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映画『さよならみどりちゃん』その2

さよみ3
『さよならみどりちゃん』


映画『さよならみどりちゃん』その1からのつづき→)

3.

関係ができた後、ユウコ/星野真里は、スナックで働くよう、ユタカ/西島秀俊に何となく言いくるめられてしまう。受動的であることが愛し/愛されることである彼女は、従ってしまうことで彼と繋がることになるが、彼は舌の根もかわかぬうちにカフェの新しい店員・岩佐真悠子と親しげに戯れる。
そのさまを、西島を、呆然と見つめる星野真里の表情と瞳の“散漫さ”には、試みられた心理的説明を一歩手前で霧散させる〈微妙さ〉がある。意味(心理)に還元し尽くされない、その余剰を生んでしまうことが、『さよならみどりちゃん』における“星野真里”という存在の「豊かさ」だと感じられます。そのようにして、ひとつのシーンが“説明”によって消化され尽くさず次のシーンへ移行する。このことが、主人公の「とりあえず」流されてしまうさまの〈染まりやすさ〉、照射されてゆるゆると低温的に蠢くしかない他動詞的な有りよう(自動詞的な、確固とした主体性を持たない)と同調する。

主体性が不確かで浮遊的であり、根無し草的かつ依存性質であるユウコの、その感情、情動の、さざ波のようにささやかな感情生活の低空飛行ぶりが、80年代的空虚さと、青春の時間の無益で無為で怠惰な浪費の空虚さと重なる。恋愛主体は、愛するものに対して常に〈待ち受ける身〉であり、決定的で永続性のある「愛のしるし」を獲得しない限り、相手の照射によって恋愛時間が蠢きだすまで、待機としての非・意味を耐える存在に甘んじる。(そのような情熱恋愛の世界を生きるユウコ/星野の無為な生活の「だらしなさ」は、ユタカ/西島の性的な「だらしなさ」とのバランスある関係の持続をもたらす。)

他動詞的存在で、常に〈意味〉を取り逃すということが、必然、〈染まりやすく〉〈流され〉〈待つ〉といった恋愛性質を余儀なくする星野真里。彼女が待ち、事物から意味を取り逃し、そして流されてしまうことは、彼女にとってある種“愛の成就のかたち”であるということになる。

だから、彼女のまえにライバルとしての異性たち、若い魅力を放つ岩佐真悠子があらわれて「センパイ、私ユタカさんの彼女になりたいんですけど、いいですか。」と告げられることも、元カノの中村愛美が登場しユタカに馴れ馴れしくしなだれかかるのも、そしてみどりちゃんという本命がいることも、意味作用が物語を起動させず、彼女のまえでは機能不全を起こす。彼女たちの登場はユウコ/星野真里の恋愛生活にほんとうの波紋は起こさない。中村愛美とのことをグダグダ話しだす西島に、星野がすわった目で「つまんない」と言い放つのは、西島と他の女とのあれこれが結局のところ、本質的には彼女の生きる物語に属さないことを示す。

このようにして、物語に用意されたさまざまな物語素は、説話の持続に弱々しくしか働きかけることが出来ない「意味の弱さ」として表れ、この映画の、鬱々としつつも晴れ晴れとしているような弱い魅力のトーンをつくりだします。

4.

その非・意味の極点、つまりこの映画の魅力である意味の弱さがもっともあらわれているのがスナック〈有楽 You Lark〉での、一連のシーンというかそこでの無為の時間の流れ。ママがローテンションに客をあしらい、諏訪太朗や佐藤二朗らの常連客がどうでもいい話に興じ、星野真里は半分は楽しげに、半分はお愛想で笑顔を浮かべ、誰にとっても無為な時間をやり過ごす。何の発展もない、その“括弧付きの楽しい時間”にある切なさ。ことにラストシーン、〈有楽〉を辞めることが決まったユウコが主題歌をカラオケで歌う(絶妙な下手さ!)姿を長回しで切りとる、その小さな小さな、たのしさ(そして曲名は14番目の“月”。)。何の解決も進展もあったわけではなく、ひとつのことが終わるというに過ぎない時間。素朴で、冷たくあたたかい、素敵な場面となったとおもいます。

あるいはまた、ユタカの彼女である“みどりちゃん”が空虚の中心として物語世界を空洞化させる。その女がユタカの彼女であるらしいことも意味を結晶せず、やがてその“みどりちゃん”とは別人の“みどり”の名を持つ新人(小山田サユリ)がスナックに雇われる。こうして特別な意味を帯びていた“みどり”という言葉から、意味が剥奪されてふわふわと浮遊する。そして、現実に星野真里の目の前にいる小山田サユリのほうが(虚点である“みどりちゃん”より)遙かに主人公の存在の場を脅かすのだ(結局、小山田に居場所を奪われるようにして、星野はスナックをやめることになる)。この小山田が同じ空間にいるという、何とはなしの居心地の悪さも、独特な趣をもって映画に豊さをもたらしていると感じられます。

一方、スナックの前の長い石段とか、オヤジの話をしながら水まくシーンとか、パタパタいうサンダルの音に蝉の声がかぶさるのとか、そういったいかにも映画的な豊かさを体現しているようなシーンは、既存の「映画的」という(コミュニティー的)“意味”に安易に結びつき、白けるというと大げさですが違和感を感じる。肉体的/他者的でありそうなそんな表現こそが非肉体的で意味に重く撓むという皮肉。ユウコの家のまえの段差のある位置関係でのユタカとのやりとりも、どこか物足りない。同じように、西島がみどりちゃんらしき赤い服の女を連れて乗り込むタクシーを走って走って追う星野真里、といういかにも「名場面ふう」なシーンも、そぐわない、と感じる。ただし、星野真里のもったりしたやや重たい走りの身体性が、やがてシュッとした肉感に変容していくさまは興味深い。『さよならみどりちゃん』という映画が、欠点を有しつつも星野真里という主演女優の肉体に助けられていることのひとつの証しでもあります。

5.

2人の乗ったタクシーを追って走り尽くした星野真里が、明け方の、線路脇ののぼり坂をひとりトボトボと歩く。奥にトラックが走りすぎるのが見え、烏の鳴き声が響く。肩紐を落としているのがいかにもヤリスギ、横移動、寄りのキャメラが少しだけ遠い半端な感じが古厩的。

アパートに戻ってくると、ユタカが階段上にいた。「いつから?」「ずっと。」
ユタカ、私のこと知らないでしょ。んー‥しらない。私、お店辞めたいの。いんじゃない?やめても。‥うん。ねぇ。ヤリたくない?と問いかけ、部屋へあがるふたり。
室内は既に明るく、ムードもなければ身を潜める月夜の影もない。ブルーな夜に沈み、照射するユタカの光によってかろうじて生の時間と情動を紡いできたユウコはここには既にいない。お店を辞めたいと自発的に発言するユウコは、ユタカに寄りかかり、存在も意志も委託して〈溶けてなくなる〉ことはない。ユタカの光に輝く月でなく、ユタカと同様に太陽の光を浴びるただの即物的な肉体をもつものに過ぎない。ユウコの振り向けた視線は、ユタカの瞳に絡みつき、吸い寄せられるように唇と唇を重ねる。

〈溶けてなくならなくてもいい。初めてそう思ったセックスはとても良くて、ユタカはいつもよりゴツゴツしてて、でも、とても良くてーー。〉

意識も存在の感触も消えて溶けゆくように愛するものとの融合を指向していたユウコは、ひとりの(みすぼらしい)肉体をもつ女性として、ひとつの肉体としてのユタカを愛している、とおもう。ユタカが好き。だから私のこと、好きになってよ。という言葉は懇願として響かず、ひとつの爽やかな宣言ときこえる。相も変わらずだらしないユタカは、恐らく彼女にしっかり向き合うことはないだろう。それでも他者としてのあなたを愛する。窓の外から案外冷たい風が吹く。もう夏は終わっている。

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映画『さよならみどりちゃん』その1

さよならみ


『さよならみどりちゃん』
(2005年、日本、90分)

プロデューサー:丹羽多聞アンドリウ
監督:古厩智之
原作:南Q太
脚本:渡辺千穂
主題歌:『14番目の月』(奥村愛子)
出演:星野真里、西島秀俊、松尾敏伸、岩佐真悠子、小山田サユリ、中村愛美、佐々木すみ江、千葉哲也

OLのユウコ(星野真里)はカフェで働くユタカ(西島秀俊)と初めてセックスした日、彼に“みどり”という彼女がいることを知る。それでもユウコは、彼にどれほど雑に扱われても惹かれつづけ、唯々諾々と彼の言うことに従ってしまう‥。

1.

丹羽多聞アンドリウ制作のBSーiの短編ドラマシリーズ『恋する日曜日』(03年~)について、これまで断続的に書いてきましたが、その映画バージョンは公式的には現在まで06年の映画版『恋する日曜日』、07年の『恋する日曜日 私、恋した。』の2本がありますが、それ以前に公開された『さよならみどりちゃん』(04)は、当初『恋する日曜日』シリーズとして制作されたものでした。
ということで、『恋する日曜日』カテゴリーとしてこの映画にも、多少触れておきたいと思います。

久々の公開作が『奈緒子』『ホームレス中学生』とつづく監督の古厩智之は、『灼熱のドッジボール』(92)がPFFのスカラシップを獲得し、『この窓は君のもの』(94)で商業映画デビュー、『まぶだち』(01)、『ロボコン』(03)と、一貫して青春映画を手がけている映画監督、という印象がありますが、じつは主要な活動の舞台はBSーiのドラマで、丹羽多聞アンドリウプロデュース作品での演出を数多く手がけています。
BSーi(ということはキング・アンドリウのもと)で『ケータイ刑事』の各シリーズに頻繁に参加しているし、『さそり』や『東京少女』のシリーズ、『スパイ道』も手がけ、『恋する日曜日』第1シーズンでは南Q太原作の『丘を越えて』『ゆらゆら』の2本を監督。この延長上に『さよならみどりちゃん』があるということになります。
(『恋日』シリーズでは『恋する日曜日 文學の唄』、『恋する日曜日 ニュータイプ』、『恋する日曜日』第3シーズンにも引き続き参加。甘さとラフさがあたたかく香る作風、そこにかすかな苦さもあって、アンドリウプロデュース作品との相性が悪くないということでしょうか。)

初めて接した古厩作品である『この窓は君のもの』での、いかにも映画的で魅力的な舞台装置なのにイマイチ活用しきれていない演出と画面設計、そして元カノだという主演女優のビミョーさ(スミマセン)に、印象が〈苦手〉とすっかり刷り込まれてしまって以来、長年その印象が自分のなかから払拭出来なかったのでしたが、よく考えたらその後の、真面目かつ堅実ながら、思春期的な繊細さも失わない弱い春風のような作風には、どちらかというとどこか好感を抱きつづけていたのでした。

2.

平熱が37度もあると言うユタカと初めて性交したとき、「ユタカはほんとうに熱くて、わたしは溶けてなくなった‥」と星野真里の呟きがブルーの夜に滲み、部屋の奥に重なる二人の男女が見えてくる。
初めての性交らしいこの場面には、トキメキやら緊張からくる鼓動の高鳴りも、熱く高まる情動も感じられず、青く沈んだ陰鬱さが感じられます。熱さ、をその存在の内部に宿すらしいユタカ/西島秀俊という〈赤〉からの熱を受け止めるだけの、徹底して受動的な機械としての〈青い〉肉体のユウコ/星野真里がいる。月のような女。

男の言うがままにスナックで働きだすし、彼が他の女とさんざんヤルのを横目で見つつも、ソープで働けよと言われれば今にもソープに沈みそうな、そんな〈染まりやすい〉〈流される〉受動的なユウコ/星野真里の、ゆっくりと「堕ちてゆく」さまを映画はゆったりとローテンションで描きだします。

雑に話を進めますが、イメージとして、60年代70年代映画の堕ちてゆく女は、宿命や運命に翻弄されながらもその瞳につよい炎がともる、情の濃さ、熱さを感じさせたように思えます。制作年度はともかく、イメージが(使用楽曲も)“空虚な”80年代的のものである『恋する日曜日』(=恋する日曜日的世界)から派生した『さよならみどりちゃん』での「堕ちてゆく女」は、空虚でそれこそ「ふわふわ」とした、軸というか主体性のない流されかたをする(南Q太の思春/青春期もまさに80年代であり、“恋する日曜日的世界”との親和性があります)。そこでは、堕ちゆくさきもさほどの奈落でもなく、堕ちるに値するほどの(我が情に殉じて死す、というほどの)主義もパッションもなく、何となく目の前にある弱々しい魅惑を選びとり、ズルズルと執心するローファイな恋愛がモノのように転がっている。
たとえば若尾文子や梶芽衣子に代表されるような増村保造的女性像の、射るように真っすぐな瞳をもつ女とは異なり、星野真里の、扁平な顔面に散漫にパーツがちらばった顔立ちの焦点の定まらなさ、瞳の弱さは、ごく凡庸な幸薄さを茫洋と指向する。そこでは、情念の炎がついには結晶し難く、彼女より相対的に熱が高いモノよりの熱を照射されてようやく情動がユルユルと蠢く。その低温動物的な淫靡さが、この一編の映画の基調となっていると思います。

コトを終えたあと、寄り添いつつ、自分には彼女がいることを平然という西島に、動揺しつつも平気なふうを装いやりとりする星野真里。西島の「平然」を自身に転移させて「染まる」ことでとりあえずの関係を維持するという種類のいじましさ。
彼女の名前をきく。みどり。ふーん。みどりちゃん‥。〈わたしは、溶けてなくなった‥〉ブルーな、雪降る夜を窓越しに見上げる星野真里。

ユタカと繋がり、密着して熱を与えられるようにして「溶けてなくなった」ユウコは、ユタカの存在(熱)そのものと融合するようにして「溶けた」。そのような“寄りかかり”(ユタカへの、限りない(自分の存在ごとの)依存)を為した直後に、ユタカには「彼女」という唯一的な融合者がいると宣言され、先刻の「溶けて」「融合」した筈のわたし/あなたの交歓が無効だと宣告される。
ユタカに溶けきったはずのユウコは、ユタカのなかにはいなかったのだという。そこに居場所を占めていたのはみどりちゃん。彼女は、どこにも溶けゆくところなく、冷たい、夜の青い大気に寄る辺なく漂う‥

(→映画『さよならみどりちゃん』その2につづく)

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genre : 映画

『電車』恋する日曜日第1シーズン⑯

『恋する日曜日』第1シーズン第16話
『電車』

監督:麻生学
脚本:武田百合子
主題歌:岡村孝子
出演:堀北真希、石田えり、武田航平

母・美也子(石田えり)から呼ばれて、階下に行こうとして二階から階段を転げ落ちた娘・千佳子(堀北真希)は、階段の下にいた母親と衝突、心と体が入れ替わってしまう。急ぎの用のためやむなく女子高校生姿のまま出かけた美也子(外見は堀北真希)は、亘(武田航平)という高校生と知り合い、トラブルから行動を共にする‥。

現在、映画やゴールデンの連ドラで主演・ヒロインを数多くこなす今やトップアクターとなった堀北真希、その記念すべき初主演ドラマが今作『電車』。ということで、結果的に『恋する日曜日』第1シーズンのDVDーBOX収録作中、最大のウリともいえる一編です。プロデューサーの丹羽多聞アンドリウは、『恋日』についてエッセイで〈かなり冒険的な事をした。特に新人俳優の起用にこだわった。この作品がTVの主演デビュー作の女優に堀北真希・小出早織・北乃きい・秋山奈々などがいる〉と先見の明を誇らしげに語っていましたが、堀北さん以外は北乃きいですら全国区とは未だ言えない状態、ということは今のところ、堀北真希が『恋する日曜日』発の唯一のスターということになるかもしれません。

『恋する日曜日』シリーズのシンボル的女優なのが、水橋貴巳と堀北真希(複数の主演作他、多数出演している小山田サユリは、助演的なイメージがある)。現在はマイナーとメジャーという違いはあれ、共にBS-iっ子として成長してきて、水橋貴巳(については映画版『恋する日曜日』他の記事参照)がまず映画版『恋する日曜日』の第1作の主演を(テレビ版の再編集版ながら)つとめました。とくれば、第2弾は当然、堀北真希主演作。という筋道かどうかは分かりませんが、とにかく6月公開の『恋する日曜日 私、恋した。』(1作目と同じく廣木隆一監督!)では堀北真希が主演者として『恋日』ブランドのプロパガンタの役割をにないます。

『恋する日曜日』で初主演→劇場版主演、という関わりだけでなく、堀北真希と、アンドリウ印のBS-iドラマのつながりは深い。代表作である『ケータイ刑事銭形舞』(03)の主演者であり、その映画版(『ケータイ刑事THE MOVIE バベルの塔の秘密~銭形姉妹への挑戦状』(06))でも主演、同じように、『怪談新耳袋』第3シーズンの『幽霊屋敷と呼ばれる家』(04)主演、および映画版の『怪談新耳袋劇場版』(04)主演と、「BS-iのヒットドラマ」→「劇場版」のステップアップに歩みを合わせるように、堀北真希は女優としてもステップアップしてきました。

とは言っても、堀北真希が全国区になったのはよく考えたらごく最近のことで、2005年の暮れ、ドラマ『野ブタ。をプロデュース』の野ブタ役と映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の六ちゃん役で一気にブレイクするまでは一般には無名の存在に過ぎず、『野ブタ』(10~12月期)の前クールである7~9月期に出演した『電車男』伊藤くんの妹役を演じていたときはライト層には全くノーマークの存在に過ぎませんでした。
その堀北真希がようやくブレイクし、ここ1、2年、怒涛の主演作やヒロイン役のラッシュで、ついに若手トップ女優の地位を確固たるものにした。そんな彼女にとって、ステップアップ的な意味では出演するメリットの薄い、BS-i/アンドリウの『恋する日曜日』にちゃんと帰還して、過酷なダイエット等による役作りや、シゴキで有名な廣木監督の演出にキチンと挑む、ということの“計算高くなさ”が感動的で、『恋する日曜日 私、恋した。』への期待がますますつのります。

なんだか『~恋した。』の前フリみたいな話になってますが、本作『電車』は、なんというか、普通の意味ではたいした作品ではなく、「堀北真希の初主演作」というフィルターをもってして初めて輝くという類いものかと。『恋する日曜日』シリーズは映画的な肌理細かい作品が比較的多いのですが、『電車』は抜けたかんじのあるスカスカな手触りで、そのユルい空気感は『恋する日曜日』というより『ケータイ刑事』系統な感じ(丹羽多聞アンドリウの好みとしては、ほんとはコッチ(ユルいほう)が本道なんじゃないかという気がする)。冒頭、ホルンを吹けるようにはとても見えない堀北さんの所作が、端的にこのドラマのユルさを予告しています。

デビュー後しばらくの、雌伏の時代の堀北真希をグラビア等で見てきたころ印象的だったのは、その突出した〈透明感〉でした。女子の〈透明感〉は、しばし男子の〈汚したい〉という性的征服的欲望と結びつくのですが、堀北さんの〈透明感〉の突出ぶりはそういうこととは領域を異にしていて、〈心のアルバムのなかにある、理想的な青春期の眩しさ〉の具象化された女の子にみえ、田舎で過ごした澄み切った冷たい水の痛さの思い出ように、切ない輝きを放っていました。

『電車』における、『野ブタ』や『ALWAYS』での名演技者として世間に認知された堀北真希の現在のポジションから見ると意外に危なっかしい演技と、ドラマ全体に醸し出されるユルい空気は、このドラマがまさに“正調アイドル映画”の趣をもち、クオリティについてアーダコーダ言うことを無効化する種類の作品だと告げています。落っこちてぶつかって人格交換!というお話は露骨に『転校生』系のネタで、予想を1ミリたりとも裏切ることのない極度の予定調和的展開が、微温的心地よさとして温かいものを感じさせつづけます。
石田えりが乗り移ってオバサン化した堀北真希が、見た目を裏切るオバサンぽい言動と行動で、男の子(武田航平)の目を白黒させる。若い娘さん特有の溌剌さもなく、かといって完全にオバサンが憑衣したようにもみえない堀北さんの演技を、つたないものとして捉えるのは少し違うのではと思う。
これは、リアリズムの映像作品などではなくて、“堀北真希という少女”のイメージビデオみたいなもの。性的なものが漂白され極度に透明感のある(悪くいえば、パサついてる)堀北真希に、色をつけ、様々な動作や風変わりな言葉を言わせたりすることによって、優しい親近感をその身体に付加した。そういった作業の結晶がこうしたドラマであり、〈アイドル映画〉というものの一形態なのだ、と言えると思います。

脚本の武田百合子は、現・武田有起で、現在話題沸騰中のTBSの昼ドラ『砂時計』の脚本を担当しています。監督の麻生学は映画、ドラマに多数の演出作品があり、ついに始まった『帰ってきた時効警察』に満を持して登板。『クイックジャパン』最新号(特集『時効警察』)にインタビューが掲載されています。『電車』主演の堀北真希とは、のちにもまた『ケータイ刑事銭形舞』や映画『着信アリFinal』(06)で組んでいます。


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genre : テレビ・ラジオ

『STILL I'M IN LOVE WITH YOU』恋する日曜日第1シーズン⑬⑭

『恋する日曜日』第1シーズン第13話&第14話
『STILL I'M IN LOVE WITH YOU』

監督:高野英治
脚本:渡邉睦月
主題歌:角松敏生
出演:黒谷友香、青木伸輔、和田聡宏、細木美和、野中りえ、芦垣雪衣、飯田健太郎

千尋(黒谷友香)は、同棲中の怜(和田聡宏)から飾り気のない、熱烈でない(レイらしい)プロポーズをされる。夜のベランダで星を見ながら、ねえ、今年は見れるかなあ、天の川、と。(ナロウヨ、シアワセニ。オレタチ、ソロソロ籍イレヨーカ。眼下は闇の中、車の流れの光の洪水が、まるで天の川のよう。

ドラマは、結婚も秒読みなくらいの、平穏な関係にある彼氏がいる黒谷友香のもとに、昔好きで「好きって言わなかった、言えなかった」ままでいた男性があらわれることから始まるという、過不足ない黄金パターンの恋愛物語(結婚したら幸せにしてくれるに違いない男性をとるか、危険なモテ男をとるか)が語られますが、発想と道具立てが綿密で飽きさせないドラマとなっています。

星空~天の川のモチーフとともに、夜の現代的な河(車の流れ)や、橋桁の下の川辺などの様々な“川”が配される。主人公たちの脇を、たびたび走り流れ去る列車の轟音が響く。そして、重要な小道具としてマルセル・プルースト『失われた時を求めて』が用いられる。流れるものとしての川は、押しとどめられずき過ぎ去ってしまう時間であり、過去であり、記憶。

ある日、レイがふたりで暮らす部屋に、偶然バッタリ会ったと雅哉(青木伸輔)を連れてくる。レイの提案で、アフリカ帰りで当面行くあてのないマサヤをおいてやろうという話になる。チヒロ/黒谷友香は実は高校時代、ずっとマサヤを好きだった。(変な感じ、初恋のひとと一つ屋根の下で暮らすことになるなんて‥)けれどもマサヤは黒谷を全然覚えていないと言うのだった。

暮らしはじめて、なんだかいきいきと輝きだし友人に不審がられる黒谷は、レイのドタキャンによりマサヤとデートすることになる。
楽しかったその帰り道、彼の口からホントに好きなヤツには告白できなかったという言葉がもれ、黒谷はオレンジを落とし、ふたりで拾い集める、高校時代、黒谷の落とした『失われた時を求めて』を一緒になって拾い集めてくれたマサヤの姿が記憶の底から噴出する、あのとき、ふたりはキスを交わしていたのだった、そして、彼女を覚えていないと言ったマサヤは、ほんとうはずっと彼女を覚えていたのだった。そのことは、「落とし→ふたりで拾う」という〈記憶喚起動作〉が三度行われたときに告げられ(嘘なんだ、忘れていたなんて嘘なんだ。アガワ(黒谷)のことも、あの日のキスのことも‥)、時間をこえて再びふたりはキスを交わすことになる。
そのようにして、堰止められていた〈失われた時〉の〈流れ〉は再び流れだした。しかし、という展開が待っています。

黒谷友香は、凛としたルックスながら、感情に瞳が不意に揺らぎ、心の不安定な揺れを存在感そのものとして体現し、恋して揺れ動く者の機微と切なさを、ドラマにもたらしています。すこしうわずる声音も絶妙だとおもいます。ドラマ、CM、バラエティーと多方面で順当な活躍をみせていますが、映画では意外にも去年の『TANKA 短歌』(06)が初主演作(デビュー作の『BOXER JOR』(95)は当時、ヨコハマ映画祭で観ました)。BSーiでの仕事はほかに『怪談新耳袋』(第77話)があります。

川のうちでも、最も不動である永遠的な属性をもつ“天の川”と対となっているような、天文好きの彼氏役は和田聡宏。ドラマ『東京湾景』や映画『バレット・バレエ』『県庁の星』などで少しずつ知名度を増しつつあります。浅野忠信系統の、キモイんだかカッコイイんだかという微妙なラインで、時と場合によってはブレイクする気もします。こういう地味な受けの役もしっくりくるかんじ。

さて、全体に手堅い出来のこのドラマにおける、最大の問題点であるマサヤ役の青木伸輔『水の中の八月』(95)で目にしてすぐ、つづけざまに連ドラ『変[HEN]』(96)『イタズラなkiss』(96)に主要キャストとして登場していたから、てっきりブレイク間近かと思っていたが鳴かず飛ばずで、さいきんも『夜王』『弁護士のくず』に出演も、頭角をあらわす助けにはならなかったよう。要潤くらいにはとっくに成っていそうだったのにそうなっていないのは、勝手な想像ですが、性格に難があってあんまり使ってもらえないのかも、とかおもう。
というのは、当初(青木伸輔の)セリフの間の悪さに最初イライラして観ていただけだったのでしたが、そのうち妙なシーンがやってくる。
指輪を落とした黒谷友香と一緒に床を探し、みつけた指輪を青木が彼女にしたあと、唇を奪うのですが、その一連のシークエンスにはワンカット足りないというか、アクションがなく唐突に唇が重なっているショットに繋がっていて、どうにもヘン‥。勝手に邪推すると、盛り上がってキスする普通なシーンを撮ったのだが、黒谷友香の彼にたいする拒絶ぶりが激しくてどうしても良いショットにならなかったんで、仕方なく現行の形になったんじゃないか‥。
他にも同じように不可解な場面がいくつかあって、例えば終盤、青木から電話があり逢いたいと言われて黒谷が承諾、部屋で逢って抱かれたらしき場面も、ならんで座って彼が黒谷の肩をぎこちなく抱いている格好の画面からはじまり、ギクシャクしたカットが連続する。何度かある二人でいるシーンでの会話も、ふたりは横に少し間をあけて並んでいて、彼は黒谷のほうをむいて喋るのに、彼女は正面むいてセリフを言い、彼のほうを見ようとしない。レイが事故で一生意識が戻らなくなるという悲劇のあったあとの病院の屋上、基本青木を見ない黒谷、抱き寄せる彼に体硬くして座り続ける彼女、ようやく向き合い肩をもつ彼の手に、思いきり腰がひけてる黒谷友香‥。いったい、どれだけイヤなことを青木伸輔にされたというんでしょうか‥。

発見された、『失われた時を求めて』に挟まっていた、今は物言えぬレイからの手紙。すべて最初から知っていて、チヒロの愛を試していたのだという。レイの初めて知るドロドロしたところを、彼女は歓喜とともに受け止めていた。ほんとうのレイがいた。うれしかった。あたし、ずっとレイに愛されてた、と。

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genre : テレビ・ラジオ

『ロンリィザウルス』恋する日曜日第1シーズン⑩

『恋する日曜日』第1シーズン第10話
『ロンリィザウルス』

監督:安藤尋
脚本:福田裕子
主題歌:永井真理子
出演:内山理名、北村一輝、高田宣美、平野眞蔵、町敬博


最新作『僕は妹に恋をする』で一躍メジャー監督に名を連ねた感のある安藤尋の、『恋する日曜日』初登板作(第1シーズン第25話『猫』で再び演出を担当)。安藤尋監督の作風等については、『僕は妹に~』の項(→コチラ)で書いたので省略、時期的には『blue』『ココロとカラダ』の狭間に位置し、ドラマながら映画的技法を駆使した作品に仕上がっています。

お話は、傷ついた野良犬のような男性をしがないOLが拾う、という定型的物語。男(北村一輝)は危険な香り漂うヤクザ風の若者だが、どこか憎めない善良さがあり、OLの美保(内山理名)は次第に惹かれてゆく。

この、男の自己愛漂うパターンは、現在的にはVシネマの導入部っぽい題材ですが、〈オンナノコ〉な作家・安藤尋(男)はそんな男性的美意識には寄り添わない。沢田研二のロンリーウルフじゃなくて、永井真理子のロンリィ“ザウルス”なのが象徴的で(〈恐竜〉にはどこかファンタジーの余地が残り、奇形的かわいさがある)、視点は基本的に女の側に置かれ、〈独りでいる淋しさと心地よさ〉から〈ふたりになったことによる心地よさと淋しさ〉への変転が物語られます。

冒頭、オフィスで働く内山理名はモノローグで
〈絶滅した恐竜の最期の一匹は、淋しかっただろうか。
広い大地に自分だけ、でも、誰にも干渉されず、やりたいことは何でも出来て。
その恐竜も、それはそれで、あんがい優雅な気分だったんじゃないだろうか。〉
と呟く。異性のパートナーもなく、独りでいる平穏さに心地よさを感じている自分を〈恐竜〉になぞらえて、ロマンチックに肯定している彼女は、それはそれ、一方牛丼屋では牛丼に醤油をジャージャーかけてドンブリをかっこみ、イタい女扱いの視線を周りに浴びても平然としている。そんな内山理名が仕事の帰り道、傷つき倒れている北村一輝を成りゆきで匿う羽目になる。(少し居させてくれ‥何もしないから。)

翌日に出ていった北村一輝を、ほっとけずに彼女が再び家にあげるまでのプロセスは、窓の外に降る雨の音、室内に干してあるタオルで示され、説得させる。電車の通る音、オフィス場面のビスタに適した描写の仕方など、映画的に達者だと感じさせる細部が全編を充たす。

けれども、どうも感慨が薄い。ひとつには内山理名の反応の鈍さがあって、部屋に不意に彼が侵入してきて口をふさいだときも、そのあと解放されてアワアワと這いずって逃げるときも、妙に落ち着いていて、感情の揺れを感じさせない。一事が万事そんな感じで、同僚といても飲食店にいても妙に物事に対する反応が鈍いのは、そういうキャラと言われればそうなんでしょうが、〈恋する〉機微の必要なこのストレートな恋愛物語で感情の揺れがニブいというのは致命的だとおもう。
彼が出ていったらもう会えないみたいなことを言う場面で、「イヤ!お願い、行かないで。」と北村一輝に抱きつき、哀願するのですが、どうも切羽詰まってなくて、抱きつく力も中途半端。抱きついた内山にカメラのほうを視てセリフを言わせるレイアウト優先な演出も、物語のエモーショナルな分岐点の勝負所を、スタイルに溺れて、しくじった感じ。

彼女の誕生日を祝う場所へ辿り着けず、彼の魂はカメラとともに無彩色に曇った空へと舞い上がる。そうとも知らない内山理名は、笑顔に溢れ、彼の待つはずの場所へと急ぐ。

〈恐竜の最期の一匹は死ぬときも一匹だったのだから、やっぱり淋しかったにちがいない。
でも、わたしはひとりじゃない。
あの人も、ひとりじゃない。〉

彼の末路を知らず、まだ希望にみちた笑顔のままの内山理名の姿で、ドラマは終わる。反応のニブい内山さんが、北村一輝の姿をみてドンヨリと悲嘆にくれるのをみるよりは、こうやって待ちかまえる悲劇を暗示して終わったほうがよっぽど切ないので、終わり方としては良かったとおもった。内山理名も北村一輝も、明るくも暗くもなく、心ささくれてもないし満たされてもない、微妙な佇まいで、クライマックスの曇り空のように半端な印象を残しました。
朝、鏡に向かう内山理名に、鏡越しに警察に自首しにいく、と北村一輝が話しかけるシーンは、ちょっとだけ良かった。

theme : テレビドラマ
genre : テレビ・ラジオ

『終章〈エピローグ〉』恋する日曜日第1シーズン⑰⑱

『恋する日曜日』第1シーズン第17話&第18話
『終章〈エピローグ〉』

監督:鈴木浩介
脚本:渡邊睦月
主題歌:CHAGE&ASKA
出演:坂井真紀、高橋和也、中山俊、久野真紀子

志穂(坂井真紀)は前の彼氏と残酷な別れかたをし、その時の傷心の傷痕が手首に残る。しかし今度の彼、ヒロム(高橋和也)は違う、絶対に私を裏切らない、と思いこむが‥。

この2話分のドラマ、すこし凝った構成で、前半では、坂井真紀主観で、高橋和也との恋の終わりが描かれます。ここでの高橋和也は、嘘ツキのダメ男として坂井真紀の前からフェイドアウトしていきますが、後半では一転、時間が遡り、ふたりの出逢いと、彼の宿すある秘密が明らかになり、驚くべき別れの真相があかされます。ひとつの物語が、前半は坂井目線、後半では高橋目線でなぞられて、同じひとつの恋のゆくえに別々の光をあてるというかたち。観ていないかたは何の予備知識もなくみたほうがいいんじゃないでしょうか。催涙効果のたかい、会心の一作だと思います。

テーマとしてあるのは、〈嘘〉と〈裏切り〉。そして、「かけがえがない」とおもった愛するひととの避けられぬ“別れ”に、いかに立ち向かうのか、ということ。愛する人が突然目の前から消えちゃうって、タマンナイよな‥。絶対私より先に死なないで‥。作中の台詞のひとつひとつが、物語全体を照射する。恋の成就が描かれるよりある意味、もっと、切実なテーマだと感じる。

そのドラマを支えるのは、主役の男女ふたりの佇まい。高橋和也は、まだ若いのに感情が皮膚化してのち角質化したように、感情が表面に表されるまえに乾いて相手に伝播しない、そういうたぐいの人生の苦渋の処理の仕方を顔面に刻んだ穏やかさを体現し、前半後半でのギャップを無理なくうめた。
坂井真紀の顔は目、鼻、唇といった各パーツがそれぞれ別個に茫洋と独立していゆそうな浮遊感があって、そこに精神のいたたまれないかんじが宿される。マイナスの依存心でもって、世界との繋がりを必死に掴もうともがく人間の哀しみがその存在感にはありました。
ふたりが束の間寄り添う場面では、女は男の胸元に鼻先をうずめ、男は女の頭に顔をあずける。動物が匂いによって相手を確認しあうような仕草が、ふたりの終わりのある恋の、現在しかない切なさに、ほんとうを与えていました。

監督の鈴木浩介は、第8話『FOR YOU』に引き続いての起用。ケータイ刑事シリーズなど、丹羽多聞アンドリウとの仕事も多い(制作プロデューサーをつとめた最新作が『ケータイ刑事THE MOVIE』(07))。映画、ドラマ、Vシネ、PV、CMなどノンジャンルに活躍する映像作家で、ユルめの作品が多いが硬質なタッチのものもこなす。映画では『HAPPY PEOPLE』(98)でデビュー、かすかに評価されました。代表的な作品は『BLOOD 狼血』(98)、『援助交際撲滅運動』シリーズ(01~)、『熱血!二代目商店街』シリーズ(99~)など。名前の雰囲気が佐々木浩久ににてますが(ジョン・シングルトンとジョン・マクノートンみたいに)、作風はまるっきりちがって佐々木監督よりはずっとノーマルな指向資質を有しているようです。

theme : テレビドラマ
genre : テレビ・ラジオ

『ウエディングベル』恋する日曜日第1シーズン①②

『恋する日曜日』第1シーズン第1話&第2話
『ウエディングベル』

監督:若松孝二
脚本:渡邊睦月
主題歌:シュガー
出演:星野真里、大沢樹生、来栖あつ子、目黒大樹、田中要次

BS-iで2003年から現在まで、断続的に製作されつづける人気シリーズとなった『恋する日曜日』、記念すべき第1シーズン開幕の第1話(&第2話)の演出をになう監督は、なんと若松孝二。最初にして最大の飛び道具。シリーズの方向性を決定づけるトップに若松孝二を持ってくる意図は不明ですが、観てみるとあんがいノーマルに手堅いつくりで、言われなければ監督名はわからないかも。以降の作品群では、タイトル&主題曲となる歌とあまり関係ない物語を語っているものも少なくないのが、若松『ウエディングベル』は“縛り”を律儀にキチンと守り、シュガーの『ウエディングベル』そのままの発端から物語をかたりだす。

星野真里と3年付き合っていた、仲睦まじかった章吾は、今まさに結婚式の主役として、星野とは違う女と祭壇の前で永遠の愛を誓おうとしている。くたばっちまえと律儀に歌詞を呟く星野は、花婿の誓いのキスを、花嫁から横取りする。騒然とする教会、逃げ去る星野真里の進む通路の先に、大沢樹生がフレームインする。
花嫁は専務の娘・久美だった。会社をクビになった星野真里のまえに新婦の意志を受けた弁護士の大沢樹生が現れて、700万の損害賠償等を請求してくる。章吾とつながっていたいために払いつづける星野に、大沢は婚約破棄で訴えれば損害賠償と相殺でチャラになるんじゃないかと橋のうえで諭す。しかし「あたし払う。絶対払いつづける」「取り上げないでよ‥たった一つの‥章吾とのつながり‥今のアタシはお金を払いつづけることでしか章吾と関わり続けれない」と彼女はそれを拒絶する。
じつは大沢も新婦の久美に叶わぬ愛を抱いて教会にいた、星野と同類の立場の男なのだった。俺たちってさ、意外とお似合いなんじゃないの。

かくして、星野と大沢の組み合わせにロマンスは移行する。星野と大沢がふたりで逢うシーンのほとんどが川辺で展開され、涙、雨とともに流れる液体を演出の基調として構成される。そうしてもっとも躍動しているとおもう場面は、恣意的すぎる雨が星野の住む部屋の窓をたたき、俺、雨の音好き、と言った元カレの言葉がよみがえり、すると来るはずのない元カレからの電話が部屋に響き、密約を求める彼の言葉に端を発して久美、そして星野真里と流涙が伝播する、“水”による語りに最大の充実をみる。

教会で始まり、出逢い、反発と共感ののちにラストふたたび教会で結ばれるふたり。演技も歌の入るタイミングも黴くさくて冴えませんが、無駄のない効率的な語り口は捨てがたく、写真の使い方も巧妙だとおもう。ふたりが恋愛に発展する感情の展開に無理はないけれども、もうふた山くらいないと正直盛り上がらないと思う。ともあれ、シリーズの“カセ”としての、歌と物語の関連性を見本品として提示した、という意味では、無難になされていると思います。

主演の星野真里は、子役から順当にキャリアを重ね、ドラマ『新・星の金貨』で全国的知名度を得た。先ごろは『さよならみどりちゃん』(05)で一躍有望な映画女優の仲間入りもしましたが、正直興味がなく魅力が分からない。『ウエディングベル』での彼女にも、ノるとっかかりが見つけられず苦心した。

大沢樹生は自分のなかでは及川中『日本製少年』(95)のおかげで、いちおう贔屓の俳優ということになっています。『ウエディングベル』のあと、また若松孝二とタッグを組んで『完全なる飼育 赤い殺意』(04)のメインキャストを務めました。

60年代から70年代にかけて、全共闘世代からの熱烈な支持を得ていた、いわば時代のスターだった若松孝二は問題作話題作を連打していたのでしたが、80年代、おそらく『スクラップ・ストーリー ある愛の物語』(84)あたりを境に、毒にも薬にもならない生あたたかい映画も(先鋭的な映画とともに)量産しだしました。『ウエディングベル』もその路線(代表作『寝取られ宗介』)で捉えられるもので、問題作路線だと無技巧に近いタッチのものが多いのに、このテのものでは意外なテクニシャンぶりを発揮するのが不思議だ。

theme : テレビドラマ
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