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今さらな 2007年春ドラ

ライアーゲーム 


今さらですが、とっくの昔に終わった春ドラマの私的ランク付けです。
(最後まで観たもの、昼ドラのぞく)→

〈2007年春ドラマ〉
① ライアーゲーム
② セクシーボイス アンド ロボ
③ 花嫁とパパ
④ バンビ~ノ!
⑤ 生徒諸君!
⑥ 特急田中3号
⑦ 帰ってきた時効警察
⑧ プロポーズ大作戦
⑨ ホテリアー
⑩ わたしたちの教科書


『週刊文春』7月12日号に、〈全番組視聴率20%割れ 女がテレビを見なくなったぞ〉なる記事が掲載された。6月18日~24日の一週間のあいだ、視聴率20%を超える番組が一本たりともなかったという“事件”をネタに記事をおこし、出どころのあやしい、最高に嘘くさいアンケート結果を援用して「ドラマ」と「バラエティ」が下らなくなったからこのような事態になったと結論づける。
ツッコミ所満載のこの記事、いちいち批判するのも面倒くさいのでハショリますが、なにせ、まず視聴率が番組内容の良し悪しを反映していると思う悪癖に侵されていることから、そもそもゲンナリさせられます。

『シナリオ』9月号内「日本シナリオ作家協会ニュース」に掲載された座談会〈テレビを憂う〉(西岡琢也、佐伯俊道、伴一彦、塩田千種、柏原寛司、井上淳一)では、このテの問題にも触れられています。

〈西岡 (視聴率について)最近は非常にうるさく言うようになってきました。(略)放送が終わると視聴率でしか番組が語られない。数字が悪いとゴミのように言われ、良ければどんなにひどい作品であろうと褒められる。(略)かつて、視聴率を語ることと作品を語ること両方があったと思うんです。(略)今は「昨日、13%でした」って、それで終わりなのよ。13と14とどっちが大きい数字か子供でもわかるわけで、そんな事だけを大の大人が目くじら立てて言ってる。
伴 今は一般の人が視聴率を気にしている。ドラマの中身じゃなく、視聴率を語る。2ちゃんねるのスレッドを見ると、一桁なのはこれが原因だ、などと書き込まれています。
西岡 あの人たちはアナーキーなようでアナーキーじゃない、非常に保守的ですよ。
塩田 ある番組で視聴率が悪かったときに打ち上げで、「塩田さんとは二度とやりません」と担当プロデューサーから言われました。
佐伯 昔は今みたいにネットや新聞で週間視聴率ランキングなんて載らなかったから、調べなければ知らなくて済んだ。
西岡 新聞に視聴率のベストテンなんて出るのは何だろうな。一般人に何の関係があるのかな。〉

番組の“クオリティ”が“視聴率”と絶対的に関連しあっていた時代などあったためしはないのだから、こんなこと、言うまでもないことなのですが‥。映画の興行成績や書物・音楽CDの売り上げと、質的クオリティが一致しないことなど、誰にとっても自明のことなのに、何故かテレビ番組については、視聴率と質が結びついているような短絡思考に飛びついてしまう。
問題は、印象批評にすぎない自分の好悪を、根拠の曖昧な視聴率なんぞの高低を根拠にして断定的に論じる、安易な“安心”の構造が無自覚に蔓延していることじゃないかと思います。

さて軒並み低視聴率にあえいだ春ドラ群(夏ドラも全般低い数字と伝え聞く)でしたが、個人的には良い兆候ととらえています。元々が軒並み悪ければ、作品的な冒険もリスクが減る。視聴率にさしてこだわっていないテレビ東京が何気にいい番組を連打して制作しているみたいに、冒険心ある制作者の出番があるんじゃないかと‥。


その他のドラマでは、何度もの痛恨の予約録画ミスで、『エリートヤンキー三郎』を断念。昼ドラは、体調不良と多忙などで『砂時計』『暖流』を途中でリタイアしてしまったのが痛い。その後番組の『マイフェアボーイ』(→関連記事はコチラ)と、『キッパリ!』からは、ちゃんと観ました。

人生/生活を「キッパリ!」&「スッキリ!」と生きる術、がテーマの筈の『キッパリ!』(奥山佳恵、的場浩司主演)ですが、登場人物たちは物事を決断せずウヤムヤに先送りするし、物語はちっとも進行しない。どこが“キッパリ!”なんだか‥。挙げ句、的場&奥山の一家に飛び入りで居候することになった流浪の少女・ヒロカちゃん(田中明)が事実上の主人公。という、良く分からん謎のドラマでした‥。


ライアーゲーム


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theme : テレビドラマ
genre : テレビ・ラジオ

日記 中野散策?

20070823000042


8月17日(金) 晴れ

中野へ。

マルイ
知人の頼みで中野の不動産屋へ行きました。中野に来るのはこの夏、2度目か3度目か‥。貴重な休みを堅い用事に費やすのは痛いけど、中野には今のうちにまた来ておきたかったのでちょうど良かった。
この夏、8月26日に中野マルイ本店が閉店する、本当はその26日に来たいけれど、26日、高円寺にある自分のいる店は阿波踊りの影響で絶対に抜けられそうにないから、その前になんとか一度は訪れて、その最期の姿を見届けたかったのでした。

某不動産屋のS氏の車で中野区内を行ったり来たりしつつ、マルイ閉店の経緯を訊ねる。彼の言うところによると、あそこは本店のクセして借地で、これまで地主からは何度か出ていって欲しいという話もなくはなかったという。確かにマルイとしても中野本店はあまり利益が出ていなかったのだが、本店である手前閉めたくはなかった。それがここへきて、あの土地と建物を丸ごと買い取るというビッグな話が舞い込んだ。そうなるとマルイに打つ手はなく、泣く泣く閉じることに、という話だが‥。

「こういう話知ってます?なんでマルイって名前が付いたかって。まあ、都市伝説みたいなものなんですけど、けっこうあっちこっちで聞くから有名な(それなりに信憑性のある)話みたいなんですけど。マルニ商店ってありますよね。」「あ、あのマルイの対面にある雑貨屋さんみたいな布団屋さんみたいな。ウチ、あそこで座椅子買いました。」「僕もあそこで買いました。で、マルイの社長が昔マルニ商店で働いていて、いじめられたというか結構酷い目にあって辞めたんですって。それでコンチクショウって‥。」「それでマルニのすぐ正面にマルイ出して対抗?」「って聞きました、マルニより(格)上だからマルイだって。」

だからマルニ商店が潰れるまでマルイ本店は閉められぬと頑張った。が、何と天下のマルイがあの貧相な寝具屋に負けたのだ、という。話半分に聞きつつ、S氏と別れたあとマルイ本店に足を踏み入れると、中野とマルイの歴史を伝えるパネル展が開催されていて、しばし見入ると、そこには以下のような記述が。

実は、〈創業のときのマルイが「丸井」じゃな〉くて、〈実は「丸二商会」からのれん分け〉での開業だった〈ため「丸二」と〉いう屋号だった。

なんだか、S氏の話とは幾分ニュアンスが違いますが‥。憎しみがあって、しかも結果負けて撤退するとあらばわざわざパネルにして公表するだろうか。まあどっちでもいいけど。
(中野という土地柄故か、中野では大手が必ずしも勝つとは限らないようで、幾年か前、巨大レンタルショップチェーンとしてTSUTAYAがあらゆる場所でマイナーなビデオレンタル屋を駆逐しつづけていた時代、中野5丁目にあったTSUTAYAは、殆ど隣接するような場所にあり競合していた某ビデオ屋との争いに敗れるようにして、いつの間にか閉まっていました。)


マイフェアボーイ
この春から夏にかけて、TBS系昼ドラで『マイフェアボーイ』(マイフェアレディのもじり、立派なレディを育てるんじゃなくて、立派なボーイを育てる、というプロット)っていうのが放映されていました。これの舞台が中野で、馴染み深い場所場所がわんさか登場、ドラマの出来不出来とは別に、毎回楽しくみていたのでした。

マルイの裏のほうに住む主人公の主婦・アオイさん(熊谷真実)が働く生ジューススタンド「マハロ」は、中野ブロードウェイの地下1階に存在するという設定(放映時、ブロードウェイでは「ロハス」というキャンペーンをやっていて、どっちがロハスでどっちがマハロだか、なんとなく混乱しました)。そのマハロの隣のアクセサリーショップで働く、宇野実彩子似の女店員ルミさん(通山愛里)が、ミスドの付近で落とした財布。それを持って追っかけたAーBOYの優一君(山本裕典『花ざかりの君たちへ~イケメンパラダイス~』の霊感少年)がストーカーと間違われ(?)ることからアオイさんと知り合い(?)ジューススタンドで働くことに‥(優一君は新井とか野方とか、そっち方面に住んでいる。)。
という具合に、次から次へと中野の風景があらわれてきて、まだ中野に住んでいるような錯覚に陥るのが楽しく、アオイさん→(一人前のいい男に育成)→優一君→(好意&ふさわしい男に‥)→ルミさん、という他愛ない内容のドラマを見続けたのでした。

S氏の運転する車の窓からみえる街並みや風景に、このあいだ終わったばかりの『マイフェアボーイ』のロケ地が次々にあらわれてくる。優一君がしょっちゅう座ってたそがれているベンチ。アオイさんの小学生の娘・チッチ(松元環季、このドラマと同時期に『プロポーズ大作戦』長澤まさみの小学生時代もやってた)が好きな同級生のドバッシー(小倉史也)がいつも前をウロついていた新井薬師の駄菓子屋。

アオイさんの義母さんである松原智恵子が、お友達と楽しく豪華な食事をしにいくんだ~と言いつつ、実はサイゼリヤみたいなお店で一人寂しく食べているのを主人公たちに目撃される場面があるのですが、ドラマではその店は中野五叉路を左に折れたところにあった。そんな所にそんなもん無いだろ~と思いつつ、新しく出来たんかもよと気にかかっていたのでしたが、そっちは通らなかったので確認することが出来ませんでした。

『マイフェアボーイ』は、殆ど何が起こるわけでも何が楽しいわけでもない、微妙なドラマだったのでしたが、中野の数々の風景と、妙に口元がガチャガチャした顔だちの登場人物たち(小川菜摘を筆頭に、ドバッシー、ルミさん‥。主人公二人も、どことなく。)が、やんわりと印象に残っています。


ベリーズ
中野サンプラザの前の通りを、車で走り過ぎる。今日は入口付近広場が大変特殊に活気づいていた。サンプラザ前が人で特殊に活気づいているといえば、大概はハロプロライブに決まっていて、この日よりサンプラでのBerryz工房の3daysがあるのだった。この夏は、ドリ(dream/DRM)ヲタを間近に観察する機会が何度かあったのですが、ハロプロヲタはドリヲタに比べると格段にカラフルかつ楽しそうだ。

用事をひととおり終えて、やっと自由時間となり、いつもどおりブロードウェイで古本やCDやDVDや雑誌のバックナンバーあさりにうつる。
『TRIO』の1号店(映画&男性スター担当)でまず『ロシアでいま、映画はどうなっているのか?』(2000年、ゲルマンの『フルスタリョフ、車を!』公開にあわせて出版されたもの)、『東映ヒーローMAX』のバックナンバー(ここのところ、ジミ~に地道に『東映ヒーローMAX』『東映ヒロインMAX』のバックナンバーを買い揃え中)等を購入して、『TRIO』2号店(音楽&女性スター担当)に移動すると、いつもと違う光景がひろがっていました。

近年、本隊モー娘。の人気低落によって、ハロプログッズは大量に市場にあふれかえり飽和状態、投げ売りのような値段設定でも誰も寄りつかない、そのようなハロプログッズの巨大ワゴンが『TRIO』2号店の店の奥で居心地悪そうに閑散として鎮座しているのが最近の光景だったのですが、Berryz工房の公演日とあって何とあのワゴンの前に人がごった返している。店内はいつもと違った人混みと化し、店側も売り時とばかりに、ハロプロ系の写真集等を前面全面にディスプレイ。タイムスリップしたみたいに、なんだか時代の感覚がおかしくなって感じる‥といっても売れてるのはベリエや℃-uteのグッズばかりなんでしょうが‥。結局、雑誌のバックナンバーチェックは断念して、店をあとにしました。


『ロシアでいま、映画はどうなっているのか』はゲルマン、ソクーロフ、バラバーノフらのインタビューのほか、批評というよりコラムが数本、ロシアがらみの映画祭のパンフやカタログに比べて資料性はそれほど高くない。インタビュー記事内に、カッコ付きで編集部の注があるのですが、
〈‥溝口(溝口健二監督のこと)にしても、瞬間を長回しでとらえた『楊貴妃』のような素晴らしい作品が〉
とか
〈‥ふたりとも、タルコフスキー(アレクサンドル・タルコフスキー監督のこと)から、学んだ〉
とか、
いちいちウッセーとイライラする。溝口もタルコフスキーも注がないと分からないのは、読者じゃなくて編集部なのではと、読んでいて疑わしくなってきました。)

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『ロシアでいま、映画はどうなっているのか』(パンドラ)

theme : 雑記
genre : 日記

今さらな映画 『14歳』『机のなかみ』ほか

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『14歳』


GW以降、しばらくブログをお休みしていましたが、通院や様々なトラブルも一段落したので、ちょっとずつ再開していこうと思います。

休止中に訪問してくださった方々、どうもありがとうございました。以前と同じようなやり方でやっていくかは微妙なところですが、寛容にみていただけたらと思います。

しばらくは、休んでいる間に言いそびれた、今さらな記事がつづくことをご容赦願いたいと思いますがー、
映画のことでいえば、自分の精神のせいか作品のせいかは分かりませんが、この春から夏のはじまりにかけては、何を観てもノれず、大ヒットした某ハリウッド超大作もボンヤリとみているばかりで、期待の『机のなかみ』吉田恵輔監督)や『14歳』廣末哲万監督)にさえ全然ピンときませんでした。

“14歳という時代”をリアルに描いたと世評高い、映像ユニット〈群青いろ〉によるPFFスカラシップ作品『14歳』についていえば、アタマのスローモーションだかハイスピード撮影だかの襲撃シーンでさっそくズッコケた。やりたいことは分かる気がしますし、大人と子供の断絶ぶりの描出は健闘していると思いますが、何しろ全部ヘタで、この程度の野心的作劇と才能と技術では、イタリアのネオ・レアリズモの作品群の足元にも及ばない、批判するほどの労力もモッタイナイとゲンナリした。(廣末氏の演技は、いつもながら稚拙極まりなく、目も当てられない‥。山下敦弘監督の最新公開作『天然コケッコー』のシゲちゃん役でも、1人だけ演技のクオリティが激しく低レベルでした‥。)

ネオ・リアリズモで思い出しましたが、そういえば休んでいる間にミケランジェロ・アントニオーニ監督が亡くなられた。他にも、イングマール・ベルイマン、エドワード・ヤンといった映画史に巨大な痕跡をのこした映画監督が次々に亡くなられてゆきました。
世代的に、ヌーヴェルヴァーグ以前の作家という印象のあるベルイマンは勿論、『さすらいの二人』(74)や『ある女の存在証明』(82)さえ後追いで観たに過ぎないアントニオーニなどはどうしてもお勉強の対象、“括弧付き”の存在にとどまってしまうのですが、同時代的に伴走することが出来たエドワード・ヤンという存在、その映画群が、自分に刻みつけていったダメージ、人生を生きる姿勢への影響は、年々濃くなっていっていると感じられます‥。
『クーリンチェ少年殺人事件』(91)や『恐怖分子』(86)なんかは、確かに誰がどっからみても世紀の大傑作で、公開当時も興奮して繰り返し繰り返し観たしいろいろなことを考えさせられたしある種の刺激も大いに受けましたが、現在も心に引っかかり続けているのは『カップルズ』(96)や『エドワード・ヤンの恋愛時代』(94)や『ヤンヤン 夏の想い出』(00)といった微妙な作品群。それらを凄いなあと思っている気持ちを、どう表現したらいいんでしょうか‥今は何も思いつかないんで、さっさと次へ行きますが‥そういえば、前に住んでた中野のアパートの部屋では映画のポスターを2枚貼っていて、1枚は『恐怖分子』、もう1枚はブノワ・ジャコーの某映画でした。ここ10年くらい、『クーリンチェ』はLDの4時間版を年1、2回観なおす感じなのですが(『CINETIC』のバックナンバーを読み直すたびに観てる気がする)、DVDで3時間版とか出ているんだろうかとふと時々気になる‥再上映もなんか4時間版ばっかりやってるような感覚があるし、3時間版の感触を忘れそうな不安が無くもない‥


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『机のなかみ』

話がだいぶ逸れましたが‥女子高生に焦がれるイタいオッサンの青春(?)映画『なま夏』(05)がトビー・フーパーの御墨付きを得て、一躍期待の新鋭のポジションに躍り出た吉田恵輔監督の初商業映画『机のなかみ』は、『なま夏』のエッジをマイルド化しキャッチャーな仕掛けも施した、じつに計算高い一編で、安心して観ることが出来る反面、この程度だったらわざわざ新人の映画なんて観ずにベテランの作った映画観るよと思わずにいられない予定調和なルーティンに支配されていました。

1部2部にわかれた構成の“ある仕掛け”も、開巻早々分かってしまいラストまで大体のところ予想がつく。そうしてその予測/想定をなぞるように大人しく丁寧にお話しが綴られてゆき、やや退屈してしまう。山下敦弘映画における情けない男子像の〈みっともないオカシサ〉に比べると、あべこうじの演技は、しょせん喋りが達者なコマシ野郎の小手先の演技にしか見えず、(彼のネームバリューと分かり易い〈あるある演技〉により)商業価値が出たぶん、この映画における人生のリアリティはファンタジーの域に留まった、とおもう。

色々キチンと言うのも面倒なので印象でまとめて言いますが、『14歳』にしろ『机のなかみ』にしても、作り手が事前に抱いた作品のイメージになるべく近づけるように〈ボールを置きにいく〉感じで作られていて、観る側作る側ともに共有しうる予定調和な〈安心の構造〉から生じるイージーさが漂う。これらの作品の〈新しさ〉とは結局、〈ある(新機軸な?)人生モデル〉の提示に過ぎなくて、そういうそもそも低いハードルを低いテクニックでスレスレ通過しただけ、といった感があります。
『サイドカーに犬』根岸吉太郎『恋する日曜日 私、恋した。』廣木隆一等のベテラン陣の映画が、事前の〈イメージ〉に逆らうように、制作の段階段階でその都度その都度、キリキリとハードルをあげていった手触りがあるなか、世渡り上手な風情の若手作家の映画群の“こんなもんで良かんべイズム”(椎名誠)にイライラすることが多い‥。

まあ『机のなかみ』への悪印象に関しては、個人的にヒロイン鈴木美生のルックスや声が実に苦手だというのもありますが、それ以上に、観賞した日がたまたまトークショー付きの上映日にあたり、その日は吉田監督&あべこうじに加え〈劇団はえぎわ〉から踊子あり(あべこうじのエキセントリックでブスな彼女役、内輪ウケ的演技にとどまった感あり‥)&カオティックコスモス(前作『メリチン』(未公開)主演)、という面々でのトークで、そのため〈はえぎわ〉の関係者らやファンが大挙して来ており、上映前ロビーで大声で内輪的に幅きかせて喋り倒していたのが大変見苦しく腹立たしく、トークショーでの内輪的なウルサい反応にもいちいちイライラさせられたことが、大きく影響しているのかも知れませんが‥。

(ところで、1回しか観てないので記憶が定かではありませんが、『机のなかみ』では時折カット尻がフェイドアウト処理されて、妙な感触を残す。このフェイドアウト処理された部分は、1部と2部の交錯する部分の〈継ぎ目〉ってことですよね‥?)

こうした、〈ヘタ/自己実現系〉のイマイチな映画群と、それらと対照的な、リッパにテクニックもハートもある〈映画的〉作品群、という座標軸をおくと、今年前半は『気球クラブ、その後』『エクステ』を連打した園子温の立ち位置の微妙なユニークさが浮き彫りになる気がします。
そのフィルモグラフィの遍歴や、吟味されていないようにみえる乱雑なダイアローグ等からして、〈ヘタ/自己実現系〉そのものに見えなくもない園子温の映画は、しかし、何か外しちゃいけないキモを何故かちゃんと掴んでいる気がする。
『気球~』における気球クラブの面々、『エクステ』の美容院の従業員たちといった〈その他大勢〉といった風情の群像も、図式的な描き分けがなされているようでいて、“人間”の温もりや豊さを一瞬の仕草や声色で現出させる。〈映画的〉でも〈演劇的〉でもない独自のやり方で、ポジションを埋めるためだけに配置されたような一人一人が唯一無二の者たちとしてたちあがってくる不思議。大した内容もない『エクステ』の、凶悪女を演じたつぐみも、こんな映画にもったいないくらいに豊かな存在感を示していた‥。たとえば石井聰互塚本晋也の“ヘタ”と、園子温の“ヘタ”とは、何だか“ヘタ”の種類が違うんですね。そうして、結局着地する姿勢の意外なシャープなさまを見ると、テクニカルにみえてくる奇妙さ。若手でいうと熊澤尚人あたりが、そういう種類の才能の気配を漂わせていなくもないように感じられます。

theme : 映画関連ネタ
genre : 映画

MRI

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7月5日(木曜日) 晴れ

ついに生まれて初めて、MRI検査を受けました。

病気や検査への不安よりはワクワク、未知の経験に期待がつのる。MRIについての知識は殆どなく、CTスキャンの親戚で、脳の検査に向いていて、被爆しない、時計やペースメイカーは御法度、ということくらいしか知らない。レントゲン室のズラリと並ぶ、大病院の二階廊下の奥の奥にMRI室があって、ちいさな小窓に予約票を差し出してしばらくすると中に導き入れられた。

中は小さな更衣室で、1人のMRI技師が待っていました。検査には20分ほどかかるとのこと。金属製のものはダメだからベルトや装身具も外してください。歯のブリッジ類やペースメーカーの有無をきかれ、ないと答えると、下着姿になっていかにも病院ぽいペラペラのローブを着るよう命じられる。

ロッカーに貴重品と脱いだ服をしまってカギをかけるが、ハテこの明らかに金属製のカギはどうすべきか迷っていると、技師が検査中は預かっているという。それじゃあ機械内部に閉じこめられている間、技師は僕の貴重品を自由に出来る気がするが‥‥。

寝台に横たわって、(検査中、大きな音がしますが、これである程度和らぎますと言われて)頭部にヘッドフォンをセットしてもらう。その頭部を、ヘッドフォンごと万力のようなもので台に固定された。もう天井しか見るものがない固定された仰向けの視界の上に、今度はプラスチックのフェイスカバーようなものが覆う。無理すればカバーの隙間から外界がのぞめそうだけど、ウットウシイからずっと目を閉じていることにする。

やがて、寝台はゆっくりと頭から筒状の機器に侵入してゆく。何かに包まれてゆく感覚。手にはパニクった時のため非常コールボタン、押すつもりはない。閉所恐怖症の覚えはないけど、いざとなったらどうだかという微かな不安‥。
それよりも、マゾ体質が発現したとしたら嫌だなという危惧が。もともと、自分はMのほうだと、人生の長い期間ずっと漠然と認識していたのでしたが、不幸体質とMをゴッチャにしてた感じがあって、ようやく最近どっちかというとSだと気づいて自己認識が落ち着いた。それなのに、それがこうして拘束されて為すがままでいることに快楽を覚えたりしたら、またなんか自己認識の変更手続きがメンドクセーなーという気分と、快楽だったら楽に済むなという楽観が交錯する。

頭頂部の方向へ、ゆっくりゆっくり微速前進してゆく寝台の振動を脊椎を中心とした躰全体でじんわり感じつつ、耳元にうっすら流れているクラシックをボンヤリと聴く。なんか、あらかじめ自分の持ってきたCDとかかけて聴きながら検査受けれたり出来たら楽しくていいのに‥と思いながら目を閉じていると、骨伝導的にガガガガガと貫くような振動が響く。核磁気共鳴。痛み等はなく、絶え間ない振動と音を感じるだけ。衝撃/振動は強くなったり弱まったり‥。振動する方式の電気按摩チェアに横たわっているようなふんわりした気分もなくもない‥
拘束も振動もあまり不快感はなくて、諦めがかえって心地いい、でもこの状態を快楽と認めるのは嫌だとあらためて拒絶する気持ちが湧く‥

目をずっと閉じているせいか、そんなはずはないのに、寝台が絶え間なくずっと前進を続けている気がしてきました。そんなに長大な機器のわけはないから、停止したり逆行したり色々しているんだろうか‥たぶん‥強く弱く続く振動が錯覚させるのか‥

でも、ずっと前進してると考えたほうが落ち着く。
振動を心地よく感じることが出来る。
すこし昔、ずっと昔‥
よく家族で旅行に出かけた時の記憶が喚起されました。

うちの家族は、休みがあるたびに自動車で近場に旅行に出かけていました。
山なら長野、海なら千葉あたりが主で、後部座席はいつも僕と妹で、高速道路で移動中、カーステレオに合わせて歌を歌ったり、レースに見立ててウチの車が現在何位で抜いたから今何位にあがったとかシミュレーションしたりして時間をつぶすがすぐに疲れてしまい、後半は妹とふたり、後部座席に並んで横たわるのが常だった気がする。

横たわった躰には自動車の振動がずっと伝わりつづけ、眠気を誘い、座席に押しつけられた耳には、高速道路のスリップ止めの継ぎ目をコンスタントに越える音がゴン、ゴンと間欠的に響く。振動が絶え間なくつづく‥。

お父さんのドライビングはカクカクしていて乱暴かつ正確、自分の運転快楽原則に忠実だったから子供らはしばしば酔った。父はダートトライアルとかをやっていて、昔<Monster>というダートラチームにも入っていて、後部窓にはその<Monster>のロゴのチームステッカーが貼ってあった(後年、父がダートラを卒業してしばらくのち、『トカレフ』(94)の幼児誘拐シーンで、<Monster>のチームステッカーを貼った車が画面に登場したのを見たとき、現実感と虚構感が錯綜する不安な気分を味わった、そもそも『トカレフ』という映画そのものが、強い虚構感とナマしいリアリティが不安定に混在する、妙なザワザワした肌触りをもった映画だった‥)。車内には、転倒しても潰れないようにロールバーが仕込んであって、掴まり具合がいいので揺れると手がいくのは掴まる用の取っ手ではなく常にロールバーだった。

包まれているという充足した安心感と、それでも危険と隣合わせだというヒリヒリした緊張感が相俟って、じんわり濁った浅いまどろみを生む。それが幼少時の記憶として、皮膚感覚として、躰に刻まれていました。検査の渦中にあって不可避的に想起された感覚と記憶。

長野の山には、おじいちゃんが保有していた山小屋のような別荘のようなものがあって、そこで夏と冬の大半を過ごす。その時どきに飼っていた犬や猫はここに来たときだけ自由に放し飼いとなり、めいっぱい楽しそうに小屋の周辺の林を駆け回っていた。高い高い樹木に登ったはいいが降りれなくなって鳴いていた猫。物珍しそうにさまざまな昆虫をハントしていた犬。

theme : 雑談
genre : 日記

07 | 2007/08 | 09
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ししらいぞう

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