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つかわなかった券

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部屋を掃除していたら、結局行かなかった映画『南京1937』の前売り券が出てきました。
8年前の、今はなき中野武蔵野館で使える筈だった券‥。
切り取ったヤツを“半券”ていうなら、
こういうのは何ていうんだろう?
全券?

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theme : 映画
genre : 映画

『インプリント ぼっけえ、きょうてえ』

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『インプリント ぼっけえ、きょうてえ』
(2005年、アメリカ、63分)

原作・出演:岩井志麻子
監督:三池崇史
撮影:栗田豊通
特殊メイク:松井祐一
出演:工藤夕貴、ビリー・ドラゴ、美知枝

世界の名だたるホラー監督たちを13人集めて制作され、話題をあつめたアメリカのTVシリーズ、『マスターズ・オブ・ホラー』。日本での劇場公開からそれほど間を置かずに、このたび〈恐1(キョウワン)グランプリ〉なる、シリーズというか特集めかした形で、DVDが一挙にリリースされました。
極限まで放送コードを無視した表現がウリのひとつであるシリーズであるにも関わらず、そのあんまりな表現に放送禁止という措置をとられてしまったのが、日本からエントリーされた三池崇史監督(海外では『オーディション』(00)等が高い評価)の『インプリント ぼっけえ、きょうてえ』。

原作者の岩井志麻子は、ごく短いものながら、この『ぼっけえ、きょうてえ』で日本ホラー大賞を堂々受賞し、ホラー小説家としてデビューした。近年は、その特異というか微妙なキャラクターがウケて、テレビ等露出が激しいなか、今回この『インプリント』では同僚の女郎に非道な拷問を行う問女郎役を堂々狂演しています。だいたい、得てして作家のゲスト出演シーンは痛々しいものなのですが、岩井志麻子のばあい、そのストレートかつヒネクレた自己顕示欲の発露っぷりが堂々としていて嫌みがない。残酷な加虐行為を行う女郎、などという役、他の小説家が全力で演じたりは、ちょっとしないとおもいます。

遊郭にやってきたアメリカ男性・クリストファーは、かつて小桃という女郎に想いを寄せて母国へ連れ帰る決意をしていたが、事情あって叶わなかった。その小桃が流転の末に辿り着いたのがこの島の遊郭だという。なぜか心に引っかかった妖しい雰囲気の女郎を指名し、彼女と話すうちに、その醜い面立ちに気づき、おののく。「うちの顔、ぼっけえきょうてえじゃろ。でも、うちのアソコはしまりがいいと評判なんじゃ。」やがて女はその悲惨な生い立ちとともに、小桃のたどった恐ろしい顛末を語りはじめる‥。

『インプリント~』で話される台詞は全編英語で、江戸時代とおぼしき時代背景とのあいだに違和感を感じるかと思われたが、意外と違和感がない。通常の時代劇的なリアリズムとはかけ離れた色彩設計や美術によって、もうひとつの独自の世界が確固として構築されているからか。日本人の俳優陣の英語は、流暢かどうかとは無関係に堂に入っていて、物語世界に溶け込んでいると思う。しかしアメリカの観客なり視聴者なりを、この恐ろしい物語のなかに導く役割を担うビリー・ドラゴの演技はちょっとヒドい‥。『ペイルライダー』(85)、『アンタッチャブル』(87)等といった輝かしい出演作を過去にもつ人物とは思えない。このドラゴ演じるアメリカ人を水先案内人として、観客は主観を彼にあずけ、不吉な地獄めぐりに出る。冒頭、男達を乗せて川を遡る舟の横を腹の膨らんだ女郎の水死体がながれてゆく。おどろおどろしいだけにみえて以後の展開/テーマと呼応するスムーズに美しい導入。〈常識人として〉彼の視線に寄り添って物語を追ううちに、いつの間にか、主観は長く恐ろしい物語を語りだす醜面の女郎・工藤夕貴に移り、善悪の境がなく道徳が無効になった
三池ホラー世界のライドに〈非・常識人として〉乗り込んでいることになる。
『殺し屋1』でその表現を極めた三池崇史おなじみの拷問シーンは、目を背ける残虐な迫真の場面だが、放映禁止になったのはこの直接的なシーンのためでなく、××××、××殺し、×殺し××××などの人倫ニモトル非人間的な描写が引っかかったのでは‥。終盤のたたみかけるイメージの展開は『オーディション』を思わせる圧倒感で、ドラゴや観客/視聴者をも、いつの間にか非・常識人/反倫理的な非・人間として取り込んでゆく。

個人的には、三池崇史監督の熱心な観客ではないのですが、この『インプリント~』は『オーディション』『殺し屋1』系列に連なる作品として、それらに見劣りしない、ことによったら凌駕するかもしれない高い水準を示していると思います。

しかし、この『インプリント ぼっけえ、きょうてえ』は、『殺し屋1』ほどの破壊的な衝撃を、日本映画界や観客にもたらさないのではないか。それは〈三池〉にも〈ぼっけえ、きょうてえ〉にも〈ホラー〉にも縁遠いような浮動的観客層にはまず届かない企画の成り立ちが、一般の観客のまえに立ちはだかっているからで、“三池崇史の残虐非道ぶり”をあらかじめ期待して観る層に、観客層が固定化されてしまっていて、『殺し屋1』や『オーディション』のように、運悪く間違えて観てしまった、という層を生み出しにくい。DVDでレンタルして観るにも、“13本の競作”という重たさが、これがエポックとなる機会を閉ざしているのではないでしょうか‥。

theme : 日本映画
genre : 映画

高円寺阿波踊り

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いよいよ今日から始まった高円寺の阿波踊り。店にいても、何かのリズムを刻む音が、腹にズンズン響いてくる。圧倒的な数の浴衣の男女が店に押し寄せてきた。休憩時間に缶ジュース買いにすぐ近くのコンビニに行くのに、交通規制と人波で、ものすごい時間がかかった。。阿波踊りって、どうみてたら面白いのかよくわからん‥。何秒、何分くらいみたらいいものなのかと地元民に訊くと、全団体の全踊りをみるのだという。今日は屋台が出ないから、群衆の気持ちが分散してなくて集中的な高揚感が充満していた。駅のホームに人が敷き詰まるみたいにみっしりと満杯になる時間があるときいていたけどそれを見物するヒマはなかった。

theme : 雑記
genre : 日記

島本和彦『あしたのガンダム』

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中野まんだらけにて、古本『PURE CYBER COMIX SERIES.02 ガンダムジェネレーション 1』(以下『Gジェネ1』)を購入(昔版のガンダムエースみたいなもの)。めあては『炎の転校生』や『逆境ナイン』などでお馴染みの熱血漫画家・島本和彦の短編『あしたのガンダム』です。

人生の節目節目で、オタク的なグッズやムックを捨てるときがある。同人誌臭のする『サイバーコミック』もそうで、そういうモノを買ったはいいけど、持っていることがイヤでイヤで仕方なくなる時期が、波が高くなるように周期的に訪れる。自己嫌悪なのかオタク的な世界への嫌悪感なのか、自分を分析するクセがないのでよく分かりませんが‥。

とにかく捨ててしまって長いこと気がかりだったのが、島本和彦の〈ガンダム〉×〈あしたのジョー〉のパロディ『あしたのガンダム』が載っていた『サイバーコミック』01号で、今回入手した『Gジェネ1』は、『サイバーコミック』傑作選、的な本で、僕が捨てた01号とは別物。この傑作選には、安永航一郎やこやま基夫などの著名な名前あり。01号の巻頭を飾っていた記憶が鮮やかな、ミノフスキー博士の伝記マンガ(沖一/高橋昌也『STAMPEDE・ミノフスキー博士物語』)がこの『Gジェネ1』でも巻頭を飾っていて、10数年ぶりの再会にしみじみ‥‥。01号には他に、克・亜樹の『ソイレント・グリーン』のパクリみたいな短編も載っていた気がしますが、気のせいかもしれません。。

で、アムロ・レイ&ガンダムが矢吹丈にみたてられた〈原画風コミック〉『あしたのガンダム』は、〈アニメ『ガンダム』〉×〈マンガ『あしたのジョー』〉、なだけでなく、たとえばマチルダ(力石徹)の死をアムロ(矢吹丈)に新聞記者が伝える場面があるのですが、ここではマンガ版のキャラの薄い記者が告るバージョンでなくて、ブキミなアニメ版の新聞記者のほうが起用されているのが、なんともステキだなあとおもう。このマンガ全体に、『あしたのジョー』全般にたいするあたたかい愛情が滲んでいるようで、ほわほわする。ちばてつやの『あしたのジョー』は、ぼくが生まれて初めておこずかいで買った漫画なのだった。

theme : マンガ
genre : アニメ・コミック

『ユナイテッド93』

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『ユナイテッド93』

(2006年、アメリカ、111分)

監督:ポール・グリーングラス
出演:JJ・ジョンソン、ゲイリー・コモック、ハリド・アブダラ、ルイス・アルサマリ、ジェイミー・ハーディング、オマー・バードゥニ、デイヴィッド・アラン・ブッシェ

2001年9月11日。ニューヨーク発サンフランシスコ行きのユナイテッド93便は、何者かによってハイジャックされてしまう。同じころ、同様にハイジャックされた航空機群が世界貿易センタービルやペンタゴン本庁舎に激突した。その情報を携帯電話で得たユナイテッド93便の乗客たちは、このままではこの機も同じ様に特攻する確信をえて、ハイジャック犯に抵抗を試みる‥。

世紀の大事件だった9・11同時多発テロ。
あれから5年たち、次々に作られはじめた、事件を題材にした映画の第一波の上陸はまずこの『ユナイテッド93』。『ブラディ・サンデー』(02)、『ボーン・スプレマシー』(04)と、手持ちカメラを用いたドキュメンタリー・タッチのリアルな画づくりが買われての起用となったポール・グリーングラス監督は、極限までリアルを追求した。綿密な調査を行い、関わった航空局員等に多く本人を本人役として起用、93便の乗客も無名の俳優ばかりでリアルを優先し、得意の手持ちカメラでドキュメンタリー・タッチを演出し、謎であるはずの機内での出来事を、あたかも本当にそうであったかと思わせるほど迫真のサスペンスを漲らせる。

良くも悪くも必見の映画だと思います。UIPが配給ということでか、あまり宣伝が行き届いていないかんじがあり、知名度もやや低めですが、誰しも観たら何かを感じることになると思います。

凄いのは、貿易センタービルから黒煙がたつのを他のビルやビルの谷間から捉えるピントの甘い画面。くっきりと表現するのではない、ボヤケたCGの臨場感がすごい。
人質となる機内のアメリカ人たちが半端にガサツな人間ばかりでキャラクターも立たせてもらえず、かえって聡明そうなテロリストたちに肩入れしたくなるような、ハリウッド的なドラマツルギーに背をむけた人物配置も、ただの“おはなし”ではない、娯楽物語ではないという宣言となる。

しかし一方、〈リアル〉を演出することを優先するあまり、管制塔やら航空防衛司令部やら航空局やら、さまざまな場所が入れ替わり立ち替わり出てきますが、誰のキャラも立ってないうえ不安定なカメラのブン回しが祟って、どこがどこで誰が誰やら把握することが困難で、結局観客は画面からは〈雰囲気〉を読み取り、事件については字幕とレーダー画面だけを頼りに抽象的に把握することになる。
機内の状況にしても、人々の位置関係が把握しずらく、隠れて電話で地上と連絡をとろうとする者が、果たしてテロリストから見えないのか、見えても気にしてないのかとか、武器を悠長にかき集めている乗客たちをテロリストが咎めないエクスキューズがみえてこない。
混乱を描写するということと、描写が混乱することを取り違えているんじゃないかという疑問が残りました。しかし、〈ドキュメンタリー・タッチ〉と、〈ある一方のエモーションに寄り添わない作劇〉の組み合わせは、正しい作戦だと思いました。

(あるいは、阿部和重がしつこくこだわり続けている〈疑似ドキュメンタリー問題〉に関して、この映画は、どういった位置付けになるのか。阿部和重、もうどこかで何か言っているのかもしれません。目に触れたら興味ぶかく読みたいと思います。)

theme : ユナイテッド93
genre : 映画

叶精二『宮崎駿全書』

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叶精二『宮崎駿全書』

(フィルムアート社)

宮崎アニメの関連本って、いっぱい出版されていますが、やたら値段高いわりにそれほど内容がなかったり局所的だったりする本が多いなか、ようやく基本文献、必須図書といえるような本が出ました。

〈これまで無数の「宮崎アニメ」評が新聞雑誌に掲載され、大量の研究書が出版されたが、それらはもっぱら物語・キャラクター・声優の紹介、宮崎の演出や思想に関する解釈と分析に終始し〉、〈勝手な宮崎像と「アニメ」観を語れば良しとされている。作品が気に入れば宮崎を崇拝・信仰し、気に入らなければ毛嫌いする。細かな成功や失敗は大雑把な印象によって切り捨てられ〉ている状況にたいする批判のようにして、徹底した〈周辺取材と検証作業〉に基づき、デイヴィッド・ヒューズ『キューブリック全書』のフォーマットに倣った形式を採用した本書は、よくまとまっていてすごく実用的な研究書だと思います。

長編は『カリオストロの城』(79)から『ハウルの動く城』(04)まで、短編『そらいろのたね』(92)から『水グモもんもん』(06)までを網羅し、以下の項目について資料や研究がまとめられています。

①クレジット(に加えて公開日、公開期間、制作期間、上映時間、作画枚数、受賞歴など)
②あらすじ
③制作の経緯(発案から企画の進行、製作/制作の流れ)
④作品の源泉
⑤技術的達成
⑥カットされたシーン
⑦制作スタッフ(各自の具体的な仕事内容を詳述)
⑧声優
⑨音楽と主題歌
⑩宣伝と興行
⑪公開、その後
⑫海外の反響
⑬主な批評
⑭総評

いわば巨大なプロダクション・ノートとして活用して読めるもので、たとえばかつて『魔女の宅急便』(89)についてあるビッグネームの批評家が、なぜ宮崎駿が魔女が空を飛ぶ話など手掛けたのか、その能力が金銭に結びつくのはいかがなものか、といった、などと〈苦言を呈し〉ているのにビックリした(ちょっと調べればそんなトンチンカンなこと言わずに済むのに‥)のでしたが、こういう本が存在したら今後は印象に頼るそういう批評は激減するんじゃないでしょうか。

⑩(宣伝と興行)の項目群では、今では超大ヒットが当たり前の宮崎映画も、『となりのトトロ』(88)までは実は興行成績が振るわなかったという、誰もがなんとなしに知っている「常識」も、果たして本当にそうなのかどうかを、さまざまなデータや外的要因を緻密に分析して解き明かす。作品の出来不出来から離れたこういった要素が詳しく載っているのもうれしい。

この本を読んでいると、いろいろと思い出す。

幼少のころ、モーリス・ルブランの『怪盗ルパン』シリーズを読んで(本書『カリオストロの城』の〈作品の源泉〉の項目で触れられている『カリオストロ伯爵夫人』『緑の眼の令嬢』)、『カリオストロの城』の元ネタがこんなとこにあったんだ、と感じ入った覚えがあります。ただし読んだのはポプラ社の南洋一郎版のルパンだったから、『緑の眼の令嬢』という題ではなくてなぜか『青い目の少女』なるタイトルで、緑の目の少女とは別に、青い目の少女が登場するからてっきりヒロインだと思いつつも、どうもなんだか性格の悪い娘だなあと不審に感じながら読み進めてゆくと、なんとアッサリ途中で死んでしまい、のけぞった(慣用句)のでしたが‥。

美術の山本二三の名前を覚えたのは、『天空の城ラピュタ』(86)の冒頭、大スクリーンにあらわれた夜の雲のシーンに圧倒されたからだった。みたことのない雲の質感。感動した。本書では触れられていないが、当時のあるインタビューで山本二三がその雲のシーンを「失敗だった」と不満を残している旨を述べているのを読んで、これでも失敗かよ!と二重に驚いたのを思い出した。

その『ラピュタ』公開時のタイアップ商品、味の素からでてた「ライトフルーツソーダ 天空の城ラピュタ」は、何度も飲んでいました。気に入ったパッケージの絵柄を(ペットボトルだったか瓶だったかの)本体部からスルッと剥がして、勉強机の電気スタンドの首の部分に巻きつけて取って置いた。味はメッツとかマウンテンデューみたいな、微妙なものに感じていましたが、ある時他人が「あれマズイよねー」とか話しているのを聞いて、なぜだか深く傷ついた。

theme : 専門書
genre : 本・雑誌

汗すうワイシャツ

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今日は早朝から代官山で会議。
渋谷駅から代官山まで歩く。長い上り坂がいまいましい。はやくから日差しも結構すごくて、汗でビショビショ、ベトベトになった。

どうしてワイシャツってこう通気性も吸水性も悪いんでしょう‥。タオル地とかがスタンダードなワイシャツの布地、ってことになればいいのになー。

theme : 日記
genre : 日記

『下北サンデーズ』

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『下北サンデーズ』
(テレビ朝日系、木曜21時~)

原作:石田衣良
脚本:河原雅彦、他
演出:堤幸彦、他
出演:上戸彩、佐々木蔵之介、佐田真由美、山口紗弥加、竹山隆範、石垣佑磨、古田新太、北村総一郎

上戸彩主演ドラマはいつも必見!すごくファンだということでもないのに、見逃しちゃならない強迫観念にかられる。理由はよくわからないんですが、きっと自分のなかで上戸彩は別格のスターなんだと思います。

『下北サンデーズ』は、下北沢の小劇団を舞台に繰り広げられる青春群像劇で、上京してきた〈笑うことをわすれた〉上戸彩演じる大学生・里中ゆいかが、劇団「下北サンデーズ」のパフォーマンスに接することで笑うことを取り戻し、彼らの公演に接して演劇に目覚め、サンデーズに入団、小劇場演劇ライフを生きるようになる物語で、原作は心のこもっていない小説を書かせたら日本一の石田衣良の同題小説。これを同じ原作者のドラマ化『池袋ウエストゲートパーク』ふたたび、ということでしょうか、堤幸彦が演出の中心を担う。

それで、面白いかといわれると、面白いような‥面白くないような‥。なんかボンヤリとした感想や印象なのに見続けていられるのは、上戸彩だからこそなのか‥。

小ネタや小ギャグがいつになく不発で、空転感がただよう。スクラッチみたいなタイトルコール、パンクなラーメン屋の店員たち、キノコ尽くしの居酒屋の外国人店員がパクチーばっかりもってくるとか、そんなに面白いわけでもないことが繰り返されたりしてる。キャラクターに愛着がわいて人物像にノるまえから連打されていても、対応に困る。。たとえば『IWGP』で長瀬智也のマコトが、ヤンマガの『工業哀歌バレーボーイズ』を読んでるという小ネタが良く映るのは、パッと掴める命の宿ったキャラクターと、ネタとの距離感がいいからだとおもう。上戸彩が同じ大学のクラスメートにギャグを披露して(コマネチとか)、一拍おいて相手が大笑いする、という場面が毎回入りますが、やるほうも笑うほうもなんかちがうんじゃないかと。。

ヒロイン・里中ゆいか役の上戸彩は、『アテンションプリーズ』や『エースをねらえ』などでは、(そりゃあ、意地悪されるのもしょうがないよ‥‥)と思わせるような、周囲の人々の気持ちがわからない鈍感かつ雑な人物を演じ、“上戸彩=爽やかな笑顔”というパブリックイメージを逆なでするような憎々しい笑顔をふりまいて、感情移入を拒むようで、ヒロインがこれでいいのか‥と見続けていくうちに、雑ななかにある真っ直ぐな強さがドラマや心をズバッと射抜いたりするので油断ならない。

今回の上戸彩は、世間を知らず染まりやすい、笑顔のこわばった硬質な幼女のような人物で、ここでも上戸彩=笑顔というイメージに逆らったような演出がなされる。〈可愛さ〉や〈共感〉といった、掴みのある性質は封印されたまま話は進んでいくのでキャラクターに入り込みづらく、観る側は上戸彩の扱いに困って距離をおいたまま話の進行に付き合ってゆきます。しかし、場の空気の読めない彼女だからこそ、TPOなど気にせずに、まっすぐに前向きな言葉を相手にぶつけることができて、それがまた常識的な発想や悩みに絡めとられている登場人物やわれわれの心に何かが届く。いつでも不意に劇的に波たつ、やはり上戸彩は物語の世界像の中心で輝ける人材だ、と再確認しました。

近年小ブームが盛り上がってきている小劇場演劇。そのさまざまなキーワードや人名・団体名が、名を変えて時には実名で言及されたりと、その元ネタとの符号を楽しむのもこのドラマの楽しみのひとつかもしれません。ところでいかにもありそう、かつ、つまんなそうな舞台を繰り広げる「下北サンデーズ」は、現実に照らし合わせるとどのへんの劇団に符号するのでしょうか。佐々木蔵之介が発表するプロットやテーマは真面目で古典的であって、テクスト至上主義的な新劇ふうの舞台が出来上がると思いきや、実際の舞台は〈ガジェット志向でネタ〉的で、「鉄割アルバトロスケット」系統の演劇にみえる。このことは、細切れの小ネタと騒々しい意匠で形成されつつ、実は最終的にはしっとりと、ごく真っ当なメッセージを伝えてくるこのドラマの分裂ぶりとダブってみえます。

さて、個人的に心動かされたのはカンニング竹山さんの出演です。地域限定で“中野のスター”と呼ばれだすよりもまえ、ライブに出演しても客席からぜんぜん笑い声が起こらなかったころから間近で見続けてきて、勝手になんとなく身内意識を感じていた竹山さんが、上戸彩とドラマで共演して会話を交わしているのをみていると、(とんねるずと共演したとき感じたよりも、虎の門のレギュラーになったときよりも、ずっと感慨深く)遠いところまで来た(行った)んだなあとしみじみ‥‥と思っていたら上戸彩が竹山さんのほっぺにチュ!!遠いところどころじゃない、もう別世界の住人なんだと呆然としました。

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theme : 下北サンデーズ
genre : テレビ・ラジオ

映画版『ハチミツとクローバー』

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『ハチミツとクローバー』

(2006年、日本、116分)

原作:羽海野チカ
監督・脚本:高田雅博
音楽:菅野よう子
出演:櫻井翔、蒼井優、伊勢谷友介、加瀬亮、関めぐみ、西田尚美、中村獅童

竹本、森田、真山、山田、はぐみ。美大で出逢った彼らは、それぞれ届かない想いを抱えていた。竹本は花本教授の姪・はぐを一目みた瞬間に恋におちる。山田は真山に、真山はバイト先の未亡人・理花に、それぞれストーカー的に片思いしているが、想いが成就する気配はない。森田ははぐに何かを感じ、興味をもつ‥。

2期にわたるアニメ化、様々な雑誌等での特集、その多様なメディア展開をうんだ大ヒット少女マンガ『ハチミツとクローバー』。そして展開の最終段階でもあろう実写映画版の公開。予告編をはじめてみたとき、ヤッチャッタ‥と思ったのでしたが、いざ公開されてみると、それなりに評判が良くて、これはもしかしたら‥と期待して観たのですが、結論から言って、ホメるところを探すのに苦労したし、苦労するくらいいいところが無いのにビックリした。というと意地の悪い言い方か‥。いちおう、ホメる気満々で観賞にのぞんだことは、言っておきたいとおもいます。

スピッツの主題歌は、良かった。自分は嵐は好きなんですが、嵐の曲よりもずっと良かった。別にファンでもないのに、さまざまな楽曲が劇中に使用されているこういう映画のなか、横並びに聴くと、ヤッパリいいんだな、と思った。

まず冒頭、出逢いという重要なエピソードが起こることになる、先生の家。1階のみんなのいる場所と2階のはぐの部屋、という、魅力的なはずの舞台装置が全く活かされていない、とまず躓いた。後半にも、皆の集まるなか、森田が2階からはぐを連れ去る場面があるが、なんの空間的な面白味もない。先生の研究室、奥がはぐのアトリエと化している空間の面白さもぜんぜん活かされることがない。真山→山田への拒絶場面、はぐと森田の合作による交歓場面が繰り広げられる中庭の空間も同様‥。もったいない。ふんわり感でも出したかったのか、画一的に多用されるシーン終わりのフェイドアウトも、効果への考慮が甘い。自転車でついに走り出すシーンの運動感の欠如。ファッションの色合いは考えられていても画面全体、映画全体の色調が隅々までコントロールされていない。。映画以前の商品だとおもった。

監督はきいたことない人で、どうせCMディレクターあがりだろうと思って調べたらやっぱりCMディレクターあがりだった。そういう予断や予想を裏切らない、予定調和な構築力の欠如っぷりがそもそも問題なんじゃないでしょうか。
さまざまな要素が豊かに絡み合う原作から、“恋愛”と“言いたいように言い、やりたいようにやる”の二点だけを抽出したシナリオ化は、多くのものを捨て去った。よって竹本の想いも、森田の想いも単なるフツーの恋愛感情でしかないし、2時間もある上映時間の最後の最後の結論が、好きなひとに好きって言うだけじゃ、そんなことを言うためだけの2時間かよとおもうし、あの中途半端に短い自転車走行シーンも意味をなさないんじゃないか、ともおもう。あるひとりの手が、もうひとりの肩や手に触れても、ハッと感情が波立ったりすることなく、シナリオ消化の段取り芝居に流れ去っていくだけ。。ここにあるのは形骸化した『ハチミツとクローバー』の残骸、じゃないでしょうか。
天才は天才で好きなようにノビノビやれ、凡才は凡才で自分に誠実にあれ、というありきたりな警句が『ハチクロ』の最大メッセージだというなら、こんなにも皆の心をつかんでなかったんじゃないか。

問題の俳優陣は、薄目でみればなかなか健闘しているとおもいます。難役はぐの蒼井優も、(魅力的ではないけど、)エキセントリックじゃない、ああいう朴訥としたはぐもあるかもしれないと思ったし、関めぐみや櫻井翔は、標準的なテレビドラマくらいの演技と造形ですが、悪くないと思います。

最大の問題は、森田役の伊勢谷友介。たしかにこういう男がモテるだろうという魅力を発散してはいます。しかし、こういう喋り方、身振り、髪型への気のつかいかたやピアス、世渡りのうまい振るまい。すべてが、凡庸な才能の人物のパーソナリティを示している。〈天才〉として、はぐと通じ合うポジションの人物なのだから、この伊勢谷友介の森田の存在は、映画を基盤からぶち壊した。それに比べれば、西田尚美のリカという、惨劇のようなミスキャストなど、かわいいもんです。

一番よかったのは堀部圭亮(マリオだかルイジだかの役)。マンガから飛び出してきたかのようなジャストフィットなキャラクターでした。

一緒にみたひとに、面白かったところをきいてみると、長考したすえ、「‥‥‥絵がいっぱいでてきたところ‥」と苦しげに長所を挙げていました。

theme : ハチミツとクローバー
genre : 映画

『あさってDANCE2 魔性の女たち篇』

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『あさってDANCE2 魔性の女たち篇』

(2005年、日本、68分)

監督:本田隆一
出演:黒沢愛、川村亜紀、松田洋昌、鈴木Q太郎、のはら歩、千太郎、大堀こういち、緋田康人、松田優

本田隆一/黒沢愛版『あさってDANCE』の第2弾。といっても4本分いっぺんに撮られているので、第2話というかんじ。
前作では、いったん離ればなれになったヒビノとスエキチ、心に空洞を感じていたスエキチが、保育園の前で保母として働くヒビノに再会するまでが描かれていました。

実は保母だったヒビノ。夫と別れたのは、底意地の悪い義母との確執にあった。誤解がとけたうえ、元ダンナとのトラブルのすえ宙に浮いた100万円が手元にあった。「ヤリまくろ、100万円ぶん。」とヒビノ(黒沢愛)。 ということで、ホテルに滞在して延々とヤリまくるふたりの性交シーンからはじまる。豊かな乳房を強調するように、後背位や騎乗位のバリエーションで黒沢愛の肢体が捉えられる。

ある朝起きると、黒沢愛が連れてきたフレディ君なる黒人がいた。なぜかスエキチのウチに居候することになる無職のフレディ君。この日本語ペラペラ黒人を演じるのは、さいきんグングン露出が増えてきた千太郎。お笑いコンビ「西麻布ヒルズ」の片割れで、どうみても黒人だが日本生まれの日本育ち、お笑いライブで見かけるたびにコンビ名が変更になっていたりして(チュッチュ西麻布、とか)、落ち着かないコンビだなあと思っていたのは昔のこと、スエキチの夢の中の場面とはいえ、劇映画で黒沢愛と絡みを演じることになろうとは‥。わからないもんですね。。しかし、尻が貧相で汚らしかった。。

もうひとりの新たなキャラクター、元ダンナ・大堀こういちと弁護士・緋田康人が共謀してスエキチのもとへ送り込む刺客・のはら歩がメガネっ娘として登場。①街でバッタリぶつかる(白いコートで清楚を演出)、②スエキチの属する川村亜紀の劇団にたまたま入団で再会、③また事故的にバッタリ、という「偶然→必然→運命」の三段戦略でスエキチを誘惑にかかる。川村亜紀はすっかり影をひそめ、黒沢愛とのはら歩のスエキチ争奪戦がこの回のメインのお話となります。当ブログでも『ピーカン夫婦』『サバイブ』主演ということで度々触れたのはら歩ですが、大人めを演じる硬めの自由のきかない役ということもあってか、軽いコメディである本作ではやや演技が重たい。AVにたいして、「おもしろそうですね。あたし、こういうのみたことないんです」と言う場面も、もっとしゃあしゃあと演じていたら、淫靡さが漂ったのに、と思う。黒沢愛の「好きで悪いかよ。こーゆー態度しかとれないせーかくなんですー」という台詞は、逆に、いつもどおりで軽すぎた‥。すぐあとに続く、涙、キス、セックス、という流れに、滞りが生じた。惜しい。。

相変わらず、弁護士・緋田康人がらみのシーンは自由で面白く、今回はぼぼずっと元ダンナ・大堀こういちとのコンビで好き勝手な芝居をしています。特に今回は、大堀こういちのグチャグチャ食べる音、ジュルジュル飲む音が強烈に気色悪く、残したくもないのに印象に残りました。

(→第3話『あさってDANCE3 浮気と本気のエッチ篇』へつづく。)


theme : 映画レビュー
genre : 映画

山田詠美『風味絶佳』と、映画版は‥

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山田詠美『風味絶佳』
(文藝春秋)

山田詠美の小説を読むのは『アニマル・ロジック』以来、何年ぶりでしょうか。『アニマル・ロジック』までは小説、エッセイ集、対談集なんかもいちおう追っかけて読んでいましたが‥‥教条的で、観念的でオタメゴカシな作品傾向に見切りをつけて以来、すっかり縁遠くなっていたものを、『風味絶佳』、去年のあまりの評判の良さ(『本の雑誌』年間ベストワンとか)に、じゃあと久しぶりに山田詠美の本を購入。

‥って買ったはいいけどちっとも読む気がしない。。で、またしばらくほうっておいたら、今度は映画化‥‥。もういい加減読まないと‥‥とおもってやっと読みました。

山田詠美作品で最も好きなのは『トラッシュ』。まったく破綻している構成のバランスの悪さが、ひとりの異性を愛して愛しつくしてもそれが終わってしまい、それでも人生は終わらずに、関係ない次の異性と別の世界を築いてゆくことのいたたまれない断絶感を体現しているようで、小手先でないエモーションを受けとった。『ぼくは勉強ができない』や『放課後の音符』などは好みの題材ですが、細部の描写が甘くすぐ観念や説教に走るところが残念。『ぼくは勉強ができない』を熱心に好きだというひとは、きっと文章自体は読んでいなくて、シチュエーションとキャラクターのさわりだけから勝手に“もうひとつの自分の『ぼくは勉強ができない』”を妄想的に創りあげているのではないでしょうか。初期の中篇群は、文章の練習みたいにみえた。

とにかく上手い、心地よい、という理由で絶賛されているようにみえる短編集『風味絶佳』、悪く言うひとをあまりみないこの本を悪く言うのも憂鬱ですが‥‥感想は、退廃的で後ろむき、面白くなかった、どころか積極的にシラケつづけたというのが正直なところなんですが‥‥そんなことを言っても反感を買うだけなのがバカバカしい気も‥‥。別に山田詠美という個人が嫌いなわけでもないんですが‥。

『間食』では鳶、『夕餉』ゴミ収集員、『風味絶佳』ガソリンスタンド店員、『海の庭』引っ越し業者といった具合に、書き手がセックスアピールを覚える種類の男性を恋愛劇の中心に配し、それに対して様々な種類のアプローチ/距離/関わり方をもつさまざまな女性を、かたちは違えど肯定的に描き出す。登場する男性も女性も肯定的にとらえられ、それが“卓越した小説技術”でかたちにされているから、好感度も抜群なんでしょうし、敵を作りにくい仕組みにもなっています。

『間食』の主人公は鳶職人。彼には、合理的で無駄のない管理的環境づくりを敢行する年上の女がいる。ちょくちょく浮気をしても操られたように彼女のもとへかえってくる。題名にあらわされる、生きることの楽しみとしての“オヤツ”は、感情の連鎖、性を介しての遺伝/世代の連鎖(人間社会関係の仕組み)から離れた〈無駄〉な贅沢を指し、彼は、無駄を抹殺しつづけスポイルしつづける女の糸から抗えない。ラスト、 いつもは種をぬいて与えられるスイカが、女が眠っているあいだに種ありのまま食される。冒頭で〈死体の作り方なら、小さい頃から知っていたよ、と花は言う。昼寝をしている母親の顔に白い布巾をかけて遊んでいた(略)白い布をかぶせただけじゃ死なないって解ってからは、無駄な抵抗は、もう止めた。〉(この書き出しの寒さ‥この出だしに何度も躓いたんだった)と示されるやり方で、〈本当に死んでしまったら困る人〉への無力な抵抗として、布をスポイル女である〈彼女の顔にかけてみる〉。このあからさまな図式性。その〈仮の死〉に絡めて、鳶という職からくる高所→落下→死という観念と重なる。しかし、〈今、自分は確かに空を愛で
ている。〉とか、しらじらしい言葉が連打され、そのうえ、周りの奴らとはひと味違う、一風変わっていて哲学者然とした男・寺内がえがく死生観のビジョン、〈世界じゅうの人を殺すのなんて、案外簡単〉という発語の答え合わせが〈「彼の世界は失くなった。つまり、彼は、世界じゅうのの人を殺しちゃったのと同じ(略)哲学の基本でしょ?」〉では、幼稚すぎて頭にくる。

表題作『風味絶佳』。ガソリンスタンドで働く男女の恋と、エネルギッシュなおばあちゃんの話。おばあちゃんの教えや影響が、主人公の志郎にいつの間にか染み込んでいることを示すのに、ふたり、酒の席で飲む場面にわざわざ高野豆腐を登場させる。〈「私、不二ちゃんのこと好きだよ。山下さんのことを好きってことは、不二ちゃんのことも好きだってことだよ。不二ちゃんは、山下さんに、おつゆみたいに、じわっと染み込んでるよ。ほら、これみたいに」/乃里子は、小鉢に入った高野豆腐の含め煮を箸で押した。〉ミエミエのワザトラシイ道具立ての配置。ばかみたい。寒い。少しのちの、初キスの場面。〈言葉が染み込んで胸を濡らした。(略)抱きしめる腕に力がこもった。彼女の体は、彼の力で絞られたようによじれた。ふと、前に二人で食べた高野豆腐を思い出した。おいしいおつゆが染み込んでいた。彼女の体には何が染み込んでいるんだろう。昔、祖母が作ってくれたフレンチトーストを思い出す。噛み締めるとミルクとバターが滲み出た。〉‥ほんとにこんな言葉群が素晴らしいものだと思われているなら、ブンガクなんてイラナイ、とおもった。

映画『風味絶佳』の予告編を何度かみました。好きって言った?言った。という、あまりにもマズい芝居(特に沢尻エリカの)がいたたまれない。個人的には元々大根としか思えない柳楽優弥は、予想どうりのフリーハンドで書いた図面みたいに粗雑な演技。ベタなキャスティングの夏木マリ。大泉洋その他、言葉に耽溺し過ぎた感のある〈ほろ苦い〉原作をカッチリやるには技術力がバラバラではないのか‥。それに監督は中江功だという‥。『冷静と情熱のあいだ』の‥。ダメでしょう、きっと‥。

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genre : 本・雑誌

終戦記念日に『太陽』

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早朝に小泉が靖国参拝強行、というニュースがはしった8・15、終戦記念日にアレクサンドル・ソクーロフの超超話題作『太陽』を観賞と洒落込んだら、唯一の公開館である、映画ファンにはお馴染みでもライト層にはぜんぜん無縁な映画館(銀座なのに微妙な場所にあり、かつ田舎の食堂兼土産物売り場みたいな奇怪な建物の地下に劇場のある)「銀座シネパトス」が入っているビルの周りには人が溢れていて、2スクリーンでとっかえひっかえ上映しているのにおっつかなくて立ち見という事態!!時間的な余裕がなくて、座れるという次の回は待てずに立ち見を選択しました。

客層の平均年齢はかなりかなり高め。20本以上日本で公開(もしくは上映)されているソクーロフの映画など、1本も観たことないだろうと思われる顔が多い。果たしてこういう客層に、ゆっくりゆっくり水に溺れる悪夢みたいなソクーロフの映画の退屈さが受け入れられるのか、楽しみなような、楽しみなような。。

ソクーロフにしてはアヴァンギャルド過ぎない比較的普通の映画のテンポや映像で進行してゆくため、かえってそのふつうなスローペースが油断させるのか、ところどころでスヤスヤと寝息がたつ。
しかし中盤、チョコレートのくだりから客席の反応がよくなり、終盤まで断続的に笑いが起こっていた。尾形/ヒロヒトの「あっそ」という口癖にはことのほか、いちいち明るい笑いが響いておりました。

そういえば、一昨日の記事で触れた『エーガ界に捧ぐ』でも、シネパトスについて触れられていた。〈東京最後の場末ロードショー館である銀座シネパトス〉、〈ここでしか上映されない優れた作品を見ると、大変得した気分になれる。と同時に寂しい気分にも……。〉

theme : 映画
genre : 映画

黒沢清監督の『カリスマのための習作』

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『カリスマのための習作』

(1992年、アメリカ、10分)

監督・脚本:黒沢清
出演:ブライアン・ウィマー、デビット・ジェンセン

黒沢清監督の最新作、『LOFT』が早く公開しないかなーとたのしみな今日このごろ‥。(新刊『黒沢清の映画術』が欲しいところですが、今買うだけの余裕がない‥。)このあいだ中古で買った、その黒沢清の関西テレビ制作のドラマダス『もだえ苦しむ活字中毒者/地獄の味噌蔵』(90)『よろこびの渦巻』(92)(の収録されたDVD)をものすごく久しぶりに観ました。

この時期、劇場用映画では『スウィートホーム』(88)『地獄の警備員』(91)と、暗く沈んだ陰鬱な作品が続いていた反動のように、この2本(『‥味噌蔵』と『よろこびの渦巻』)は楽天的で幼稚な映画的喜びに満ちた作品になっていて、ゴダールのビデオ作品『映画というささやかな商売の栄華と衰退』(86)のアホっぽいコメディぶりに似た印象があります。『味噌蔵』のオフで聞こえる銃声の楽しさ、『よろこびの渦巻』ではのちの『勝手にしやがれ!!英雄計画』(96)につながるような“闘争”場面に、〈無償の純粋運動体としての映画〉がみなぎっています。初見時には、2本ともあまりの原作(椎名誠)との違い(すぎ)っぷりに驚いた記憶があります。

初めて観た状況をいうと、2本とも水道橋のアテネ・フランセ文化センターで観たのは間違いないのですが、『味噌蔵』は何年何月何日に観たかは判然としません。。だけども『よろこびの渦巻』のほうはハッキリとしています。1993年1月27日。あこがれの黒沢監督にサインもらった日だから。

この日、アテネ・フランセでは、『よろこびの渦巻』と『カリスマのための習作』の2本立てに黒沢清×蓮實重彦の対談がついていた。豪華。『よろこびの渦巻』は24分、『カリスマのための習作』は10分の短いもので、メインは黒沢×蓮實対談、といった企画だったとおもう。サインは、欲しいひとが(たしか、上映・対談前に)スクリーン前にいる黒沢清監督の前にしずか~に並んでしずか~にサインしてもらっていた。(当時、黒沢清唯一の著作であった)『映像のカリスマ 黒沢清映画史』を手にした大人しい学生たち。。ぼくもそのうちのひとりだった。『映像のカリスマ』を手に黒沢清のまえに立った。優しい空気を醸し出す黒沢清にじーんとした。

対談相手の御大ハスミ氏、活字で読む以上にまだるっこしいヒネた印象を抱かせる喋りに衝撃を受けた。その文章にあるユーモアのようなものを、ユーモラスな発語の仕方で喋るのではなく、硬質なインテリトーンで口にするので、言っていることは可笑しくても笑うとか場内の空気がゆるむとかいったことがなかなか発生しない。ある特定の映画をクサすときだけ、シネフィルの秘密結社的に笑いがさざめく。

蓮實重彦『映画に目が眩んで 口語篇』にこのときの蓮實×黒沢対談が収録されているのですが、雑誌初出時、活字になったそれを読んだとき、こうまでじっさいの対談とは違うかたちで表にでるものなのかと、まだ若い驚きがありました。構成、文脈がいじられているのもさることながら、何より対談中で黒沢監督が「『ジョーズ』、『ジョーズ』」と連呼していた部分が全部〈『羊たちの沈黙』〉に差し替えられていたことにびっくりした。言い間違えてたのかな?

さて、ここでは、なぜかフィルモグラフィに載っていない『カリスマのための習作』について何か残しておきたいと思います。

その『カリスマのための習作』、幾分の説明がいる。世界を御する樹木をめぐる寓話的闘争劇『カリスマ』(99年制作、00年公開)の企画の経緯をいそいで言うと、10年程の期間かけてやっと実現したものが2000年に公開された現行のもので、すでに『映像のカリスマ』にも『カリスマ』の(架空の企画会議形式の)企画書がのっています(企画会議ではなんと原節子!!にオファーかけようと発案をする場面がある)。この初出が『映画王』3号(1990年2月)。

その『カリスマ』の脚本が、ロバート・レッドフォードのサンダンス映画祭のスカラシップを獲得し、92年、黒沢清はサンダンス・フィルム・インティテュートに招かれることになる。その滞在の模様は『Switch』(93年11月)と『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン』5号(92年秋)に日記形態で発表された(『Switch』のものは『映画はおそろしい』に収録)。その地で、シナリオ『カリスマ』から抜粋された数シーンを、現地のスタッフとディスカッションしながら実際に撮ってゆくことになります。(いわば、現在「映画美学校」で黒沢清らが講師としておこなっていることが、かつてここではもう少し大きな規模で、逆の立場から行われていた。当時の黒沢清監督が、単なる一インディペンデント作家であったことの証しか。。しかしここでの経験がおそらく「映画美学校」での活動に多大な影響を与えているのではないかと思われます。)

『映画はおそろしい』所載の「サンダンス・フィルム・インティテュート滞在日記」によると、わかる限りではキャストは、主人公にブライアン・ウィマー、副主人公デビット・ジェンセン。この2名で室内シーンを撮り、これにレイチェル(フルネームは不明)を加えた3人のロケーション場面が次に撮られた。文中には撮影ブルース、編集リンディ、照明はジム・タイトルとあります。

さて、じっさいに観た『カリスマのための習作』はどうだったのか‥‥。暖炉の火がパチパチ燃える暖められた部屋で、男女が立ったり座ったりしてボソボソとローテンションで話すのが主に引いた画でとらえられる。なにしろ登場人物が英語でなんか話しているだけの場面なので、オモシロイもオモシロクナイも、サッパリわからなかったというのが正直なところで、撮られたという屋外シーンについては何の記憶もない。アテネで上映されたものにもそのシーンはあったのでしょうか‥‥。

現行の『カリスマ』から類推すると、サンダンスで撮った場面は以下の場面かとおもわれます。
元刑事・役所広司が森で怪我をしたところに偶然風吹ジュンの自動車が通りかかる。風吹ジュンの家で手当てを受け、会話をする。この家での場面をブライアン・ウィマーとデビット・ジェンセンが演じている。現行版で暖炉ではなくチャチいストーブに火が灯っているだけなのを公開時みて、『‥習作』の記憶が喚起されたのを思い出す。
翌朝か、家の表に出たふたり。その後方に昨夜は気づかなかった風吹の妹・洞口依子が家から出てくる。これがレイチェルという女優が加わって撮られたというロケーション場面にあたるシーンでしょうか。
(『カリスマ』の劇場用パンフレットは大判のダンボールBOX仕様で、普通のパンフ的なパーツと別に『カリスマ』のシナリオ第2稿がついています(脚本/富岡邦彦、杉山哲美、黒沢清)。いつの段階の脚本なのか不明ですが、これによると登場人物もシーンも『習作』に相当しそうなものがない。これが92年以降のものだとすると上記の類推もハズレているのですが‥。)

本編のためのエスキス、という点で、『カリスマのための習作』は、ゴダール『「勝手に逃げろ/人生」のシナリオ』(79)や『「パッション」のためのシナリオ』(82)を思わせる、フィルモグラフィ中のたのしい句読点として、記憶に留められています。

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theme : 邦画
genre : 映画

中原昌也『エーガ界に捧ぐ』

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中原昌也『エーガ界に捧ぐ』
(扶桑社)

映画ファンなら知らない者のない『週刊SPA!』で連載中の、中原昌也の映画評コーナー「エーガ界に捧ぐ」。その単行本化第一弾がこの本で、題名は勿論、池田満寿夫が原作・監督・脚本をかねた『エーゲ海に捧ぐ』(79)から。装丁も『エーゲ‥』をイメージしたものにしたらやたらと売れなかった、ということで、『続・エーガ界に捧ぐ』では池田満寿夫寄りでなく中原昌也寄りの装丁になっていて、そのやたらと売れなかったというこの一作目は、なる程今では滅多に本屋さんで見かけることなくて、たいがい『続・エーガ界に捧ぐ』だけが居心地悪そうに中途半端に棚におさまっています。あまり関係ないけど前項のドラマ『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』に登場するヤクザ組織〈関東鋭牙会〉というのもやっぱり“エーゲ海”のもじりなんだと思う。

さて、『ソドムの映画市 あるいは、グレートハンティング的(反)批評闘争』と『エーガ界に捧ぐ』の違いを前の記事で少し言いましたが、純粋に〈ライター・中原昌也〉として勝負している『ソドム‥』のほうが映画批評としてはよっぽど密度内容視点等、数段上で、〈三島賞作家・中原昌也〉として書かれた『エーガ界‥』は、“小説家の映画評”ならこんくらいでもいいかなーという姿勢が編集側にも書き手側にもみえる。

しかし、〈小説家・中原昌也〉というフィルターを通してみると、より興味深いのは『エーガ界‥』のほうかも知れません。遠くからみたら柳下毅一郎の本とあまり区別がつかないかもしれない『ソドム‥』とちがい、『エーガ界‥』はどこからどうみても小説家・中原昌也のもの。映画評より期待されている(?)グチも楽しいんですが、田中小実昌にだけ許された“アイマイな感想/評価”を原稿化するのは、一般のライターにしたら書きたくても書けないもの。田中小実昌の、優雅な猫みたいなひょうひょうとした感じ(でも実は厳密)でなくて、イヤイヤ内職して頬が引きつっているみたいな『エーガ界‥』のネガティブな相貌は、無意識からかどうかはわからないにしても野蛮が反転した聡明さをしめしていると思います。
鈴木清順『ピストルオペラ』について〈別にこの作品が死ぬ程に嫌いだというわけではない。しかし、薦める気もないかも……いや、どうだろ……わからない〉と無気力に右往左往してみたり、キアロスタミ『ABCアフリカ』に対しては、ナレーションのないドキュメンタリーに免疫のないライト層の観客のために、黒柳徹子(とサンコン)にナレーションを入れる提唱を乱暴にしたあげく、〈常に観客に解釈を委ねるキアロスタミだが、今回こそ「これは本当に放り投げたまま何も考えてないのかも……」という不安な気持ちにさせられる瞬間が何度もあり、それらがこの作品の重要な見せ場となり、単なる怠慢なデジカメのダラ撮りドキュメンタリーに陥らずスリリングな映像体験の連続を提供してくれるのだった〉と、ケナしてんだかホメてんだかケナしてんだかという微妙な言いまわしをするのですが、かえってそれが、〈キアロスタミ→①絶賛、もしくは②全く興味ないか③的外れな素人の感想〉といった硬直した回路から『ABCアフリカ』を救い出したうえ、この映画特有の手触りまで再現させているし、鈴木清順にかんしても、批評の立脚点があやふやなことじたいが、清
順映画への非・マッチョで繊細な返歌となっているようにみえます。

theme : **本の紹介**
genre : 本・雑誌

『マイ☆ボスマイ☆ヒーロー』

『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』

(日本テレビ系、土曜21時~
出演:長瀬智也、新垣結衣、香椎由宇、手越祐也、田中聖、大杉漣、市村正親)

ドラマの面白さの不思議。この『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』、頭ではヒドい出来だなーとおもっているのに、気づくと次の回をみるのが楽しみになっています。

実はヤクザの長瀬智也が、ステップ/スキルアップのために別の身分に身をやつすというプロットは、早くも名作となった『タイガー&ドラゴン』と同趣向ですが、ありとあらゆる面で『タイガー‥』が勝り『マイ☆ボス‥』が劣る。ヤクザ一家の者が身元をかくし学校という共同体に入り込み、ヤクザ的なパーソナリティにより学園生活に波紋をよぶのも『ごくせん』であったし、年いったひとが高校生となって、やり遅れた青春時代を取り戻すのはドリュー・バリモアのラブ・コメディ映画『25年目のキス』(99、ラジャ・ゴズネル)でもあった。それらのどれをも『マイ☆ボス マイ☆ヒーロー』は超えていない。だいたい、27歳でバカだがケンカが強いのが取り柄の二代目が、跡目を継ぐため組長である父の命令で、高校3年の1年間だけ学園生活をおくり、卒業をめざす、という基本設定じたいムチャクチャ強引。いちおう原作となっている同題の韓国映画(『マイ・ボス マイ・ヒーロー』(01年、ユン・ジェギュン監督、チョン・ジュノ主演)、暗い暴力的な学園アクション)から来ている設定だとしても、未だ学歴社会である韓国だからこそギリギリ(?)通用する
(?)設定であっても、日本ではかなりムリがある。長瀬智也が学校に行かなくてはならない必然性が弱いから、とってつけたようで、彼の苦悩、葛藤も、話を引っ張っていかない。ヤクザ社会の文化圏に属する長瀬くんと、一般的な高校生や高校教師の文化圏との差異が、シチュエーション・コメディになる恰好の設定なのに、ギャグは微妙にヌルく、マトをはずす‥。『ごくせん』のギャグだってヌルいっちゃあヌルかったけど、もう少し効果的に設定をいかしていたと思います。

そのうえ、キャラクターの造形が薄っぺらい。長瀬智也は無理な設定に困るかのように、生身の人間的な滋味がにじまず、極端な面相芝居にはしる。バカなヤクザとして突っ走って生きてくると、27歳まで恋愛感情を知らずにいるの?という疑問も。。プリン好きというキャラの足し算も、とってつけたみたいでいつまで経ってもそぐわない。そのキャラクターの深みのなさは、『タイガー‥』や『池袋ウエストゲートパーク』でのガラの悪い役の長瀬くんと比較してみるとはっきりすると思います。

長瀬くんが勉強出来ないことや学生としての常識がないことをちゃかすクラスメートたちの画一的な反応。香椎由宇や新垣結衣のヒロインも表面的なキャラクターでハートを感じるのが難しい。新垣→長瀬、香椎→長瀬、長瀬→新垣などのほのかな好意が描かれるが、誰も恋しているようにはぜんぜん見えない。香椎由宇の色気づく気持ちをあらわすのが、メガネ→コンタクトにする、って、一体いつのテなんだ‥‥と呆然とする。

しかし、ここに、しっかり恋しているようにみえる人物がいる。長瀬くんの、クラスでの唯一無二の友人となる、手越祐也。テレビ情報誌をみると、人物解説として〈学校に意義を見いだせず、人を寄せ付けないオーラを放つ〉とあり、相関図では長瀬智也とは〈友情〉のラインでむすばれているのですが‥‥‥、彼はとにかく長瀬くんに恋に恋しているようにしかみえない!!!!

乙女だ。憂いを含んだ、黒目の大きいパッチリした瞳。切なくすがるような視線。ピンク色に濡れた唇。〈人を寄せ付けない〉はずの彼が、コワモテの長瀬くんにキラキラした瞳で近寄ってゆく。何かにつけて「マッキー(勝手につけたあだ名)!!マッキー!!」と乙女走りでいそいそと駆け寄って、あれやこれやと世話を焼く。クラスの女が気安く長瀬くんに話かけたりすると(何しに来たんだよ邪魔だな‥)みたいなライバル視した眼で不服そうにギロリとみて憮然としてしまう。。クラスで権力者でもないから発言力もないのに、マッキー(長瀬)を悪く言うやつがいるとTPOもお構いなしに熱くマッキーを擁護し、悪く言うやつを罵倒する。熱い。そして恋い焦がれている。いったい、そういうドラマなのか?と混乱する。

だけど彼の異様な恋情にあてられるようにして、このドラマが面白く感じられだしました。べつに彼がホモである必然は何もないのだが‥‥。薄っぺらくない、熱いハートがあるのは乙女な彼が抜きん出ているのだから、異様だが彼に視線が集中する。そうすると彼の(乙女っぽい)一挙一動、(乙女っぽい)言動が可笑しくてしょうがなくなった。そうすると長瀬くんの舎弟である田中聖の、あまりに一途な“アニキ☆命”っぷりもアヤしく思えてくる。ぜんぜんリアリティのないヤクザ描写も含めて、全般、女性目線のやおい系のドラマなんじゃないかと感じだした。と思ってみてみると脚本大森美香とあった。ドラマ『きみはペット』、『ランチの女王』(←オムライスがメインメニューのひとつだった洋食屋をやっていたことのある者としては、あのやり方じゃ美味しいオムライスにならないと断言します)、映画『恋文日和』、『2番目の彼女』‥。じつに女オンナした映像作品ばかり、それも繊細で曖昧なほうのオンナっぽさじゃなく、粗雑な妄念みたいなほうの‥。なぜこの題材でこのひとの起用かサッパリわからないが、そのあまりの雑さが、かえって気持ち良い。たとえば
三者面談を行うという担任の宣言に、女生徒たちが、三者面談ってなに?担任と親と生徒で進路について話し合うことよ、みたいな露骨すぎる説明ゼリフを口にする、長瀬くんにきかせるために。ヒドい。でもオカシイ。そんなオカシイ粗雑さが全編を覆う。知性の感じられない種類のオカシサだから、狙いでない襲ってくるオカシサは予測困難。

長瀬智也の良さは思いきりよさ。慣れない学園生活に肩身せまく小さくなっていたとおもうと、突然ド大声でがなる!!ふっ飛ばす!!ツバの大量に飛び散る勢いそのままに、針を振り切ってリアクションする。睨みつける表情も、やりすぎの度を超えてヘン顔にしかみえない。照れや迷いがなく、やりきる。だから設定/物語/キャラクター、どこに無理があっても空回りしない。

香椎由宇と新垣結衣という、比較的女性から反感を買いにくそうな新進女優がヒロイン的ポジションに配され、しかも男性陣との恋愛沙汰は薄く嘘っぽいとあれば、女性目線としたら安心してボーイズラブ的世界を邪魔されず、存分に堪能できるというもの‥。そのために女優さんたちのキャラがうすいのだろうか‥。
しかしこれは男性側、というか個人的には大変不満がある。正直、香椎由宇も新垣結衣も、たいへんヒイキにさせていただいているので、その魅力が発揮されていないと、やはりものすごく物足りない。

しかし、香椎由宇に関しては、よく考えたら、というかよく考えなくても、香椎由宇が映画やドラマで魅力的だったことなど数えるほどしかなかったのだから、いまさらガッカリしても始まらないのかもしれません。まだ10代なのに、冷徹で硬質な雰囲気をまとった美しい女教師、という役(長瀬くんには「鉄仮面」と呼ばれている)を堂々と演じる頼もしさを、楽しむことが賢明でしょう。

『ドラゴン桜』でブレイクの新垣結衣は、茶髪のギャルメイクだが中身はだらしなくない、凛と涼しく透き通ったかんじが、山下智久への恋情の哀愁を際立たせて秀逸だったのでしたが、彼女本来のキャラクターは黒髪かつ沖縄らしいヌボーとしたスローリーなかんじらしくて、『マイ☆ボス‥』でのひかり役も分類したら『トゥルーラブ』系統と同列の爽やかな明るい一面的なキャラクターだから、彼女にとってこちらが本線のはずで、その線で支持がなくないから“『BOMB』で特集が組まれる”(8月号)という〈一線級のアイドル証〉も手にした。だからそれでいいのかも知れないけど、もう少し深みや憂いがないと物足りない‥と思っていると、あれやこれやで長瀬くん演じる榊真喜男と仲違いする新垣さん、本当は好きなのに、「マキオくんなんかだいっ嫌い!」と叫んで暗い顔して走り去る。そのあとも和解するまで憂い顔。。その想いを秘めた、うれいある心と裏腹な明るい表情と佇まいに、新垣さんのある側面の魅力が発動して、グッときた。まあ、ただ単にそれが自分の趣味なだけなのかも知れませんが‥。

(田中聖に関しては、こういうタイプの人間の魅力がまったくわからないので、『マイ☆ボス‥』での彼がいいのか悪いのか、判断がつかないので何とも言いようがない。。)

さて、全般的に、好意を表明するつもりが悪口ばかりになったのではないかと気がかりですが、襟を正して観る要素がこれだけ全く無いと、面倒くさいことなくただ楽しくみれる。(ってこれも悪口ぽいかも‥。)今日も帰ったら、録画してあるはずのこの楽園感に満ちたホモドラマを楽しく観たいと思います。

theme : マイボス マイヒーロー
genre : テレビ・ラジオ

鈴置洋孝/ブライトの訃報

声優の鈴置洋孝さんが死んだと、そっち系の友人I君から、昨夜メールがきた。

〈 ブライト艦長が永眠されました………

さっきニュース出てました
肺癌で56歳だそうです(T_T)

スパロボ系だけで無く、もろにジャンプ世代なんで、日向小次郎、紫竜、天津飯なんかも…‥

セイラさんに、マ・クベ、ブライトにキッカ、ハロ

これから先も続いて行くんでしょうね(>_<)

ソース無いんですが、戸谷公次も死去の話が春先からあるんです

参考までに

取り敢えず今夜は、「増援は直援部隊で持たせる」や、「みんなの命をくれ」なんかのお気に入りのシーン見ながら酒飲みます 〉

だそう。ニュースみてないしパソコン触ってないので確認はしていないけど、そう言うのなら、そうなんだろう、とおもう。。これでもう、映画版『Zガンダム』のように、新録で映画版『ZZ』をつくるわけにはいかなくなった。他の誰にも増して、ブライトの声が違うわけにはいかない‥。同じように『閃光のハサウェイ』(富野由悠季の小説、『逆襲のシャア』の後日談)の映画化、なんてボンヤリとした妄想も消えてゆく‥。

ぼくのある親しい異性は、ガンダムシリーズではブライトがたいそう好きで、その作品がガンダムであるかないか、その判断はブライトが出ているか出ていないかで決めていました。だからたとえ富野ガンダムでも、Vガンダムやターンエーはニセモノだという認識のよう。ブライトの何がそんなに良いのかよく分からないが、多分実直そうなところがいいんでしょう。だから、『ZZ』でドッグ艦ラビアンローズの艦長代理であるエマリー・オンスのアプローチにドギマギしていたことも、いまだに許せないことのようで、現在でも怨念を込めてそのエピソードについて語る。
そんなブライトの声ももう新たには響かない。のか。ぜんぜんピンとこない。。

theme : 声優
genre : アニメ・コミック

『映画芸術』416号

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『映画芸術』2006年夏号 第416号

1989年、ちょうど小川徹から荒井晴彦に編集長が変わったときから買い続けている季刊『映画芸術』。今号も無事に出ました。仕事場の近辺にも居住地にも売っていないし、ここのところ休みがないのでなかなか買えなかったのを、今日会議で遠出、新宿での乗りかえのさい、旧マイシティ、ルミネスト6階の、まえは山下書店だった本屋でようやく買えました。

相変わらず、荒井晴彦(編集長、脚本家)が弱っているみたい。『太陽』『ブローバック・マウンテン』『かもめ食堂』『ブロークン・フラワーズ』『嫌われ松子の一生』『ダ・ヴィンチ・コード』『花よりもなほ』『インサイド・マン』‥。文句のある映画をケナす、そのケナしかたも弱々しければ、多少ホメるホメかたも消極的。映画に心が動いていないよう。弱っている荒井氏が、心動くのは、ひとの優しさに触れたとき。

〈(フランクフルトの映画祭から)帰ってくると澤井(信一郎)さんと阪本(順治)から留守電が入っていた。前号の編集後記を読んで心配してくれたのだ。二人の声を聞いてウルウルした。時差ボケだろうか。青山(真治)からは携帯にメール。「俺もいま睡眠障害です。母が脳梗塞で記憶・言語障害、半身麻痺になり、飯を食わせながら十年分落ち込みました。でも、まあ、こっから始めないとしょうがないですね」俺はいろんなことから逃げようとしている。ガツンとやられた気がした。ここから始めなきゃしょうがないと『やわらかい生活』のラストを書いたのに。青山に頭が下がる。〉

編集長が元気がないからか、『映芸』の顔ともいえる追悼記事(黒木和雄、佐々木守、今村昌平)も、あるいは死んだ方々がメジャー過ぎるからか、いつもの静かな熱気が感じられず、〈私の好きな黒木和雄作品〉〈私の好きな今村昌平作品〉アンケート、といった、まるで『キネ旬』みたいに安易な記事が殆どを占めて、まるで映芸でないみたい。荒井晴彦氏が元気なときは、雑誌全体から荒井さんのネットリとしたルサンチマンのような臭気が匂いたつのに、雑誌全体、どのページからもどこか軽やかな空気が流れている。

特集の〈昭和の戦争〉、ソクーロフ『太陽』を中心に、佐々部清『出口のない海』、黒木和雄『紙屋悦子の青春』などが論じられる。目玉は足立正生×ソクーロフの対談。数年前なら妄想することもなかったような組み合わせ。

待望の瀬々敬久監督の『サンクチュアリ』は、秋にユーロスペースでレイトショーだと知る。田尻裕司『ふしだらな女 真昼に濡れる』(新東宝)は9月1日からだそう。楽しみだ。『いつか読書する日』が韓国で好評、講師に招かれた緒形明監督のソウル日記が意外と読ませる。年のいった青二才、的な文章が、映芸的な哀愁に溢れていました。

theme : 雑誌(既刊~新創刊)
genre : 本・雑誌

8・5HERO’S

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  DEEP佐伯代表



ここのところ、格闘技方面では、疑惑の判定、レフェリングの話題が花盛りみたい。

亀田ナントカ(←興味ないから下の名前がいつも覚えられない)の八百長判定疑惑を筆頭に、7・21『MARS ATTACK』におけるMIKU対カリーナ・ダム戦の疑惑のレフェリング(カリーナの指がMIKUのオープンフィンガーグローブに引っかかりズレてしまい、MIKUがレフェリーにアピールするもスルーされ、一本を決められた)をめぐって、MIKUを送り込んだ『DEEP』佐伯代表と、カリーナ・ダムを美女格闘家として売り出したい『MARS』天野氏の舌戦が繰り広げられたり。勿論、渦中の8・5『HERO’S』の秋山成勲VS金泰泳、桜庭和志VSケスタティス・スミルノヴァスのジャッジ/レフェリングをめぐる議論や、前田日明の批判もそのうちのひとつでした。

秋山成勲VS金泰泳戦の不透明な決着は、一度目の吉田VSホイス・グレイシー戦のスケールの小っちゃな反復(柔道家が一本とった旨をレフェリーにアピール→レフェリーが試合をストップ→じつは決まっていなかった)でしかなくて、早くもどっちでもいい事として忘れられかけています。“今後、柔道着を着用した選手のアピールが誤りだったら反則負けにする”、とかいうルールでも作ればいいのに。。亀田ナントカの件と『MARS』の件は、売り出したい選手を勝たせて押しあげたいとする興行側の論理が、真剣勝負にそぐわず、少々無理やりな感じが露呈してしまったという、よくあることなのかもしれません。

桜庭和志VSケスタティス・スミルノヴァス戦の場合は、これらの群小のケースとは次元が異なるとおもいます。世界中に死ぬほどいるボクシング世界チャンピオンのうちの一人がどういう思惑で決まろうと決まらなかろうと、柔道家とはいえ金メダリストでもなく総合でもトップファイターとやったこともないグリーンボーイがアヤフヤなレフェリングで勝とうが負けようが、正直どうでもいいことだとおもう。

桜庭和志は別格の存在。ある時代のある時期、“なんでもあり”の戦いで、世界最強ではないかと目されていた男。細かく区分された同じ体重のひとの中で、手先だけを使って相手を殴るスポーツが一番うまい、という話じゃなく、なんでもありで一番強いかもと思われていた。そんな時を、桜庭は血よりも濃い愛情関係をもつ高田延彦とともに歩み、『PRIDE』の舞台でつくりあげた。総合格闘技といえば桜庭だった。桜庭といえば高田だった。桜庭といえばPRIDEだった。

その桜庭が高田を、PRIDEを裏切って、コンペティターのHERO’Sに電撃移籍。すべてをリセットしての恐ろしい決断。ヒカルド・アローナに完敗を喫して、遂に桜庭幻想が完全に崩壊してから一年後、新天地、8・5『HERO’S』のメインで、日本では馴染みのうすいケスタティス・スミルノヴァスとの対戦。今まで、メインの重圧にもヤラれていたのに‥。桜庭の輝かせかたは熟知している風なことを豪語していた谷川さんなのに、メインに担ぎだすとは‥と谷川Pにたいして不信感もつのる。それに地味に強い評判のスミルノヴァスをぶつけなくても‥名前があって総合ビギナーな金選手をあてるのがサクラバ・プロモーションとしてはベターなんじゃないか‥。と不安はつのっていきました。

当日帰ってから、録画しておいた地上波放送をみる。ミドル級はいい試合ばかり。ライトヘビー級以上の試合はメルヴィン・マヌーフ以外実に動きが悪い。そして桜庭VSスミルノヴァス。テーマの薄い戦い。鮮烈な強さを見せてのデビュー、それくらいしかすべきことない。それが、スローな打撃戦から、いきなり顎を打ち抜かれて崩れ落ちる桜庭をみて血の気が引く。パウンドを防げない。レフェリーが止める。終わった、こんな結末のために高田と修復不能な仲違いをしたのか‥と思っているとドント・ムーブ!!!?で試合再開!!!?ここまでの攻防でレフェリー他が試合を止めなかったことを前田日明が批判、選手が死んじゃうよと。もっともな意見。ファイト井上編集長はプロレスラーの打たれ強さ説を背景に感動してみせる。『週刊ゴング』はあくまで呑気にプロレスラーが単なるピンチを凌いで逆転した、という論調。プロレスの強さを誇るべきプロレスマスコミとしてある種正しい姿勢。しかし実際問題、『週プロ』の言うように、これがメインでなく、桜庭和志でなかったら、間違いなく止められる試合だった。しかし、あれだけのことをしでかしてまでここに来
た桜庭が、ツマンナイ攻防で負けるのが物語の結末なら、死んだほうがまだましだったんじゃないか。(逆転勝ちという結果がたまたまだったにしても、それとは関係なく、)桜庭和志という物語の重さが、レフェリーが自分の手でその(残酷すぎる)結末を描くことへの畏れを引き出した。とおもう。『PRIDE』ならストップもあった。これが『HERO’S』で桜庭が例えば3、4連勝したあとならサプライズとして有りだった。でもハッピーエンドの世界観をもつ『HERO’S』で、痛々しく再起をかける桜庭にとって、微妙な相手に秒殺負けという物語は有り得なかった。

そこへきての、8・8『ハッスル・ハウス』での高田の〈ストップ・ドント・ムーブ〉というギャグは、悪趣味すぎて愛ゆえか憎しみゆえか、よく分からない。ただ、どんどん面白くなってゆく高田と、どんどん見たくなくなってゆく桜庭がいることの対比、その興味深さはあります。

theme : 格闘技
genre : スポーツ

森本レオ

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昨夜、お店に森本レオさんがご来店されました。

そういえば、森本レオは高円寺のヌシだ的な話を、浅草キッドがしていたのをなにかでみた気が‥‥ひとに聞いたアヤフヤな話によれば、元はどっか別の所にすんでいて、話題になった不倫?かなんかで、奥さんと別れた、のかな?よく知らないけど。そんでその例の女性が高円寺に住んでいて、そこに入り浸っているんだか、再婚したんだか‥‥。とにかく高円寺によく出没するということだけは分かる。で、来店された。ここ高円寺で著名人にあうのははじめて。あるバイトが道端でゾマホンと出会って、握手してもらったとか、そのくらいしか聞いたことない。

ぼくの文化圏からすると、森本レオといえば一にも二にも映画『オネアミスの翼 王立宇宙軍』の、主人公シロツグの声のひとというイメージ。友達のあいだで森本レオの名前がでたら、即座にシロツグのセリフのモノマネが複数の口から出る。

さいしょは、まだ片付けていない席に座られたからメンドクセーお客さんだなという印象で、全然気づかなかった。追加でジンジャーエール的なもの頼むさいの「あの~、すいません‥」という独特な声でやっと気づいた。パッとみても関係のよく分からない女のひとと二人連れでした。

森本レオさんはあまり食がすすまず、パスタも残しぎみ。自分のぶんを食べ終わったらしき女性の方が、森本さんの食べ残したぶんもかわりにモリモリ食べてました。食欲旺盛なかたみたい。

漠然としたパブリックイメージ(=ほのぼの)とは裏腹に、全般、神経質そうな雰囲気が漂い、頑固なおじいちゃんに刻一刻近づいているといたっかんじにみえました。そうかもう60すぎているんだ。お会計、3千いくらのところ2千円おいて帰ろうとしていました。大丈夫かなー。。

theme : 雑記
genre : 日記

ドラマ『花より男子』

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ひとから、良い、いい、とにかくみろと、熱心に勧められていた去年(秋)のドラマ『花より男子』(松本潤、井上真央主演)を、長い期間かけてDVDでやっとみおえました。

最初に遭遇した『花より男子』は原作のほう(マンガ、神尾葉子)でした。“F4”(=フラワー・フォー)という絶世の美男子にして財閥の御曹司的な4人組が学園を牛耳っている、という崩壊寸前の危うい設定にまずハラハラする。そのうえ花沢類のキャラクターがなかなか立たない。完全に失敗作パターンだなぁとゲッソリしていると、道明寺のキャラが激立ちで暴走し始め、くすんでいた漫画が極彩色に輝きだした。作者の才能の発露とは無関係に起こる奇跡。面白く読み続けていましたが、あまりにもいつまでもダラダラ続くので後半離脱した。少年漫画を原初体験にもつ層のひとりとしては、どんなに良くても美しく終わるべきところでちゃんと終わるのが、少女マンガの大きなアドバンテージと思っているのに、残念だ、とおもった。永田正実の『恋愛カタログ』あたりにも、そっくりそのままの欠点と奇跡(弟&妹のキャラ立ち)があった。

そのあと内田有紀主演の映画版(デタラメな出来だが、楽しいことは楽しい。当時整形疑惑の根強かった内田有紀の、毒のあるギャグもあった。無名のころの谷原章介が道明寺、藤木直人が花沢類だったそうだが全く記憶にない。。)、アニメ版(水彩画のような上品で寂しげな背景画、元気のない声優‥。『花より男子』によく似ている暗い映像作品、という印象。)ときて、少し時代がとび、去年、ドラマ版『のだめカンタービレ』が原作者とのトラブルで流れ、急遽代わりに『花より男子』をやることになったと聞いたときも、何をいまさら花より男子なんか、と思ってスルーしてしまいました。『キッズ・ウォー』の子がどう大きく立派になったかくらいの興味しかなかった。

だけどみてみたら、これが面白かったー。百も承知のシンプルな物語なのに、面白いと感じるのはなんなんだろう。
ノれたのは、たぶん主役二人の魅力が大きかったんだと思う。いちばんキモとなる道明寺役の松本潤が、じつに道明寺そのもの!!脳みその限られたごく一部だけからこぼれ出た思念が、薄ら笑いみたいにややめくれた唇からそのまま浅い計算で発語されるかんじ。賢しげな発言の滑稽さが、挙動不審者ぽい口調と相俟って、可笑しい。可笑しいんだけれど、暴君的かつ自信過剰な自我に、童貞の初恋的な焦燥感と一途さがブレンドされるから、可愛く感じられる。マンガよりもコッチが本物なんじゃないかというくらい道明寺だった。

牧野つくしをやった井上真央は、夜帯ドラマでどう周囲と拮抗していくのかとおもったら、“ざけんなよ”な演技そのままに、〈ありえないっつーの!〉という決めゼリフを吐く。いつの時代も流行る“いわゆる自然体の演技”には見向きもしないで、つよく低い口調、ギョロっと見据える目線、顔全体を動かす大仰な表情、といった〈強い〉演技で、金持ちの坊ちゃん嬢ちゃんのなかに紛れた貧乏なコが強靱な雑草力で跳ね返す〈強さ〉を納得させ得た。周囲(金持ちの論理/流行る演技)に取り込まれない牧野つくし/井上真央は、そのなかで異質の輝きを放つから、大勢から抜きん出て独自の倫理に生きる道明寺司/松本潤の目にとまるのも自然な流れに感じられました。

マンガその他で、圧倒的にキャラ立ちしている道明寺にくらべてどうも不発なキャラクターだった花沢類が、ドラマ版ではちゃんと二項対立の一点として機能していたのは、全9話という短さと、その構成のうまさが理由かと思います。終盤ちかくまでつくしにとって気になる存在でいたから、要らないダメキャラにならずにすんだ。小栗旬じたいはいいような悪いような‥。F4のあとふたり、松田翔太はいいとして、安部力は、あまりにオッサンぽくてどうかとおもいましたが‥。でも団子屋のおかみさん(『温泉へ行こう』のひと)といいコンビで、コメディ担当だったと思えば、好きなキャラクターだった気もしてくる。

格闘技番組『SRS』で〈格闘ビジュアルクリーン〉を歴代つとめたのは藤原紀香畑野浩子長谷川京子と錚々たるメンバー、現在は西山茉希と、ブレイク率の高さは折り紙付き。そのなかでたったひとり、物凄く冴えなかった(そして今も冴えない)東原亜希によく似た名前の女優さん(西原亜希)が井上真央の親友役。売れなそうなゲンの悪い名前のうえ、石田ゆり子を更に時代遅れにしたようなルックス。どうなんだろうとおもっていると『ダンドリ。~Dance Drill~』にも出てたりして(しかも皆よりオトナな世界に足を踏み入れている役‥)、意外とヒッパリダコみたい。不思議だ。わからん。

微妙に貧相になりがちな“お金持ち”描写、その数々も、大袈裟すぎるぐらいだが、それでちょうど良いくらいで効果的。ハリー・ポッターみたいな音楽もお金持ち感を盛り上げた。
嵐の『WISH』、素直な良い歌だなあとおもう。今のジャニーズでは嵐の歌がダントツに好きだ。いかにもJ-POPな大塚愛の曲は、正直毎回違和感があった。

さて、最終回、
自分の気持ちをテライなく表現しつづけてきた道明寺/松本潤に対して、反射的な反発の言葉ばかり口にしてきたつくし/井上真央が、クライマックス、自家用飛行機を止めさせ、ほんとうの心情を吐露する。そのとき同時に、道明寺/松本潤の、一見無神経なだけにみえてじつは、つくしを傷つけたり、つくしに心配をかけたりするような事柄から、黙って守ろうとする男気が浮き彫りになる。涙が出た。仕事場の休憩室、ノートパソコンで休み時間にみていたから、涙がひくまで出るに出られなかった。ラストの土星のペンダントのアップまで、バシッと決まった。傑作だとおもった。

きけば好評につき来年早々に続編がやる予定だという。
うれしいような、余計なことのような‥。

やっと観終えて、テレビ情報誌めくっていたら、来週から『花より男子』再放送だという情報が目に入ってしまった。わざわざレンタルして損した。

(→『花より男子2(リターンズ)』の記事はコチラ)

theme : テレビドラマ
genre : テレビ・ラジオ

阿部嘉昭『日本映画の21世紀がはじまる』

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阿部嘉昭『日本映画の21世紀がはじまる 2001→2005スーパーレビュー』


(キネマ旬報社)


近年、その多方面な著作の刊行ラッシュで批評家としての充実をみせる阿部嘉昭。なぜか誰もやらなかった北野武のモノグラフィー『北野武VSビートたけし』を引っさげて視界に現れた。現在的に日本映画の最前線に寄り添いつづけてきた山根貞男や寺脇研といった映画批評家が、DV撮影映画の主流化してきたころから、現状の新作の最前線批評から徐々に離脱していった(世界の映画や過去の名作邦画にシフトしていった山根貞男、今やすっかりただの韓流ファンの寺脇研‥)ときに台頭してきたのは、現在形のサブカルチャー批評家でもあることが共通項である切通理作と阿部嘉昭だ、というのが自分の認識で、この二人は〈日本映画のモデルニテ〉とでもいうべきものにちゃんと伴走しえている、数少ない批評家だと思います。

敬愛する山根貞男さんが、良いも悪いもなく阪本順治監督の映画なら何でも誉めてしまっているのをみたりするのもなにか悲しいものがありますが、10年位まえの座談会での〈例えば阿部(和重)さんが書いた『キッズ・リターン』や『眠る男』についての評論を読むと、僕なんかより鋭く的確に書いてあって、もっと読みたいと思うんですね。そういう書き手が当然出てくるべくして出てきている。だから単純な世代論ではないんだけど、「キネ旬」にも「俺は10年やったんだから、誰か次の世代のイキのいいヤツに次の10年をやらせろ」と言ったんです〉という山根さんの発言を読んだとき、しみじみ、もう伴走するのがツラいのかな、無理を感じてるのかな、と時代の終わりを感じたものでした。

さて、阿部嘉昭版『日本映画時評』、とでもいうべき『日本映画が存在する』(90年代中盤から終わりまでの時評的評論集)ではまだ生硬で既存の評論文体のフォーマットに則っての生真面目な文章、という印象だったのですが、この、いわば〈続・日本映画時評〉である『日本映画の21世紀がはじまる 2001→2005スーパーレビュー』においては、粘着的に偏愛の対象に対して文章が吸着し、変質していった様がみてとれます。前『‥存在する』のカバー写真が北野武『HANA-BI』、瀬々敬久『HISTERIC』、三池崇史『極道黒社会・RAINY DOG』という、批評の最前線として順当なセレクトだったのに対し、この『日本映画の21世紀がはじまる』では表紙が廣木隆一『ガールフレンド』、裏表紙が井口奈巳『犬猫』という、2つの小品が選ばれていて、実は〈女の子映画に目がない〉と告白する阿部氏の趣味性が爆発していて、この点でも前批評集からの推移がみてとれると思います。

顕著になっているのが女優(女の子)を描写する執拗さ。前作での小泉今日子や小島聖の捉えられかたの端正さと、今作でとりあげられた数々の女優さんたち(女の子たち)への執拗な描写っぷりは常軌を逸した変態化を呈してみえる。

たとえば『ぼくんち』における観月ありさについては、〈観月ありさの全身バランスは妙だ(略)顔アップだと丸顔で、筆者の好きな豊頬だから、その顔は大きく見える。躯も肥満体と感じられる。ところが全身ショットとなり事態は一変する。太くない。というかまずその胴の長さに打たれる。さらに腕・脚がそれに輪をかけ長い。小さな顔が本当にバランスを欠きやたらデカい躯に乗っているだけだ。顔が雲の上。つまり童顔を温存したまま、統御を欠いて背が伸びすぎてしまった印象だ。手足の末端も大きい(略)そんな彼女は全身ショットでは胴体に一種の空隙感を醸す(略)観月の踏ん張った脚の開き具合が素晴らしい(略)TVドラマで観月の顔は薄明かりのなか若干の斜めショットでは奇蹟的なノーブル感を発現(略)〉と延々と描写する。あるいは『ラブ キル キル』『ともしび』『ユダ』のヒロインについて〈眼球の体温が低い女(略)の類型に当てはまる。それで顔の「肉性」(ヘンな言葉……)が低まる。顔全体が涼しい未来型になるのだ。そうした共通項のうえで街田しおんはその瞳が何かをみつめるとき静かな定着力がある。河井青葉は瞳の輝く瞬間が謎めく。
そして岡元夕起子は笑っている瞳そのものがヴァルネラビリティを感じさせ、瞳が笑っているのか泣いているのか覚束なくなる。(略)これらのヒロインたちはみな白磁型、(略)美乳をもっている。適度の量感、小さい乳輪、淡い乳首〉といった描写は、ある種の中高年の愛撫のように長くて執拗で、阿部和重のロリコン描写に熱が入るのと同様、その偏重ぶりの身も蓋も無さが魅力的でもある。フンフン言いながら書いているんじゃないかと思わせる不必要な長さは、どこまで細に入っても対象と一体化し得ない不可能性を露呈かさせ、〈批評〉が〈小説〉に似る。

短所として挙げたいのは以下の点。

まず気になるのは、なんでもかんでも全肯定しすぎること。90点の映画もあれば、75点の映画もあるはず。批評方法のアプローチがぜんぶいっしょで全肯定的にしか話が進まないところがシロウト的で優雅さに欠ける。〈個々の媒体で「評価できる作品」についてしか書いていない〉絶賛記事が本書の大部分を占める。ではいったい、例えば『リリィ・シュシュのすべて』と『トーキョー×エロティカ』とではどちらがより切迫した現代を生きていると評価するのか。年度別のベストテンの順列でもみない限り、その批評的立ち位置が見えてこない。そのうえ、必ずしも評価出来るものばかり扱っているわけではない星取表の、5つ星の満点評価作をひろってみても『団地妻 隣のあえぎ』『VERSUS』『空の穴』『GO』『新任バスガイド 汗ばむ秘所めぐり』『ハッシュ!』『殺し屋1』『日本鬼子』『とらばいゆ』『化粧師』『鏡の女たち』『UNloved』『ハレンチ・ファミリー 寝技で一発』『日本心中』『じーっとみてるとさわりたくなっちゃうよね』『新 仁義なき戦い/謀殺』『蛇イチゴ』『ヤマムラアニメーション図鑑』『ばかのハコ船』『棒たおし!』『ラ
イフ・イズ・ジャーニー』『蒸発旅日記』『あじまぁのウタ』『ここに、幸あり』『地獄甲子園』『東京ゴッドファーザーズ』『花』『eiko[エイコ]』『夢幻彷徨』『ジャンプ』『タカダワタル的』『ワイルド・フラワーズ』と玉石混淆、どこまで参考にできるのか心許ない。

悪文と言えなくもない不必要に晦渋な圧縮文体はともかくとして、(記憶が不確かなんですが)金井美恵子が、たしか、長編小説『文章教室』で〈紋切り型〉な評論家を登場させたさい、試写室において、ペンライトで手元を照らしつつチマチマメモをとる評論家の醜いさまを描いたのでしたが、その評論家像に阿部氏のイメージが合致する。チマチマしたイメージが人間的な短所だなどと言いたいのではなくて、そのチマチマ書いたメモを取捨選択せず、どれもこれも原稿化するのは一連である文章としてどうか‥。読者は殴り書きの観賞ノートから何事かを読みとるような作業を強いられ、結果、既に観た映画について書かれたものしかきちんと読解することができない。あくまでサブテキストとしての位置に留まり、〈少数なファンたち〉以外の、無党派層を劇場観賞に駆り立てるような誘惑性はみられない。映画内に自閉していかないよう、周辺ジャンルと併せて論じようという気概はいいけれど、結局自閉した構造内にとらわれている気がします。取捨選択したものを深化させるということを採らず網羅的になるからライブ感命の点滅的・発作的な短命なレビュー雑文に留まってい
る。メモ的反射に頼るから、例えば黒沢清『アカルイミライ』ではあからさまなメタファー(クラゲ)に喜んで飛びつき、本質を見失ってしまう。

しかし、『下妻物語』に最も脅威をおぼえた、という阿部嘉昭の批評意識は明敏で、レビュー雑文はレビュー雑文で、貴重なものだとおもう。阿部氏や切通氏ら、ごく少数の批評家にしかキチンと論じられない(メンドクサイ)映画がいかに多く、そしてそのいかに多くの映画が殆どかえりみられず消え去ってゆくか。。じっさい、語りにくい00年代の瀬々敬久や北野武から、井口昇『恋する幼虫』、三池崇史『極道恐怖大劇場 牛頭』や幾多のピンク映画等を真摯に論じうる人材は、そういない。映画評論家/批評家と名乗りながら、ピンク映画の新作や低予算映画はフォローしない輩を脇に置けば、その自称〈「真剣な」映画評論家〉ぶりが際立つ。

theme : 書籍紹介
genre : 本・雑誌

『天然コケッコー』映画化!!

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少女漫画界の巨匠・くらもちふさこ大先生の『天然コケッコー』が映画化だそう!!
しかも監督が山下敦弘!!

というニュースをみて心ときめきました。面白くなることの間違いのない組み合わせ。『ばかのハコ船』あたりまでは、バカ・オフビートに作風が限定されていて、限られた才能の持ち主と思われていた山下監督ですが、『リアリズムの宿』『くりいむレモン』『リンダ リンダ リンダ』と種類の違う映画を連打、何でも撮れることが証明されたばかり。その山下監督が一本はさんで、そして『天然コケッコー』って。。(これが傑作になってしまったりすると、少女漫画映画化作家・天童一心のポジションがなくなるかなあと期待する。)大変幸福なニュースだ、とおもった。

名作『いつもポケットにショパン』『東京のカサノバ』を代表作と考えると、7、80年代の作家と捉えられかねないくらもちふさこですが、以後の『アンコールが3回』『千花ちゃんちはふつう』『海の天辺』あたりだって、信じられない傑作。いくら長編が面白い、才能のあるマンガ家さんとはいえ、短編になると妙に文学的だったり教条的だったり、息苦しいものが出来あがってきてしまいがちですが、くらもちふさこの場合は例外で、過度に文学的になったりせず、短編も普通に凄く面白い。『チープスリル』『タイムテーブル』なんて、あんな題材と処理、ふつう、面白くならないはずなのに‥。本物だ。と短編を読むたびに再認識する。

そのくらもちふさこが『コーラス』創刊(一条ゆかり槇村さとるも集う、究極的な少女漫画雑誌が誕生した、と興奮した)のさいに発表したのがこの『天然コケッコー』。しかし過疎地であるド田舎が舞台の超ほのぼのライフが題材。主人公は中学生の男女だが、あまりの過疎ぶりに見渡すかぎり(恋の)ライバルがいないという状態。いくらテクニシャンのくらもち先生といっても、キラキラした切ない作品にはならないのじゃないか、才気ばしり過ぎてるんじゃないだろうか、と心配していたところ、妹の買った『コーラス』94年7月号を読んだ。読んでビビってたじろいだ。主人公・そよちゃんが、転校してきて間もない大沢くんの着ているフード付きのジャケットが〈ほしゅうてほしゅうて〉たまらなくなるエピソード。特定の物への執着が、特定の個人への執着だったと転換する鮮やかさ。キスまでの展開がちっともドラマチックにならないのにちゃんと切ない。ラストの呟きまで完璧だった。参りました。

親のウザさ。進学の孤独。恋愛対象外である者の憂い。無邪気だった年少者の自我の芽生え。隅々の登場人物にまで注がれる愛情。山下敦弘監督ならなんとかしてくれるはず。

ただ脚本を担当するのが渡辺あや『ジョゼと虎と魚たち』の甘ったれぶり、)というのが自分としては不安材料。。是非、いつもどおり向井康介とのコンビで観たかった、という叶わぬ願い。

主演は、夏帆岡田将生だそう。ふ~ん。別にいいんですが、文句があるわけじゃないんですが…。

ただ。
前に、雑誌『ダ・ヴィンチ』長澤まさみが登場したとき、そのインタビューを一読して、少々ヨワいというか、勉強できないんじゃないかというかんじをもって、ややガッカリしたのでしたが、将来的にやってみたい役は?の問いに、基本的にはどんな役がやりたいとか無い長澤さんが、『天然コケッコー』のそよちゃんはやりたい!と強くこたえていたことに、オッというか、グッときた身としては、出来たら長澤さんにやらせたかった、と残念におもう。でも山下/長澤という組み合わせは、正直、ピンと来ませんが。。

theme : 公開予定前の映画
genre : 映画

秋葉原

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年に一度か二度、マクドナルドでアルバイトしていた時代の友達と秋葉原ツアー?に行くのが恒例になっています。昨日が、今夏のその決行日。最年長にして現在マクドナルド正社員である、Yさんの夏期休暇にあわせて予定がくまれるのが通例。今回はカータン君と僕との3人編成。

アキバ巡りといってもメイド的なものには関わりなく、主に中古ソフトやオモチャを見てまわりながらダベるだけ。炎天下のなか、保田圭と同じ誕生日だが保田圭より16年早く生まれたYさんは、切り株系の映画をミズテンで何枚かゲット。DTSについてのウンチクを聞き流す。自分の周囲で『映画秘宝』定期購読している唯一のひとですが、世代が違うので話が微妙にあわん。なんとか嫌がらせで『フォーガットン』のDVDを買わせようと画策するが失敗。ある病気を患い、投薬による副作用でライトヘビー級まで体重がアップしてしまったカータン君は、バイファムのオモチャ買ってました。

ブーム?に乗ってか、街にはアキバにそぐわぬチャラいのが若干増えていて、オノボリさん的に我先にとおでん缶買ったりしている。絶無と言っても過言ではないくらい無かった飲食店が増えたのは、こういう人たちのおかげなんで文句を言ったらバチがあたる。


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『ときめきメモリアル Girls Side』の第2弾の発売イベントということで、女性ファンが集まってた。ゲストは制作者らしいが、それで女の子たちは楽しいのだろうか?

一通り巡りおえたらアキハバラデパートで腹ごしらえしてから、今度は中野へゆき、ブロードウェイのまんだらけで色々物色。ぼくは記憶の再確認のため『750ライダー』『ふたり鷹』『形式結婚』『虹色TOWN』などをチェックする。買うつもりだった『シグルイ』、結局買わず。探していた、島本和彦がかいたガンダムマンガの載ったバックナンバーを見つけるが、少々値段が…ということで迷った末やめた。Yさんはどうしても『ストッパー毒島』の10巻が手に入らないみたい。カータン君は島本和彦の『吼えろペン』をまとめ買い。

結局僕が買ったのは、黒沢清のドラマダス『もだえ苦しむ活字中毒者地獄の味噌蔵/よろこびの渦巻』、ペドロ・コスタの『ヴァンダの部屋』、サーフィン映画『ブルークラッシュ』のDVD3枚だけ。どれも千円前後で買えました。帰ってからしょこたんぶろぐをみたら、中川さんもこの日アキバに来ていたよう。

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theme : 雑記
genre : 日記

『奇談』

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『奇談』
(2005年、日本、84分)

原作:諸星大二郎
監督・脚本:小松隆志
音楽:川井憲次
出演:阿部寛、藤澤恵麻、柳ユーレイ、神戸浩、草村礼子、清水紘治

大学院生・佐伯里美(藤澤恵麻)は、小さい頃預けられた東北の小村で神隠しに遭い、その記憶を失っていたが、その村の一部がダムに沈むことが決定して以来、その時の記憶の断片のような不思議な夢をみる。失われた記憶を求めて、その〈隠れキリシタンの村〉を訪れる。彼女は、その村に隣接する〈はなれ〉という集落に伝わる聖書異伝を調べるためにやって来た考古学者・稗田礼二郎(阿部寛)と邂逅する。やがて村に不可思議な惨殺死体が。。

(前項の)『ラブ★コン』で主演を果たした、藤澤恵麻のスクリーンデビュー作である『奇談』について、なるべく手短に触れようと思います。

絶対的な人気を誇る日本SF漫画の雄、諸星大二郎のライフワーク、『妖怪ハンター』シリーズの『生命の木』を、日本ホラー映画ムーブメントを牽引する一瀬隆重プロデューサーの手により映画化。監督の小松隆志は『はいすくーる仁義』シリーズ等、泣かず飛ばずで“印象が薄いという印象”が長いことついて回りましたが、2004年の『ワイルド・フラワーズ』で地道な演出力が高評価され遂にプチ・ブレイク。つづく今作でも、奇をてらわず正面から勝負した丁寧な映画作りが、ある一定の好評を博しました。異形性がうすく、飛び抜けた凄さは感じなくても、個人的には好感をもちました。

諸星大二郎の代表的キャラクター、『妖怪ハンター』の稗田礼二郎を演じるのは阿部寛。イメージにあうとかあわないとか、人により色々意見はあるのでしょうが、なかなか成功しているキャスティングなんじゃないかと、個人的には思います。ただ僕が阿部ちゃんびいきなだけかもしれませんが‥。

〈歴史ミステリー〉なるジャンル区分の惹句で、キリスト教ネタゆえか多分に日本版『ダ・ヴィンチ・コード』を意識した宣伝がなされた『奇談』ですが、控えめに言っても作品的に『ダ・ヴィンチ・コード』に劣る要素はなにひとつなく、そんなに大袈裟に言うものでもないけれど、原作も映画もこちらの圧勝でしょう。おそらく京極夏彦がその〈京極堂モノ〉のフォーマットとして影響されたはずの稗田礼二郎のキャラクター(京極堂、榎木津)と物語構成は、現在の京極夏彦ファンからみて入りやすいと思われます。しかし、ミステリとして集約してゆくのではなく、終盤、奇想が恐ろしい壮大なビジョンを呈示する。ホラー調のタッチで最期へきての拡散ぶりは、〈歴史ミステリー〉、〈ホラー〉、〈SF〉、なんともしれない感慨をよぶ。予備知識何もなく観るのほうが感慨も深いのではないでしょうか。

闇の恐怖=穴のイメージが冒頭から連打される。不気味さ/不吉さが全空間に充満する、正調Jホラーの空気。藤澤恵麻の夢に現れる、地面にぽっかり開いた穴。神隠しにあった彼女が心にもつ2ヵ月分の記憶の空洞。その空洞を埋めるために向かう列車内は彼女以外誰もいず、その円柱形の空洞ごと、もう一回りだけ大きい漆黒のトンネルという闇の回廊を通って藤澤恵麻は核心の地へ向かう。
当地で資料と記憶の断片を頼りに手掛かりを探る彼女は一件の教会に飛び込み、礼拝堂の地下の穴から這い上がってきた神父に問いただす。その場で出逢うことになるのが阿部寛。村の忌まわしい古層から掘り出されたような記録映画フィルムが阿部寛の手に渡る。殺された村人のポッカリ黒くあいたガンカ。道行く脇に小さなウロが黒々と。
〈あの娘は地獄をみてきた〉と神隠しにあった女の子について言われるが、藤澤恵麻にはその記憶はない。終盤、皆が止めるのも聞かずにおおきな洞窟にひとりで入ってゆく阿部寛をみて、かつてここに自分も導かれて入っていったことを思い出した藤澤恵麻は後を追う。ともにたどり着いたのは巨大な空洞と、××××××。
藤澤恵麻の記憶の襞の襞の襞の奥に、深く深く沈み降りてゆく過程は、村人らが隠蔽した暗く忌まわしい秘密の襞の奥が暴かれていく過程と一致する。暗黒の虚無に吸い込まれるような恐怖(ホラー)と隠蔽の解除(ミステリー)の過程が重なることにより、説話の持続に強度の牽引力がでた。

『天花』では、眩しい白い陽光みたいな爽やかさをたたえた微笑を、『ラブ★コン』では全編ヘン顔でハイテンションな芝居を印象付けた藤澤恵麻は、その狭間にあたる『奇談』では、弱く強い、楚々とした朴訥な瞳で世界の真実を射抜く。そこには選ばれる者の属性としての可愛さが宿る。アイドル的側面の本線はこちらのほうか。

theme : 日本映画
genre : 映画

『ラブ★コン』

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『ラブ★コン』

(2006年、日本、99分)

原作:中原アヤ
監督:石川北二
脚本:鈴木おさむ
出演:藤澤恵麻、小池徹平、玉置成実、山崎雄介、工藤里紗、水嶋ヒロ、谷原章介

身長が高すぎることがコンプレックスな小泉リサ(藤澤恵麻)と、低すぎる大谷敦士(小池徹平)はボケとツッコミの気の合ういいコンビ。音楽の趣味もあう大谷を、リサは徐々に気になりはじめ、告白を決心する‥。

テレビドラマも映画も、ここのところマンガ原作ものが隆盛をきわめるなか、今度は『ラブ★コン』が映画化。『ハチミツとクローバー』が同時期に公開されることから、何がしかのムーブメントだとしてコジツケて論じるむきもあるようですが、ヤングユーなりコーラスなりの大人の雑誌に掲載され、コミックスは老若男女にひろく読まれている『ハチミツとクローバー』に比べ、別冊マーガレットという純然たる小中高生の女子だけをターゲットに想定している雑誌に連載中の『ラブ★コン』、その映画版が勝負しなければならないのは10代の女子。
頑張っていい映画にしさえすればなんとか勝算のみえる『ハチミツ‥』とちがって、〈映画的〉であったりすることと関係なく、その年齢層の女子を満足させられるかどうかがこの映画を成立させるもの。その意味では、ほぼその層でうまった初日の出口調査で、約91%の満足度を記録し、20本ちかい同日公開作の中、第一位の数値を記録したことは、この映画が成功したという証で、大の大人がノレたとかノレないとか、出来がいいとか悪いとかいうことが殆ど意味をなさないでしょう。

男性受けするキャストでも物語でもないようで、観た回でも観客の構成は小中高生の女子と、その連れに男子がチラホラ。男性一人で来ていたら間違いなく変質者みたいだった。幸い異性と観賞することになったのでまだよかったが、それでも最年長。ギリギリセーフかとおもったが、アウトだと言われた。

ヒロインの小泉リサには『non-no』のモデルから転進、NHKの朝ドラ『天花』の主役抜擢により、全国的知名度を得た藤澤恵麻。男ウケよりは女ウケしそうな彼女、映画としては今作が『奇談』(05)につづく早くも2本目の主演作になります。
(『天花』放映時、ぼくは舞台となった吉祥寺に当時勤務していて、ぼくのいた商店街には『天花』のフラッグ(?)がズラッとはためいていたので、親近感と勝手な身内意識をいまだに抱いていて、ボンヤリと応援しているかんじがあります。)

もうひとりの主役、大谷敦士を演じるのは言わずとしれた小池徹平。数多くのドラマで俳優としての評価もたかく、ウエンツとのユニット・WaTでも歌手として売れっ子さん、映画は『誰がために』(05)に次いで2作目の映画出演か。この興行一番のウリは、これが彼の初主演映画ということであり、大きなスクリーンで小池くんの色々なファッションや表情を楽しめることにある。と思われます。

憎みようのない爽やかで好感度の高いふたりの脇で、注目は歌手の玉置成実とヘンなブレイク中の谷原章介。
ブブカのキスプリクラ連続スクープによって、どん底まで人気が落ちたうえ、『GET WILD』のカバー歌ったりと気のぬけた歌手活動で、末期症状を呈していた玉置さんですが、オバチャンのようなどっしり安定した演技で堂々たる映画デビュー!若いのに老成しすぎている感じが気になりますが、すでに完成されており、バイブレイヤーとして今後重宝されてもおかしくない。(しかし、世界的歌手になるために、なるべく若くしてのデビューを志した、とか言っていたのが、未成年のうちに脇役街道が残る道になるとは‥。)

テレビで映画で、どっちを向いてもそこら中で見かける谷原章介の“さわやかな”笑顔。いつでもキャーキャーワーワー言われる役。だからと言って同性として面白クナイとかムカツクとか思わせないし、痛々しいわけでもない、不思議なところにいるひとだ。今回の“さわやか笑顔”ぶりは、もはやサイボーグや人造人間の域に達していて、ムダのないふんわりとした動作も実にサイボーグ的。これで『極道三国志・不動』に出てたりするから油断ならない。

主人公たちが漫才的会話を交わすことが話の主軸となる物語を映像化すると、大変痛々しくなってしまうのがオチなのですが、そこに重点をおくことなく、多面的にカラフルな〈楽しさ〉をぶつけることによって、結果的に痛々しさが回避されているのが奇跡的。ムツゴロウさんのギャグなんかも、スベる危険性が高いだろうによくやるなあと、さいわい好評なようですが、危ないところをなんとか運良くクリアした。描写力不足を意匠でのりきっていくなど、殆どの要素が微妙にあやういなか、意外としっかりとストレートに伝わるものがあったのは、妙な野心を抱かず、娯楽に徹したうえに、主人公たちの心の動きを誤魔化さずにちゃんとおさえたから、感情の変化がとってつけたようでなくて、心にくる。金魚すくいのシーンや、人力車前後のシーンなど、いたたまれなさが胸にせまり、クライマックスに藤澤恵麻が叫ぶシーンでは涙が出そうになった。福岡芳穂監督の『童貞物語3』(89)の本田理沙が大声で叫ぶクライマックス同様、こういうシーンに個人的に弱い。

カラフルでポップに画面を彩る様々な意匠は、ポップすぎずオシャレすぎず、アサッテの方向(オシャレ狙い)へ逃げなかったのが、地に足ついていて空転を抑え得た。気軽にたのしくみれるうえ、(ある年頃特有の)切ないかんじもあって、観てよかったとおもった。
しかし、あえていうと、この映画、映画である必要がまったくなく、テレビドラマとして過不足なく家庭用テレビのサイズにちょうどいいおさまりかたをしてしまう点が、最大の欠点だと思います。じっさいに劇場のスクリーンで確認しなければみえてこないものなど、なにもない作りなのですが、果たしてそんなことが求められているのかどうか、心許ない。。

パンフレットは気恥ずかしくなるようなピンクを基調とした可愛らしい変形判で、なかのページもとにかくカラフル、とても男性が帰りの電車で開く勇気はもてないモノ。プロフィール欄、高校生役の人々と舞竹先生役の谷原章介のみ、詳しく生年月日や出身地などが載っていて、ほかのひとは至ってぞんざいな扱い。田中要次→〈テレビ、映画、CM、舞台などジャンルを問わず、数々の作品で活躍〉とか、寺島進→〈テレビ、CMで活躍〉とか、何も言ってないのと一緒じゃん!

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