確認してゆき、また、セントラル・アーツの足跡を辿るようにして、『ビー・バップ・ハイスクール』以来のヤンキーツッパリモノの系譜の行く末に思いを馳せることとなる。
しかし、そういった類いの観賞には、ある種の選民指向的な排除の力が働き、(ある人たちには「良い映画」かもしれないけど、「歴史性」を共感ツールとして共有しない自分らには知ったことか‥)という隔絶感を生みかねないという弱さにも転化しうるでしょう。

勿論、『ワルボロ』の演出は慎ましやかなもので、高飛車に観客を選別したりはしていないのですが、作品の表情にどこか交換不可能性に重く撓む気配があり、いつ、どこからでも即時コミット出来る気分を有していないと感じられ、映画が、シネコン時代的意味合いでは、開かれていないともみえる。自分ちの近所にある大きいTSUTAYAに、『ワルボロ』のレンタルDVDが大量入荷したさい、「最新作」のあいだは全く人気がなく有り余っていたのが、「準新作」におちた瞬間から大人気で、打って変わって回転しまくっていましたが、それは、『ワルボロ』には不特定多数の人々に対してそれなりの興味を抱かせ得るものの、“即時的に”接続させる作用力が極端に弱いという性質によるものなのかと感じられました。

それに対し、『クローズZERO』はレンタル開始から常にトップスピードでフル回転、棚にはカラ(レンタル中)のケースが常に並び、1本残っていればラッキーくらいのもので、その即時的な接続の容易さからくる“取っつきの良さ”は特筆モノだと感じられます。
映画『クローズZERO』の世界は、何時とも、何処とも言い得ないような、(非・特定的な)抽象的な時間/空間として観客のまえに現れてきます。そこへの接続は、ある特定の文化圏にコミットしていなければ充全に理解出来ないような、そんな排他的な気配が無く、「事前イメージの再確認」を為すのがスムーズであるだろうという、弛緩した/リラックスした接続を“予想させる”。『クローズZERO』という映画がある、という認識を持ちうる程度の文化的近接性のある世界に生きているだけで、即『クローズZERO』に接続可能だという開かれかたを、この映画は磁場として持っているわけで、三池崇史のフィルモグラフィも東宝という会社の作風も、予習しておく必然はいっさい無く、そもそも映画は原作『クローズ』の前日談であるのだから、原作を予習しその“相違を楽しむ”必要すらない‥。


(なんだか、いつまでたっても話が『ROOKIES』にたどり着きませんが‥その2につづく

theme : テレビドラマ
genre : テレビ・ラジオ

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