
宮藤官九郎が脚本を手掛けたことで話題となったTBSの昼ドラ、
『我が輩は主婦である』が、この週末についに最終回を迎えてしまい、かなしい喪失感に見舞われています‥。
休みの日だけ断続的に見たりというのは、今まで色々ありましたが、(録画ですが)毎日欠かさず昼ドラみたのはいったい何年ぶりだろうかと思うと、昼夜逆転した生活を送っていたころの『
とっても母娘(おやこ、と読みます、渡辺典子と奥菜恵がとってもオヤコな話)』以来11年位ぶりだったな〜と思い出す。
見始めた当初は、
〈主婦・夏目漱石・ミュージカル〉、という題材の組み合わせに必然性がないうえに、それぞれの要素の絡めかたが不自然に感じられて、正直苦痛ですらあったのですが、斉藤由貴に夏目漱石がとり憑いたあたりから俄然、そんなことはどうでもよくなりました。
このドラマの面白さを猛然と引っ張るのは、スラップスティック・コメディ・アクション女優として、圧倒的な輝きを放つ主人公の
斉藤由貴!!その神髄はアクションのズレにあるというのが自分の感じるところで、とにかく動きが派手で、しかもその感情の発現とリアクションにタイムラグがある。たとえば、甘くて美味しいモノを口にしたとき、まず彼女の夏目漱石としての内なる声(本田“北京原人”博太郎)がうめき、若干遅れてギョロ眼をむいて首が前につんのめり、こんなに美味いものがあるとは信じられないとしげしげと自分の今いる世界を見渡したりする。カンシャクを起こして(←しょっちゅう)、怒鳴り散らすときも、思ったスピードでは口から罵詈雑言が飛び出してこず、口元から切羽詰まってわれがちに言葉たちが先を競ってバタバタと慌ただしくあふれ、立ち上がって全身の手足をバタつかせるのだけれど、脳からの指令が神経を経由して体の各部所への伝達されるのがややノロいのか、過剰に騒々しくなってモタついているのが、丸々した体つきと相俟って、どこか可愛らしくユーモラスにうつる。アイドルとしての斉藤由貴の直撃を受けていない自分も、あのころピンとこなかった斉藤由貴の〈面白さ〉はこれだったのかなと思い当たる。あのころとは勿論大森一樹の
〈斉藤由貴3部作〉(
『トットチャンネル』、『「さよなら」の女たち』『恋する女たち』)の頃のことで、
『活劇の行方』の著者として“活劇”にこだわりをもつ山根貞男が『「さよなら」の女たち』での彼女に触れて、〈斉藤由貴の反応ぶりがなんとも過剰で、驚き、あわて、走り回るさまがじつに騒々しい。そう、あの大きな丸い眼も過剰に見開かれる〉、〈いきいきと弾む感性と肉体でもって反応するばかり〉の〈斉藤由貴の魅力、つまり過剰な反応の素晴らしさ〉(
『映画の貌』)と、当時、その肉体の“アクション”を賞賛している。自信と確信をもって生きているようにみえる“我が輩”も、絶えず落ち着きがなく、なにをするにもあたふたあたふたしてる。だからこそ、シンプルにじっくり人生を語ったりする場面はどこか照れくさく、しみじみと印象的になる。たんにオーバーアクトを続ければ生まれるという魅力じゃあない、斉藤由貴、ひとつの希有な才能だと惚れ惚れしました。
基本は“ifもしも”なシチュエーション・コメディ(明治の文豪が、現代の家庭の主婦になる)なのですが、彼女の豊かな肉体表現があってこそ、なんとも思わないような現代の生活の細部がキラキラ輝きだす。それを脇でささえるのは、自分勝手に輝くカルト的俳優にみえたミッチーの、〈受け〉の演技。意外と好感をもちました。歌も踊りもおもいきりがいいのはさすが本職で、結局たかし役は彼しかいなかったなと思わせる説得力がありました。
脇をかためる人々の顔も、毎日毎日みていると親しみがわいてくる。息子のじゅんは、スゲーいい顔で、子役臭のない顔面を持っていて、素晴らしいと思いましたし、クリーニング屋のやすこの存在は、そのすべてが可笑しく、我が輩との掛け合いのなかでも“出前一丁”ネタは一番笑った、やすこのEDな夫役、レッド吉田ももうレッド吉田とおもわなくなっていた。ほかにも、バナナマン設楽みたいな顔した、ちょっと頭が弱めのテレビのADも、愛すべきキャラクターだった。。もう見られないとおもう喪失感。
毎日やる昼ドラなのに、ひとつの話を引っ張らず、毎日毎日次から次へと新たなネタを披露しつづける制作姿勢の志の高さに恐れ入りながら、さて、いったいどうやって終わるんだと思っていると、終了間際に、
『こころ』に倣ってか、物語のバランスを欠くほど物凄いボリュームの手紙群を登場させ、とても最終回までに語りきれないペースでさまざまなエピソードをゆっくりと語りだす。このヒネクレたやり口も、大変気に入りました。
theme : 吾輩は主婦である
genre : テレビ・ラジオ