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映画『さよならみどりちゃん』その2

さよみ3
『さよならみどりちゃん』


映画『さよならみどりちゃん』その1からのつづき→)

3.

関係ができた後、ユウコ/星野真里は、スナックで働くよう、ユタカ/西島秀俊に何となく言いくるめられてしまう。受動的であることが愛し/愛されることである彼女は、従ってしまうことで彼と繋がることになるが、彼は舌の根もかわかぬうちにカフェの新しい店員・岩佐真悠子と親しげに戯れる。
そのさまを、西島を、呆然と見つめる星野真里の表情と瞳の“散漫さ”には、試みられた心理的説明を一歩手前で霧散させる〈微妙さ〉がある。意味(心理)に還元し尽くされない、その余剰を生んでしまうことが、『さよならみどりちゃん』における“星野真里”という存在の「豊かさ」だと感じられます。そのようにして、ひとつのシーンが“説明”によって消化され尽くさず次のシーンへ移行する。このことが、主人公の「とりあえず」流されてしまうさまの〈染まりやすさ〉、照射されてゆるゆると低温的に蠢くしかない他動詞的な有りよう(自動詞的な、確固とした主体性を持たない)と同調する。

主体性が不確かで浮遊的であり、根無し草的かつ依存性質であるユウコの、その感情、情動の、さざ波のようにささやかな感情生活の低空飛行ぶりが、80年代的空虚さと、青春の時間の無益で無為で怠惰な浪費の空虚さと重なる。恋愛主体は、愛するものに対して常に〈待ち受ける身〉であり、決定的で永続性のある「愛のしるし」を獲得しない限り、相手の照射によって恋愛時間が蠢きだすまで、待機としての非・意味を耐える存在に甘んじる。(そのような情熱恋愛の世界を生きるユウコ/星野の無為な生活の「だらしなさ」は、ユタカ/西島の性的な「だらしなさ」とのバランスある関係の持続をもたらす。)

他動詞的存在で、常に〈意味〉を取り逃すということが、必然、〈染まりやすく〉〈流され〉〈待つ〉といった恋愛性質を余儀なくする星野真里。彼女が待ち、事物から意味を取り逃し、そして流されてしまうことは、彼女にとってある種“愛の成就のかたち”であるということになる。

だから、彼女のまえにライバルとしての異性たち、若い魅力を放つ岩佐真悠子があらわれて「センパイ、私ユタカさんの彼女になりたいんですけど、いいですか。」と告げられることも、元カノの中村愛美が登場しユタカに馴れ馴れしくしなだれかかるのも、そしてみどりちゃんという本命がいることも、意味作用が物語を起動させず、彼女のまえでは機能不全を起こす。彼女たちの登場はユウコ/星野真里の恋愛生活にほんとうの波紋は起こさない。中村愛美とのことをグダグダ話しだす西島に、星野がすわった目で「つまんない」と言い放つのは、西島と他の女とのあれこれが結局のところ、本質的には彼女の生きる物語に属さないことを示す。

このようにして、物語に用意されたさまざまな物語素は、説話の持続に弱々しくしか働きかけることが出来ない「意味の弱さ」として表れ、この映画の、鬱々としつつも晴れ晴れとしているような弱い魅力のトーンをつくりだします。

4.

その非・意味の極点、つまりこの映画の魅力である意味の弱さがもっともあらわれているのがスナック〈有楽 You Lark〉での、一連のシーンというかそこでの無為の時間の流れ。ママがローテンションに客をあしらい、諏訪太朗や佐藤二朗らの常連客がどうでもいい話に興じ、星野真里は半分は楽しげに、半分はお愛想で笑顔を浮かべ、誰にとっても無為な時間をやり過ごす。何の発展もない、その“括弧付きの楽しい時間”にある切なさ。ことにラストシーン、〈有楽〉を辞めることが決まったユウコが主題歌をカラオケで歌う(絶妙な下手さ!)姿を長回しで切りとる、その小さな小さな、たのしさ(そして曲名は14番目の“月”。)。何の解決も進展もあったわけではなく、ひとつのことが終わるというに過ぎない時間。素朴で、冷たくあたたかい、素敵な場面となったとおもいます。

あるいはまた、ユタカの彼女である“みどりちゃん”が空虚の中心として物語世界を空洞化させる。その女がユタカの彼女であるらしいことも意味を結晶せず、やがてその“みどりちゃん”とは別人の“みどり”の名を持つ新人(小山田サユリ)がスナックに雇われる。こうして特別な意味を帯びていた“みどり”という言葉から、意味が剥奪されてふわふわと浮遊する。そして、現実に星野真里の目の前にいる小山田サユリのほうが(虚点である“みどりちゃん”より)遙かに主人公の存在の場を脅かすのだ(結局、小山田に居場所を奪われるようにして、星野はスナックをやめることになる)。この小山田が同じ空間にいるという、何とはなしの居心地の悪さも、独特な趣をもって映画に豊さをもたらしていると感じられます。

一方、スナックの前の長い石段とか、オヤジの話をしながら水まくシーンとか、パタパタいうサンダルの音に蝉の声がかぶさるのとか、そういったいかにも映画的な豊かさを体現しているようなシーンは、既存の「映画的」という(コミュニティー的)“意味”に安易に結びつき、白けるというと大げさですが違和感を感じる。肉体的/他者的でありそうなそんな表現こそが非肉体的で意味に重く撓むという皮肉。ユウコの家のまえの段差のある位置関係でのユタカとのやりとりも、どこか物足りない。同じように、西島がみどりちゃんらしき赤い服の女を連れて乗り込むタクシーを走って走って追う星野真里、といういかにも「名場面ふう」なシーンも、そぐわない、と感じる。ただし、星野真里のもったりしたやや重たい走りの身体性が、やがてシュッとした肉感に変容していくさまは興味深い。『さよならみどりちゃん』という映画が、欠点を有しつつも星野真里という主演女優の肉体に助けられていることのひとつの証しでもあります。

5.

2人の乗ったタクシーを追って走り尽くした星野真里が、明け方の、線路脇ののぼり坂をひとりトボトボと歩く。奥にトラックが走りすぎるのが見え、烏の鳴き声が響く。肩紐を落としているのがいかにもヤリスギ、横移動、寄りのキャメラが少しだけ遠い半端な感じが古厩的。

アパートに戻ってくると、ユタカが階段上にいた。「いつから?」「ずっと。」
ユタカ、私のこと知らないでしょ。んー‥しらない。私、お店辞めたいの。いんじゃない?やめても。‥うん。ねぇ。ヤリたくない?と問いかけ、部屋へあがるふたり。
室内は既に明るく、ムードもなければ身を潜める月夜の影もない。ブルーな夜に沈み、照射するユタカの光によってかろうじて生の時間と情動を紡いできたユウコはここには既にいない。お店を辞めたいと自発的に発言するユウコは、ユタカに寄りかかり、存在も意志も委託して〈溶けてなくなる〉ことはない。ユタカの光に輝く月でなく、ユタカと同様に太陽の光を浴びるただの即物的な肉体をもつものに過ぎない。ユウコの振り向けた視線は、ユタカの瞳に絡みつき、吸い寄せられるように唇と唇を重ねる。

〈溶けてなくならなくてもいい。初めてそう思ったセックスはとても良くて、ユタカはいつもよりゴツゴツしてて、でも、とても良くてーー。〉

意識も存在の感触も消えて溶けゆくように愛するものとの融合を指向していたユウコは、ひとりの(みすぼらしい)肉体をもつ女性として、ひとつの肉体としてのユタカを愛している、とおもう。ユタカが好き。だから私のこと、好きになってよ。という言葉は懇願として響かず、ひとつの爽やかな宣言ときこえる。相も変わらずだらしないユタカは、恐らく彼女にしっかり向き合うことはないだろう。それでも他者としてのあなたを愛する。窓の外から案外冷たい風が吹く。もう夏は終わっている。

theme : 日本映画
genre : 映画

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