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映画『Girl's Box/ラバーズ☆ハイ』その1

20080505225345
『Girl's Box/ラバーズ☆ハイ』


『Girl's Box/ラバーズ☆ハイ』
(2008年、日本、100分)
監督:佐藤太
脚本:金子二郎
音楽:MOKU
出演:長谷部優、長澤奈央、嘉陽愛子、斎藤未知、星井七瀬、紗綾、小木茂光、秋本奈緒美


歌手を夢見る優亜(長谷部優)は、東京で開催されたオーディションに挑み、合格する。胸を弾ませて上京してみると事務所はもぬけの殻、優亜が受けたのは金目当ての偽オーディションだったと判明する。無一文で居場所もなく、途方に暮れる優亜は、そのオーディションで一緒だったナオミ(長澤奈央)と偶然再会する。“あたしたちの場所”に来るか?ナオミに導かれて訪れた場所は、〈Girl's Box〉という名の夢の吹き溜まりだった‥。


1.Girl's Boxとは

そもそも、“Girls’BOX”とは何でしょうか。パンフレットによれば、〈avexよりリリースされる女性アーティストたちのコンピレーションアルバムとそれに連動して実施されるライブイベントとテレビ番組を含めた『総合エンタテインメント』〉(ヘンな文章‥)であると定義されています。2005年、〈「アイドル不在」と言われている昨今、シーン自体を盛り上げるべく立ち上げられた〉プロジェクトが、“Girls’BOX”(以下、ガルボ)だということになるのだそう(昨今、アイドル不在と言われているかはともかく)。

総合エンタテインメント、と言いつつも、現実には、ガルボ周辺のファンにとっては〈Girl's Box〉とはライブイベントに他ならず、他の要素はオマケに過ぎません。その性質は、同じように複数のアーティストが集うエイベックス系のライブイベント〈a-nation〉が不特定多数の〈外〉へ向けて開いたものだとすれば、(そんなに売れていない)女性アーティスト(≒アイドル)オンリーのイベント〈Girls’BOX〉は見事に〈内〉を向いた、ヲタしか寄りつかない“閉じた”イベント/企画だと言えるでしょう。この映画の主演者である長谷部優が所属していたグループであったdream(現・DRM)も、アピールすべき活動の場が〈a-nation〉から〈Girls’BOX〉に移行するのと時を同じくして表舞台から消えていった。そのように囲われた場所で、パイの小さいある種のアイドルイベントが回されているだけ、という印象がありますが、他の標準的なアイドル系イベント/ライブとの違いはといえば、かつてはdreamが、現在はSHOWーYAがそのシーンを牽引していることからも象徴的なように、アイドル性やルックスよりも、
歌唱やダンス等のパフォーマンスのクオリティが重視される傾向があることだと思われます。
アイドルヲタが集うアイドルイベントでありながら、いくら可愛くてもパフォーマンス力の弱い者を淘汰しようとする力が働く。観客も異性として魅力があるだけの女子には冷淡な反応を示す。そのような、比較的本格派志向の傾向が、〈Girl's Box〉送り手・受け手共にある。そのような指向/嗜好はしかし、その存在条件が「優れていること・秀でていること」では決してなくて、「愛されること」のみがその市場価値である〈アイドル〉産業の構造とは乖離しており、必然、環境は自閉してゆき、明らかな先細り状態を2006年には迎えます。


2.メディアとアイドル

そんななか、明けて2007年の1月7日、品川ステラボールで『Girls’BOX PREMIUM01 Re-Born』という〈Girls’BOX〉シリーズのライブイベントが開催されました。
“リボーン”というサブタイトルが示すように、これを起点にして、これまでの方式や方向性にとらわれずに様々なジャンルやメディアにガルボを展開してゆく決意表明がなされました。このイベント中、映画版『Girls’BOX』の制作発表が、MCをつとめた星井七瀬の口から発表されましたが(また、この日の星井七瀬の発言から発展し、長谷部優&長澤奈央&嘉陽愛子のユニット「金魚」が結成され、これもまた映画の一要素として合流する)、そのニュースは観客から薄い反応しか引き出すことが出来なかったし、以降、ガルボ周辺のファンの話題としてこの映画の話がのぼることも特にないかんじがありました。映画版『Girls’BOX』は、コア層にさえ始まりからゼンゼン期待されていない不幸な企画だったのでした。ガルボ周辺のファンにとっては、映画が制作されることとガルボのライブに期待することとは、あまりリンクしない事柄だった。

そして、映画側からみても、期待感のなさではガルボ周辺ヲタの反応のそれと大差ありません。企画の出発段階から〈Girls’BOX〉という言葉を映画の題名に持つことがあらかじめ決められていて、主要な出演者は〈Girls’BOX〉の常連メンバーであるエイベックス系アーティストたちだ、と。そこから逆算されるようにして導き出されたらしき物語の概要は、ベタで安直な物語のようにしか見えず、マトモな出来映えの映画になるとは、ちょっと想像できないかんじがありました。〈映画〉側にとっては、ガルボの面々がパフォーマンススキルに秀でているか否かに関わりなく、単に安易な企画のアイドル映画が一本その系譜に名を連ねたとしか見えないし、事実、メディアの現実に徹底して無自覚な凡庸な企画といえるでしょう。

『Girl's Box TV』でおなじみのプロデューサー・都田和志は、ガルボの面々を虚像としてのアイドルではなく進化形のアイドルなのだと説く。〈完全に進化している人。何でも器用に出来る人。(略)彼女たちは可愛いし、ダンスも出来るし、演技も出来るし、歌も歌える。しかも喋ったら面白い。(略)それで今までのGirl's Boxに出てくれたメンバーの中心がこの子たち〉で、彼女たちはこの映画を通過して、〈今のアイドルといわれている子たちを引き離したかなと。〉と豪語する。しかし、そのようなプロデューサーの自負を担うだけのものが、この映画内でのパフォーマンスに存分に発揮されているかどうかは、単純に演者のスキルの有無に還元されえるものでもないだろうし、そもそも、なんでもそれなりに器用に出来るアイドル、など掃いて捨てるほどいる気もしないでもない。

だいたい、この映画にガルボから参加したキャストである、長谷部優・長澤奈央・嘉陽愛子・紗綾・斉藤未知・星井七瀬のうち、「歌える」と誇示出来るクラスにあるのは長谷部優しかいないし、「演技も出来る」子はキャリア的には確かに皆さん場数もふんでいてあるレベルには達しているかもしれませんが、誇りうるほどの“女優”と呼べるのは星井七瀬くらいで、アイドル性や女性的魅力はともかく、紗綾や斉藤未知の各種スキルなどは正直かなり危うい気もします。そして、出来上がり商品としての映画は、あくまでも〈アイドル青春映画〉そのものとして消費される。彼女たちのパフォーマンス力がいかに優れたものであろうとも、「優れていること」はパッケージのなかでの物語や見せ場の説得力を上げることに奉仕するに過ぎなくて、〈アイドル青春映画〉という枠を突き破り世間に届くような事態は起こりえない。ある程度よい演技があり、ある程度今ひとつな演技がある。ある程度よいパフォーマンスや、ある程度低調なパフォーマンスが散在する。プロデューサーの自負やら野心にも関わらず、この映画はそういったアイドル映画一般に埋没し、開かれた〈外〉への突破
力とは宿命的に成りえないとおもう。

都田和志は彼女たちを〈進化したアイドル〉とよびますが、“歌”に本籍を置き、演技その他のジャンルもこなす、というアイドルのありようが、まず相当に旧態依然とした時代錯誤なものでしょう。アイドル=愛されるもの、という定義の根本にある、その存在の“無根拠さ”は、必然的に時代と共にあることから逃れられないことを示し、その消費は〈宿命的にメディアという距離を通した対象への愛〉という構造に依るのだから、〈メディア更新の進行形としての現在性〉、というべき回路をその存在に内包しなければ“外”への突破など有り得ないのだ。メディア性に無自覚な、素朴な「努力」や「クオリティ」や「実力」などでは状況は変わらない。ガルボ周辺のクリエイター/プロデューサー達に欠けているのはそのような当然の認識であり、そしてその状況を打開するための戦略を構築し得るスキル。〈Girl's Box〉に参加したことのあるアーティスト/アイドルで(あるにもかかわらず)例外的にPerfumeがブレイクしたのは、素朴なクオリティ信奉ゆえにではなく、島宇宙として自閉するアイドルというサブカルチャーを、他のサブカルチャー/島宇宙と接続
する親和性を提示し得たからで、その際に楽曲やパフォーマンスのクオリティがモノを言ったのは副次的なことに過ぎません。


3.映画版という企画

ガルボ周辺の企画群は根本的に現状認識が甘く、その活動の多くは残念ながら時代とすれ違っています。映画版制作もそこから距離をとれているわけではなく、その行く末は淡く消費されて忘却されるだけの負け戦でしかないでしょう。

しかし、それも悪くはない、とおもいます。

現在、ある程度の数量制作され流通している他の多くのアイドル映画群が、それなりに聡明な戦略によって時代のなかでくすまずにその場所を獲ているのに対して、素朴な現状認識のガルボ系イベントには埃っぽい愚直さ、非・先端/非・先鋭な雰囲気があり、どこか恥ずかしく、懐かしい。
アイドル文化がサブカルチャーの一形態としてライトに容認される現在に、鈍重な重みをもったダサさとして必敗の宿命を担った〈Girl's Box〉の“切なさ”は、アイドル文化のある種の〈儚さ〉を体現する。

思えば、自分は〈Girl's Box〉周辺の存在や活動の、その報われなさ、敗北する宿命の切なさ、才能が世間知にやぶれゆくさまに、愛着をもち、切ない思いを抱いていたのでした。それ(非ブレイク)を、散々言われてきたようにスタッフの無能さやら不手際やらを要因として挙げることは簡単ですが、そのおかげで獲得できたこの“切なさ”を、肯定的に自分はとらえています。その輝きが、一瞬の限られたものであるからこそ貴いのであるなら、輝く瞬間さえ見失った〈Girl's Box〉の切なさはより一層、痛く、きらめく、過ぎ去った青春のように。(知名度はゼンゼンないけど地下アイドルでもないという救いようのなさからも、切なさは漂う‥。)

以上のような状況下で制作~公開された『Girl's Box/ラバーズ☆ハイ』への興味は、以下のようなもの。“たんなる”〈アイドル青春映画〉にしか成り得ない『~ラバーズ☆ハイ』ですが、それでもなお、状況を外へと突破する力を持つのか?愛され、時代のなか浮上するためとは無縁なクオリティ信奉が、映画に何をもたらすのか?そして、そもそも映画としてどうなのか。と同時に、映画としての正否とは別に、〈アイドル青春映画〉としての価値はどうなのか?そしてこの映画を通過した〈Girl's Box〉は何を得たのか‥。
ようするに、『Girl's Box/ラバーズ☆ハイ』を観る楽しみとは、「映画として」「アイドル青春映画として」「ガルボ系イベントの一環として」の三つの層での価値を並行してみてゆく作業ともなりましょう。

(→『Girl's Box/ラバーズ☆ハイ』その2、につづく)

theme : 日本映画
genre : 映画

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テキストを読んでると上から蠅か何か飛んできて邪魔なんですけど

Anonymousさん

飛んでるのは、いちおう天使です‥
追っかけてクリックすると退治(?)出来るので、お邪魔でしたら追っかけてみてください。
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