2011年日本映画ベストテン
<2011年日本映画ベストテン>
1. ひとみのひとみぼっち(第2回)
2. サウダーヂ
3. 予告する光 gozo Cine
4. DV
5. 死ね!死ね!シネマ
6. 東京公園
7. 嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん
8. 一枚のハガキ
9. ギャルバサラ
10.制服の芽3D
次点は『若きロッテちゃんの悩み』『終わってる』など。『CUT 』は未見。どんどん興味が薄れてゆく園子温の、今年の2つの力作については、底の知れたアンモラルに白けてしまい、瀬々『アントキノイノチ』の商業映画との闘いぶりには、そのハードル設定がそもそも古いと感じてしまいました。その一方で、クオリティの高い自主映画群の、そのテの界隈の評価に自足してしまっている雰囲気にも、どこか居心地の悪さを感じてしまっています。
3.11以後、映画作品一つ一つのもつリアリティの水準、あるいはその映画の自己同一性を結晶させてかたちづくるリアリティの保証が揺らいだ。観るほうも、送り手も、リアルの強度に意識的でなくはいられなかったでしょう。
全部はしょって言うと、私たちの知る映画は、シネマは、死んだ。そう感じています。残されたのは、そのようなものがあったという記憶と郷愁。未来の映像、ある一定の長さの、ひとつひとつ強度の異なる映像の断片が拡散し浮遊する世界で、シネマの記憶をもつわれわれが、そこに快楽と歴史と感情を勝手に読みとることになるでしょう。
現在進行形、『ひとみぼっち』の故なき美しさ。『ハロプロtime』といったい何がそれほど違うのか。カメラが、美しい少女の“理由なき”笑顔と笑い声を、世界に拡散するようにして、刻む。音響を伴う映像というものの歴史がそれを可能にした。それだけでも、映画の歴史は無駄ではなかったと判断したい。1を代表とする女子流の、毎日のようにユーストリームに垂れ流される膨大な映像群もそうですが、2~5も、ある映像の断片が、もうひとつの断片を引き寄せてゆきそしてその総量が膨張してゆく、その映像のあり方に、刺激があった。6~8の、脱臼した不気味なリアリティの強度。9、10はスクリーンで、2年追い続けた木崎ゆりあを観れた素晴らしさ。しかし、『制服の芽』は玲奈のソロ曲枯葉のステーションをディゾルブ処理するとか、せっかくの3Dの効果を台無しにするような場面がたびたび目について不満があるのでこの位置です。
1. ひとみのひとみぼっち(第2回)
2. サウダーヂ
3. 予告する光 gozo Cine
4. DV
5. 死ね!死ね!シネマ
6. 東京公園
7. 嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん
8. 一枚のハガキ
9. ギャルバサラ
10.制服の芽3D
次点は『若きロッテちゃんの悩み』『終わってる』など。『CUT 』は未見。どんどん興味が薄れてゆく園子温の、今年の2つの力作については、底の知れたアンモラルに白けてしまい、瀬々『アントキノイノチ』の商業映画との闘いぶりには、そのハードル設定がそもそも古いと感じてしまいました。その一方で、クオリティの高い自主映画群の、そのテの界隈の評価に自足してしまっている雰囲気にも、どこか居心地の悪さを感じてしまっています。
3.11以後、映画作品一つ一つのもつリアリティの水準、あるいはその映画の自己同一性を結晶させてかたちづくるリアリティの保証が揺らいだ。観るほうも、送り手も、リアルの強度に意識的でなくはいられなかったでしょう。
全部はしょって言うと、私たちの知る映画は、シネマは、死んだ。そう感じています。残されたのは、そのようなものがあったという記憶と郷愁。未来の映像、ある一定の長さの、ひとつひとつ強度の異なる映像の断片が拡散し浮遊する世界で、シネマの記憶をもつわれわれが、そこに快楽と歴史と感情を勝手に読みとることになるでしょう。
現在進行形、『ひとみぼっち』の故なき美しさ。『ハロプロtime』といったい何がそれほど違うのか。カメラが、美しい少女の“理由なき”笑顔と笑い声を、世界に拡散するようにして、刻む。音響を伴う映像というものの歴史がそれを可能にした。それだけでも、映画の歴史は無駄ではなかったと判断したい。1を代表とする女子流の、毎日のようにユーストリームに垂れ流される膨大な映像群もそうですが、2~5も、ある映像の断片が、もうひとつの断片を引き寄せてゆきそしてその総量が膨張してゆく、その映像のあり方に、刺激があった。6~8の、脱臼した不気味なリアリティの強度。9、10はスクリーンで、2年追い続けた木崎ゆりあを観れた素晴らしさ。しかし、『制服の芽』は玲奈のソロ曲枯葉のステーションをディゾルブ処理するとか、せっかくの3Dの効果を台無しにするような場面がたびたび目について不満があるのでこの位置です。
2010年日本映画ベストテン
<2010年日本映画ベストテン>
①『結び目』(小沼雄一監督)
②『堀川中立売』(柴田剛監督)
③『making of LOVE』(古澤健監督)
④『ランニング・オン・エンプティ』(佐向大監督)
⑤『ヘヴンズストーリー』(瀬々敬久監督)
⑥『愛するとき、愛されるとき』(瀬々敬久監督)
⑦『これで、いーのかしら。怒る西行』(沖島勲監督)
⑧『海炭市叙景』(熊切和嘉監督)
⑨『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(石井隆監督)
⑩『アウトレイジ』(北野武監督)
さて、去年もさらにロクに観ることが出来ませんでしたが、2010年の日本映画の状況は、おおざっぱに言って、川村印の「オシャレ・シリアス路線」(『告白』『悪人』)や、小劇場センス・サブカル風味の「非モテ系あるある」(『サイタマノラッパー2』『さんかく』『ボーイズ・オン・ザ・ラン』、ドラマ『モテキ』等々‥)などが幅をきかせていて、「映画」は息も絶え絶え、という印象。
そういった、最適化を指向する「置きにいく映画」の受容が大勢を占めるなか、「エモーションの持続」の器としての映画の在り方に対して立ち止まっている映画(エモーションが持続しないこと/持続の射程に果てがあること)に、真摯さを感じた、2010年でした。
(つづく?)
①『結び目』(小沼雄一監督)
②『堀川中立売』(柴田剛監督)
③『making of LOVE』(古澤健監督)
④『ランニング・オン・エンプティ』(佐向大監督)
⑤『ヘヴンズストーリー』(瀬々敬久監督)
⑥『愛するとき、愛されるとき』(瀬々敬久監督)
⑦『これで、いーのかしら。怒る西行』(沖島勲監督)
⑧『海炭市叙景』(熊切和嘉監督)
⑨『ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う』(石井隆監督)
⑩『アウトレイジ』(北野武監督)
さて、去年もさらにロクに観ることが出来ませんでしたが、2010年の日本映画の状況は、おおざっぱに言って、川村印の「オシャレ・シリアス路線」(『告白』『悪人』)や、小劇場センス・サブカル風味の「非モテ系あるある」(『サイタマノラッパー2』『さんかく』『ボーイズ・オン・ザ・ラン』、ドラマ『モテキ』等々‥)などが幅をきかせていて、「映画」は息も絶え絶え、という印象。
そういった、最適化を指向する「置きにいく映画」の受容が大勢を占めるなか、「エモーションの持続」の器としての映画の在り方に対して立ち止まっている映画(エモーションが持続しないこと/持続の射程に果てがあること)に、真摯さを感じた、2010年でした。
(つづく?)
09年秋~10年秋ドラ観了リスト
じつに5シーズン、一年分以上ノーリアクションで放置していたので以下リストアップだけ→
<2009年秋ドラマ>
①なし
②『ギネ 産婦人科の女たち』
③『小公女セイラ』
④『ライアーゲーム シーズン2』
⑤『オトメン(乙男)・秋』
⑥『傍聴マニア09』
⑦『JINー仁ー』
⑧『俺たちは天使だ!NO ANGEL NO LUCK 3D』
⑨『嬢王 Virgin』
⑩『リアル・クローズ』
⑪『アンタッチャブル』
⑫『サムライ・ハイスクール』
⑬『チャレンジド』
⑭『交渉人 THE NEGOTIATOR(第2シリーズ)』
⑮『東京DOGS』
⑯『おひとりさま』
<2010年冬ドラマ>
(①『侍戦隊シンケンジャー』)
②『マジすか学園』
③『コード・ブルー ドクターヘリ緊急救命2nd season』
④『曲げられない女』
⑤『木下部長とボク』
⑥『泣かないと決めた日』
⑦『特上カバチ!!』
⑧『卒うた』
⑨『記憶の海』
⑩『インディゴの夜』
⑪『エンゼルバンク・転職代理人』
⑫『ブラッディ・マンデイ(第2シーズン)』
(⑬『ウェルかめ』)
⑭『咲くやこの花』
⑮『とめはねっ!!鈴里高校書道部』
⑯『宿命1969-2010 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・東京』
⑰『まっすぐな男』
⑱『ヤマトナデシコ七変化』
<2010年春ドラマ>
①『大魔神カノン』
②『Mother』
③『プロゴルファー花』
④『三代目明智小五郎~今日も明智が殺される~』
⑤『怪物くん』
⑥『ヤンキーくんとメガネちゃん』
⑦『新参者』
⑧『タンブリング』
⑨『激恋~運命のラブストーリー~』
⑩『素直になれなくて』
⑪『女帝 薫子』
⑫『八日目の蝉』
⑬『月の恋人』
<2010年夏ドラマ>
①なし
②『熱海の捜査官』
(③『ゲゲゲの女房』)
④『ホタルノヒカリ2』
⑤『うぬぼれ刑事』
⑥『GM 踊れドクター』
⑦『美丘・君がいた日々』
⑧『ハンマーセッション!』
⑨『ジョーカー 許されざる捜査官』
⑩『GOLD』
⑪『モテキ』
⑫『夏の恋は虹色に輝く』
⑬『日本人の知らない日本語』
⑭『もやしもん』
⑮『土俵ガール!』
⑯『崖っぷちのエリー』
<2010年秋ドラマ>
①『Q10』
②『SPEC 警視庁公安部公安第五課未詳事件特別対策係事件簿』
③『流れ星』
④『医龍3』
⑤『霊能力者小田霧響子の嘘』
⑥『嬢王3』
⑦『ナサケの女~国税局査察官~』
⑧『闇金ウシジマくん』
⑨『フリーター、家を買う。』
⑩『クローンベイビー』
⑪『獣医ドリトル』
⑫『パーフェクト・リポート』
⑬『秘密』
⑭『フェイスメイカー』
⑮『ギルティ 悪魔と契約した女』
⑯『黄金の豚』
<2009年秋ドラマ>
①なし
②『ギネ 産婦人科の女たち』
③『小公女セイラ』
④『ライアーゲーム シーズン2』
⑤『オトメン(乙男)・秋』
⑥『傍聴マニア09』
⑦『JINー仁ー』
⑧『俺たちは天使だ!NO ANGEL NO LUCK 3D』
⑨『嬢王 Virgin』
⑩『リアル・クローズ』
⑪『アンタッチャブル』
⑫『サムライ・ハイスクール』
⑬『チャレンジド』
⑭『交渉人 THE NEGOTIATOR(第2シリーズ)』
⑮『東京DOGS』
⑯『おひとりさま』
<2010年冬ドラマ>
(①『侍戦隊シンケンジャー』)
②『マジすか学園』
③『コード・ブルー ドクターヘリ緊急救命2nd season』
④『曲げられない女』
⑤『木下部長とボク』
⑥『泣かないと決めた日』
⑦『特上カバチ!!』
⑧『卒うた』
⑨『記憶の海』
⑩『インディゴの夜』
⑪『エンゼルバンク・転職代理人』
⑫『ブラッディ・マンデイ(第2シーズン)』
(⑬『ウェルかめ』)
⑭『咲くやこの花』
⑮『とめはねっ!!鈴里高校書道部』
⑯『宿命1969-2010 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・東京』
⑰『まっすぐな男』
⑱『ヤマトナデシコ七変化』
<2010年春ドラマ>
①『大魔神カノン』
②『Mother』
③『プロゴルファー花』
④『三代目明智小五郎~今日も明智が殺される~』
⑤『怪物くん』
⑥『ヤンキーくんとメガネちゃん』
⑦『新参者』
⑧『タンブリング』
⑨『激恋~運命のラブストーリー~』
⑩『素直になれなくて』
⑪『女帝 薫子』
⑫『八日目の蝉』
⑬『月の恋人』
<2010年夏ドラマ>
①なし
②『熱海の捜査官』
(③『ゲゲゲの女房』)
④『ホタルノヒカリ2』
⑤『うぬぼれ刑事』
⑥『GM 踊れドクター』
⑦『美丘・君がいた日々』
⑧『ハンマーセッション!』
⑨『ジョーカー 許されざる捜査官』
⑩『GOLD』
⑪『モテキ』
⑫『夏の恋は虹色に輝く』
⑬『日本人の知らない日本語』
⑭『もやしもん』
⑮『土俵ガール!』
⑯『崖っぷちのエリー』
<2010年秋ドラマ>
①『Q10』
②『SPEC 警視庁公安部公安第五課未詳事件特別対策係事件簿』
③『流れ星』
④『医龍3』
⑤『霊能力者小田霧響子の嘘』
⑥『嬢王3』
⑦『ナサケの女~国税局査察官~』
⑧『闇金ウシジマくん』
⑨『フリーター、家を買う。』
⑩『クローンベイビー』
⑪『獣医ドリトル』
⑫『パーフェクト・リポート』
⑬『秘密』
⑭『フェイスメイカー』
⑮『ギルティ 悪魔と契約した女』
⑯『黄金の豚』
映画『私の優しくない先輩』その 1
『私の優しくない先輩』
(2010年、日本、102分)
監督:山本寛
原作:日日日
脚本:大野敏哉
音楽:神前暁
撮影:藤井昌之
コリオグラファー:夏まゆみ
出演:川島海荷、金田哲、入江甚儀、児玉絹世、小川菜摘、高田延彦
1.
2005年の夏。<家族で初めて渋谷へ行ったとき、スクランブル交差点で声をかけられた>小6の川島海荷は、スカウトされてレプロのジュニア部門に所属することになり、芸能活動を開始します。レプロ的には、ガッキーこと新垣結衣が、今まさに全国区になろうとしていた時期。
翌06年、夏ドラ『誰よりもママを愛す』において、田村正和ファミリーの小学生の次男が慕うことになる、転校してしまう影のある少女として川島海荷はデビューを果たしますが、ここでの彼女は、あくまでも(声の濁った、幾分大人びた)「印象のある子役」に過ぎず、「美少女=アイドル」という範疇にはいない存在、という印象でした。
つづく秋ドラ、『役者魂!』(「擬似家族モノ」の重要作)では、異父弟のチュータ/吉川史樹を連れて、藤田まことや松たか子と共に擬似家族を形成する、芯の強い少女・サクラコを好演。“子供であること”は、その「魂=人格システム」の何割かを身近な大人に依託しておくことであって、“大人であること”とは、「魂=人格システム」を他者に依託せず、自身にすべて宿らせることだということを、チュータとサクラコの、魂の有りようのコントラストが、鮮やかに示していました。ここで、自分に川島海荷の名前はインプットされた。わかり易い「美少女」では必ずしもない「印象のある」少女が、地道に子役→アイドル女優という路線をとりあえず歩みだしてみたという認識。
さて同じ時期、レプロには川島海荷より一学年上の、もうひとりの少女がいました。彼女の名は菅澤美月。2005年の4月には、王道アイドルの登竜門ともいえる『おはスタ』のおはガールとしての活動を開始し、川島海荷が芸能活動をスタートした頃にはすでに、その突出した美少女ぶりと稀有なトークスキルで(番組内ユニット・キャンディミントとしても)「美少女=アイドル」として常に輝きの中心としてあった彼女は、2年間の長期政権ののち、2007年3月、中2で『おはスタ』を卒業すると、レプロ内ジュニア部門からシニア部門へ異例ともいえる異動を果たしたことで、即戦力として、そしてポスト・ガッキーとして、事務所の期待を一身に背負っている存在だということを周囲に知らしめました。
一方の海荷といえば同じ頃(2007年1月)、事務所のジュニア部門のメンバーを寄せ集めたアイドルユニット・9nineに新メンバーとして加入。菅澤美月と同じくおはガール&キャンディミントであった下垣真香が、海荷と共に9nineに加入したことからも、菅澤美月の例外ぶり(推されっぷり)が窺われますが、ようするに即戦力ではない下積みの必要な人材としての(“その他大勢”な)活動を余儀なくされたのでした‥。
この9nineが、事務所が本気で勝負をかけたようなユニットならまだ話は別かもしれませんが、ルックスの好みはまあ人それぞれだとしても、歌及びダンスが近年ちょっと見かけないくらい酷いレベルのもので、ジュニア達の馴らし運転でしかないことがそのパフォーマンスからは露呈していました‥。
この年(2007年)、新垣結衣が遂に大ブレイクを果たしトップ中のトップアイドルにのぼりつめます(主演映画3本公開、歌手デビュー等々)が、その後継者としてのポジションを着実に得るべく、これまで多くのアイドルにとって全国区へのきっかけとなってきた『3年B組金八先生』に、菅澤美月が満を持して登場する。で、「印象のある」川島海荷はといえば、この年は9nineとしての地道な活動を行ったり連ドラにゲスト出演したりで経験を積みつつ、推されゆく「美少女」菅澤美月の背中(的なもの)を眺めていたのではないでしょうか‥。
しかし2008年になって、状況は一変します。放送期間半年に及んだ『金八』(3月で終了)において、単調なキャラクターを単調に演じた菅澤美月は輝きもせずブレイクもせず、さらに、前年暮れに流出した不用意なプリクラによるスキャンダルが表面化する。結局、6月末には事務所から登録を抹消され、その一週間後には荒れに荒れたブログも閉鎖、自滅に近いかたちで芸能界からその姿を消しました。
そこで急遽、ポスト・ポスト・ガッキーとして推されポジに座ることとなった川島海荷は、メディア露出が激増し、以降、「次世代の美少女アイドル女優」としての道を突き進みはじめます。連ドラ『ブラッディ・マンデイ』2部作(08、10)や『アイシテル~海容~』(09)等で「儚げ?で、けなげ?な美?少女」として、CM「カルピスウォーター」や「味の素クノールカップスープ」等で「透明感のある?爽やかな?美?少女」として、全国区的な知名度を得て?ブレイクして?ゆく‥‥。
(?)ばかりの煮え切らない文章になってしまいましたが、つまりは、「そうゆうテイで」ブレイクのストーリーが発信されているに留まっていることにいちいち躓き、納得しがたいものを感じているからで、受け手側の地熱が足りない(あるいは無視された)ままにプロデュース側の都合で提供されるサクセスストーリーが「そうゆうテイ」ばかりで先へ先へと進んでいってしまっているという印象が、川島海荷のここのところのブレイクぶりには付き纏っているように思われます。想定される消費者による「愛する」というフィードバックを抜きにして(「愛された、というテイ」で)「トップアイドル女優」というステップをあがってゆく川島海荷をみて、どこか居心地の悪いおもいを抱いているのは自分だけではないんじゃないかと思う(そもそも、「アイドル」とは「愛される」ことこそがその属性なのだから)。そして実際、川島海荷本人もこの現在の状況を政治的かつ偶発的なものだと、案外客観的に捉えているのではないでしょうか。その佇まいには、無条件に愛されて調子こく独特のイタい傲岸さがあまり感じられず、かといってヒネるわけ
でもないそのさまがかえって、ある種奇妙に新鮮な魅力に感じられもします。
2.
私見による、川島海荷を取り巻く環境の推移を、大急ぎで語ってきましたが、さて、そのようにして、川島海荷をある程度のスパンで眺めてきた文化圏に属するものの視点からすると、例えば『キネマ旬報』8月上旬号に載った直井卓俊による『私の優しくない先輩』評などには、だいぶ違和感があります。
そもそも冒頭の、<カルピスウォーターのCMなどでとびっきりの笑顔を振りまいている川島海荷。もちろん本名もわからない、ただひたすらにまぶしい美少女。>という粗雑な言いっぷりから、既にいろいろと苛つきますが(名前は、由来のエピソード込みで周知のように本名)、より錯誤があると思えるのは以下の文章。
<メジャー映画ではキャラクターが役者に勝っている映画が少ないように思える。例えば宮崎あおいはどの映画で見ても「宮崎あおい」で、演じたキャラクターを名を思い出せない。逆にインディーズ映画であれば大ヒット作「SRサイタマノラッパー」(08)の駒木根隆介という俳優名よりも「IKKU」という愛称が先に出て来るという例がある。そして本作は(略)まず第一にヤマコさんはもちろん、憧れの南愛治先輩、(略)天敵・不破先輩という映画の中のキャラクターの魅力が先行している(略)>
インディーズ映画のプロデューサーである直井氏は、メジャー/インディーズの区分を設けて、メジャー→キャラクターが役者に負けている/インディーズ→キャラクターの魅力が先行しているという図式(インディーズ映画のほうが魅力的!)を示してみせるのですが、自分に則していえば、『私の優しくない先輩』における川島海荷もはんにゃ金田も、ごくふつうに役名より先にその役者名が想起されますし、宮崎あおいの演じたキャラクターの名前も「宮崎あおい」という固有名に続いて、幾つも思い出すことが出来ますから、氏の言ってる“あるある”が前提として分からない。直井氏は、本作の高田延彦をみても「高田延彦」と認識せず、まず「西表誠」と認識するのでしょうか?‥よく分かりませんが、川島海荷(あるいははんにゃ金田)をそれほど知らない文化圏の人間にとっては「川島海荷」という認識で接している時間より『私の優しくない先輩』という映画で「イリオモテヤマコ」として接した時間の方が長い、というだけの話なのではないでしょうか?だとすれば、役者の認知度の低さをキャラクターの魅力と混同しての「だから、イ
ンディーズ映画は役者が輝いている」という論旨は成り立たない。そのように直井氏が知覚したのは、ただ単にキャストが氏の熟知した文化圏の人々でなかったという事実しか、指し示しはしません。
「(自分が)長いあいだ見知った役者だから、この作品の彼/彼女はキャラクターが役者に負けている」、「よく知らない役者だからこの作品の彼/彼女はキャラクターが役者に勝っている」というのは無茶苦茶な話で、そこ(メジャー映画に勝るキャラクターの魅力、を有する映画)を立脚点として、“だから”<少々の無茶は承知で>、<少女を刹那的に輝かせ、映画の中に永遠に生きさせることができる>、<すべて説得力のある映画の装置として輝かせてみせる>等々と続いてゆく肯定的な言葉群は、少々説得力に欠けるのではないでしょうか。
そして、その文化圏内に属する者として、デビューから今までたまたま(?)その出演作のほとんどをリアルタイムでみてきた自分の印象に基づく感想として言えば、『私の優しくない先輩』における川島海荷の「魅力」は、その資質に余りそぐわないのに繰り返し採用される「難病/病弱」=「儚い」要素や同じく数多く演じた「等身大」要素・等で構成された、それほど例外的なものではなく、これ位は有するだろうという想定の範囲内の「魅力」であって、個人的には、たとえば今年の春ドラ『怪物くん』(10)のウタコ役(怪物くんへの想いと、その関係性の微妙さが愉しい)のほうが輝いてたんじゃないかと素朴におもいますし(はんにゃ金田も、必要以上に「はんにゃ金田」で、もう少し「不破先輩」というキャラクターであったらな~とすら思う)、そうした印象を持っている自分からすると、「アイドルとはその魅力が実力を超えた存在」というあんまり面白くないテーゼを引用して<川島海荷は本作で実力以上の魅力が引き出された幸福な女優の1人であろう。>と断言する文章を読むと、“映画”は他の映像メディアより当然格上だという
前提が透けて見えて、映画のヒトはエラソーだなと不快に感じもします。
川島海荷は、新垣結衣や菅澤美月のように(実力とは無関係に、問答無用の属性としての)<ただひたすらまぶしい美少女>では有りえない自分を知っていますし、作品内で結晶させるべき「魅力」があるとしたら、手ぶらで臨むのではなく、努力や実力によってその水準の人物像を構築しようと作業(演技)をする、ごく普通の若手の演じ手であって、その意味では、万一上記のテーゼに則るのだとしたらアイドルではないとすら言えるでしょう。『私の優しくない先輩』における川島海荷は、ごく順当に、実力に相応の輝きを放っていると判断します。
が、しかし、そうは言いつのってみても、本編の物語が終わりをむかえ、エンドロールで披露される『MajiでKoiする5秒前』での川島海荷の「輝き」はやはり例外的なもので、多くの論者がその多幸感を肯定するこのシーンには、理屈抜きの<ただひたすらまぶしい>美しさが溢れています。
そして、自分の感触としては、ここでの感動の“質”は、映画(文化圏)的な、「目的を欠いた純粋な手段」としての《身振り》に由来する、というよりは、どうやら、アイドル文化圏における「ミュージックビデオ」(PV/MV)が齎す愉悦のありようと、正確に同じものだと感じられます。唯物論的な不断の更新としての輝き(=映画)ではなく、文脈からの逸脱が文脈依存でもある戯れとしての輝き(=アイドル)。
(つづく)
(2010年、日本、102分)
監督:山本寛
原作:日日日
脚本:大野敏哉
音楽:神前暁
撮影:藤井昌之
コリオグラファー:夏まゆみ
出演:川島海荷、金田哲、入江甚儀、児玉絹世、小川菜摘、高田延彦
1.
2005年の夏。<家族で初めて渋谷へ行ったとき、スクランブル交差点で声をかけられた>小6の川島海荷は、スカウトされてレプロのジュニア部門に所属することになり、芸能活動を開始します。レプロ的には、ガッキーこと新垣結衣が、今まさに全国区になろうとしていた時期。
翌06年、夏ドラ『誰よりもママを愛す』において、田村正和ファミリーの小学生の次男が慕うことになる、転校してしまう影のある少女として川島海荷はデビューを果たしますが、ここでの彼女は、あくまでも(声の濁った、幾分大人びた)「印象のある子役」に過ぎず、「美少女=アイドル」という範疇にはいない存在、という印象でした。
つづく秋ドラ、『役者魂!』(「擬似家族モノ」の重要作)では、異父弟のチュータ/吉川史樹を連れて、藤田まことや松たか子と共に擬似家族を形成する、芯の強い少女・サクラコを好演。“子供であること”は、その「魂=人格システム」の何割かを身近な大人に依託しておくことであって、“大人であること”とは、「魂=人格システム」を他者に依託せず、自身にすべて宿らせることだということを、チュータとサクラコの、魂の有りようのコントラストが、鮮やかに示していました。ここで、自分に川島海荷の名前はインプットされた。わかり易い「美少女」では必ずしもない「印象のある」少女が、地道に子役→アイドル女優という路線をとりあえず歩みだしてみたという認識。
さて同じ時期、レプロには川島海荷より一学年上の、もうひとりの少女がいました。彼女の名は菅澤美月。2005年の4月には、王道アイドルの登竜門ともいえる『おはスタ』のおはガールとしての活動を開始し、川島海荷が芸能活動をスタートした頃にはすでに、その突出した美少女ぶりと稀有なトークスキルで(番組内ユニット・キャンディミントとしても)「美少女=アイドル」として常に輝きの中心としてあった彼女は、2年間の長期政権ののち、2007年3月、中2で『おはスタ』を卒業すると、レプロ内ジュニア部門からシニア部門へ異例ともいえる異動を果たしたことで、即戦力として、そしてポスト・ガッキーとして、事務所の期待を一身に背負っている存在だということを周囲に知らしめました。
一方の海荷といえば同じ頃(2007年1月)、事務所のジュニア部門のメンバーを寄せ集めたアイドルユニット・9nineに新メンバーとして加入。菅澤美月と同じくおはガール&キャンディミントであった下垣真香が、海荷と共に9nineに加入したことからも、菅澤美月の例外ぶり(推されっぷり)が窺われますが、ようするに即戦力ではない下積みの必要な人材としての(“その他大勢”な)活動を余儀なくされたのでした‥。
この9nineが、事務所が本気で勝負をかけたようなユニットならまだ話は別かもしれませんが、ルックスの好みはまあ人それぞれだとしても、歌及びダンスが近年ちょっと見かけないくらい酷いレベルのもので、ジュニア達の馴らし運転でしかないことがそのパフォーマンスからは露呈していました‥。
この年(2007年)、新垣結衣が遂に大ブレイクを果たしトップ中のトップアイドルにのぼりつめます(主演映画3本公開、歌手デビュー等々)が、その後継者としてのポジションを着実に得るべく、これまで多くのアイドルにとって全国区へのきっかけとなってきた『3年B組金八先生』に、菅澤美月が満を持して登場する。で、「印象のある」川島海荷はといえば、この年は9nineとしての地道な活動を行ったり連ドラにゲスト出演したりで経験を積みつつ、推されゆく「美少女」菅澤美月の背中(的なもの)を眺めていたのではないでしょうか‥。
しかし2008年になって、状況は一変します。放送期間半年に及んだ『金八』(3月で終了)において、単調なキャラクターを単調に演じた菅澤美月は輝きもせずブレイクもせず、さらに、前年暮れに流出した不用意なプリクラによるスキャンダルが表面化する。結局、6月末には事務所から登録を抹消され、その一週間後には荒れに荒れたブログも閉鎖、自滅に近いかたちで芸能界からその姿を消しました。
そこで急遽、ポスト・ポスト・ガッキーとして推されポジに座ることとなった川島海荷は、メディア露出が激増し、以降、「次世代の美少女アイドル女優」としての道を突き進みはじめます。連ドラ『ブラッディ・マンデイ』2部作(08、10)や『アイシテル~海容~』(09)等で「儚げ?で、けなげ?な美?少女」として、CM「カルピスウォーター」や「味の素クノールカップスープ」等で「透明感のある?爽やかな?美?少女」として、全国区的な知名度を得て?ブレイクして?ゆく‥‥。
(?)ばかりの煮え切らない文章になってしまいましたが、つまりは、「そうゆうテイで」ブレイクのストーリーが発信されているに留まっていることにいちいち躓き、納得しがたいものを感じているからで、受け手側の地熱が足りない(あるいは無視された)ままにプロデュース側の都合で提供されるサクセスストーリーが「そうゆうテイ」ばかりで先へ先へと進んでいってしまっているという印象が、川島海荷のここのところのブレイクぶりには付き纏っているように思われます。想定される消費者による「愛する」というフィードバックを抜きにして(「愛された、というテイ」で)「トップアイドル女優」というステップをあがってゆく川島海荷をみて、どこか居心地の悪いおもいを抱いているのは自分だけではないんじゃないかと思う(そもそも、「アイドル」とは「愛される」ことこそがその属性なのだから)。そして実際、川島海荷本人もこの現在の状況を政治的かつ偶発的なものだと、案外客観的に捉えているのではないでしょうか。その佇まいには、無条件に愛されて調子こく独特のイタい傲岸さがあまり感じられず、かといってヒネるわけ
でもないそのさまがかえって、ある種奇妙に新鮮な魅力に感じられもします。
2.
私見による、川島海荷を取り巻く環境の推移を、大急ぎで語ってきましたが、さて、そのようにして、川島海荷をある程度のスパンで眺めてきた文化圏に属するものの視点からすると、例えば『キネマ旬報』8月上旬号に載った直井卓俊による『私の優しくない先輩』評などには、だいぶ違和感があります。
そもそも冒頭の、<カルピスウォーターのCMなどでとびっきりの笑顔を振りまいている川島海荷。もちろん本名もわからない、ただひたすらにまぶしい美少女。>という粗雑な言いっぷりから、既にいろいろと苛つきますが(名前は、由来のエピソード込みで周知のように本名)、より錯誤があると思えるのは以下の文章。
<メジャー映画ではキャラクターが役者に勝っている映画が少ないように思える。例えば宮崎あおいはどの映画で見ても「宮崎あおい」で、演じたキャラクターを名を思い出せない。逆にインディーズ映画であれば大ヒット作「SRサイタマノラッパー」(08)の駒木根隆介という俳優名よりも「IKKU」という愛称が先に出て来るという例がある。そして本作は(略)まず第一にヤマコさんはもちろん、憧れの南愛治先輩、(略)天敵・不破先輩という映画の中のキャラクターの魅力が先行している(略)>
インディーズ映画のプロデューサーである直井氏は、メジャー/インディーズの区分を設けて、メジャー→キャラクターが役者に負けている/インディーズ→キャラクターの魅力が先行しているという図式(インディーズ映画のほうが魅力的!)を示してみせるのですが、自分に則していえば、『私の優しくない先輩』における川島海荷もはんにゃ金田も、ごくふつうに役名より先にその役者名が想起されますし、宮崎あおいの演じたキャラクターの名前も「宮崎あおい」という固有名に続いて、幾つも思い出すことが出来ますから、氏の言ってる“あるある”が前提として分からない。直井氏は、本作の高田延彦をみても「高田延彦」と認識せず、まず「西表誠」と認識するのでしょうか?‥よく分かりませんが、川島海荷(あるいははんにゃ金田)をそれほど知らない文化圏の人間にとっては「川島海荷」という認識で接している時間より『私の優しくない先輩』という映画で「イリオモテヤマコ」として接した時間の方が長い、というだけの話なのではないでしょうか?だとすれば、役者の認知度の低さをキャラクターの魅力と混同しての「だから、イ
ンディーズ映画は役者が輝いている」という論旨は成り立たない。そのように直井氏が知覚したのは、ただ単にキャストが氏の熟知した文化圏の人々でなかったという事実しか、指し示しはしません。
「(自分が)長いあいだ見知った役者だから、この作品の彼/彼女はキャラクターが役者に負けている」、「よく知らない役者だからこの作品の彼/彼女はキャラクターが役者に勝っている」というのは無茶苦茶な話で、そこ(メジャー映画に勝るキャラクターの魅力、を有する映画)を立脚点として、“だから”<少々の無茶は承知で>、<少女を刹那的に輝かせ、映画の中に永遠に生きさせることができる>、<すべて説得力のある映画の装置として輝かせてみせる>等々と続いてゆく肯定的な言葉群は、少々説得力に欠けるのではないでしょうか。
そして、その文化圏内に属する者として、デビューから今までたまたま(?)その出演作のほとんどをリアルタイムでみてきた自分の印象に基づく感想として言えば、『私の優しくない先輩』における川島海荷の「魅力」は、その資質に余りそぐわないのに繰り返し採用される「難病/病弱」=「儚い」要素や同じく数多く演じた「等身大」要素・等で構成された、それほど例外的なものではなく、これ位は有するだろうという想定の範囲内の「魅力」であって、個人的には、たとえば今年の春ドラ『怪物くん』(10)のウタコ役(怪物くんへの想いと、その関係性の微妙さが愉しい)のほうが輝いてたんじゃないかと素朴におもいますし(はんにゃ金田も、必要以上に「はんにゃ金田」で、もう少し「不破先輩」というキャラクターであったらな~とすら思う)、そうした印象を持っている自分からすると、「アイドルとはその魅力が実力を超えた存在」というあんまり面白くないテーゼを引用して<川島海荷は本作で実力以上の魅力が引き出された幸福な女優の1人であろう。>と断言する文章を読むと、“映画”は他の映像メディアより当然格上だという
前提が透けて見えて、映画のヒトはエラソーだなと不快に感じもします。
川島海荷は、新垣結衣や菅澤美月のように(実力とは無関係に、問答無用の属性としての)<ただひたすらまぶしい美少女>では有りえない自分を知っていますし、作品内で結晶させるべき「魅力」があるとしたら、手ぶらで臨むのではなく、努力や実力によってその水準の人物像を構築しようと作業(演技)をする、ごく普通の若手の演じ手であって、その意味では、万一上記のテーゼに則るのだとしたらアイドルではないとすら言えるでしょう。『私の優しくない先輩』における川島海荷は、ごく順当に、実力に相応の輝きを放っていると判断します。
が、しかし、そうは言いつのってみても、本編の物語が終わりをむかえ、エンドロールで披露される『MajiでKoiする5秒前』での川島海荷の「輝き」はやはり例外的なもので、多くの論者がその多幸感を肯定するこのシーンには、理屈抜きの<ただひたすらまぶしい>美しさが溢れています。
そして、自分の感触としては、ここでの感動の“質”は、映画(文化圏)的な、「目的を欠いた純粋な手段」としての《身振り》に由来する、というよりは、どうやら、アイドル文化圏における「ミュージックビデオ」(PV/MV)が齎す愉悦のありようと、正確に同じものだと感じられます。唯物論的な不断の更新としての輝き(=映画)ではなく、文脈からの逸脱が文脈依存でもある戯れとしての輝き(=アイドル)。
(つづく)
私の優しくない先輩メモ
『私の優しくない先輩』@新宿バルト9
7月30日(金)11:00~
感想以外のメモ
開場時刻に11階4番シアター前にゆくと、前の回の映写トラブルによる遅れアリと告げられる。下の10階のカフェでお待ちくださいとアナウンス。‥といっても、お詫びにカフェのコーヒーをサービスするって訳でもなさそうなので、その場でそのまま待つ‥
上映開始予定時刻より10分遅れで開場。押してるわりに、のんきに予告編とか館内案内とかが普通に流れている。しばらくすると係員がスクリーン前に立ち、謝罪を述べた後、聞いてもいないのに劇場内が暑くなったので気をきかせて室温を1度下げたよ~と思いやりをアピール。
客層は、独特な肌艶の太ったヲタ風中年×2、大人しめ男子高校生×6(メガネ率67%)、体育会系男子高校生×2、チャラい男子大学生×1、大人しめメガネ男子大学生×1、シネフィル風精気のないチョビヒゲ(25?)、小学生弟妹をつれた大人しめ男子高校生のお兄ちゃん(全員メガネ)、保護者ふうの中年女性2人を従えた元気よく日焼けした小学生男子、お揃いのピンクのサンダル履いた地味め女性×2、小綺麗にしているが不幸そうな母(40?)と娘(10?)。コンタクト率までは不明だがメガネ率が異様に高い。アニヲタ3割、お笑い(はんにゃ)ヲタ1割、あとは子供とライト層といったかんじで、映画文化圏の人間は最大でも2名といったところ。巨躯の中年は海荷ヲタかもとも思うが、アイドルヲタよりはアニヲタのオーラだ。一番のウリはヤマケンか?
上映中、観客席は基本ノーリアクション。ケータイがバイブ機能で追いかけてくる場面では笑い声があがる。ムリムリムリムリ~とナイナイナイナイ~は言えてない海荷だが、ウソウソウソウソ~とヤダヤダヤダヤダ~は言える。
エンドロールで最後に音がしずまってゆくところに、入口の向こうで係員がもうすぐ終わるからおとなしく待てという大音量の声の響きが余韻を遮断する。館内が冷え冷えで、終わったころには凍えていた。
廊下にでると13時10分の回の観客が待機して一列で行儀よくならんでる。一様に小柄。小中学生の女子ばっかり。明るい感じの女子が大半。急に客層がちがう。急にはんにゃがウリになったか?川島海荷、女子小中学生にニーズがあるのかどうかはよう分からん。
この回に観ていたら場違い感で相当なプレッシャーを感じていただろうか‥ずっと催していたのでトイレに入ると、先程劇場にいた男子高校生たちが連れションしつつ、面白かったなーと会話していた。
7月30日(金)11:00~
感想以外のメモ
開場時刻に11階4番シアター前にゆくと、前の回の映写トラブルによる遅れアリと告げられる。下の10階のカフェでお待ちくださいとアナウンス。‥といっても、お詫びにカフェのコーヒーをサービスするって訳でもなさそうなので、その場でそのまま待つ‥
上映開始予定時刻より10分遅れで開場。押してるわりに、のんきに予告編とか館内案内とかが普通に流れている。しばらくすると係員がスクリーン前に立ち、謝罪を述べた後、聞いてもいないのに劇場内が暑くなったので気をきかせて室温を1度下げたよ~と思いやりをアピール。
客層は、独特な肌艶の太ったヲタ風中年×2、大人しめ男子高校生×6(メガネ率67%)、体育会系男子高校生×2、チャラい男子大学生×1、大人しめメガネ男子大学生×1、シネフィル風精気のないチョビヒゲ(25?)、小学生弟妹をつれた大人しめ男子高校生のお兄ちゃん(全員メガネ)、保護者ふうの中年女性2人を従えた元気よく日焼けした小学生男子、お揃いのピンクのサンダル履いた地味め女性×2、小綺麗にしているが不幸そうな母(40?)と娘(10?)。コンタクト率までは不明だがメガネ率が異様に高い。アニヲタ3割、お笑い(はんにゃ)ヲタ1割、あとは子供とライト層といったかんじで、映画文化圏の人間は最大でも2名といったところ。巨躯の中年は海荷ヲタかもとも思うが、アイドルヲタよりはアニヲタのオーラだ。一番のウリはヤマケンか?
上映中、観客席は基本ノーリアクション。ケータイがバイブ機能で追いかけてくる場面では笑い声があがる。ムリムリムリムリ~とナイナイナイナイ~は言えてない海荷だが、ウソウソウソウソ~とヤダヤダヤダヤダ~は言える。
エンドロールで最後に音がしずまってゆくところに、入口の向こうで係員がもうすぐ終わるからおとなしく待てという大音量の声の響きが余韻を遮断する。館内が冷え冷えで、終わったころには凍えていた。
廊下にでると13時10分の回の観客が待機して一列で行儀よくならんでる。一様に小柄。小中学生の女子ばっかり。明るい感じの女子が大半。急に客層がちがう。急にはんにゃがウリになったか?川島海荷、女子小中学生にニーズがあるのかどうかはよう分からん。
この回に観ていたら場違い感で相当なプレッシャーを感じていただろうか‥ずっと催していたのでトイレに入ると、先程劇場にいた男子高校生たちが連れションしつつ、面白かったなーと会話していた。
2009年日本映画ベストテン
<2009年日本映画ベストテン>
①『ちゃんと伝える』(園子温監督)
②『ハルフウェイ』(北川悦吏子監督)
③『シャーリーの好色人生と転落人生』(冨永昌敬、佐藤央監督)
④『ヱヴァンゲリヲン:破』(庵野秀明監督)
⑤『ダンプねえちゃんとホルモン大王』(藤原章監督)
⑥『ライブテープ』(松江哲明監督)
⑦『ドキュメント電脳警察』(瀬々敬久監督)
⑧『熟女 淫らに乱れて』(鎮西尚一監督)
⑨『18倫』(城定秀夫監督)
⑩『余命1ヶ月の花嫁』(廣木隆一監督)
さて、主要映画誌のベストテン号の発売前に、とりあえず去年の私的ベストテンをアップします。
前年よりもさらに映画から遠ざかった2009年は、観る本数が激減したこと以上に、何が今話題かも知らないし興味もあまりないという状況で、『シナリオ』も滅多に買わなくなってしまいましたし、ネットも(元々)ほとんどみることなく。知らなきゃ知らないで、別段たいして気にかからない。
2009年のキーワードは、「物語の無根拠さ」と、「映画館で映画を観るということ」でした。交換可能性と交換不可能性、といってもいいでしょうか。
(つづく)
関連記事:2008年日本映画ベストテン
①『ちゃんと伝える』(園子温監督)
②『ハルフウェイ』(北川悦吏子監督)
③『シャーリーの好色人生と転落人生』(冨永昌敬、佐藤央監督)
④『ヱヴァンゲリヲン:破』(庵野秀明監督)
⑤『ダンプねえちゃんとホルモン大王』(藤原章監督)
⑥『ライブテープ』(松江哲明監督)
⑦『ドキュメント電脳警察』(瀬々敬久監督)
⑧『熟女 淫らに乱れて』(鎮西尚一監督)
⑨『18倫』(城定秀夫監督)
⑩『余命1ヶ月の花嫁』(廣木隆一監督)
さて、主要映画誌のベストテン号の発売前に、とりあえず去年の私的ベストテンをアップします。
前年よりもさらに映画から遠ざかった2009年は、観る本数が激減したこと以上に、何が今話題かも知らないし興味もあまりないという状況で、『シナリオ』も滅多に買わなくなってしまいましたし、ネットも(元々)ほとんどみることなく。知らなきゃ知らないで、別段たいして気にかからない。
2009年のキーワードは、「物語の無根拠さ」と、「映画館で映画を観るということ」でした。交換可能性と交換不可能性、といってもいいでしょうか。
(つづく)
関連記事:2008年日本映画ベストテン
近況
ながい間放置しっぱなしでしたが‥‥遅ればせながら明けましておめでとうございます。
去年の後半から今年にかけて、自分も同居人も近親者を亡くし、秋に癌が発覚した実母は転移と再発で現在進行形で闘病中、日本映画に興味が薄れた薄れないというレベルの話以前に、それどころじゃないという状況でしたが‥‥過去の記録をみてみると、どうやら秋から新年にかけては毎年更新意欲が減退しているようなので、近況とは無関係に例年通りやる気が出ない季節なだけなのかもしれません。
2008年の総括も終わらないまま2009年も過ぎ去ってしまい、もういいかという気もしますが、まだ残っていたのは『憐ーRENー』『電王』『ラバーズ☆ハイ』。『憐』については、個人としての実質の評価とは別に、ある島宇宙に棲むファンの内輪的な“優さ”にその存在と価値を(その劣悪な画質や音響や演技にもかかわらず)許されている「ピンク映画」において、これまでの堀監督の“がんばり”は、やはり特定の文化圏のファンの“優しさ”に支えられるようにして評価されていたに過ぎないとも言えて、ようするにその「作品」の力の波及は、(一般作である『妄想少女オタク系』でさえ)案外射程が短いものだったとおもいますが、『憐』はふつうに他文化圏に接続性をもつだけの映像や音響のクオリティをそなえていて、よかったなと。馬場徹をはじめとして、個々の登場人物の、さまざまな声のトーンがいい。
『さらば電王』は、自分のかつてのアルバイト仲間だった、スーツアクター・永瀬尚希こと本名・植田泰弘さんの活躍(ジーク役)を祝して。次作『超・電王』では更に活躍度が増していて、よかったなと。そのうち、別項で永瀬尚希=植田泰弘さんの思い出についての文章も残しておきたいと思います。
何度か触れた、元dream長谷部優の主演作『ラバーズ☆ハイ』にたいしては、もう何か言うテンションが残ってません。その出来映えには不満なため、いっそ同じく元dreamの阿井莉沙が出演した『僕の彼女はサイボーグ』や『喧嘩番長』あたりを推したいところでしたが、これらは更に納得しがたいものがありました。『ラバーズ☆ハイ』監督の佐藤太は現在、AKB48総出演で話題の‥というかAKB48新チーム移行が遅延している元凶としてファンに複雑なおもいを抱かせている連ドラ『マジすか学園』のメイン監督を務めており‥‥応援しています。
そのDreamへの関心はすっかり薄れ、公式サイトやブログもいっさい覗かなくなってその動向も別に気にかからなくなってきたこの頃でしたが、2010年1月1日元旦の未明、TBSのCOUNT DOWN TVスペシャルにDreamが登場するのをたまたま目にしました。
詳しく調べたわけじゃないので分かりませんが、おそらくメジャーな地上波歌番組で「ダンス&ボーカルグループ」としてのDreamがパフォーマンスを披露したのは、2005年の音楽戦士に凡曲『そよ風の調べ』(歌もダンスも低調だった)をひっさげて登場して以来、約5年ぶりじゃなかったでしょうか??
有数のパフォーマーというべきAyaとErieはもちろんのこと、女性的な丸みをおびて以来ずっとキレが悪く動きがもったりしていると認識していたSizukaとAmiも、この日のダンスは素晴らしかった。現在的には℃-uteやSKEのダブル松井あたりが最上かと漠然とおもっていたけれど、やはりDream、と再認識する。
その歌声&ダンスがメンバー中で最も好きなSayakaも悪くなかったんですが、ここ数年で変化した顔立ちにつよい違和感が残る。‥タテ方向の顔の伸びぐあいが、なんかBRIGHTぽい?
そして、急病によりリーダーkanaを欠いてのパフォーマンスは、ビジュアル面での偏差値がだいぶアップしていて、プロモーションとしてはよかったんじゃないかと。長年、豚だのブスだのとさんざんに言われているリーダーですが、9nineなんかを見ると、おおかたのメンバーがkanaみたいなルックスしていて、kanaも別にそんなにブスでもない気が、だんだんしてきた‥。
去年の後半から今年にかけて、自分も同居人も近親者を亡くし、秋に癌が発覚した実母は転移と再発で現在進行形で闘病中、日本映画に興味が薄れた薄れないというレベルの話以前に、それどころじゃないという状況でしたが‥‥過去の記録をみてみると、どうやら秋から新年にかけては毎年更新意欲が減退しているようなので、近況とは無関係に例年通りやる気が出ない季節なだけなのかもしれません。
2008年の総括も終わらないまま2009年も過ぎ去ってしまい、もういいかという気もしますが、まだ残っていたのは『憐ーRENー』『電王』『ラバーズ☆ハイ』。『憐』については、個人としての実質の評価とは別に、ある島宇宙に棲むファンの内輪的な“優さ”にその存在と価値を(その劣悪な画質や音響や演技にもかかわらず)許されている「ピンク映画」において、これまでの堀監督の“がんばり”は、やはり特定の文化圏のファンの“優しさ”に支えられるようにして評価されていたに過ぎないとも言えて、ようするにその「作品」の力の波及は、(一般作である『妄想少女オタク系』でさえ)案外射程が短いものだったとおもいますが、『憐』はふつうに他文化圏に接続性をもつだけの映像や音響のクオリティをそなえていて、よかったなと。馬場徹をはじめとして、個々の登場人物の、さまざまな声のトーンがいい。
『さらば電王』は、自分のかつてのアルバイト仲間だった、スーツアクター・永瀬尚希こと本名・植田泰弘さんの活躍(ジーク役)を祝して。次作『超・電王』では更に活躍度が増していて、よかったなと。そのうち、別項で永瀬尚希=植田泰弘さんの思い出についての文章も残しておきたいと思います。
何度か触れた、元dream長谷部優の主演作『ラバーズ☆ハイ』にたいしては、もう何か言うテンションが残ってません。その出来映えには不満なため、いっそ同じく元dreamの阿井莉沙が出演した『僕の彼女はサイボーグ』や『喧嘩番長』あたりを推したいところでしたが、これらは更に納得しがたいものがありました。『ラバーズ☆ハイ』監督の佐藤太は現在、AKB48総出演で話題の‥というかAKB48新チーム移行が遅延している元凶としてファンに複雑なおもいを抱かせている連ドラ『マジすか学園』のメイン監督を務めており‥‥応援しています。
そのDreamへの関心はすっかり薄れ、公式サイトやブログもいっさい覗かなくなってその動向も別に気にかからなくなってきたこの頃でしたが、2010年1月1日元旦の未明、TBSのCOUNT DOWN TVスペシャルにDreamが登場するのをたまたま目にしました。
詳しく調べたわけじゃないので分かりませんが、おそらくメジャーな地上波歌番組で「ダンス&ボーカルグループ」としてのDreamがパフォーマンスを披露したのは、2005年の音楽戦士に凡曲『そよ風の調べ』(歌もダンスも低調だった)をひっさげて登場して以来、約5年ぶりじゃなかったでしょうか??
有数のパフォーマーというべきAyaとErieはもちろんのこと、女性的な丸みをおびて以来ずっとキレが悪く動きがもったりしていると認識していたSizukaとAmiも、この日のダンスは素晴らしかった。現在的には℃-uteやSKEのダブル松井あたりが最上かと漠然とおもっていたけれど、やはりDream、と再認識する。
その歌声&ダンスがメンバー中で最も好きなSayakaも悪くなかったんですが、ここ数年で変化した顔立ちにつよい違和感が残る。‥タテ方向の顔の伸びぐあいが、なんかBRIGHTぽい?
そして、急病によりリーダーkanaを欠いてのパフォーマンスは、ビジュアル面での偏差値がだいぶアップしていて、プロモーションとしてはよかったんじゃないかと。長年、豚だのブスだのとさんざんに言われているリーダーですが、9nineなんかを見ると、おおかたのメンバーがkanaみたいなルックスしていて、kanaも別にそんなにブスでもない気が、だんだんしてきた‥。










