スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ドラマ『ライフ』  2007年夏ドラマ②

らいふ1

→2007年夏ドラマ①からのつづき)

さて、まただいぶ間があいてしまって、テンションが下がってしまいました‥‥ので出来れば手短にいきたいと思いますが、どうなることやら‥。で、『ライフ』について、からでした→


①『ライフ』

1.

『ライアーゲーム』は滅法面白かったんですが、『ライフ』を観たあとから振り返ってみると、あらかじめ設計された物語の展開やゲームの進行に登場人物たちを嵌め込んでゆくその手つきが、どうも気にならなくもない。書き割り的な、多くの競技者やライアーゲーム事務局の面々が、物語やゲームの設計に沿うように分かりやすいキャラクターのコントラストを強調されていて生命感がなく、空虚空転の気配があるのは否めないところで、“根拠のリアリティのなさ”が眼目のひとつでもあるゼロ年代的作品とはいえ、翻弄されゆくキャラクターたちの存在にリアリティがないというのは、また別の問題かとも思います。

原作の功績も大きいにしても、その点『ライフ』は、緻密かつ巧みに登場人物たちの感情と物語のアヤが空転感なく織り成され、シラケさせずにドラマが進行してゆくのがまず良かったですね。“感情”と密接に関わる〈いじめ〉という題材だからそれもまあ当然とも言えそうですが、主人公の椎葉歩(北乃きい)がいじめのターゲットになるまでの不可避なプロセスが、じゅうぶんなリアリティを伴いつつ、詰め将棋のような厳密さで詰められてゆき、それを、手と手の触れあい、視線が交錯すること、並んで歩くことといった具体的なアクションの数々が関係の物語を紡ぐ。殊に、合わさる視線、逸らされる視線、一方が見つめる視線、見下ろし見上げる視線、遮断される視線といった〈見ること〉による、人と人との関係性の変容が、まるで肌と肌の触れあいのように直接的な感触をもってサスペンスを生んでいます(ポーンという音に代表される、関係性が“軋む”瞬間に挿入される音の効果も面白い)。

そこで織りなされる感情の機微は、感情は関係であり/関係は視線であり/視線は触れるものであり/触覚はすなわち暴力であるといったふうに、常に複合的意味合いを持ちつつ、織りなされてゆきます。それらをひとつの複合的な力として、登場人物たちはこのサバイブすべき“戦争”をたたかう。
感情が語られると同時に暴力が語られ、視線が示されると同時に関係の手触りが呼び起こされる。見ること・見ないことが暴力になり、ある感情をもつことだけでなく、何の感情ももたないことさえ関係であり、暴力であり、触れることであり、愛でさえある世界。

〈いじめ〉という題材が、単なる社会的なネタなりホントっぽいという“あるある”なりに留まらず、また心理小説的に還元もされえないような豊かさをもったのは、人物たちや諸関係のありようが、非整合的に複数的だったからだと感じたし、心理や関係が触感として示されたことで、言語化できない豊かで微妙なニュアンスを生んだ、と思います。

2.

なんだかまどろっこしい話になってしまいましたが、結局、“ニュアンス”とは、何だか分からないが存在にそっと〈触れて〉くるもの。それはパターン化されない。されないからニュアンスだとも言えますが、〈何だか分からないが存在にそっと触れてくるもの〉に触れられるものは、徹底して受け身にならざるをえず、触れられてはじめてリアクションを起こすことになる。だから〈触れるもの〉が、常にイニシアチブを握ることになります。

『ライアーゲーム』~『ライフ』というフジ土曜ドラマの流れは、いわゆるゼロ年代的作品シリーズであるのは間違いないにしろ、それと同時に、自分の独断では前項でも言いましたが触感を伴ったSM的闘争遊戯が繰り広げられるシリーズだともいえて、『ライフ』では、〈触れるもの〉である安西愛海/福田早紀が世界の中央に鎮座しています。

3.

『ライアーゲーム』では、神崎ナオ/戸田恵梨香がM的存在として作品の中心を担っていましたが、『ライフ』においては主人公でありM的存在の椎葉歩/北乃きいではなく、S的存在の安西愛海(マナ)/福田沙紀が、作品の、そして“根拠なきゲーム”の中心を担う。
『ライフ』に登場する多くの人物のなかで、絶対的なほど別格の非整合性・複数性をその存在に装備するマナ/福田沙紀は、常に〈触れるもの〉として世界の理(ことわり)をひとり手中にしています。物語的にはストレートに悪役でしかない彼女が、このドラマの魂であるようにみえるほど圧倒的な魅力を放つのは、この物語における闘争ゲームを支配する事の出来る、突出した“ニュアンス力”とでも言うべきものを備えているからで、被害者は〈存在にそっと触れてくる〉マナの触れるさまの両義性に宙吊りにされ、後手にまわり、操作され、虐げられてゆく。
例えばマナ/福田沙紀が屈託なく笑顔でウェルカムに話すとき、どの程度の割合で本気で笑ってるのか、どの程度含んだものがあるのか、登場人物たちも視聴者も判断つかないまま、否応なしに巻き込まれてゆきます。泣いているマナ、困っているマナ、好きだと言っているマナ、怒ってるマナ、優しく爽やかに話すマナ‥。福田沙紀の発語と身のこなしは、どれも明晰な方向性をもつ物語的説明とは微妙にズレがあり(非整合性)、そのズレの両義性を醸す素振りが優雅ささえ感じさせて、圧倒的な輝きと求心力を示す。

苦境やいじめに対する北乃きいの、繊細でないわけではない演技なり反応が、ある種パターン化された、予測も心理的理解もしやすいものであった(それ故に感情移入が容易であるなら、連ドラの演技として非難すべきものじゃないですが)のに対して、福田沙紀のこの優位性。北乃きいだけでなく、被害者チームの関めぐみ(羽鳥さん)、北条隆博(薗田くん)らも型に嵌った分かりやすい演技で、このゲームにおけれ福田沙紀の君臨を援護する。

加害者(S)チームの面々であっても事態はそう変わらない。たとえば佐古克己/細田よしひこの場合、緊縛プレイ愛好家のサディストという役回りで、最も露骨にSM風味をこのドラマに持ちこんでいますが、演技の示す意味作用が一義的でわかりやすすぎるため、彼もまた、ニュアンスの非・体現者としてゲームの統治者マナの張り巡らせた糸に苦もなく絡めとられ操られてしまう。不良グループの頭・狩野を演じた山根和馬も同断で、わかりやすいだけのオーバーアクトは加害者チームであってさえ、存在感そのままマナに搾取されていってしまう宿命にあるよう。やはりこれは、一にも二にもマナ/福田沙紀のドラマ、なのでした。その証拠(?)に、北乃きいがいじめに打ち克ち解放されるという“解決”よりも、福田沙紀が被害者側に転落する結末のほうが、よほど鮮烈な印象を残します。

クライマックス、彼女がゲームに敗れ去るためには、感情/視線/暴力に前後左右から上方まで全方位において包囲される必要があった。もうゲームとは言えないほどの物量でもって、少しの隙間もなく視線で埋め尽くすこと。そうしなければ屈服させ得ないと思わせるほど、彼女はこのゲームの達人であったし、ホラー映画における強大で恐ろしいモンスターのように油断ならない生命体として、『ライフ』世界を支配していたのでした。

最終回、立場が逆転し、被害者のポジションに毅然として耐えつつ、マナ/福田沙紀がようやく涙し、ひとりの人間に戻れたのは、誰の視線にもさらされない(視線/ゲームに携わらない)独りきりの薄汚いトイレ。束の間、ひとときだけ中断されたゲーム。解き放たれた素のマナの情動。この無意味なゲームの参加者は、勝者も敗者もなく生きることになる“孤独”が露呈した瞬間。(このあとの、「いじめは対象が変わっても、変わらずつづく」ことの告発というありがちなオチを提示する結尾部は余計に感じられて、少しテンションが落ちました。)

4.

SM的ドラマとしての『ライフ』は、題材のせいもありますが、『ライアーゲーム』より遥かに直接的な性的場面を持ちながら、それらを表象するさいの手つきが常に距離を保った乾いた感触があるせいか、『ライアー~』の“淫靡さ”に比べて、透明な清潔感があります。その違いが、『ライアー~』にはどこかマイナーな、『ライフ』にはメジャーな表情を与えていることに表れているんじゃないか、と感じられました。

個人的に、星井七瀬というタレントは色んな面で大変苦手なのですが、マナのグループの一員ヒロを演じた今作での存在感というか演技は良かったと素直に賞賛。福田沙紀に次ぐネットリしたニュアンスの体現者として、ドラマに緊迫感を生んでいます。佐古君なり狩野なりの悪役が提供する「サスペンス」や「苦境」は、役割と物語に端を発したものに過ぎませんが、ヒロ/星井七瀬が用意するサスペンス等は、“ヒロ/星井七瀬という存在の”次の瞬間の決断、次の瞬間の感情の揺れが、物語の進展と共震するように生じる。戸田先生役の瀬戸朝香にも、かすかにそのような不穏な“ニュアンス”の気配があり、彼女がその一部を構成している職員室の描写は、近年のドラマで出色のものだと思います。

このドラマで、ようやく全国区になったと思われる北乃きいですが、残念ながら個人的にはその魅力がよくわからないままドラマが終了してしまいました‥。
そういえば、どこかで目にした北乃きいのインタビューだか記事だかで、『ライフ』での演技の苦労を問われて、普段はしない“愛想笑い”をしなければならなくて、それが大変だった、というふうに彼女は答えていました。しかし、番宣で出ていた幾つもの番組では、しっかり、バリバリ愛想笑いをしていましたが‥。ある意味、油断ならない大器だとも言えましょう。


‥②以下のドラマにまた触れずじまいですが、いいかげん話題的に賞味期限切れかなと思い、一応夏ドラマの話はここまでにします。ただ、少なくとも、『山おんな壁おんな』と『花ざかりの君たちへ』は、素敵なドラマだったと言い残しておきたいと思います。

theme : TV
genre : テレビ・ラジオ

comment

管理者にだけ表示を許可する

No title

ドラマのライフは、次からはTBSで「木曜ドラマ劇場(木曜ドラマ9)ライフ〜壮絶なイジメと闘う少女の物語」として放送するそうですが、TBSの木曜ドラマ劇場(木曜ドラマ9)でのライフはリメイク版のため、納得が行かない点があります。関めぐみさんが忽那汐里さんに、細田よしひこさんが常盤祐貴さんに、星井七瀬さんが古畑星夏さんに、平野早香さんが志田友美さんに、花丘優さんが吉野翔太さんに、山田健太さんが田中碧海さんに、飯倉直人さんが田中冴樹さんに、大野翼さんが吉川史樹さんに、久保尚暉さんが池松壮亮さんに、渡辺大貴さんが田中偉登さんに、堀澤かずみさんが葵わかなさんに、斎藤麻奈美さんが広瀬すずさんに、坂本りおんさんが小芝風花さんに、鈴木梨乃さんが優希美青さんに、松井絵里奈さんが真野恵里菜さんに、大沢あかねさんが村上友梨さんに、小野武彦さんが草刈正雄さんになっていることと、更に歩の弟・誠が妹の茜に変更になっているため、その絡みで細井允貴さんが空閑琴美さんになっているためです(福田沙紀さん、北乃きいさん、末永遥さん、夏目鈴さん、中村静香さん、うえむらちかさん、中別府葵さん、池田光咲さん、西田奈津美さん、瀬戸朝香さん、酒井美紀さん、矢島健一さん、二階堂智さん、真矢みきさん、勝村政信さん、山根和馬さんはTBSリメイク版もそのまま続投)。もうフジテレビ時代の生徒役だった人はほとんどの人で高校生役を演じる意味もなくなってしまったことと、小野武彦さんも年をとりすぎて父親役を演じる意味もなくなってしまったからです(余談だが、35歳の高校生で米倉涼子さんが35歳の高校生を、みんなエスパーだよで染谷将太さん、夏帆さん、真野恵里菜さんが20代前半の高校生役を演じていたように、TBS金曜ドラマリメイク版の1リットルの涙も北川景子さんが20代後半の高校生役を、TBS日曜劇場リメイク版の瑠璃の島も成海璃子さんが20代前半の中学生役を演じるという異例なことになっている)。

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです
07 | 2017/08 | 09
Su Mo Tu We Th Fr Sa
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
プロフィール

ししらいぞう

Author:ししらいぞう



東京在住

調理師のようなことをやっています。

趣味は立ち読み 格闘技観戦 映画観賞

3月生まれO型  

ランキング参加中☆
良かったらクリックをお願いします


ブログランキング・にほんブログ村へ
ブログランキング
ブログ内検索
最近の記事
リスト
最新の記事
カテゴリー
Category Sum
全記事一覧
あいさつ 11
映画紹介(ア行) 21
映画紹介(カ行) 19
映画紹介(サ行) 13
映画紹介(タ行) 15
映画紹介(ナ行) 7
映画紹介 (ハ行) 18
映画紹介(マ行) 9
映画紹介(ヤ行) 7
映画紹介(ラ行) 5
映画紹介(ワ行) 1
観るまえの映画のこと 19
本と映画 22
雑誌と映画 18
その他映画 36
フルモーションレーベル 14
『恋する日曜日』 13
ユーロスペース 5
本・マンガ 40
雑誌 22
ドラマ 60
いろいろなBest10 15
日記 75
作家・監督・俳優・女優 6
舞台・イベント 4
未分類 8
月別アーカイブ
最近のコメント
最近のトラックバック
リンク
YouTubeSEARCH mini
おみくじ

©Plug-in by
FairyDances
★
HeroRisa

ぱたぱたアニメ館
GIFアニメ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。