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『ロトセックス』フルモーション⑩

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『ロトセックス』
フルモーションレーベル⑩

(2006年、日本、68分)

製作・脚本・原案:永森裕二
監督:廣田幹夫
出演:南波杏、nao.、松浦祐也、中野裕斗、いとうたかお、金原亭世之介

ジュンコは、夫が失業以来、ギャンブル(特に宝くじ)狂いになってゆくのにたいして困惑していたが、ついにキレて“宝くじ禁止令”を発令する。そのかわり、ジュンコは〈家庭内宝くじ〉を発案、その一等は妻とのセックス‥。

ついにフルモーションレーベルも第10弾の『ロトセックス』。監督は前作に引き続き廣田幹夫が担当。前作『アイノシルシ』を観たときには、〈夫婦の性に特化した〉というこのシリーズの焦点がブレ、主題が〈夫婦〉から〈家族〉に移行していこうとしていると感じ、このシリーズの限界と終焉の予兆ととりましたが、記念すべきこの第10話ではシリーズ原点に立ち返った感があって、まさに“ある夫婦の、ある性/愛のかたち”が描かれていて、心豊かな気持ちに包まれました。

『アイノシルシ』が同シリーズの中核的代表作『脱皮ワイフ』の焼き直しだとしたら、今作『ロトセックス』も、同じく同シリーズの発端となる第1作『クエスチョン』のリメイクとも言える物語(あるゲームのルールに従って、夫婦の性的距離が変動する)で、期せずして、廣田幹夫の二作品は、フルモーションレーベルの歴史を概観する作業ともなった。

おそらくコピー的な発想で、まず“ロト6(シックス)”のもじりとしての『ロトセックス』というタイトル、まずそのタイトルありきだったろうと思われる『ロトセックス』という企画がスタート(推測)、そこから導きだされた物語は〈夫婦の性的結合を、家庭内宝くじで決定する〉という無理矢理なもので、観る前は失敗している予想しかたたずに、正直なかなか観賞する気になれませんでしたが‥。

翌朝にジャンボ宝くじの発売開始をひかえた、深夜の宝くじ売り場、シネスコサイズの横長画面に並ぶ列を作るうらぶれた人々に、通りすがりの浮浪者が、どうせ当たんねーんだ、ラクして金儲けしようとしないでとっとと帰れ!ともっともな罵声を浴びせる。
列にならぶ人々のなかに、薄汚い長髪に無精ヒゲ、見るからに甲斐性なしのダンナ・亭一郎(松浦祐也)と、退屈してアクビする妻・ジュンコ(南波杏)がいる。二人のややダサめの“軽妙な”会話で状況説明がなされ、「希望をもって、生きていかなきゃね。」のポジティブな呟きとともに、メインタイトルロゴが二人の上にさりげなく被さる。

ダンナの松浦祐也は失業中で、就活も失敗つづき、各種ギャンブルでダラダラと日々を無為に過ごしている。ほぼヒモと化したダンナを尻目に、タクシーの配車係として日々働き家計を支えている南波杏は、ふがいないダンナや職場でのストレス(やる気なく仕事をする茜(nao.)が同僚で、そのサボりのしわ寄せは南波杏にくる)にイライラは募る一方だ。

『アイノシルシ』同様、あか抜けないタッチとシネスコ画面は、これまでの洗練された映像美が印象的だったフルモーション諸作と異なっていて、今の映画というより70年代日本の青春映画を思わせる。そのテイストには序盤違和感を感じましたが、そこにある温かみと空気感は、やがて物語の推移につれ夫婦のお互いを慈しむ気持ちが露わになってゆくに従って、じんわりと幸福な同調を示していると感じさせ、徐々に納得させられてゆきました。

半年もプーをやり、毎日あげる小遣いもギャンブルにつぎ込み浪費する彼にイラつく南波杏は、そんなにクジやりたいなら自分たちで作っちゃえばいいと提案する。「どうせ普通に買ったって当たんないし、人に出す分のお金なら、それをあたしがあずかっといてあげるよ。」

かくして、家庭内宝くじが開始される。回転する扇風機をダーツの的に見立てて、0から9までの数字を割り振り、矢を6投して当てた数字が当選番号になる。ダンナは一口千円を投じ、予想する6ケタの当選番号を紙に書く。合致した数字のケタ数にしたがって等級が決められるという仕組み。

しかし、これが当たらない。日々チャレンジするダンナだがせいぜい五等〈キス(下2ケタ的中)〉止まり。妻に朝もらう2千円、「こうなりゃ意地だ。絶対当てる。」「てゆうか、働けよ。」
杏が仕事からかえると、パチンコで増やしたという一万円をもってダンナが待っていてチャレンジする。五等に2枚分のこり、2枚分だからとあらんかぎりのキスをする、潤む杏、四等、1枚のこり、〈乳もみ〉、杏も声が出る。三等。残った。〈おさわり全般〉、服を脱がせて触りまくり、ふたりで悶える。その流れを得て挿入しようとすると「ダメ」と杏。当てりゃいいんだろと次投。ハズレ。杏は部屋を出てゆき、シャワーで濡れそぼり、体の火照りを冷ます。

通常であれば、ゲームのルールに従って進んでゆくが二人の関係に変化が生じて、ルールに愛や欲望が勝り結合するに至るのが順当な展開だとおもう。しかし『クエスチョン』ではそのルーティンに従った結果、クイズというネタはあくまでフックに留まり、必然性の薄いガジェットの領域に甘んじ空転感を与えた。
それに対し『ロトセックス』では、南波杏演じるジュンコはルールをあくまで最期まで尊守し続け、愛や情によってウヤムヤにしたりはしない。そのことが、発端もネタも不自然で奇抜なガジェットにしかならなそうなところに、違う方向から必然性の光を当てることになる。

杏=ジュンコだってダンナを愛しているし、肉体的な結合も求めている。だが、目的は当たる当たらないではなくて、負けグセ、諦めグセのついたダンナ=亭一郎を支えてシッカリさせるためなのだった。だから、お互いかんじあい、求めあってもナアナアには決してさせずに挿入を拒絶する。男としてのダンナを支えて、きちんとさせることを自分の快楽や利益や幸福より優先させる。すごく、大きな愛だ。と同時に、あまりにキッチリが行き過ぎてて可笑しくもある。

失業しているのは自分のせいじゃないのにとボヤく夫が、「持たせてほしいなあ、モチベーション。なんでもいいから勝ちグセつけてーよ」と訴えるのに対しては仕事を見つけてくることを条件にルール変更を了承する。ダンナが勝ちグセをつけ、前進する力をつけるためなら杏=ジュンコは折れるのだ。

「じゃあまず、四等は手コキだ。」「え?」「だって、おさわりも乳もみも、お前が気持ちいいだけじゃん。」「いいわよ。」「三等は‥スマタだ。(略)二等は‥茜ちゃん(mao.演じる配車係の同僚)どうだ。」社内援交をしてるnao.は、亭一郎にコナかけたことがあった。他の女とスルことを持ち出した時点で、彼女がキレてルール変更話はご破算になってもおかしくないのに、一度言ったことをを厳守する杏=ジュンコがなんと承諾するのが可笑しい。「でももし当たったったらね。」しかしのちのシーンで、その二等が当たってしまい、さすがにダンナも「やっぱりやめよ!?」と提案するのに、あくまでナアナアは己に戒めている杏=ジュンコは「あした話してくる!」「ノリで書いただけだし‥」「ダメ。ルールでしょ。」かくして奥さんの推進でダンナが浮気という奇妙な状況に‥。

ルール変更の条件として南波杏は「仕事みつけてきてよ」とダンナに突きつけたのだが、ダンナは給料いらないからと必死で頼み込んでホントに無給の仕事をなんとかみつけてくる。ふつうなら、家計の苦労を軽減するためなり安定なりを考えて、奥さんは無給の仕事なんてなに考えてんのバカじゃないのと罵倒しそうなものなのに、ダンナのモチベーションややる気の持続、勝ちグセをつけさせてあげたいとかそういうほうを優先する杏=ジュンコはそれを黙って認め、ルールを尊守したダンナの行動を尊重するのだ。

今回主演女優の南波杏、これまでのフルモーション作品でもトップ級のAV女優が数多く主演しましたが、南波杏は正真正銘トップ中のトップ。その起用は10作になる節目としての力の入れようを感じさせますし、共演のnao.もまた名の知れた人気女優で、一瞬ダブル主演かと思わせる。nao.が気だるくユルい女として色気を発散するのと対照的に、南波杏は毅然として硬質な知性を漂わせ、欲望を抑えた瞳が切なく愛をかたる。シリーズ全般を通して言えますがAV畑の方々の演技は本気で上手くて安定感があるとおもう。テレビドラマ『下北沢GLORY DAYS』に出てた方々も全般安定していたし、正直いろんな意味で普通の女優には脅威だと思うのですが‥。

南波杏と同じ配車係で、ダラダラとやる気なく働く茜=nao.は、いつでも“じゃがりこ”を手放さずボリボリ食べていて(この辺のギャグは永森流)、へるもんじゃなしと男性社員はパンチラサービスで手懐ける。お金もらわないと不倫でしょ?不倫のほうがよっぽど悪いという妙な理屈で社内援交をおこなっていて、南波杏のデスクの上で不倫/援交相手のマミヤと絡む。シネスコは通常のショットだと遠すぎ、絡みの場面ではカメラが近すぎて肢体は断片的にしか切り取られず、溢れでるだらしない色香を描写しきれなかったのが惜しい(nao.に限らず、南波杏の絡みのシーンも失敗ぎみで、シネスコサイズとカラミのシーンの相性に対して、撮り手に戦略が足りなかった、とおもう)。
しかし、最期には援交がバレてクビになる。杏=ジュンコがルールに従ってダンナを茜=nao.の元に送りこんだあの日、ふたりはシテいなかったと彼女は杏=ジュンコに告げる。そのとき以来援交はやめたのだという(そのため、不倫/援交相手のマミヤにチクられた)。nao.は「ハイ」とじゃがりこを南波杏にわたし、「じゃあね。」と言って職場から颯爽と去っていった。

ダンナは職場に認められて少額ながら給料をもらった。帰りにふと宝くじを買ってかえってきた杏は、じゃがりこ片手に宝くじを並べだす。そこへ帰ったダンナがそれをみて驚くと「なんか、降りてきた気がしたから。」と杏。じゃ俺もと給料全額ロトセックスにつぎこむダンナ。スマタ止まり。じゃ、立ってやろ。うん。あたしたち、セックスレスね。死ぬまでに、一度は当てたいね。うん、当ててね。

お互い求めあい、愛し合って、ダンナも成長したのに、あくまでも最期までルールを曲げないのが可笑しく、ヘンな夫婦のヘンな関係だけど、本人たちの出した答えで本人たちが愛情をもって幸せみたいだからそれはそれでいいか、とあたたかい気持ちになり、いい夫婦関係だとジーンとする。

前作『アイノシルシ』からは中野裕斗が再登場。めでたく亜紗美の家族の一員となって日々を暮らす彼でしたがタクシーを停めて自慰をしているところを南波杏に目撃され、『アイノシルシ』での奇妙な家庭生活の後日談を語ります。ちゃんとストーリーの一翼を担っているのがうれしい。

‥これでシリーズ終了、有終の美だったら良かった(?)のですが、フルモーションレーベルはまだつづくようで、次作、第11弾は『ギネスの女房』。近日発売。

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『アイノシルシ』フルモーション⑨

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『アイノシルシ  LOVE MARK』
フルモーション⑨

(2006年、日本、75分)

製作・脚本・原作:永森裕二
監督:広田幹夫
出演:亜紗美、中野裕斗、宝月ひかる、羽村英

言いたいことを言わない関係の一家に育ったしおりは、セックスした翌朝、必ず鼻の頭が赤くなるという特異体質の持ち主。父はしばらくシルシの現れぬしおりに不安を感じ、見合いをさせることにした。結果、雪男という男が婿にくる。
しおりには腐れ縁の元恋人・俊二がいたが、さいわい雪男は妻のシルシに気付かない。しかし、シルシの症状がクローズアップされる報道が流れ、しおりの秘密に危機が訪れる‥。


今回、主演をつとめるのは人気AV女優の亜紗美。映画ファンには先ごろの井口昇監督『おいら女蛮』におけるバンカラ口調の女蛮子(すけ・ばんじ)役や、フルモーションレーベルと同社(フルメディア/AMGエンタテインメント)から出ている別シリーズの一編、『くりいむレモン 亜美の日記』の主演が記憶に新しいかと。今回は性交をした翌朝には鼻の頭がぽっちり赤くなる、奇妙な体質の娘に扮します。

監督は『エコエコアザラク』のテレビシリーズや、ジャンクなビデオ作品で活躍の広田(廣田)幹夫。『夜光蟲』(99)や『呪女/NOROIME』(00)などの監督作品がある。主として手掛けるジャンル傾向はオタク寄りのエロ・ファンタジー/ホラーといったところで、もう中堅の部類にはいると思われます。積極的に新人起用の多かった当シリーズでの起用は意外な感じがあり、プロデューサーの意図が計りかねますが、今作、物語要素が男女間のストレートな関係性(〈夫と妻〉)に閉じない、〈家族〉〈親と子〉というテーマをも包括するおおきさをもったものだから、ベテランの確実な演出を必要としたということなのか。

製作と脚本をいつもながら兼ねる永森裕二の抱えるテーマが、〈夫婦〉から〈家族〉に移行したのか。それが本作に接しての最も根源的にうけた印象/感想。

序盤、うわべは仲睦まじく笑顔で対話する真野一家のようすが柔らかく淡々と描かれる。色フィルター撮影はされているものの、どこか鈍くさいタッチで、これまでのフルモーションのスタイリッシュなスタイルとは好対照。松竹映画をふと想起した。小津安二郎みたいな話(娘をそろそろ嫁にやらにゃ、見合い、本音を言わない会話‥)だが、シネスコみたいな横長の画面でちっとも構図が決まらずだらしないのはむしろ山田洋次を思わせます。

お見合いを父にお膳立てされるが、うわべの笑顔で本音を言い合えない空気のある真野家では、どんな人なの?と訊くのも一大事。両親は前日性交の〈シルシ〉である鼻の赤ぽっちの症状が娘にしばらく表れていないことから、AV男優をやっているというオゾマシイ彼氏とは別れたと思っていたが、男優は最近プライベートではインポ真っ只中だっただけで二人はズルズル続いていたのだ。

そんななかで、生真面目そうな雪男という見合い相手と結婚するしおり。新婚旅行から帰ってきた亜紗美の鼻ポッチを確認して両親は安心する。
しかしAV男とはまだ続いていたうえ、彼のインポが治る。さらに実は雪男にも長い付き合いの女(宝月ひかる)がいた。劇中、母娘で観にいく邦画『タイタニックⅡ』の主演男優が亜紗美と同じ病気で破局したという報道がおおっぴらに流れる。ダンナの雪男はラブホテルで宝月ひかるとならんで、さっきAV男とシタばかりのしおり/亜紗美は両親とならんで、TVにみいっていた。このままでは、確実に浮気がバレる。。

浮気が判明することによって相手を傷つけるのか、不誠実に隠すことによって傷つけず裏切るのか、円満に過ごすために知っているのに知らないふりをするのか。このさきのW不倫2組の男女の闘争は、純粋機械として論理的に展開されていくのだが、その闘争とは〈本当のことを言わない優しさ/冷たさ〉と〈本当のことを言う優しさ/冷たさ〉の陣地の奪い合いということになる。抽象的な概念が映画全体を闘争運動体として動かすなか、登場人物たちは徐々に論理を補完する抽象的な部品と化す。そのため、なつかしや『クエスチョン』みたいな音楽の鳴り響くダンナと宝月ひかるのロングショットの追っかけシーンにしても、人物は概念を代表するモノとして作動しているだけな感があり、ふたりの気持ちが感情として迫ってこない。宝月が「何でも言いあえる人と結婚する」と宣言する台詞も、理が露出しすぎていて肉体をもつ人物としての宝月ひかるの哀しみも、空虚に聞こえた。

〈本音を言い合う〉困難と〈本音を言い合わない〉円滑は、たしかに男女の大テーマであるが、もうひとつのテーマつねに〈親と子〉〈家族〉という共同体を維持するための〈本音/非本音〉という理念とどこかかみ合っていなくて、ひとつのドラマとして盛り上がっていかない。道具だては『脱皮ワイフ』の焼き直しなのだが、〈家族〉のテーマが前面に出て感情の結晶作用が停滞した。

これらのことは、この〈夫婦の性に特化した〉フルモーションというシリーズの終焉の予兆と言えるのではないか‥。誰も切なく輝かないなか、物語的決着をみたあとの終盤、〈家族〉の主題を余韻のように語る場面はしみじみと良い。父母が夜中、暗いなかで酒をのみつつ「なんのお祝い?」「そうだなあ、しおりと話せた、お祝いかな」と交わす会話のよさ。ラストシーン、しおり、雪男、しおりの両親と揃う、朝の団欒の場面で母親によって示されたあるサプライズは、映画全体を幸福な色に染め上げた。

前作から引き続いての登場となる宝月ひかるは出番も多く、演技も達者なのですが、前作のキャラと何の関わりもない役柄で、チェーン方式(前作のキャラクターが次作に再登場する)をウリのひとつにしているこのシリーズに対する、作り手による破壊ではないのか‥。


さて、記念すべき10作目となる次作『ロトセックス』は、同じく広田幹夫監督で、主演はなんと超大物AV女優の南波杏!!(発売は11月24日予定)

→フルモーション⑩『ロトセックス』につづく。コチラ

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『サバイブ』

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『サバイブ』

(2006年、日本、86分)

◎第1エピソード『Hunger』
監督:元木隆史
主演:のはら歩

◎第2エピソード『潜伏 Hidden』
監督:本田隆一
主演:miko

〈フルモーションレーベル〉でお馴染みの、〈フルメディア〉から出たこの中編が2本立てでパッケージされている『サバイブ』は、快作『脱皮ワイフ』の監督・主演コンビ、傑作『ピーカン夫婦』の監督・主演コンビによる2本の競作ということで、〈フルモーション〉からスピンオフした外伝的作品、という観点からいくと、やはりフルモーションを代表する堂々と誇れるものとして、『脱皮ワイフ』と『ピーカン夫婦』が認知されている証ともとれます。
しかし実際、元々の企画の出発点は、プロデューサー(永森裕二?)が女優さんの〈イメージビデオ〉を撮りたいと言い出したことが始まりだったようです。ただふつうに作っても面白くないから、ドラマ性のあるものにしようとか、結果どんどん膨らんでいき現行のかたちになった模様。

メインの女優が一人でほぼ出ずっぱりで、なおかつ台詞が殆どない、という作劇は、企画初期の〈イメージビデオ〉の形式の名残でしょうか。

二人の監督、二人の女優によって競作された2つの中編から抽出される共通点は、どこまでが企画よりくる“縛り”なのか今一つ分からないところもありますが、大きくみて以下の通り。

①全編、一人の主演女優が出ずっぱりで、他に登場する女優はいない(もうひとり女性の役がある場合はそれも主演女優が演じる)。
②主演女優にはなるべく喋らせない。
③物語のストーリーラインは、〈極限状態に陥り追い込まれた女が、その状況を切り抜けるべく奮闘する〉というもの。
④描くべき共通テーマは〈エロス〉。
⑤主演女優を魅力的に撮ることを第一の主眼とする。

‥ということで、じっさいの本編ですが、比較すると同じ大阪芸大出身ながら本田隆一『潜伏 Hidden』のほうはいかにも大阪芸大的かつ本田隆一的で、カラーが存分に出ているぶん、競作の規制には居心地が悪そうで、どちらかというと饒舌な作風で引き算より足し算なところもある関西人的資質の本田監督には、殊に“女優になるべく喋らせない”という縛りはキツいようで、喋らせない不自然が所々表面化し空回りの気味がなくもない。
それに対し、画面/場面に流れる空気と間合いを大切に作り上げるのが作風だと思われる元木隆史監督の『Hunger』の場合、プロットを極限まで単純化し、物語で引き込み引っ張るのに力を注ぐのは最低限にとどめ、女優さん(のはら歩)のすべてを隅々までうつしとることに尽力しています。


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肌寒い季節の森林に、白いコートにピンクのマフラー、黒いスカート姿ののはら歩を、自殺する場所を求めてさまよわせる。(彼氏との関係が破綻し絶望したよう。)偶然迷い込んだ用具置き場のような小さな山小屋で自殺を試みた彼女は、ちょっとした手違いから右手首を縄の結び目に絡めとられてしまう。爪先立ちで立ったままの体勢で自由を奪われた彼女を、そして彼女の脱出への努力を、執拗に見つめ続けることになります。

清楚で透明感のある面立ちののはら歩が、苦悶したり濡れたりするさまをまじまじと観つづけることになるのは、成程企画当初にあったイメージビデオ的な狙いに限りなく近い成りゆきで、観る者は様々な光線のもと、のはら歩の肢体を堪能することになる。拘束されることとなるトラブルの直前にストーブで湯を沸かし始めたことから、のはら歩の肌にびっしりと玉の汗が浮かび上がり、コートの下に着ていた白いブラウスや髪の毛が濡れた肌に張りつく。刻一刻と過ぎてゆく時間の推移につれて、夕陽が、月明かりが、暗闇が、早朝の光線が、彼女の白い肌をさまざまな色合いに輝かせる。元木監督の演出は、とにかくのはら歩をじっくり舐めるように撮影し、女優さんの美しさをフィルムに少しでも多く刻印しようという、女優を撮るということの原初に立ち返ろうとしています。

脱出のために色々な道具を足の指で手繰り寄せ、使用しようとするさまを、動く足指をフェチ的にアップでひたすら追う。暑さと狂乱で、順序を経て一枚一枚身につけたものを脱いでゆく様子も、逐一ナメるように撮影される。

一般的なイメージビデオによくある、とってつけたようなシチュエーションに観るひとがしらけつづけて退屈してしまうことを回避するための様々な工夫がなされていて、例えば脱出のために延々苦闘し、ハアハアと荒く息をつくその息づかいが、布と肌とがこすれる音が性的に強調されていますが、唐突な見せ場(聴かせ場?)として浮かないようにという配慮からなのかは分かりませんが、冒頭から枯れ葉や小枝を踏みしめる音、梢を風がはしり、山鳥がさえずる、さまざまな音が静寂のなか響きわたり、不自然な突出を封じる。夜半に降り出す雨がトタンをたたく音やストーブ上のヤカンがシュンシュンたてる音とともに、いつしかすべての〈音〉そのものがエロティックな鼓動として『Hunger』全編を覆う。

また、物語るうえで必要だが見せ場ではない普通のシーン、例えば男に何度も電話をかけ続けそのたびに不通だというシーンを、角度や大きさをさまざまに変えたカットを丁寧に重ねていき退屈なものとしない作業を怠らず、段階を踏んでゆくいことによって、見せ場だけのとってつけた感じでなく必然的なドラマ性のなかでエロスを描く。西陽がさすなか、届かないところにあるケータイを引き寄せる道具とするためにブラジャーを使用し、そのために美しい乳房が露わになる展開だけはさすがに少し強引に感じましたが、のはら歩の魅力をみせるということに集中しつつ、イメージビデオ的退屈さと空虚な空転感に対して、単純な物語を語ることを疎かにしないことによって退屈ぎりぎりのところで空転させずにおくことに、健闘していると思います。

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一方、『潜伏 Hidden』は志向がガラッと変わって、本田隆一が規制と中編という枠組みに自分の作風や物語をムリヤリ押し込んだ感じ。

ファーコートを身にまとったバブリーかつゴージャスないでたちのサキ(miko)がホテルにはいってゆく。今夜はこの間の306号室で9時に、というトシカズのメールに導かれて、早めにやって来たmikoは、部屋に落ち着き、仕事が早めに終わったから先に来ている旨、彼にメールする。シャワーを浴びていると何者かが呼び鈴を鳴らす。バスローブを羽織り恐る恐る扉を開けてみるが、視界が悪い、訪問者は別の部屋にはいってゆくのがぼやけてみえる、コンタクトを落としたよう。廊下に転がっていたコンタクトを拾おうとして306号室の扉が閉じ、オートロックのためあられもない姿で締め出されてしまう。作戦を練るmiko、丁度305号室の部屋の人間が出てゆき、ドアが閉まる直前にすべり込む。まずはまともな格好をするべくその部屋にあったジャケットを羽織るとポケットから携帯が出てくる。みると先程自分がトシカズに送ったメールが表示され、しかも調べてみるとエリなる知らない女からの〈あの女と9時からならその前にあえるじゃん〉というメールがあり、それへの返事として、じゃあ7時半に305号室で、あの女からは金巻き上げてポイだから
、というふう。狂乱状態に陥ったあと、トシカズを慌てさせるさまを妄想し、ウトウトしてしまう。はねおきて、事態を打開せんとフロントに電話しているとトシカズとエリ(miko)が帰ってきた。あわてて隠れるサキ‥。

‥‥という、前半だけでもこれだけある物語は、短い時間で語りきるには慌ただしく、規制の結果一人二役で分裂することになったmikoの熱演も、物語と心理を語るのに忙しく、mikoのより多角的な魅力をみせることになったとは言い難い、と思う。押し黙った状態でいることにも何か無理があり、ついでに輝きまで押し鎮めてしまっていて、ほんとうはもっと魅力的なんだろうに、と思わせる。
ボタンの掛け違いからくる騒動を描くのに、主人公の台詞がないというのは苦しげで、どうしてもゲーム感覚で捉えられてしまい、生身の人間が生きている感が薄く、“芝居”にしか感じられないのは、第二の女を演じるmikoの金髪のヅラを本気にみれないのと同列。脇の男優陣のコミカルさに救われていますが、煩雑な物語はいかにもオムニバスの一編を観る鬱陶しさを与えます。

浮き世離れした透明感をもつのはら歩の裸体は、どれだけ濡れそぼり露わになってもどこか聖なるものを感じさせるのに対し、同じように形の整った美乳をもつmikoの肢体は現実的で、即物的な生々しさが匂いたち、いわば下世話なエロス度はのはら歩より上で、分かりやすい整った顔立ちとも相まって、ストレートな劣情へと直結させる。
万人にとっての美人というのとは少し違う種類の美しさをもつのはら歩は、それだけにそれを美しいと感じさせたときには強く、肌にはりつくような性的触感を刺激する。

夢幻的な透明感も伴っていた『脱皮ワイフ』の序盤のmikoですが、結局、お互いの好みの体位のせめぎ合いという、下世話な夫婦の権力闘争劇を演じることによって、最終的には現実的肉体に留まったのでした。本田隆一×mikoという組み合わせは、常に地に足がついた女性を生むようです。反対に、元木隆史×のはら歩による『ピーカン夫婦』の絡みを思い出してみると、性交したまま屋内から徐々に高度を上げつつ空のみえる屋上に至るさまが示されたり、ラスト、どこともしれぬ緑あふれる夢幻的な場所での性交が描かれていたりして、どこか地上のものでない、重力的な磁場から離れ、浮遊する感覚が似合うヒロイン像の創造が、ふたりのクリエイターとしての化学反応の結果なのか、『Hunger』で新たにみせる女性の姿も、常に重力に逆らう方向にロープをとばし、吊られることによって重力からの解放を希求しているようにもみえる。

逆のベクトルにmikoとのはら歩は配置され、それぞれの監督/女優の資質の差異を、体現している。短いぶん、エロスとしとも映画としても少し物足りないけれども、4人の表現者の資質がみえて興味深かった。


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『コスプレの人』フルモーション⑧

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『コスプレの人』

(2006年、日本、65分)

監督:有馬顕
出演:斎藤歩、宝月ひかる、吉岡睦雄、酒井ちなみ、諏訪太朗

食品会社で働く夫は、食玩ではない次の展開、つまみ系駄菓子の開発に取り組んでいる。妻は色々な職業の夫を体験したくて、夫にコスプレを強要する。エスカレートする妻の要望に、不満を溜め込んでいた夫は逆襲し、妻にもコスプレを行うよう要求する‥。

フルモーション第8弾は、前作に引き続き有馬顕が監督。『ニップルズ』同様、こちらも“達者”で“洒落た”テイストの演出になっています。

横に長くテーブルについた食品会社の面々が、イカについて妙に熱く論議をかわし、演説をかますファーストシーンから、コミカル感がただよう。『ニップルズ』での乳首論議と同じく、製作・脚本の永森裕二が有馬顕の長所をココだと見定めた采配なのか、些細で情けない事柄についてこだわる者の可笑しさを快調なリズムで描いて確たるスタイルあり。山下敦弘あたりのセコいスタイリッシュさとはまた違ったスタイリッシュさで、あっちがアメリカン・ニューシネマ系のあんまり勉強していない感じの野暮ったさをもっているとしたら、こちらはヨーロッパの、厳かなローファイ感をもつインディーズ映画、とでもいうか、とにかく堂々たる作風をはやくも確立しています。

さて、ディスカッションのあと、主人公の幸吉と副社長のふたりだけ会議室に残る。下級職位の提案を頑として受け入れない幸吉に対し、副社長がやんわりと言う。副社長「たまには、認めてあげるってことも大事よ。み~んな認められたいんだから」幸吉「認めてますって」。フルモーションレーベルをこれまで観てきたひとは、この台詞が全編に通底するテーマだとすぐに察するはず。〈一般的な男女の関係〉とはこうあるべきだという枠にはめず、たとえ特殊な性向があろうとも、それがそのひとであるなら、「認めて」、「受け入れ」ること。

で、今作の「受け入れ」がたいこととは、
〈今の自分と違う自分になること〉=〈コスプレ〉。
ただし、それを相手に強要すること(コスプレを相手にさせること)。

夜の残業、帰り際、むっちりとした、小さい目の鋭い同僚の女性、視線の交差、性欲が点滅する。

間欠的な点滅感。劇伴音楽もそれを煽る。自宅の全景のショット。橋の上のショット。夫・幸吉(斎藤歩)は食品会社からの帰宅途中、公衆トイレで、それまでの人生と断続した人柄/職業に切り替わる。その断続がまた点滅的。パイロット・スーツに着替えた夫が玄関に立つ、「おかえりなさい」「ただいま」。

まだ若く幼くして結婚した妻・宝月ひかるは、あったかもしれないいろいろな未来、いろいろな可能性のあった結婚を、様々な職業の夫との生を、夢見ている。週一回の(夫のみの)コスプレ・デーは、そのまま夫婦の性生活のすべてである。パイロットを演じる夫の話にきらきらと瞳を輝かせて聞き入る妻を、パイロットとして喋りながら抱く夫。このような状況は即ち現・夫の存在の否定であるから、もちろん夫は不満を募らせている。ある時、演技の途中で「さぶ‥」と呟くことによって破綻させ、譲歩条件として妻にもコスプレをさせるという提案を行う夫。かくして、互いの、ある意味“性の不一致”を解消するべくふたりで模索する。シスター×ターザン、メイド×医者‥。反省会を重ねるふたりは(こういうくだりは相変わらず好調、結婚相手のシミュレーションの筈なのにレースクイーンの格好をさせるのは、単にエロい格好させたいだけじゃん、という妻の反論などを経て)、完成度を追求してあさっての方向へいってしまうことに、凝りに凝った〈選挙戦をたたかう候補とその妻〉を演じて気づく。
袋小路に入り込み、いっそ、なんになりたいか、なんになりたかったかにしてみるという提案が妻からでて、やってみることになる。

ロックスター。

ノッてる夫とは対照的に、家中をあさり、何も見つけられず、何も自分にはなりたいものがなかったことに気づく宝月ひかる、その涙。

ふたりの和解は、宝月ひかるが〈しがない駄菓子会社の社員〉である斎藤歩の妻である〈現実〉と向き合えるようになることでなされるでしょう。そのクライマックスの一連のシーンの最期に発される、宝月ひかるの「しよ、駄菓子屋さん。」という台詞は、予想可能な予定調和ながら、キレイに決まって心地良い。

だが、キレイすぎるのもどうかという疑問が残るのも確か。
例えば、〈性の不一致期〉の絡みのシーンは構図主義的な引いたキャメラポジションからさめたように切りとられているのに対し、和解のセックスはふたりの感情の融合を象徴するようにキャメラは密接して撮られている。その明白な図式性は余白がなくて、そっけなく、〈性愛〉というエモーショナルなものの表現としては熱量が足りないのではないか、と思う。有り体に言って、一番のキモである、宝月ひかるの性交場面に著しくエロティックさが欠乏しているのは、〈性の不一致〉の過程が描かれているからだけだとは言い難く、著名なAV女優であり、タイプ的には“可愛い”かんじの宝月ひかるの、可愛いらしさの魅力をほとんど描出できていないのは致命的な短所だと思う。

ほかに絡み要員で登場する、風俗店の女性、会社の同僚である浮気相手、ともに豊満・切れ長・淫乱系でエロをちゃんと発散しているのをみると、有馬監督にとって、ただ宝月ひかるみたいなタイプはそそらないから演出に熱が入らなかったのではないかと思えてしまう。


しかし、商品としての最大の欠陥は、

コスプレ、
宝月ひかる、

というカードを揃えながら、コスプレするのはもっぱら夫で、妻・宝月ひかるのコスプレシーンはいたって淡白にしか扱われてない、という点ではないでしょうか。


前作から引き続き登場は〈着エロアイドル〉のダンナ・吉岡睦雄。
コスプレ・ロッカー=斎藤歩の会社の同僚として、
相変わらず情けない男を好演しています。

駄菓子の達人(?)役に、個人的には“黒沢清映画の顔”としてビッグネームという認識の諏訪太朗が。うれしい。


→フルモーション第9弾『アイノシルシ A lovemark』につづく。コチラ

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『ニップルズ』フルモーション⑦

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『ニップルズ』

(2006年、日本、74分)

監督:有馬顕
出演:穂花、吉岡睦雄、MIKA、亜沙妃、三浦アキフミ

元ヤンの着エロアイドル・ジュリは、
事務所に無断でフルヌードになることを宣言。
周囲の反対、ファンの反対、雑誌のすっぱ抜き。
商品価値の暴落したジュリからはあらゆる人々が去ってゆくが、
ひとりだけ見守り続ける男がいた。
二人は結婚するが、
彼はジュリの乳首を決して見ようとしない‥。

7作目まできた、フルモーションレーベルは、
元木隆史とチェンジしてまた新たな監督、
有馬顕が登場。
PFFなどで名を馳せたインディーズの監督で、
これが商業用長編デビュー作となります。

前作から引き続き登場は、
『スマイル』の主役の売れてない漫才コンビと敵対していた、
ブレイク済みコンビの意地悪な男女、三浦アキフミと亜沙妃の二人。
あののち着エロアイドルに方向転換していた亜沙妃は、
同じ着エロアイドルながら崖っぷちのジュリ(穂花)をせせら笑い、
不動産王である親の七光りな馬鹿息子・三浦アキフミは、
ジュリの騒動の尻拭いをするかわりに、性的奉仕を強要する。

ヒロインを演じる穂花は、
AV女優としてのキャリアはあるが、
演技経験はほぼ初めてだということです。
オセロのふたりを足したようなルックスに
ややハスキーな声は、
はすっぱなキャラクターに違和感なく、
強弱必要なトータルでの演技プランもクリアし、
安定感があります。

新人監督の演出は、
工夫されたキャメラアングル、
テクニカルな音の設計。
どこかかすかに無国籍的なハードボイルドの風を感じさせ、
油断するとすぐキマってしまうスタイリッシュさで、
自信をもって大きな空間を切りとってゆきます。
一言で言って、達者。
当シリーズの制作・原案・脚本を一手にこなす、
永森裕二が「自信作」というのもうなずけます。

大のおとなが乳首について延々論議するのも可笑しいし、
シリアスなシーンも違和感なく水準をクリアしているとも言えますが、

演技指導的にはルーティンの域を出ず、
新人だけに、
不自然なほど独自な、

〈演技についてのビジョン〉

を示して欲しかったと思います。


適度にオシャレでもあり、
適度に映画的でもあり、
決して退屈はしないのですが、
なにか凡庸な印象が残る。
クライマックスの、
性の不一致をこえた絡みのシーンを、
俯瞰でガランとしたオシャレな空間のなかに
絡み合うふたりを映し出すのは
単なるレイアウト感覚であって、
登場人物のエモーションに
映画を沿わせていないことが明らかになってしまう。
突き放して描くのだとしたら、
吉岡睦雄が叫びながら走るシーン等は
なんだったんだということになってしまうと思います。

ボーナストラックとして、
「幻のエンディング」がついておりますが、
特に何も期待しないほうがよいとおもいます。

(『コスプレの人』につづく。)

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『スマイル』フルモーション⑥

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『スマイル』

(2005、日本、80分)
監督:元木隆史
出演:桃瀬えみる、吉永秀平、
   亜沙妃、葉月螢、三浦アキフミ

居場所を無くした元ヤクザと、
元アイドルがめぐりあい、
漫才コンビを組む。
夫婦漫才としてスタートするが、なかなか上手くいかず‥。

フルモーションレーベル第6弾、
前作に引き続いての監督は元木隆史です。

前作のラストでは、葉月螢演じる演歌歌手が、紅白に出るほどに
『半熟の女』によってブレイクしたと観客に知らされましたが、
今回、出番は少ないながらも一丁前な芸能人ぶりを示して、
微笑ましい気持ちにさせてくれます。

もうひとりのチェーン対象のキャラクターは、
『ピーカン夫婦』では冒頭、
バッティングセンターで山本剛史のボックスを横取りし、
終盤、葉月螢に絡むことによって災難な目に遭うチンピラ・ジョージ(吉永秀平)で、
あの事件のあと、組に居場所を失った元チンピラとして再登場。
主役を張っています。

さて、かなり無理のある展開からお笑いの養成学校に入学したジョージだが、ええカッコしいな、かつ寒いネタをコンビを組んだ相手の意見もきかず強要し、誰と組んでも上手くいかない。。

そんなある日、教室に元アイドルのみどり(桃瀬えみる)が現れ、
ふたりはコンビを組むことに。
しかし、みどりはアイドル時代、心無い笑顔を振りまきすぎて、
笑顔が枯渇してしまっている女だった。

これまで、フルモーションレーベルの当シリーズは、極度に少ない人数が画面にうごめく、ささやかな夫婦間の問題を、それこそ囁き声のように静謐に語られてきました。華やかな芸能関係の会社であっても3人以上画面にうつることはまずなく(『ピーカン夫婦』)、大勢の他人が行き交う、交通的な場である筈の銭湯(『マグマのごとく』)やファミレス(『ウォーターメロン』)でさえ、多くの場面でガランとして誰もいない、内宇宙のように極私的なスペースとして印象づけられてきたのでした。
これを単に制作費の小ささ故と結論づけることも出来ますし、
大いにその理由も作用しているのでしょうが、
結果的に、
それにより地球に良く似た惑星で起こる、
抽象的な愛の寓話の小さな結晶として、
可笑しくも切ない小品が、
ある一定以上のクオリティをもって連作される、
信頼度の高いブランドになりつつあったのでした。

しかし、
この『スマイル』においては、
場面場面に、一般的な意味での適正な人数が配置されて、
それによって場面(シーン)は内向的な抽象から解放され、
ぐっと、いわゆるふつうの映画に近づくことになります。

それが、いいことなのか、悪いことなのか‥。

口が重くなってしまうのは、
基本的には応援して、
多少のことがあってもホメ倒したい欲求があったからで、

しかし、

率直に言って、

大変つまらなかった!!

手短に終わらせますが、
特にふたりが結ばれるまでの前半は、
このレーベルの長所でもあった表面上の映像の小綺麗さもなく、
貧相なふつうの日本映画のよう。
そもそも、ファンタジーすれすれ(アウト?)な妻のパーソナリティの設定に対する、
他者である夫が受け入れ、乗り越える話を繰り返し描いてきて、

元アイドルと元チンピラのカップル、

なんて。

現実的すぎてブルーになるくらいですよ!

構成から何から何まで、普通の退屈な映画でした。。

それに、全編に渡って、
繰り返し繰り返し、
すごく寒い漫才のおんなじネタを、
繰り返し繰り返しきかされて、
ノイローゼになるかと思いました。

あんまり悪口を重ねたくないので、
速やかに忘れて、
次に移りたいと思います。。

(『ニップルズ』につづく。)

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『ピーカン夫婦』(2) フルモーション⑤

(『ピーカン夫婦』(1)からつづく)

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山本剛史演じる音楽ディレクター・ビトウは、
嫌われ者の皮肉屋で、
ストレートに他人とコミュニケーションがとれない。

小馬鹿にしたようなひねくれた言い回しでネチネチやり、
じっさいは周囲から小馬鹿にされている。

コミュニケーションをとりたくて、
自分のもつ野球チーム(部員は自分だけ)に
見栄はった嘘をまじえて〈さりげなく〉勧誘しても誰も来ない。
雨のなか、ひとりきりのトスバッティング。
かすりもしない。

極限までマヌケで、痛々しい。童貞的な空回り感。
実際、童貞。
野良犬だけが相手にしてくれている、雨の風景。
(この犬がナイス好演!!)

さて、
ビトウのもとに営業にやってくるのは、
現在日本ピンク映画界の象徴かつ代表選手といえる、
膨大な出演作品をもつ、あの、

葉月螢!!

彼女が売れない演歌歌手に扮し、
『半熟の女』という曲を真面目に披露するだけでも、
可笑しく、ばかばかしく、切ない。
すごいセンス。ヤラれました。

003.jpg


そのマネージャー役がまた、
なんと『リアリズムの宿』『リンダリンダリンダ』の監督の
山下敦弘!!で、堂々とした、繊細かつ図太い演技を披露!
大物です。

後に葉月螢を性的接待に送り出すも、
いかにもつらそうな、悔しそうな演技をしないのが良いです。

前半に登場し、お約束のピンクシーンを演じる北川明花は、
2004年のピンク大賞新人女優賞を蒼井そら(『制服美少女 先生あたしを抱いて』)他とともに受賞(『乱痴女 美脚フェロモン』)、ピンク映画界でも期待される新進女優さん。
kitagawa.jpg
近年のピンク映画に少しずつ増えてきた、いままでいなかった明るい淫靡さをもつ、黒澤愛あたりとはまた違った系列の雰囲気を持つ女優さんですが、AV~Vシネマ~ピンク映画を繋ぐ、ハイブリッド・ジャンルなアクターの一人といえましょう。

ピンク映画では、
基本的に数回の絡みのシーンを入れるという制約があり(当たり前か)、
一本の映画を考えたとき、
ある種の物語の性質上
ヒロインは重要なドラマを担うため、
最初からポンポン軽々しく絡むわけにはいかない場合も多く、
その代わりに助演の女優さんらが比較的軽めの絡みのシーンを前半で演じることになるのですが、
たいがい余分なシーンという印象はぬぐえない、ことが多い。
この〈フルモーションレーベル〉の序盤の作品群を想起していただいてもわかるように、
〈映画〉として見た場合、
言わば、ピンク映画の構造的な欠陥でもあります。

『ピーカン夫婦』での北川明花と山本剛史の絡みは、
一見どうでもいいシーンですが、

○普段遠くから気のない素振りをしつつ、実は憧れていたコトも、
いざ他者と密接なコミュニケーションをもったときに
オタついてしまうブザマさ、

○本気になれば捨てるだけなら容易な童貞を捨てていない
〈童貞性〉というある種の少年的〈こだわり〉を、
北川明花との「いいおもい」に簡単に味をしめて
音楽ディレクターという地位を今さら!!悪用しだす醜悪ぶり、

といった、情けない人間性と、ドラマの進展を、説明でなく正面から描く、
その簡潔な的確さは、
物語的でも説明的でもテーマに沿ったエピソードでもないうえに、
笑いとエロだけのどうでもいいシーンに見られても
一向に構わなそうな作り手のそぶりには、

〈フルモーションレーベル〉の長所はしっかり踏まえつつ
(エロ、映像美、モデル/女優の質、明るさ)、
そこから自由になる奔放さがある、
と思う。

もう結論じみたことを言ってしまうと、
『ピーカン夫婦』の最大の美点はその自由な奔放さ。

山本剛史のキャラクター、
野球好き、
音楽ディレクターという仕事、
葉月螢の歌手人生の悲哀、
外でしか出来ない女、
夫婦の性の不一致、
終盤に起こる事件‥。

どのピースも、
微妙に他のピースとの関連があるようで関連は薄く、必然性がない。
例えば、のはら歩が(一応)語る
〈外でしか出来ない理由〉に、全く説得力がないことも、
端的にピース間の接続が弱いことを示しています。
ふつうに考えれば、
シナリオ的に失敗していると言われかねないこの構造に、
個々の描写の的確さによって人物やエピソードに〈ほんとう〉を与え、
〈ほんとう〉からみれば個々の要素の関連性など、
あると言えばあるし、ないと言えばない。
そう、現実の人生のすべての出来事が
あるテーマや物語に奉仕し集約したりはしないように。

〈よくできたお話〉でなく、
ほんとうな、本格的な〈映画〉とは、
つまりみんなそういうものだ、と思う。

だから、
食いかたがクチャクチャ汚らしい山本、
山本とのはら歩の出逢いのシーンでの勃ってる勃ってないの押し問答、
というドウデモイイようなミットモナイ細部も、いちいち決まる。
よって、見逃してよいシーンはなくなり、
スリリングな観ることの快楽に浸る。

002.jpg


晴れること。

〈なにか〉が良く見えるようになるということ。

見える、わかることによって。

〈なにか〉が〈始まる〉ということ。

ようやく晴れた、
休みの日のグラウンド。
〈俺はまだ始まっていない。〉
雨の日や屋内では当たらなかったのに、
バットにボールが当たりだす。

「ナイスバッティィィィイング!!!!!」
「ナイスバッティィィィイング!!!!!」

“ひとりチームプレイ”は、
その、晴れた日の異性との出逢いで終わりをむかえる。
だから、青姦のためにグラウンドに行きたい妻とのすれ違いが生じることになる。
葛藤のすえ、
生まれて初めて歩みよるということを知るビトウ。
風の気持ちよく吹く、
あたたかな日差しの屋上で結ばれるふたり。

〈二人がいい。〉

「ありがとう。」

〈生まれて初めてありがとうと言われた。〉

ラスト、
よく晴れた青い青い空をバックに、
グラウンドに立つふたり。
〈この瞬間から始まる。〉

異質なもののあいだの、
ありえないような和解が、
幸福感を生む。

(『スマイル』につづく。)

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