スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

映画『岡山の娘』その1

okayama2.jpg


『岡山の娘』
(2008年、日本、92分)

監督・脚本:福間健二
撮影・照明:大西一光
記録・編集:福間雄三
音楽:吉田孝之
詩:福間健二、三角みづ紀、東井浩太郎
出演:西脇裕美、家ノ上美春、石原ユキオ、季羽和喜、入海洋一、東井浩太郎、岡本文子、佐藤盛一郎、三原真、真砂豪、杉本克敬、北川透

岡山に暮らす大学生のみづき(西脇裕美)の母が借金を残してこの世を去った。彼女は、大学をやめて自己破産の手続きをしようとする。みづきが青果市場で働きだした頃、会ったこともない父・立花信三(入海洋一)が長い旅から帰還し、岡山にやってくる‥。

1.

事前には『岡山の娘』という映画が、福間健二がかつて一時期過ごしていた岡山で撮られたこと、くらいしか予備知識がなく、氏がもしも岡山時代に娘をなしていたら‥という発想からストーリーが生まれたという、その大まかな物語(岡山に娘がいて、父親が会いにゆく)も上映前のトークショーで観賞寸前に知ったばかりでした。なるほど、それで『青空娘』か‥。
岡山時代の福間健二というと、『福間健二詩集』に次のような文章がありました。〈三十歳からの五年間、岡山にいた。国立大学の教師になったことで親を安心させたが、二十代を最初からやりなおしている感じだった。まるで危ういところを救われるように結婚し、五四二頁の詩集『最後の授業/カントリー・ライフ』を出した。〉
その“やりなおした二十代”については、同じ文章の前節に〈詩はだんだんしんどくなっていった。英文学にも意欲がわかなかった。映画とロックでなんとかもちこたえたということにしておきたい。〉とある。結晶し、成熟してゆく仕方ではなしに、横滑りしてやり過ごすかんじに、氏の20代の日々が、逃げるように想起されています。何かおおきなものへのカウンターから、成人を経て、構築し、定着してゆくといった成熟する大人としての人生モデルがしっくりいかない苦しさにあって、その「やりなおし」としての30代に福間氏は〈大学の教師になって親を安心させ〉、〈結婚し〉、長いブランクを経て詩人としても再生する。

そこで「やりなお」されていたのは、ツリー型/ピラミッド型というか、いわゆる旧来の人生モデルのステップを、こころでは仮初めのものながら、「とりあえず」「あえて」のぼってみること、だったのではないでしょうか。『カントリー・ライフ』の冒頭部、〈まるで快楽の演技でもするように/つぎつぎに季節を脱いで/なにかの主人となり、なにかの/奴隷となり、視線の消える坂道で/手袋をした手に不意を打たれ/かがやくのをためらっているうちに/私たちは衰弱する〉という言葉の連なりは、カウンターする(絶対的な基準となるような)対象も、超自我的なよるべき規範も見失いフラット化した現状に、成熟や完成に向かうやりかたでなしにその生を「とりあえず」「あえて」染まるように生きてみる仕方が示されているように読めます。
『岡山の娘』冒頭の「もうこれ以上することはない、と会う人みんなが言った、2007年夏、岡山」というみづき/西脇裕美の呟きは、「目指されるべきもの」の終焉した世界の到来を正確に告げていますし、それはまた、『ピンク・ヌーヴェルヴァーグ』での瀬々敬久の、〈テーマ主義も終わったし、きっちり芝居することも終わったし、どういうふうに映画を作るのかというところで、考え方がまったく違うところから行かないとしょうがない〉という言葉の向かうところとも響きあっているように思えます。

2.

幾分、雑に話を急ぎすぎたでしょうか。「しんどさ」に実直に向きあって、確信をもって「社会」や「人生」へ向き合うことを困難に感じていた二十代も、「あえて」選択された旧来の人生モデルの階段を〈親を安心させ〉るようにして刻んだ三十代も、福間氏は、「物語」を盲信することで安楽を得られない迷いと苦しさと居心地の悪さのなかで生の時間を刻みながら、それでも、ふと、〈いつまでも猶予と逃げ道をあたえられているように見えながら、いつのまにか、のっぴきならない大事な場面にさしかかっている。そこに〉、急にたどりついてしまう。そう感じる。そのようにして、否応なくその都度その都度〈急にたどりついてしまう〉人生の〈のっぴきならない大事な場面〉に立ち合いながら〈そこを生きぬく〉こと。それを“物語=映画”として提出したものが前作『急にたどりついてしまう』だったと、とりあえずコジツケるようにして言えるかもしれませんが、最新作『岡山の娘』においては、「とりあえず」「あえて」“物語”を選びとることへの懐疑/不信感がより深まっているようにみえます。
今でも、いや、人生のどの場面でも感じられてしまう〈のっぴきならなさ〉、〈急にたどりついてしまう〉感覚が、この映画にも遍在してはいるのですが、それが“物語”や“人間関係描写”の充実/充填からの作品的完成化/結晶化へと向かわず、“表現”として壊れることで「物語」が滲み、希薄化するように感じられます。『岡山の娘』という映画で選びとられた「物語」や「登場人物とその関係」が、その自己同一性を見失い、弱々しく、じんわりと失効してゆくのですが、それらが顕れてくるさまが、落ち着きのいいアヴァンギャルドな前衛性を提示せずに、だらしなく、自然に流れでるように、漏れでるようにして、物語や、人物像や、出来事から、同一性を微妙に奪ってゆく。これは去年、藤原章監督のDV映画『ヒミコさん』の話のときにも触れたDV映画的特質でもあって(『岡山の娘』はHD撮影)、映画『岡山の娘』が、『急にたどりついてしまう』的な端正さの、どこか閉じた作劇にとどまらずに、一個の作品としての自己同一性を曖昧に放棄し流動化させることで、「あえて」“物語”を選びとることの不自然さ、居心地の悪さに、より誠実であろうとした映画だったことのあらわれでもあるでしょう(劇場公開版の92分バージョンのほかに、2時間をこえるロングバージョンや岡山映画祭2007上映用の25分バージョン等が存在することからも、この映画作品が、確固として唯一的に結晶化/定形化することから逃れようとする性質を有することを示しているように思えます)。
『岡山の娘』は、様々な詩作品や書物、先行する映画からの引用やオマージュが積極的にとりいれられていますが、ここでの引用やオマージュは衒学的には作用せず、ここではそれらは、この作品の〈外部〉に、異なる思考や異なる世界、リアリティの硬度や質感が違う表現が他者的に「確かに」存在する、そのような接続を示すものとしてあります。均一的な価値観や審美性によって纏められたモノを一個の作品として結晶させる、そのような無自覚な「物語」性が、ここでは不誠実なものとして疑われているように思えます。『岡山の娘』は、作品的な境界/自己同一性を、非・均一的な外部へと曖昧に押しひろげることで、「現在」を生きる誠実な「物語」を掴もうとする。
(思えば、ここ最近のいまおかしんじ作品にどこか感じるネガティブな意味での違和感は、“物語”が「あえて」選ばれている「しんどさ」、「居心地の悪さ」をじゅうぶん感じながら映画制作が為されているのに、何だか妙にシュッとキレイに固定化させてしまう日和った力が働いている故で、その作品的境界を定形化する作用は、ある特定のサブカルチャー的文化圏や過去の映画作品に保護的に“依拠”することから生じているように思える。そこでは、「現在」が息をしていないんじゃないかと‥。)

3.

〈岡山になにかを置いたままにしていて、それを見つけに行く。岡山を舞台に映画をつくるとしたら、そんなふうにやりたい〉。置いたままにした“なにか”とはなにか。
福間氏独特の言い回しに、「‥ということにしておこう」「‥ということにしておきたい」というものがありますが、「運がよかった」/ということにしておこう(「映画とロックでなんとかもちこたえた」/ということにしておこう)という言い回しは、「運がよかった」「映画とロックで~」という認識や判断が「あえて」「とりあえず」選ばれているものにすぎず、不確かな、幾らでも交換可能な(不誠実な)ものとして揺らいでいることを示していると同時に、その上で、そのように「しておきたい」という気持ちの“本当さ”のほうに誠実さ、比重の大きさを置いていることをあらわす。「映画とロックで~」という認識/判断で勝負するのでなく、“そういうことにしておきたい”と感じる気持ちがあることのほんとう、を逃さないこと、で勝負したいという気分。ちょうどよく“冴えてる”かんじの認識/判断に着地させて得る〈知的さ〉に甘んじないこのような姿勢は、作品にグダグダな、バカっぽい表情を与えるかも知れませんが、それは幾多の映画における諸々の映像や言葉が結局のところ、独自でナイスな己の〈思想〉や〈前衛性〉や〈知性〉や〈センス〉を提示するという作り手の自己実現に還元されてしまう“貧しさ”から逃れようとすることに由来しているとおもう。

かつての福間氏は、岡山において子をなさなかったし、〈国立大学の教師になったことで親を安心させ〉もしたし、結婚もし、詩人として再生しもした。しかしそれは人生のその時その時に「急にたどりついてしま」ったようにして不確かな確信のうちの認識/判断によって「とりあえず」「あえて」選びとられてしまった交換可能だったかもしれない人生の刻印なのだった。〈「とりかえしのつかない夏」/たとえばそれを何べんくりかえしてから/ぼくたちは出会ったのだろう〉。寄る辺ない、カウンターするにも依拠するにも規範のないなかで「あえて」「とりあえず」生き、「急にたどりつい」た人生で生じた「物語」に常に付着するようにしてある、交換可能な「物語」。それを「選ぶ」という“手つき”が、ひとつの物語だけを選択し作品化することの居心地の悪い不自然さのなかで、かろうじて見つけることの出来るリアル(=ほんとう)だと、『岡山の娘』という映画はその出発点から告げる。(『岡山の娘』という映画は、そのような「根拠の薄弱感」の弱々しさに意識的に支配されているのではないでしょうか。この物語自体、「岡山」という土地を舞台でなければ成り立ち得ない物語ではないし(福間「岡山がどういう土地だってことじゃなくて、大阪と広島のあいだにこういうとちがあるってことを出せばいうと思いました。(略)どこでもよかったんじゃなくて、ここにみづきはいるという現実ですね。」)、冒頭のナレーションが「スペイン語」で語られなければならなかった絶対的な理由もなく(父・信三が放浪していたという土地の言葉のひとつですが)、そもそも当初は智子役だった西脇裕美をみづき役にコンバートせねばならなかったのも純粋に制作途上のトラブルからであって、役と役者の結びつきが絶対のものであるような信仰からも遠いところにある。)

〈なにかを置いたままにして〉いたのは、交換可能な選択肢としての、“わたし”の「物語」なのだった。


(つづく)

関連記事:『岡山の娘』へ

(引用・参考文献~福間健二『ピンク・ヌーヴェルヴァーグ』『福間健二詩集』『詩は生きている』『侵入し、通過してゆく』、『急にたどりついてしまう』『岡山の娘』パンフ、『シナリオ』『映画芸術』『キネマ旬報』BN)
スポンサーサイト

2007/7/23②

20081209184708
セットのある倉庫と、エキストラの待機場所である体育館の、中間に建つトイレ
そのトイレ内からのぞむ、体育館の側面

映画『Girl's Box/ラバーズ☆ハイ』エキストラ参加記②

2007/7/23①からのつづき~)

キャメラポジションを何度も変えて同じ場面を繰り返す。粘らないくせになんだかいちいち手間取る撮影の段取りに、セットには徐々に弛緩した、リラックスムードが漂い、支配的になってゆく。カットを告げる声が小さくて、現場の空気の張りつめ方にメリハリがなく、ボンヤリしてる。カットがかかるたびに優亜のヘアー&メイク直しがチョロチョロ入る。

11:15。
客役はいったん休憩を言い渡され、体育館に戻る。
先ほどのフリーランスエリアのパイプ椅子に腰を落ち着けて休む。自分のやや近くに陣取る森プロ一派(森プロ本人はこの時いなかった)、「たまたま愛子ちゃん目の前になっちゃいました~!!」とひとりが自慢、「めちゃめちゃいい位置じゃないすかぁ!」「イヤ~どうしていいか分かんないすよォ~~ホホホ」とヲタ同士のウキウキした対話。
セットでは、あいぴー&ミッチーそばのポジションだったヲタ数名はニコニコとあいぴーに話しかけ、あいぴーはあいぴーで例の感じで終始いちいち愛想良く反応してあげていた。その隣で苦々しくクールに佇むミッチー(ミッチーに話しかけるひとはあまりいないが、本人的には気取っているふうもない。一見いかにも愛人然としてツンとしてみえるが、彼女のある種のシャイさが周囲と微妙な距離感をうんでいるのだとおもう。そして舞台上にひとり位置する長谷部優もツンとしてみえ、彼女のばあい、本人的には役と演技に集中しているだけだと思っているのかもしれないが、どこかファンやエキストラ達を作品を一緒に作りあげる同志としてでなく、とるにたりない人々として上から目線でみているようにみえる。ようするに、比較的感じ悪く映る)。先ほどの撮影ではバーカウンターをはさんで向こう側という、“対あいぴー”としては不利なポジションに位置する森プロも、ニヤニヤした笑みを常時顔に浮かべつつ、ことあるごとにあいぴーに手を振ったりして、必死であいぴーの反応を引きだそうとしていた。

パイプ椅子がたまたま隣になった、平田満や小市慢太郎似の、ヒゲ面背広姿のエキストラと、ふとしたきっかけから談話することに。ヲタヲタしくもなく、軽い大学生エキストラふうのペラペラさもない、参加者中珍しくマトモな感じのするニセ小市さん。

ニセ小市さんの話。
学生だったかつては、映画とか好きで、自主制作映画や演劇にも関わっていて、俳優を志してもいた。しかし就職を機に俳優業への夢(?)は断念し、以後社会人としてずっと仕事してきて、今や50歳になった。(どんな仕事を?)ずっとデパート等のディスプレイなどを行う仕事をしてきたが体もキツくなり、50の大台を機に後進にあとを譲り、会社(この会社のトップだったらしい)の顧問的ポジションに退く(会長みたいな役職?退いたといっても給料はまあまあ貰ってるらしい)。それで、昔取った杵柄じゃないけども、映画というか俳優へのおもいから趣味がてら始めたエキストラだが、今や毎日引く手あまただという話。自分みたいな年齢のエキストラは希少だから。(どんな映画に?)いろいろ出てますよ、今年(2007年)は、オールウェイズの続編(『ALWAYS 続・三丁目の夕日』)とか『釣りバカ日誌』などにも出た。釣りバカでは、お葬式のシーンかな、そこでは泣き専のヒトがいたのだが、自分のほうがオイオイと上手によく泣くので、その泣き専のヒトじゃなくて自分がピックアップされてオイシイことになった(自慢?)。自分は泣く演技が得意なんですよ。それで覚えててもらえて次の現場があっても指名してもらえたり。

出演できて感激したのは、『ハッシュ!』以来となる橋口亮輔監督の現場だったとのこと。釣りバカでは所詮泣きマネだったが橋口組では感激で自然に涙が出ていた。その感激は何故かと訊くと、おそらくこの映画は世界中の映画祭をまわって世界で上映されるに違いないだろう、そんな映画を撮る監督の作品に幾シーンも出れたことに、ということらしい。‥橋口カントクの映画が好きだったからとかじゃあないのか?で、ホモがどうとか過去の橋口映画の話とかをしはじめてみたが、何だか反応が薄い。あんまし詳しくないというよりは、一本も観たことがないのかも‥。当該の映画は、来春公開予定の『ぐるりのこと。』。自分は橋口亮輔もリリー・フランキーも好きな部類ではないので、劇場で観るかどうかはあやしいが‥と思いながら話を聞き続ける。
ニセ小市さんは、ショーパプ〈Girl's Box〉の一般客としてフロアに配置されたのではなく、なんかセットの後方に二階部分があるらしくて、そこに座ってろとの指示で、そこに座ってるのだという。どんな役なんですか?と訊くが、いや~全然分かんないですと困惑した返事。事前に背広姿で来てくれと言われて、来て、座っているだけ。説明がないから話も自分の役割もワカランと。そっちもか‥。

11:55。

主要女子キャストがセットである倉庫からゾロゾロ出てきて、昼食休憩に入りまーすというアナウンスが助監から入る。ガルボメンバーは渡り廊下に沿って体育館入口の前を通り過ぎ(接するチャンスと好機をうかがうヲタもいなくはなかったが、ガルボメンバーはクローズな気配を発散してオフモードをアピールしつつ、最低限の接触でそそくさとスルーして)、本館のようなメインの建物に入ってゆく。キャストはそちらの一室で昼食なり休憩なりをとるようだ。ユン様ひとりだけが黒い。

体育館の奥、ステージ付近に幾つも設置された長テーブルに、プラスチックケースの弁当が積んであり、その弁当ひとつとお茶の250ml缶一本とって、パイプ椅子に戻る。弁当は日の丸スタイル。おかずの中身はチリ味の白身魚、さつま揚げ、肉団子、ふきを煮たもの、ブロッコリー、トマト、柴漬け、かまぼこ、卵焼き、レンコンなど。いつも貧相な食事しかとっていないので、悪いくらい満足する。

隣の、ニセ小市慢太郎・50歳は、エキストラを始めて、ロケ弁の内容のバランス良さと早寝早起きせざるを得ない生活サイクルのせいで、メタボがすっかり解消されたんですよ、と言った。

(③につづく)

theme : 日本映画
genre : 映画

『岡山の娘』へ

20081205230910
岡山ミニみやげ


12月2日(火)

『岡山の娘』を観るために、上映館・ポレポレ東中野のある東中野駅で降りる。『岡山の娘』で福間健二がある種の下敷きにしたという増村保造監督『青空娘』(しかし、増村作品でも、よりによって『青空娘』にインスパイアされるというのがまずスゴいが‥)でも、確か若尾文子が慕う恩師の先生・菅原謙二が下宿していた場所として東中野が登場してたという奇妙な符合がありますが、『青空娘』で映る東中野駅の外観の構造は、現在のものそのままに、しかし露骨な木造建築物かつ赤茶けたトタン屋根だった、ということが、50年の歳月があるとはいえ何だか信じられない。

増村監督第二作『青空娘』(57)は、増村保造と若尾文子との記念すべき初コンビ作であるとともに、天才脚本家・白坂依志夫との初コンビ作でもあった。白坂氏は、大映の新進監督であった増村保造のこの第二作を手がけるのとほぼ平行するようにして、(『映画芸術』最新号では追悼特集のあった)金子正且がプロデューサーを担当した東宝のやはり新進監督であった岡本喜八監督のデビュー作『結婚のすべて』(58)の脚本も担当していました。で、桂千穂による『シナリオ』誌インタビューで、白坂氏は当時の状況を以下のように回想していました。白坂氏は文章も面白いですけど(『人間万華鏡』!前述『映画芸術』最新号で、新連載として『続・人間万華鏡』が始まった!)、喋りもイイですね。

〈桂 (略)増村保造さんとは、岡本喜八さんとどっちが先だったんですか。
白坂 喜八ちゃんとダブッて『青空娘』(57年)をやったんです。『青空娘』も最初は田中(重雄)さんかなんかが撮るんだろうと思って、いい加減に書いてたら、『くちづけ』(57年・増村保造監督・舟橋和郎脚本)という映画がもの凄いという批評が出て、藤井(浩明プロデューサー)さんから電話がかかってきて「大変だよ君、ちゃんと書いてくれなきゃ」って(笑)。増村さんが監督するというので、その晩泡くって『くちづけ』を見に行ったんですが、たまげましたね。これはほんとに大変だ、全部書き直さないといけないって(笑)。(略)増村さん、原作が源氏鶏太なんてバカにしてますからね。ただベタベタ泣かせるのは止めよう、とにかく三百五十枚書いてくれって言うんですよ。『くちづけ』は二百三十枚で、六千フィートしかない、あとで足りないって大騒ぎしたんで、どうしても三百五十枚ぐらいないと一時間四十分にならないって言うんです。しょうがないと思って書きましたけど(笑)。(略)出来ると増村さんは、意見を聞きに行きましょうって市川コンさんの所に行くんです。市川さんの家で市川さんはワァワァと言ってくれて。「白坂くん、こんな(芸術的な)いいの書いてもアカンで、お客はやっぱり泣きたいんだから」って(略)おっしゃるんですよ。まず普通にオーソドックスに撮って、お客を入れて、それからキバをむいて勝負するもんだって、親切に。
嫌だな、じゃまたこれを直すのかと思って帰りに、(市川監督のアドバイスを)みんな入れるんですかって増村さんに聞いたら、「ひとつも入れません、全部あの逆を行きましょう」って。なるほど、タダのネズミじゃないと思いましたね。〉

この後、つづく『暖流』(57)でも同じように市川宅に行き、お伺いしては、また「全部無視しましょう」と増村。なんというか、やっぱりタダ者じゃない神経の太さ‥。

で、そのように毅然とアドバイスを容れなかったらしいのだけれど、本編のラストシーンでの海辺における若尾文子と川崎敬三のやりとり、よしじゃあ青空にサヨナラだ!さよ~~なら~~!サヨ~~ナラ~~!というアホっぽいくだりが、予告編では、よしじゃあ青空さんコンニチワだ!青空さ~~ん、コ~ンニ~チ~ワ~~!‥という、こちらも更にアホっぽいが、間逆のバージョンの台詞となっていましたが、意外とふわふわしてたんだろうか?どっちが脚本通りなんだろう?

山根貞男の増村保造論とかが頭にあって、増村映画といえば海の広がりや水平線や空が画面から駆逐されているというイメージに支配されていましたが、実際に『青空娘』をみなおしてみると、まあ題材やテイストもあるのでしょうが、画面いっぱいにひろがる空や壮大な水平線や広大な海がバンバン平気で出てくるので虚を突かれます。
同じように空や海や水平線がその映画からは排除されがちで、垂直方向に設計された演出や俯瞰撮影が印象的な映画作家といえばすぐフランソワ・トリュフォーが思い出されますし、『恋のエチュード』や『アデルの恋の物語』なんかはまるで増村保造の映画みたいだとおもう。その増村映画『青空娘』では、生き別れた母との再会が、若尾文子が高く高くのぼってゆく階段の先に用意されていたり、ラストシーン、海に臨む急な斜面における年齢差によって振り分けられた高低差のある人物配置など、増村保造のこの初期作品もトリュフォー映画との親和性を感じさせなくもない。『くちづけ』の瑞々しさなんかも、まさに初期ヌーヴェルヴァーグっぽい‥。

‥とつらつら連想してくると、また増村/トリュフォーのどうでもいいかすかな符合を思いだす、『くちづけ』をはじめとして、『暖流』、『氷壁』(58)『巨人と玩具』(58)『不敵な男』(58)『親不孝通り』(58)と、増村映画の最初期を彩った大映スターの野添ひとみがカンヌ映画祭に出席したとき、あのジャン=ピエール・レオーが彼女に一目惚れしてしまって、〈何処へ行くにも付いてまわり、いよいよ彼女が日本に帰る日になると、飛行場に薔薇の花束を持って見送りに来て眼にいっぱい涙を溜めていた〉という微笑ましいゴシップが当時あったらしい。

今日は体が重く、頭が痛く精神がドンヨリ濁ってる。電車の座席でずっと頭や首をマッサージしていたけど頭痛は去らない。正直、映画を観る体調じゃないけど他の日はもうノーチャンス。眠気防止にとコンビニで飴とコーヒー牛乳を買う。

観るまえの情報は極力シャットアウトしているので、『映画芸術』425号『シナリオ』12月号『キネマ旬報』11月下旬号は買ったがまだ『岡山の娘』関連の記事は読んでいなくて、情報は『岡山の娘』公式ブログからのみ得ている。ブログで福間氏がマイリー・サイラスのPVに言及していて、趣味あうなあ~とおもう。映画雑誌の他の記事をパラパラ読んでいて、目につくのは、キネ旬に載る映画批評群の質のヒドさ。「読者の映画評」のレベルの低さも犯罪的。『シナリオ』巻末の座談会での〈今の人はずるくて、映画評論家とは名乗らないで、映画ライターとか、ナビゲーターとかいろんな言い方をする〉という荒井発言ともシンクロする、逃げてる発言や記事ばっかりでウンザリさせられる。

ポレポレ東中野、地下2階の劇場にむかう階段をおりる。〈毎日先着15名様に「岡山ミニみやげ」プレゼント〉という話で、どうせ行くなら是非ゲットしたいと思っていたが、中野で中央線から総武線じゃなくて東西線に間違えて乗りかえてしまい痛いタイムロス。もうムリだなと緊張の糸が切れた状態だったのが、階段をおりてみると案外人はまばらで、これならもしかしてと先に整理券もらいにカウンターに並ぶとギリギリ整理番号14番で無事〈岡山ミニみやげ〉ゲット。紙製の、お手玉みたいな小箱にはいった〈備前名物・大手まんぢゅう〉なる小さなお饅頭で、キビダンゴじゃなかった。

無事整理番号とミニみやげを得て、チラシのある階段/踊場ゾーンへ引き返しチラシ漁り。園子温監督『愛のむきだし』、無事に4時間バージョンでの公開となるようで、よかったよかった。
このゾーンは喫煙所でもあって、チラシ漁りするのもけっこう煙くて、体調悪い今は地味にキツい。
と、ゾーンの中間地点、地下1階部分の小さなスペースで、福間監督が瀬々監督(今日のトークゲスト)と再会の挨拶をしているのが目にはいる。福間氏は瀬々監督にそばにいた『岡山の娘』関係者らしき若い(?)のを紹介していた。瀬々敬久の顔ってなんかいつも忘れていて、いざ見るといつもああそうだったと思いだす。

開場、いつも通り最前列に陣取る。入りは30人程度で、多いんだか少ないんだか‥感覚としては少ないなと感じる。『キネ旬』『シナリオ』『映芸』の三大(?)メジャー誌(?)にけっこうちゃんと、小特集的にはとりあげられていてのこの入りは寂しい。映画のウリが“福間健二”しかないので、福間健二を知らないひとにはぜんぜんピンと来ないのだろうか。
年齢層は30代、40代、50代が中心といったところで、男女比は8:2から9:1で、圧倒的に男性が多い。スタッフや関係者が紛れている可能性もあるから、ヘタしたら純粋な女性観客は1人いるかいないかくらいかも知れない。
観客の全体の印象は、華やかさもないが、生活や仕事に埋没しているわけでもなく、オタク的な老いかた(老いなさ?)もしておらず、マッチョにも、スノッブなインテリ然とした自己愛にも埋没できない、微妙な年齢の重ねかたをしてきた人々という感じ。このなかでは自分はだいぶ若いほうになりそうで、学生風がぜんぜんいないのが予想外だ。若いの世代にむけて作っているはずの映画なのにこの客層だと、軽い絶望感がある。

壇上に椅子がふたつ。21時ジャスト、スタッフに呼び込まれて福間健二と瀬々敬久がステージにあがる。瀬々監督はふんぞり返った座り方。

トークショーのあらかたの詳細は『岡山の娘』公式ブログにアップされています。無くなっちゃわないとも限らないので以下に引用しておきます。

福間監督の「映画に引き寄せられては引き離されてきた」ここまでの人生で、90年代初めに強烈に「引き寄せられた」監督である。95年の『急にたどりついてしまう』では、瀬々監督がプロデューサーを務めた。
「『岡山の娘』は前作より若返ってる。むちゃしてるというか……。ああ、福間さんはこういう映画を撮りたかったんだなあと思いましたよ」
と瀬々監督はまず感想を語った。
そして「いちおう家族をテーマにしてるわけだけど、何かあったんですか。いま、黒沢清も是枝裕和も橋口亮輔も家族を撮るわけで、福間さんもブームに乗ったのかなって」と笑わせた。
「そんなことはなくて、キアロスタミ的に自分の分身をつくって、岡山に帰ってゆくことを考えたんだ。結果的に、親子の話になってよかったと思ってる」と福間監督。
具体的には、かつて福間監督が5年間暮らした岡山に、もし自分の娘がいたらどうしただろう、と考えるところから『岡山の娘』の大筋が出来ていったという話は、いろんな場面で語られている。
つきあいの長い福間監督と瀬々監督だが、どういうわけか、このふたりの会話は交わりそうで、実はちっとも成立していないようにもみえる……。
『急にたどりついてしまう』の製作過程はどんなだったのだろうと、余計なことを想像していると、瀬々監督の唐突な大声。
「福間さんのプラス思考は、13年たっても変わらないですねえ」
「えー!」
「僕なんか、撮るたびに絶望的になるのに、ほんと前向きですねー。ポジティブ・シンキング!」
福間監督、少々うろたえながら、瀬々監督に新作の宣伝をうながして、トークを終えた。


で、そこで書かれていない発言等は以下のようなものでした。

○トークの始まり方の毎回のパターンとして、ゲストとの関わりを述べて、助けられたり導かれたりしたことへの感謝を述べるというパターンが出来上がりつつあります。瀬々監督とは(『ピンク・ヌーヴェルヴァーグ』&『急にたどりついてしまう』制作による接近の経緯)で、ありがとうとの弁。

○自分で映画を撮るとなったとき、瀬々さんも先行世代をある種の仮想敵にしたように、いまおか(しんじ)や女池(充)は瀬々さんがいて、その影響下でどうとっていくのかと道を模索したと思うが、自分も瀬々映画に強い影響を受けて(『急に~』時)そのうえでどう撮るべきか考えた。

○(『急に~』はけっこうかっちりしてたけど今回は壊れてて、若返ってるといわれて)『急に~』は初めてだからちゃんとしたものをやろう、まずは映画をしっかりやろうという意識があった

○『急に~』の現場も大変だった。ちょうどオウムの例の事件があって、スタッフキャストがなかなか集合出来ず、撮影に支障をきたしそうだった。

○『急に~』を撮っていた頃様々な事件が起きたが、結局それはそれとして映画制作ではその時代性には接続しなかった、そのことがこの映画が時代を生きていないものにしてしまったんじゃないかと未だに気がかり。それらの事件を無視するなら無視するで、はっきりした態度を持って制作するべきだったんじゃないか。ラッシュをみて絶望的なきぶんになったが、自分もラッシュをみたときはそうだよというセンパイの言葉に救われた。

○荒井晴彦が『身も心も』を撮るまえに福間さんの(『急に~』の)現場を訪れ観察、これならオレにも出来るかなと勇気づけられたと言ってたというイヤミな言いっぷりの瀬々に、そうなんですひとに勇気を与えられたらいいな~とおもって作ってますからとかテキトーな返しをする福間。

○『急に~』を撮ったあと、いろいろなことにまぎれて撮るということから後退していってしまったのは、撮るべき、信じるべき、語るべき物語を見つけられなかったから。僕はそれまでキアロスタミはあんまり好きじゃなかったんだけれども、授業でキアロスタミの映画を学生にみせて、自分らしき主人公の映画監督を役者にやらせて実話らしい話を撮る。これを、岡山時代に娘が生まれていたことにしたら出来るんじゃないかと、そこに縋った。

○『岡山の娘』は童貞的な映画、裸も絡みもないがその制約のなかで童貞的に撮った、自分も女の子をみたらエロい気持ちが湧くわけだし

○(客席を見回して)みたところ、これがどんな映画か、(福間がどんな人間か)、あらかじめ用意してきたようなひとが多そうですね。
いままでにない映画を撮りたいとおもって撮った。今撮る映画ならどこか今の時代と接続していないといけない。そう考えて撮った。だから若いひとに観てもらいたいし、映画を志す若い映画作家の卵にみてもらいたい‥(客席を見回して)若いひとは来てないみたいだけど‥(ゼゼ、僕が観たときは5人位しかいなかったとフォロー(?)、やりとりの結果それは9人の日だったと判明)

‥メイケだトシキだ七福神だいう固有名詞の説明がなく話がすすんでゆくが、それでいいのかな?『感染列島』と(性格の悪い)僕(ゼゼ)は別人格ですので、と『感染~』を弁護兼宣伝してトークは終了。両監督が退場して上映開始。

(つづく)

関連記事:近況?
       映画『岡山の娘』その1
関連リンク:『岡山の娘』公式ブログ

theme : 日本映画
genre : 映画

近況?

プライベートで色々トラブルが続き、しばらく更新が滞っていましたが、更新を再開します。何週間かパソコンそのものに触れることすらない状況で、久しぶりにケータイで自分のブログを覗いたら珍しくコメントがついてました。(コメントしてくださった方、返答はもう少々お待ちください‥)

トラブルによって、半分浮浪者というかネットカフェに寝泊まりしないネットカフェ難民というか、そんなような状態が断続的に続いていたのですが、それはそれで新鮮なかんじもあって、寄る辺ない弱々しい生活には感覚が研ぎすまされてゆき世界が生き生きと感じられる驚きがありました。
金もなく行き場所にも困った人々が集まるような場所には、いちいち、面白いくらい、老人と喫煙者がいた。小鳥もやたら見かけたし、ぜんぜん知らなかったヘンな極小の動物園‥もどき‥を見つけたりもしました。風のあたる/あたらないところ、陽の射すところ/射さないところにも敏感になったりすることに、なんだか生き生きしてワクワクした。

で、このところは福間健二が久しぶりに撮った『岡山の娘』の予習‥というか観るまえに盛り上がるために、しばらく、思潮社の現代詩文庫の『福間健二詩集』、『詩は生きている』、それと前作『急にたどりついてしまう』(95)のパンフレットなどを読み返していました。『ピンク・ヌーヴェルヴァーグ』や『石井輝男映画魂』なんかは、なんでだか読み返す気分にならなかった。
そのうちの『詩は生きている』には、「すれている」ということについて幾つかの言葉が費やされている箇所があって、日々仕事以外の時間を流浪するなかで〈毎日、親切な人たちに出会う。そのたびに、(略)自分のなにかが突きくずされる。「すれている」自分の疲労がいやされる。この現実の(略)、思いがけない「おいしさ」。〉という言葉にとりわけシンクロしていました。
『詩は生きている』は、詩論ともエッセイとも小説ともつかないもので、何かに落ちつく(カテゴリーにはいる)前にエクリチュールが身を翻す妙なそわそわしたかんじのある本で、たとえば、論理のレールに文章をのせればそこで文章の推移が自動化し、「死体」化する、そのような「生き生きしてなさ」を徹底して逃れようとする精神の動きがあって、それが先鋭的だったり前衛的だったりする気配がさらさらない素朴な手触りがあります。どこか、大江健三郎の小説(『人生の親戚』あたり)を読むときの気分に近いものがあるかもしれません。

かんじんの『岡山の娘』は、何度も東中野に行きかけてその都度色々あって、未だに観に行けてませんが(22日のオールナイトも直前で行けなくなった。前日ゲットで整理番号50番ってことは、結構席に余裕があったのか‥?)、何事もなければ明日2日の上映に駆けつけるつもり。瀬々監督と福間氏のトークショーがあるとのことで、こちらも期待してます。

福間健二の書く映画批評は、自分がブログを書くにあたってもっとも影響を受けたというか指針にしたものだったし、『急にたどりついてしまう』という映画の表現も、「ポリシーのない撮りかたをする、のがポリシー」というのは95年時におけるモデルニテの表現として卓越した射程の取り方であったとおもっています。つまりリスペクトしている、信頼している表現者として、当然『岡山の娘』にも、全幅の信頼をもって期待しているわけですが、そういうこと以外にも、福間健二氏に親しみみたいなものを感じるのは、国立在住ということも大きい。

今現在僕が勤めている場所の所在地は国立市東で、福間健二氏の住んでいるのも国立東。この勤務地には都合4度も配属されているのでいいかげんホームな感じがしていて、福間氏はその結構そばに住んでいて、長編劇場用映画第一作の『急にたどりついてしまう』もその主な舞台は国立だったし、〈『岡山の娘』公式ブログ〉にも国立のローカルな話題がさんざん出てきて、なんだかメディアの向こう側のひととは思えない気分。
〈家にいちばん近い居酒屋「旬家」〉〈国立市役所に用が〉〈国立の音楽茶屋「奏」のジャズライヴに行く〉〈「奏」から「萬笑」〉〈国立市公民館で「福間塾」。公民館で「詩のワークショップ」をやっている〉〈「奏」(略)「萬笑」〉〈わが家から二番目に近い居酒屋「利久」〉〈「ロージナ茶房」〉〈国立市公民館〉〈「奏」(略)「さかえや」(略)「奏」〉〈「奏」〉〈「萬笑」〉〈谷保の「たちばな」で飲む〉〈「奏」〉〈国立市中央図書館〉〈富士見通りのビア・レストラン「ラグー」へ〉〈「萬笑」〉〈「奏」〉〈「奏」〉〈「奏」(略)「利久」〉〈「奏」〉〈天下市〉〈「奏」(略)「萬笑」〉〈富士見通りの美容室「メッセ」に〉〈「利久」〉‥。

「さかえや」「旬家」「萬笑」「奏」などはみんな国立市東にある。自分が判るのはスタ丼屋のそばにあるラーメン屋の「萬笑」くらいですが、音大に行ってるウチのバイトの子の友人には「奏」に関わっている人もいるらしいし、福間氏を見かけないのが不思議なくらいな気分ですが、それにしても、ウチもいちおう国立市東にある飲食店なのに全く氏の生活の対象外なんだな‥とすこし寂しく複雑な気持ち。

ところで、本上映時だっあかアンコール上映時だったか分かりませんが、かつて購入した『急にたどりついてしまう』(95)のパンフレットには当時(96春頃)のチラシが挟まっていました。中野武蔵野ホールのチラシコーナーからピックアップしたとおぼしきチラシが以下のもの。時代をかんじさせます。

○『DOORⅢ』@中野武蔵野ホール(3枚もガメてた、よっぽど期待してたらしい)
○『路上』@中野武蔵野ホール(鴨田好史)
○『私の秘密の花』@ル・シネマ(アリモドバル)
○『ナムルの家』@BOX東中野(ビョン・ヨンジュ)
○『ミスター・ノーボディ』@早稲田松竹(トニーノ・ヴァレリィ‥というかセルジオ・レオーネ)
○『エコエコアザラクⅡ』@シネマ・カリテ(佐藤嗣麻子監督、黒井ミサ役は今をときめく(?)ムテキング・吉野公佳でしたね‥)
○早稲田松竹1996・3(3/27より新装オープン、第一弾マカロニ・ウエスタン/3/27~4/2マカロニ・ウエスタン3本立(『ミスター・ノーボディ』『殺しが静かにやって来る』『J&Sさすらいの逃亡者』)、4/3~4/8『レニ』(前編&後編))
○特別上映『女地獄・森は濡れた』と神代辰巳の世界4/24~5/7@亀有名画座(『濡れた唇』『一条さゆり・濡れた欲情』『恋人たちは濡れた』『鍵』『四畳半襖の裏張り』『赤い髪の女』『女地獄・森は濡れた』)
○インディーズ伝説@中野武蔵野ホール(『闇のカーニバル』『鉄男 TETSUO』『追悼のざわめき』『三月のライオン』『爆裂都市 Burst City』)

『女地獄・森は濡れた』はこの前年(95年、神代辰巳の死んだ年)、長年の封印を解かれてスクリーンに蘇ったばかり。このころは神代辰巳の特集上映があちこちで行われていました。鴨田好史の『路上』も、神代辰巳監督へのオマージュとしてあり、そのラストシーンは『インモラル・淫らな関係』がアップした千葉外房のその地でラストシーンが撮影された。そもそも、〈「路上」はクマさんの最後の作品「インモラル」撮影終了後の残フィルムで撮ったのです。「クマさん、残ったフィルムもらっていいですか。5本あれば短編が撮れます。下さい、お願いします」。クマさんは苦笑いしていました〉とのことで、そのようにして、42分の『路上』が生まれる。“昭和七十年度製作”(=95年)という表記に、あるこだわりがあるように感じられます。
『インモラル~』で助監督についていた今岡信治(現・いまおかしんじ)が『獣たちの性宴 イクときいっしょ』で監督デビューしたのも95年。なんかいろんなことの転換期だったんだなと感慨。『ピンク・ヌーヴェルヴァーグ』でもピックアップされていたピンク四天王のころは、ピンク映画もまだ若松孝二な香り漂うカウンターカルチャーだったのに、今岡信治をはじめとするピンク七福神の時代に推移してやがてやんわりとサブカルチャー化して、安全なものになってしまった気がします。『急にたどりついてしまう』が撮られたころというのは、ギリギリ、ある種幸福な時代の終わりぎわだったのかなというイメージ。

theme : 日本映画
genre : 映画

11 | 2008/12 | 01
Su Mo Tu We Th Fr Sa
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
プロフィール

ししらいぞう

Author:ししらいぞう



東京在住

調理師のようなことをやっています。

趣味は立ち読み 格闘技観戦 映画観賞

3月生まれO型  

ランキング参加中☆
良かったらクリックをお願いします


ブログランキング・にほんブログ村へ
ブログランキング
ブログ内検索
最近の記事
リスト
2008年12月の記事
カテゴリー
Category Sum
全記事一覧
あいさつ 11
映画紹介(ア行) 21
映画紹介(カ行) 19
映画紹介(サ行) 13
映画紹介(タ行) 15
映画紹介(ナ行) 7
映画紹介 (ハ行) 18
映画紹介(マ行) 9
映画紹介(ヤ行) 7
映画紹介(ラ行) 5
映画紹介(ワ行) 1
観るまえの映画のこと 19
本と映画 22
雑誌と映画 18
その他映画 36
フルモーションレーベル 14
『恋する日曜日』 13
ユーロスペース 5
本・マンガ 40
雑誌 22
ドラマ 60
いろいろなBest10 15
日記 75
作家・監督・俳優・女優 6
舞台・イベント 4
未分類 8
月別アーカイブ
最近のコメント
最近のトラックバック
リンク
YouTubeSEARCH mini
おみくじ

©Plug-in by
FairyDances
★
HeroRisa

ぱたぱたアニメ館
GIFアニメ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。