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2009年ドラマ冬春夏 覚え書き

おれてん2
『俺たちは天使だ!NO ANGEL NO LUCK』

さて、ずっとノータッチだった今年の連ドラ。残しておかないと忘れそうなので、以下に3期9ヶ月ぶん、急ぎ足で記録しておきます。(順番は例によって大した意味なし)


<2009年冬ドラマ>

①『オーバー30』
②『ありふれた奇跡』
③『赤い糸』
④『セレぶり3』

⑤『銭ゲバ』
⑥『ラブシャッフル』
⑦『本日も晴れ。異状なし』
⑧『おちゃべり』
⑨『キイナ』
⑩『大好き!五つ子』
⑪『メイちゃんの執事』
⑫『ラブレター』
⑬『ヴォイス 命なき者の声』
⑭『歌のおにいさん』

⑮『神の雫』
⑯『リセット』
⑰『Q.E.D. 証明終了』
⑱『RESCUE 特別高度救助隊』


<2009年春ドラマ>

①『BOSS』
②『白い春』

③『ぼくの妹』
④『湯けむりスナイパー』

⑤『魔女裁判』
⑥『スマイル』
⑦『ザ・クイズショウ』
⑧『ゴーストフレンズ』
⑨『ゴッドハンド輝』
⑩『アタシんちの男子』
⑪『夜光の階段』
⑫『名探偵の掟』
⑬『Mr.ブレイン』
⑭『LOVE GAME』
⑮『婚カツ!』


<2009年夏ドラマ>

①『俺たちは天使だ! NO ANGEL NO LUCK』

②『怨み屋本舗REBOOT』
③『ふたつのスピカ』
④『オトメン・夏』
⑤『ブザー・ビート 崖っぷちのヒーロー』
⑥『帝王』
⑦『猿ロック』
⑧『こち亀』
⑨『救命病棟24時』(第4シーズン)
⑩『ダンディ・ダディ』
⑪『メイド刑事』
⑫『恋して悪魔 ヴァンパイア☆ボーイ』
⑬『任侠ヘルパー』
⑭『華麗なるスパイ』
⑮『オルトロスの犬』



〇冬→
TBSの昼ドラが40年の歴史の幕を閉じました(最終作は「愛の劇場」が『大好き!五つ子』、「ひるドラ」が『おちゃべり』)が、その終わり間際に、『オーバー30』(CBC最終作)という素敵なドラマに出あえたことは、悲しいなかにも幸せなことでした。
30を過ぎた女の幸せとは?という題材を、主婦代表のアイコさん/島崎和歌子と、キャリアウーマン代表のミカさん/遊井亮子との対比で描く、という取り立てて新味のない企画なのですが、非・プログラムピクチャー的作品が一発一発が勝負作(商品価値がはっきりとした短絡的快楽の供給源)とならざるを得ないのとは異なり、企画意図や主題にドラマの語りが縛られずに、普通の日々の、生活でのささやかな感情の移ろいやすれ違いを、これといって派手なフックもなく丁寧にのったりくったり描くことが出来るのは、やはり連綿とつづく“枠ありき”な環境に負うところが大きく、そういった「なんということもない描写」が意匠として気張らずに存在を許されるのが、プログラムピクチャー的なものの名残りとしての、テレビの連ドラの大きなアドバンテージだと思います。“冴えてみえるように”とか色気を出したら、『オーバー30』の優しい味は出ないでしょう。
『三代目のヨメ』などでは、登場人物たちは物語や主題や役柄の配置に奉仕していて窮屈な印象でしたが、『オーバー30』に登場する人々は、それらに奉仕する以前にまず人と人との関係を生きる「人間」であって、しかしその描かれ方が「自然体ふうリアル」でなく“普通のドラマ”としてなのが素晴らしい。そのドラマの帰結は、「主婦的な生き方の肯定」にも「キャリアウーマン的な輝き方の賛美」にも傾かず、ただ、アイコさんがいて、ミカさんがいる、彼女らやその周囲の人々が、日々生きていくなかで、時に躓き苦しみ、時に幸せに人と繋がるということとしてあらわれる。付属的なキャラとして、図式的配置に埋没してもおかしくないような娘のサクラコ/小池彩夢や息子のケンタ/鏑木海智、別居中の夫・ナオユキ/高知東生が、キャラではなく温かみのある人間として存在していました。

奇抜な映画版に比べて、意外と(?)丁寧でしっとりと恋や学園生活が描かれていたドラマ版『赤い糸』。そのあんがい肌理のこまかいドラマの推移のなかに度々、唐突に、脈絡なく、凶暴に挿入される「ケータイ小説的」ガジェットの無慈悲さに、来た来た!とワクワク。9話以降、終盤の着地が決まらなかったのが惜しまれますが、破壊的にとっちらかった原作が相当うまくまとめられていると思います。
『ギャルサー』や『ちりとてちん』で一躍ビッグネームとなった藤本有紀の脚本作『本日も晴れ。異状なし』は、「南の島=善人=癒し」というパターンに則らず、登場する島民は地味~に器の小さい小人物ばかり、という意地の悪いドラマ。南の島の風景も、“美しく”視聴者に提供しないという徹底した意地悪さで、ただならない才気は感じます。毎回、秋川雅史による主題歌が最悪のタイミングで流れだし、作り手がこのテノール歌手を小バカにしてるんじゃないかという疑念が‥。

〇春→
『BOSS』の良さは、その「軽さ」が、<刑事ドラマ>の歴史性から断絶していることで、『あぶない刑事』にしろ『踊る大捜査線』にしろ『時効警察』にしろ、先行作/歴史へのカウンターとしてその表現が“あえて”形成されていたのでしたが、『BOSS』の軽さと乾いたスピード感は、それらの作品群がどうしても払拭できなかった「貧乏くささ」をほぼ完全に拭い去ることに成功していると思います。最終2話での「あわや普通の刑事ドラマ?」と心配させた真面目っぽい盛り上げも、見せかけのものとしてスルリと避ける着地が爽やか。

基本的には、そのナルシスティックな俗物臭ゆえに、たいがいの“子役”が嫌いなのですが、『白い春』での大橋のぞみのあまりの可愛らしさに、我が子を無条件で肯定する気持ちを、捩じ伏せるように理解させられた気がしました。『ザ・クイズショウ』での大橋のぞみは何とも思わなかったので、『白い春』というドラマの演出というか表現の素晴らしさゆえだと思っています。
(しかしやっぱりこれみよがしな調子こいた子役はどうもダメで、先日近しい人間に、「最近、やっぱり自分は子役が嫌いだとつくづく思ったよ。『天地人』で妻夫木くんの子供時代やったヤツとか、『任侠ヘルパー』で草剪くんに頬っぺたつままれるガキとか、車のCMの“こども店長”とかいうヤツとか‥」と言ったら「全部おんなじ子だよ!!」と指摘された。言われるまで気付かなかった‥)
その『ザ・クイズショウ』、ドラマ自体は壊滅的に話の整合性がメチャクチャでしたが、その表面的な在り方としての「半バラエティ番組」的なつくりは、ある息吹を感じさせます。物語に「情報バラエティ」部分が埋め込まれずに寒々しく遊離していた『Mr.ブレイン』や、振り返ってみると四六時中挿入されるキーワードクイズ場面くらいしか印象に残っていない『魔女裁判』と、作品世界に自閉しない容易な接続性の誇示としての「バラエティ番組的」な仕掛けと空気をもつドラマが台頭(?)してきているんじゃないかと(『LOVE GAME』は、海外リアリティショウ・パクリ系の、深夜枠バラエティ的?)。次シーズンの『こち亀』『オトメン』などにもそのような気配はありますが、(これも次シーズンですが)『華麗なるスパイ』には不思議とそれがなく、閉塞した息苦しささえあるように感じます。
(『魔女裁判』、フジ土曜深夜枠の、『ライアーゲーム』『ライフ』のあのタッチが帰ってきた!と一瞬喜びましたが、それっぽいのはテイストだけで、べつに面白くはなかった‥。)
そのキャスト&タイトルから期待されるイメージを超絶に裏切り、誰も望むことのない展開へ突き進んでいった『ぼくの妹』は、一般に迷走した一本と受け取られていると思いますが、そのじつ描写のクオリティは尋常じゃない高いレベルだとおもった。殊に、“生きた”人間の発した言葉に対して、生理的な感情のゆらぎ→それへの反射としての発語、という対話の構築が素晴らしく、そして、ほんの端役にしか見えなかった人物がじんわりと存在感を増してくる微妙な呼吸の妙も油断なりません。

あと『湯けむりスナイパー』は、第2話は傑作でしたが、シリーズ通して演出が一本調子でちょっと平板でした。一部サブカルのほうの人らが凄いだ傑作だとか言ってましたが、いくらなんでも持ち上げ過ぎでしょう。
『アタシんちの男子』は要するに女版『シスター・プリンセス』みたいなもんで、花男以降の潮流が露骨なとこまできたなという印象。

稲森いずみ主演ということで遠慮してしまい、『アイシテル~海容~』を観逃したのが悔やまれますが、そのうち観ようとは思います。

〇夏→
ワーナーがついにテレビドラマに本気になったか?と観るまえの期待感の強かった『オルトロスの犬』の、あまりの頭の悪さにもビックリしましたが、トラブルがあったとはいえ『救命病棟24時』(第4シーズン)のあんまりな弛緩ぶりにはもっとビックリした。
首都圏大災害という大掛かりなカンフル剤を用いた前シーズンに比べて、救命救急の制度的な崩壊というネタがいかにも地味というのもありますが、『医龍』だの『ナースあおい』だの『コード・ブルー』だの、海外ドラマでの『ドクター・ハウス』だのといった様々な趣向をこらし新鮮な視点を提供した医療ドラマ群を通過した視聴者には、『救命病棟24時』はあまりにアッサリしてみえて、「‥で?」としか思われなかったかも。“チーム”の生気のなさもシリーズ随一。まさかこのシリーズが、面白さで『ゴッドハンド輝』に負けるとは、いったい誰が予想出来たでしょうか‥。
印象としては今回、進藤センセイや小島センセイは北乃きいや石田卓也が画面に映ると脇役にみえてしまう。もっとも、北乃きいには、いかなる映画やドラマに出てもあらゆる登場場面で主役にみえてしまうという、特異な性質がありますが‥。

『トワイライト~初恋~』の露骨な二匹目のドジョウ『恋して悪魔 ヴァンパイア☆ボーイ』は、中山優馬と桜庭ななみといった新鮮味のあるキャストで、いいかんじの青春感が出そうで出なかったのは、ドラマの中心に加藤ローサの鈍重な存在感がもったりと鎮座していて、感情の“揺らぎ”を疎外したからでしょうか。桜庭ななみは『ふたつのスピカ』もとても良くて、スウィートパワーらしい清潔感のある女優さん。今年の夏は上記2本と映画『サマーウォーズ』&『東京少女桜庭ななみ』再放送(地上波)と、桜庭ななみ一色だったと記憶。

『ROOKIES』では窮屈そうに安仁屋役を演じていた市原隼人、『猿ロック』での反射のいい役柄では本領発揮。市原隼人はみっともないくらいチャカチャカした反応に才能がありますね。『帝王』の塚本高史の演技は心ここにあらずというかんじの、魂の感じられないものでしたが、実話というフックとともに、とっちらかった話の展開の「落ち着かなさ」と程よく調和していた気もします。

すべての台詞、すべての動作に輝きが宿り、隅々まで充実した探偵コメディ『俺たちは天使だ! NO ANGEL NO LUCK』。スベりそうなギャグすらスベる寸前で演出がすくう確かさ。イケメン集団のパッケージ売りの、他愛ないドラマといえばそうですが、じゃあオッサンがいっぱい出てきて深刻な社会ネタでもやってりゃ良いドラマなのか?とも思う。
この『俺たちは天使だ!』が今期のベストだったと個人的には思いますが、正直2009年の夏ドラを代表するのは何と言っても『ブザー・ビート 崖っぷちのヒーロー』でした。“月9”にも本気、“トレンディー・ドラマ”にも本気、“バスケ”というネタ自体も本気で一般に浮上させようというハンパない本気度。故なきプライドや自己イメージと、社会や現実、他人の心は一致しないという案外だいじなことを、カッコつけだけじゃなくちゃんと語ろうとする。その熱気がちゃんとドラマにものっていたとおもう。
一個人としては、北川景子が「リコ!」と呼ばれても、つい相武紗季のことかと反応してしまうし(ついこのあいだまで『絶対彼氏』で「リイコ」と呼ばれていた)、大政絢は山Pじゃなくて溝端淳平の妹(『ハチワンダイバー』)の印象のほうが強いとか、「突然奪うキス」「車を追って走る」等のシーンがパッチワーク的だとか、どうもシャッフル感が邪魔して作品世界に真面目に入っていけずにネタ消費的に接してしまいましたが、それこそがトレンディー・ドラマだとも言えるのかもしれません(適当)。
貫地谷しほりは“批評的に”「トレンディー・ドラマの演技」を構築していて、冴えたひとだとおもった。あと、北川景子は「井森美幸みたいな演技」とウチでは評判が芳しくなかったです。

関連記事:2008年秋ドラマ
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theme : テレビドラマ
genre : テレビ・ラジオ

秋の新ドラマ

じょうおう1
『嬢王 Virgin』

いまひとつパッとしない夏ドラマが終わって、徐々に秋ドラマがはじまってます。特にこれといって見たい理由がみつからない『マイガール』は既にスルー、『嬢王 Virgin』は枠(ドラマ24)推しで見てますが、原幹恵はともかく、たぶん目玉なんだろう原紗央莉にはまったく興味がわきません。永田彬は『電王』でのヘラヘラした役(尾崎)のイメージが強くて、ビッグで寡黙な重々しい役柄を、なんだか真面目に受けとれませんが‥。

まったく別系統のドラマですが、07年の春期、08年夏期と、ともにマイベストだったドラマが続編&リニューアルで帰ってきた『ライアーゲーム シーズン2』『リアル・クローズ』の激突(?)が最大の楽しみです。続編になって守りに入り、妙に浪花節ぽいかんじにならないかかすかに心配もありますが、原作もあるので大丈夫かなとも思っています。結局のところ自分は何が(誰が)好きなのか、ハッキリするかなというたのしみもある。

ほどほど楽しくみていた『オトメン(乙男)』『交渉人 THE NEGOTIATOR』も無事に続編が到着。といっても、オトメンは曜日と時間が変わっただけですが‥。『交渉人』は、その演技が大嫌いな塚地くんが新レギュラーとして加わったので個人的には少々テンションが落ちてます。

ハズレの多い日テレ深夜枠ですが、毎回野心作ぽくみえて毎回期待だけはします、『傍聴マニア09』はどうでしょうか。
冗談みたいな企画の『少公女セイラ』は、岡田惠和/金子文紀/磯山晶と、ナゾの最強布陣。どういう方向性で勝算をみているのかいまいち分かりづらい。日テレらしいライトな学園モノに、流行りの歴史要素をプラスしたかんじ?の『サムライ・ハイスクール』。これも方向性がよくみえないけど、当たれば金脈となるかも。キャストも三浦春馬、杏、小林涼子、城田優、市川実日子など、個人的には印象のいい人が多め。
『東京DOGS』『アンタッチャブル』『おひとりさま』あたりは普通のドラマとしておさえとくかんじ。しかし、いまさら「歴女」「格差恋愛」「草食系男子」「おひとりさま」といった要素で連ドラを作ろうという『おひとりさま』のマーケティング(?)は相当にニブいんじゃないでしょうか。『アンタッチャブル』、チャンスだけはさんざんある佐藤智仁、いいかげんブレイクなるか。障害イコール感動という狙いの『チャレンジド』、題材としては興味がうすいけど、一応キャストでおさえます。ところで村川絵梨と松井珠理奈って、どことなくですが似てると思っています。

みないのは『JINー仁ー』、『不毛地帯』『ROMES/空港防御システム』『0号室の客』あたり。大沢たかおの、自分のカッコヨサに酔いしれている姿をゲップが出るほど観させられている邦画ファンは、『JINー仁ー』は出来れば遠慮したいところじゃないでしょうか。『不毛地帯』みたいなのをみるのはもっと歳とってからでいいかなと常々思っている。ジャニーズには耐性があるほうだと思ってますが、あんまり露骨にターゲットが絞られているものは生理的に厳しい。
あと松岡錠司も参加の『深夜食堂』、みたくないわけじゃないんですが、時間帯的に“いろいろと”他の番組と被っていて、残念ながらウチのハードだと録画ができません。それに、どうやら自分は、「ちょっといい話」には不感症らしい‥。そういえば松岡錠司の映画は、いつの頃からか「ちょっといい話」ばっかりだな‥。

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?『くりいむレモン 旅のおわり』その2

たびのおわり7
『くりいむレモン 旅のおわり』

90年のじんのひろあき版『櫻の園』(以下、じんの版)が嫌いでした。ひっくるめていうと、これみよがしなやり口に反発をおぼえてたし、女の子たちが素材としても描き方としてもちっとも魅力的に思えなかった。
で、リメイクとなった関えり香版『櫻の園』(以下、関版)を期待して観てみたら、当時じんの版を否定していたことをすこし反省した。関版は、冴えたところのないテレビドラマだと思った。会話で全てが説明される。全編、説明につぐ説明。じんの版の登場人物たちは、少なくとも説明のための道具ではなかった‥。

説明は、オウム返し、ストレートな疑問形、「ふうん/へぇ」等の相槌を利用して会話に変換される。寡黙な主人公・桃/福田沙紀に代わって担任の菊川怜が桃のプロフィールを“桃本人にむかって”滔々と説明する‥。戯曲「櫻の園」の説明、学校のしきたり、生徒のポジション等‥。たとえば、古い「櫻の園」の脚本を見つけた福田沙紀が姉の京野ことみと会話し、昔あった「櫻の園」上演の試みを知る場面。「こんなの見つけた」「えっ?それ」「あかずの教室ってとこにあったんだけどね」「あかずの教室」「脚本と演出、坂野先生ってすごくない?」「先輩、演劇部の部長だったからね」「ねぇねぇ、平成9年ってことはさ、お姉ちゃんコレみた?」「ううん」「え?」「やらなかったの、そのお芝居。あんなに稽古したのに」「稽古したって?」「演劇部だったからね」「そうだったの?」「覚えてないか?あの頃の桃バイオリンで忙しかったから覚えてるわけないよね」‥。
夕暮れ。駅前で柳下大がカッコつけてサックスを披露しているが‥その曲は上戸彩の歌(夢のチカラ)‥いくらオスカー主導とはいえ、この段階で真面目にこの映画につきあうのを諦めました。

オスカーが牽引した企画なわけだし、どうせなら商業映画として正面から通俗を引き受けて美少女クラブ31メンバー総出演でやればよかったのに。製作委員会方式が裏目に出た、面白くもないバランスのいいキャスティング(オスカーの顔を立てたかのような上戸彩・米倉涼子・菊川怜などという特別出演枠は、初々しくなければならないこの企画にはマイナス要素だとおもう)が効果的だったのか、自分が観たときは松竹らしい、熱気のない辛気臭い客層でした。

説明のために色分けされ役割分担されたに過ぎない記号としての人物の言動/行動からは、エモーションが駆動せず、あらかじめ用意された物語を“感情らしきもの”で上から撫でるだけで、青春の鬱屈も不安も憧れも、「青春映画を構成する定形的パターン要素」としてルーティン的に扱われただけという印象(途中まで進んでいたという新・じんの版のほうが観たかったと観たあとで思った)。

人は、青春の大事な場面でさえ、有意味な言葉などそうそう口にしないし、状況説明ばかり話しはせず、気持ちはまた別にある。日々の生活や関わりのなかで、思いが推移し、摩擦をおこし、うつろうさまを、直接的な言葉のやりとりとはべつのところで、人の感情の「ほんとう」を映しだそうと試みる井口奈己監督『人のセックスを笑うな』のような(反・関版、的な)映画は、たいへんスマートで豊潤、じつに立派に「映画的」な感慨を与えてくれますが、しかし、このような映画が指向する「リアル」や「映画的」は、今や、あらかじめ分かりきった正解に向けて、勝つに決まってる解答を組織する、閉じた「安全さ」と化してしまっている気がする。「あるある」を拾い上げ、傑作素を結合させて、共感作用をたっぷり効かせるという基盤のうえで安心して楽しめる「奇跡のような、素晴らしいシーンの数々」。これが2004年辺りならアリだったかも知れないが、2008年には既にどこかズルイものと映った。

『女』『古奈子は男選びが悪い』『遊泳禁止区域』などの中短篇で、すでに天才の誉れ高い前田弘二も、イメージとしては一見、「いまどきのリアル」、「いまどきの審美」に与した「あるある的」共感作用に依拠した映画作家に見えもします。前田弘二(と高田亮)による、非中心化作用をもつ“リアルっぽい会話”場面は、いかにも「あるある的」に受容され称賛を得ることで、観客の「消費」がその段階で安心して終了することもじゅうぶん考えられる類いのものとも言えるでしょう。
もちろん、前田映画の会話/(ディス)コミュニケーション劇はーーたとえば山下敦弘/向井康介コンビの映画における登場人物たちの絶妙な会話が、根本的にはひとつの人格の複数のバリエーション間での会話であり、彼ら登場人物たちの用いる言葉が結局のところひとつのセンス、ひとつの文体として共通のものとしてあって、それが統合されてある種の“作家の文体”が確立される助けともなっていますが、そのような理由から、山下/向井映画においては本質的には摩擦や成長のない世界が築かれているのとは異なりーー前田映画のそれは、 それぞれべつの人生をそれぞれなりに刻んできた異なる人格、異なる思考/嗜好/志向回路をもつ人格と人格による、それぞれ違う意味合いでの関係性構築のための遭遇を組織しようとする摩擦的「闘争」としてあり、複数の人物による無方向的に発された言葉群のブラウン運動は非中心化を促し、表面的には「噛み合ってるような噛み合ってないような、リアルな、気まずい、滑稽な、自然で無為な会話」として顕れてみえますが、そこには「同じ場所/時間を共有する複数の人と人のあいだのコミュニケーションは、異なる免疫をもった者として対峙するため(そしてそれゆえ尚且つ、異なる志向をもってその“場”に臨むため)、非・融合的に生じ、本質的に“必ず”噛み合わない」といった冷徹な認識があるとおもう。
「自意識の滑稽な空転」が、山下/向井的な作劇では創出者のパーソナリティに「偶然的に」起因するが、前田/高田的作劇においては創出者の世界把握に「必然的、宿命的に」帰結する。

前田弘二待望の商業長編映画デビュー作である『くりいむレモン 旅のおわり』は、女子高生たちの無駄話シーンの素晴らしさに眩惑されて、つい、いわゆるリアルな会話でその映画が構築されていたような印象をもっていましたが、観なおしてみるとこの映画における主要人物同士の会話はあんがい必要的・説明的で、これまでの短篇群では、ワン・シチュエーションのコントとして説明的な台詞は極力排除したままでも押し切ることが出来たのに対して、ここでは、「長編」映画として物語を語るために、異なる人格間の非・融合的な接触を長い射程をもって描出するさいにある程度「説明的」であることも引き受けられていると思えます。これは前田/高田が「いまどきのリアル」の信奉者なのではなく、他者とのコミュニケーションは非・融合的に為されるという世界把握を揺れずにもっていることの証左だと言えるんじゃないでしょうか。

『くりいむレモン 旅のおわり』での、(前田映画の顔というべき)宇野祥平はお兄ちゃん役としては正直ミスキャストだと思うし、宇野祥平が妹のアヤ/キヨミジュンの手に触れる場面や、カラオケの個室でノブ/榊原順がエリ/鈴木なつみにキスするシーンなどは、段取り臭を払拭しきれず演出としてあと一歩だと感じるし、そしてやはり、説明部分はこなれていないぶん雑談パートとのバランスが危うい。
「説明」を引き受けて物語と感情の推移を牽引しつつも、それなりのリアルと自然さをもって「ほんとう」や「人生モデル」を提示するという闘いかたは、ある意味ごく真っ当な正道であって、既に過去の古今東西の映画人たちが技術的に研磨し積み重ねてきた膨大な歴史(と技術的達成)があり、そこに正面から挑むのは、正直勝ち目の見出だしづらいシンドイやり方だと思えます。歴史性に接続の必要のないような、「あるある的」に「独自の人生モデルの提示」を「センス競争」としてやっていれば、天才的なセンスをもつであろう前田弘二なら、その高評価を維持したたましばらくはたやすく闘い得たでしょう。

しかし『くりいむレモン 旅のおわり』では勝機の見える見えないではない難しいところでの勝負に出た。そうしてそれゆえ、『くりいむレモン 旅のおわり』が単なるセンスに留まらない、いろいろな感情がはみ出すような映画になりえたんじゃないか。おなじ兄と妹の近親相姦ドラマとして、演技や描写のクオリティでは『誰とでも寝る女』が上かもしれないが、感情を動かす力では『旅のおわり』が遥か上をゆく。ネタとほんとうの人生くらい違うとおもう。

そして特筆すべきは人物たちの風景への沈みかた。通常、記録映画でさえも(商業用劇映画ならなおさら)、主要人物を風景や通行人から浮き立たせる作用をその画面はもつ(スター化、肯定作用)わけですが、この映画では、しばしば登場人物たちが風景に、雑踏に、均一的に埋没してしまう。この、画面内での人物の非・特権化、非・中心化は、表象としての埋没とともに、べつの作用をうながします。
駅で切符を買うアヤと、少し間をおいてそれを追うノブが映りこむ駅前の画面。あるいは、アパートに車で帰ってきた兄との屋外での再会場面。中野駅構内でばったり逢うエリとノブの、画面での有りよう。そして、原宿駅からの皆での『遊泳禁止区域』ぽい歩みの場面も、人々が徐々に雑踏の風景に沈みこんでゆく‥。
そして非・中心化を被って均一的に「自然化」した画面を、うっすらと、アヤの抑えながらも上ずった“せつない”感情が、すべておおいつくす。友達との楽しげで無内容な会話の場面でも、兄と交わす無難な近況報告の対話場面でも、その会話内容やその自然さもしくは説明的なさま、あるいはその場に支配的な空気/気分といったものといっさい関係なく、画面は、アヤの“せつなさ”に感染し、映画そのものがせつなさと気まずさに染まり尽くす。

やがて、兄への恋慕が破綻(前述のように、異なる人と人の思いは“必ず”非・融合的に帰結する)するあたりから、主にアヤの“せつなさ”のトーンに染められていた「感情そのものとしての画面」が、それこそ非・融合的に異なる色彩の感情に混濁しはじめる。アヤと兄の関係に苦しめられつつエリの性に引き寄せられるノブと、年上の彼氏がいながらもノブにある種の繋がりを感じるエリの感情が、混じりゆくことなく侵食してくる。

そうして神社で対峙する三人の交わす会話は、自分でない他人は、自分の想定や想像とは違うシステムでおもいを抱いているという非・融合的な世界把握を反映した最たるものとなります。

ノブ「一つ聞きたいんだけどさ。オレら付き合ってんの?」
アヤ「ノブはどうなの?エリと付き合いたいの?エリは‥‥エリはノブのこと好きなの?」
エリ「ノブはどうなの?」
ノブ「アヤは‥‥オレと付き合ってる?なあ?」
アヤ「でも」
ノブ「オレはオマエがどう思ってるか知りたいんだよ」
アヤ「‥‥‥付き合ってる」

ラスト、ホテルでのふたりは、お互いに相手の“ほんとう”のところを知りたいのか、そして、すべてを知ることが、何か関係や感情を解決的に幸福に導くのか、異なる他者の“ほんとう”に接することに自分は耐えることが出来るのかと、魂の有りようを試される。なんとなく分かった気になる平和な融合などいつわりだと『くりいむレモン 旅のおわり』の作者たちは登場人物たちに突き付ける。他者と関わることが苛烈な傷となる融合か、孤独な非・融合か。答えは出ないまま、傷だけは負い、温もりへの“さびしさ”だけは確かに抱いて手と手は繋がれ、ふたりは均一な雑踏へと消えてゆく。「感情そのものとしての画面」の連なりである『くりいむレモン 旅のおわり』は、その映像からも音響からも、何の意味指示作用も発信しない。その均一的で“貧しい”画面には、「意味」や「答え」はなく、何かの途中にある誰かの痛みのような感情だけが、ある。

(つづく)

theme : 日本映画
genre : 映画

?『くりいむレモン 旅のおわり』その1

たびのおわり10
『くりいむレモン 旅のおわり』

(→選出理由?ただ、愛のためにからのつづき)

先日、大久保の病院通いのついでに、久しぶりに中野に寄りました。
いつも順路になっている音吉プレミアム1号店(アッチ系の中古CD・DVDショップ)への階段を上がってみると防火鉄扉が閉まっており、貼り紙がはってあった。つい2日前に、移転のため閉店とは‥。そして移転先が広島とは‥。ネットで物を買わないのでこういう店がなくなると地味に痛手。
ブロードウェイ3階では、まずタコシェ。『Spotted701』は、『愛のむきだし』@ユーロスペースの際『ホームレスが中学生』のシナリオ採録(Vol.8)が目当てで初めて買いましたが、正直あんまり読んでいなかった。趣味は近そうなので、この機会(?)に読もうと思って既刊Vol.1~11のうち、あんまり内容的に興味のなさげな数号以外を購入し(レジには伊東美和氏もいた)、読んでみました。面白い(どちらかというと女子の文章の方が面白い。ただし森下くるみは良くなかった)。タメにもなる。しかし、印象は、ポレポレ東中野におくフリーペーパー。でもお金はとる。面白いフリーペーパーも、雑誌となるとどうか。雑誌は運動体としての駆動力がないと、ワクワクが発生せず、仲良しクラブの好きなもの擁護に留まる怖れがあるとおもう。
(そっち系の配給等をやっている人が手がけているという背景もあり)『Spotted701』の推しは、松江哲明を中心に、井口昇、山下敦弘、いまおかしんじなど、ピンク/インディーズ系で、仮想敵はメジャー系。しかし、メジャー系に届くはずもない場で、誰も傷つくことも刺激を受けることもない場で仲間内を(作品が発表されるたびに)肯定的に語ることには、運動がないともおもえる。山下敦弘あたりを仮想敵にする位じゃないと、雑誌の立ち位置が見えてこないんじゃないか。自らの配給する作品の宣伝媒体も兼ねていることから意識的に距離をとらなければ、そのへんじゅうにある業界ベッタリのジャンケット的な雑誌群と、本質的には変わらないものになってしまうんじゃないかと。
あと特集的に『デコトラ☆ギャル奈美』を推している雑誌がとっくにあった(Vol.7)のを知らなかったとは不勉強でシマッタとおもった。しかし特集は読みでがありました。城定監督のフィルモグラフィが知りたかったので、ここでタラガ氏のサイトを知ることが出来て良かった。僕も『くりいむレモン 夢のあとに』が大好きで、何度も繰り返し観てます。

で、『Spotted701』という雑誌の主人公は松江哲明ですが、個人的に、なぜか松江監督に興味がない。悪い印象も何ももっていないのですが、とにかく特になにも思うことがない‥。
そのあと新刊書店や古書店で『シナリオ』『kindai』『少年たちはなぜ人を殺すのか』『アダルトビデオ革命史』『ケータイ刑事マニアルBOOK2』等を購入。『kindai』は今号で64年の歴史に幕。ラスト表が℃-uteって、kindaiらしくない。創刊号の表紙が山田五十鈴、2号が藤田進と原節子、って今のkindaiからするとちょっとどうなのと思う。キング・アンドリウが自主映画やってたことは何となくは知っていましたが、ケータイ刑事本の小中和哉インタビューによると、小中氏は<多聞ちゃん>とは映研の先輩後輩で(小中氏が1つ年上)、『ケータイ刑事』は<多聞ちゃん>が<当時撮ってた作品の世界観に>わりと近いとのこと。

枕のつもりがいつまで経っても繋がらないので唐突に話を変えますが、(つづく)

theme : 日本映画
genre : 映画

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プロフィール

ししらいぞう

Author:ししらいぞう



東京在住

調理師のようなことをやっています。

趣味は立ち読み 格闘技観戦 映画観賞

3月生まれO型  

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