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①シネマの虐殺

さどばk
『サッド ヴァケイション』

〈2007年日本映画ベストテン〉からのつづき→)

〈選出理由その1〉~

〈(‥)映画は本来随分前から、トーキーになってからと言えるかもしれないけど、一個の視点では足りなくなっていたはずなんです。次から次へと視点が変わっていって当たり前なんだと。そういうほとんど考えられなくなってしまったことを改めて考え直さなければならないと思っています。これは自分自身の問題でもあると同時に、無限大の映画が抱えている問題でもあるという気がするんです。どこかモノローグで済ませられないところ、あるいは作家その人の視点からどんどんはみ出していく位置があるはずなんですけど。
トニー・スコットの映画を見て「こういうこともできる」と。対話という言葉ではその時は考えていなかったんですけど、何だって繋がりうると思いました。
いままでだったら1カットで行くところをもう1カット入れて3カットにする、
言ってみれば「これがシネマだ」と自分が思ってた感覚を押しのけて別なモノを入れた
(光石研と斉藤陽一郎のシーン)あそこほど残酷なことをしているとこはないですね。
あれこそまさに自分の中のシネマを虐殺した瞬間というところがあるんです。つまり、あれを十一分まるまるワンカットでやれたらどんなに幸せかと思うけれども「そうじゃない。これをずたずたにするんだ」と、そうやって自分のシネマを虐殺したんですね。〉(改行→中略)

上記は、『サッド ヴァケイション』についての座談会での、青山真治の発言。まさに今現在的に、映画が抱えている問題について、青山真治監督が真摯に危機感をかんじ、幸福な〈あるべき、確固たる、完璧な映画〉との合一というシネフィル的耽溺に向かわない姿勢を(実作で)示した、と思わせる、そのような言葉。それは結局、〈他者〉とどのように相対するのか、〈他者性〉がどのように映画を、そして人生を豊にしてゆくのかという「人生の問題」として、映画制作の時間が生きられた。そういう幸福さが、『サッド ヴァケイション』という映画に刻印されていると感じられました。

自分が青山真治の映画を手放しで賛美&応援しつづけてきたわけでもないのは、このブログのあちこちの文章や、年間ベストテンからも明らかだと思いますが(過去『Helpless』『EUREKA』さえ挙げておらず、結果推挙してたのは以下の微妙な作品群でした→'97⑧『WiLd LIFe』、'01②『路地へ』、'03⑨『月の砂漠』、'06⑤『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』)、ここでは過去青山映画に不可避的に漂っていた胡散臭さが吹き払われていて、なんと“素朴な”好感をもつことになった。『サッド~』で採用された主従でなく用いられた2キャメという撮影スタイルは、人と人との〈対話〉〈繋がり〉というハートフルな要素を、どうしたって頭でっかちな監督の自我に映画が澱みがちな青山真治の映画世界に、ごく自然な形で導入することに成功した。
例えば『EUREKA』でも、『シェイディー・グローヴ』でも『月の砂漠』でも何でもいいのですが、それらで描かれていた〈愛〉や〈救い〉や〈つながり〉は結局、〈シネマ〉や〈観念〉や〈作家性〉や〈主題の展開〉の下位概念に甘んじ、悪くいえば、何らかの賞賛を得るための、あるいはある種の議論を豊かに組織するための円滑的構築物として、〈映画〉の「ある一部」を構成するものに過ぎなかったような気がしなくもない。

しかし、〈シネマ〉を虐殺し、聖典的厳格さもシネフィル的高踏もその表情に陰りをおとさない『サッド~』にある〈感情〉や〈救い〉や〈つながり〉は、映画の構成部品ではなくてただそこにある〈感情〉で〈救い〉で〈つながり〉で、それが愛しい人への優しいまなざしのような空気となってスクリーンの中と外に吹き過ぎてゆきました。

2キャメ撮影による、シネマの虐殺を意識的に試みた映画といえば、この前年、黒沢清『LOFT』がありましたが、その意味合いというか風合いは『サッド~』とはだいぶ違って感じられます。
(以下は黒沢清の発言、同様に改行は中略→)

〈(‥『LOFT』で)カメラ二台を使ったとはいえ、メインのカメラがあって、もう一台はそれを補足するようにあるというんではないんです。そうではなく、二台ともがメインで、だからどっちかだけ使ったって成立するんだと。
予備で押さえておきましょう、というのではなくて、二台のカメラどっちを使ってもうまくいくように、対等な形でいつも回していたんです。
相当細かく出鱈目に割られているんですけど、半分以上、へたすると三分の二以上のカットつなぎは、通常つながらないとされているつながりなんですよ。
最初から2台を、特につなぎがうまくいくようになど考えもせずに回してみて、結果として編集は何でもありだということがあらためてわかった
セオリーなんていうのは、そのうちのほんの一種類だけで(‥)〉

『LOFT』はこの結果、映画というモノはそのくらいのことではピクとも揺らがぬ、底知れない恐ろしいモノだという事実がたち現れ、拡散的に〈世界〉はひろがっていかずに、関節が外れたまま粘着した触感を伴いつつ内へ内へと〈映画〉という〈世界〉へ閉じていった。最終的に、“自閉した一個の完全生命体”然とした映画作品がゴロリと世界に横たわる。このヘンな帰結、さすが〈映画獣・黒沢清〉の面目躍如といったかんじもしますが、黒沢清のばあい、この行く末に未来はないとも感じてしまう‥。やはり、映画(=私)と世界(=他者)との結びつきの更新が肝要ということでしょうか。

なんか急いで駆け足で語ってきてしまい、言葉足らずなのが気がかりですが、気に病んでいても進まないので先にゆきます。ところで、どこまで真面目に受容されているのか幾分心許ないのですが、去年のトニー・スコット『デジャヴ』。その表現と、それがもたらす表情に震撼しました。トニー・スコットだから言うんじゃなく、素で感動したというと、巷では馬鹿にされるんでしょうか。

ここでは絶対的必然をもって、メイン(A班)とサブユニット(B班)の主・従/主・補という関係が凶暴なほど徹底的に解体され、世界を捉える視線の複数化が強引に実現されています。
出色は、メインとB班が競作し、せーので同時にスクリーンに映写しはじめたかのような、驚愕のカーチェイス場面。過去と現在を同時に疾走する、こんなカーチェイス観たことないし、そのうえそれが新式の興奮となって、キチンと娯楽になっている凄さ。

そして冒頭、フェリーにさまざまな人々が乗船してゆく、雑多なカットが積み重なる場面。いかにもB班なこの一連のシークエンスが、終盤、繰り返されると、まるで古典的映画の正確で端正なショットの積み重ねのように、厳然たるショットとショットの連なりのように感じられてきてしまう不思議な体験をもたらす。主/従、メイン/サブの階級性を解放する、その最前線には、やはりトニー・スコットがいるのだと納得。

‥さて、予想通り(?)全然書き終わってませんが、次項以降は以下の要領で述べていく予定です。

○②~⑨ざっと
○ドンマイ枠⑩の決まる経緯
○DRM/dreamの2007年
○山下敦弘の2本と、『リンダリンダリンダ』
○堀北真希という女優

(→〈選出理由②〉につづく)


関連記事:
『叫』①(『LOFT』に言及)
吉祥寺バウスシアターで『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』爆音ナイト
『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』

theme : 2007年度 ベストムービー
genre : 映画

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